第十七話 苦手科目
「らきらきらきらき先生、国語の問題終わりましたよ」
「羅将神みたいな笑い方で、ボクを呼ぶな」
「すいません、噛みました。っていうか、らしょうじんって何ですか?」
ぐ、痛恨のツッコミミス。彼女なら、多少の格闘ゲームネタでもついてくるかと思ったが、少しマニアック過ぎたか? 名作なんだぞ、アレ。
「あ、ら、き、だ。そんなに噛む名前じゃないだろうが」
「新木だ先生……」
「そういう、ベタなボケはいらないんだよ」
「ベタを蔑ろにしては、しっかりとしたお笑いは生まれませんよ。テンションだけで誤魔化したっていつか息切れするんですから!!」
キリッ、と効果音がつきそうな程、顔の角度、目の力具合に注意を払いながら樹下桜音己はこちらを睨んでいる。キメ顔、と言えばよいのか、化粧品のCMに出る女優の様なカメラ目線。この場合、カメラはボクになるわけだが。
「君のボケは常にテンションだけな気がするが?」
「失礼な、計算尽くされたネタです」
「……スコットランドヤードも?」
「あれは、その、時には、その、受ける確証の無いボケにも、ほら、チャレンジしていく、て感じの、チャレンジ精神の賜物で……えっと……」
樹下桜音己は、恥ずかそうに顔を下に向ける。耳たぶまで赤くなっているのが、一目でわかる。ここまで動揺されてしまうと、逆にこちらが悪いかのようだ。
スコットランドヤードは禁句。新しい、ルール。
彼女のボケに付き合って聞き流すところだったが、どうやら今日の国語の教材は終わったようだ。
まだ昼の三時を少し回ったところで、ボクの予定していた時間より一時間早い。まぁ、予定外になってしまうのは昨日の今日なので想定内だったんだけど。
樹下から国語の問題集を受け取り、ボクは鞄から新しい問題集を取り出し手渡す。
「うわ、理科だ」
意外と普通の反応だったので驚いたが、昨日彼女自身で言っていた様にやはり理科は苦手科目なんだろう。
「今日の予定は、今やった国語とその理科」
「予定言うの遅くないですか?」
「言うタイミングを見計らってたんだけど、ほら、前もって言ってたらテンション下がるでしょ」
はぁ、とため息のような返事のような相槌を打って樹下は、理科の問題集を開いた。
中には、樹下が覚えられないと言っていた元素記号の問題がみっちり載っている。
ボクも昨日夜な夜な暗記用の謎の呪文を唱えながら、この問題集を睨み付けていた。頭の中には、リーベと名付けられた水兵の冒険が繰り広げられていた。
先程までと同じ様に、室内には密やかな音が聞こえるだけになった。
しかし、先程とは少しだけ違う音が混じっていた。
夏を必死に生き抜く、蝉の声が僅かに聞こえ。
理科に必死に食らいつく、樹下桜音己の唸りが聞こえる。
「ん~、ん~、ん~」
「出産じゃないんだからそんなに唸らなくても」
「ひ、ひ、ふー。ひ、ひ、ふー」
「本当に子供産む気かよ!?」
「私の脳の中に、確かに答えはあるはずなんです。だからそれを必死に産んでやろうかと」
答えを産む、なんてどういう考え方なんだろうか。発明を生み出す、ならわかるんだけど、同じ様な発想なのか?
妊婦の呼吸法を繰り返しながら、樹下桜音己はそれでも答えをしっかりと書き込んでいった。
なかなか怖い光景だが、樹下なりに苦戦しているのだろう。
やっぱり怖い光景だが、樹下にとって勉強になっているのだからこれはこれで良かったのだろう。
どうしても怖い光景なので、やっぱり止めた方がいいのかもしれない。
これからの人生で理科と向き合う度に子供を産もうとしたら、彼女の変人娘度が半端なく増してしまうであろうから。
はぁ、はぁ、と息切れしながらボクを睨んでいる樹下桜音己を見ていると、昔観た映画を思い出す。なんだったっけな?
……ああ、エクソシストだ。
「何で、はぁ、止めるん、はぁ、ですか、人がリ、はぁ、っズム良く問題を、はぁ、解いていたのに」
「そのリズムに問題があるんだよ」
「私のリ、はぁ、っズムに元素記号は、はぁ、含まれてませんが?」
「そういう意味の問題ではないし、リズムに元素記号が含まれる状態はまず無いだろ」
天然な返しな分、ツッコミが大変だ。
ん、随分ツッコミキャラ慣れしてきてしまったな。
「とりあえず、落ち着いて。理科と向き合う度にそんなに息が荒れてたら周りが驚くだろう」
「はぁ、はぁ、そうですね。私も、はぁ、疲れます」
ふぅー、と大きく息を吐いて樹下桜音己は天井を見上げた。首筋に、きらり、と汗が垂れる。
程よく冷房のかかったこの部屋で汗をかくとは、どれ程の強敵なのか、理科という科目は?