第十四話 ボケ殺し
「気分が悪いのかい?」
「機嫌が悪いんだい!」
ボクの言葉に樹下桜音己はこちらを向き、やっと言葉を返してきた。
しかし、“だい!”って何キャラだよ。
「機嫌が悪い理由は?」
「先生がボケさせてくれないからです!」
「ボケれないだけで、機嫌悪くなるなよ」
「そうやってボケを軽視するから、ボケ殺しなんてできるんです。このボケ殺し!」
まるでボクが人を殺した様に、彼女はボクを睨んでくる。ボケ殺しが殺人扱いだったら、会話が下手な人間は皆殺人者だろうか?
まぁ、そんな推論をしたところで何の意味も無い事は良くわかっている。ボクが言えることは、一つ。
「ボクが悪かった、反省してる」
「本当ですか? そんな、夫婦関係を無難に過ごそうとしてる旦那様みたいなセリフ、信じれません」
意図していたところをズバリツッコまれたので、驚いた。しかし、夫婦関係を無難に過ごそうという考え方は大事だし、そこら辺は信じて欲しいところだ。
友人も恋人も夫婦もあるいは家族だって、問題がある場合は片方が折れる方が話は解決しやすい。
ボクと樹下桜音己の関係が、このどれにも該当していないのは考慮すべきところだったのだろうか。
「わかったよ、好きなだけボケていい。メールでも何でもボケたい時にボケてくれ。なんなら今だって構わない、ほら、どうぞ」
「あ、えっと、その……」
樹下桜音己が、明らかな動揺を見せる。
おいおい、まさか。
「ボケ、用意してなかったのか?」
「し、失礼な。私のボケは百八個ありますから」
「煩悩の数と同じだと!?」
樹下の明らかな苦し紛れの言葉に、ボクはオーバーにリアクションしてみせる。機嫌取りとは、なかなか大変だ。
それにしても、煩悩と同じ数とは。煩悩=ボケ、なのだろうか?樹下桜音己が、ボケを全て言い切った後に煩悩も消えてしまうのだろうか?
なんという、聖人。いや、どちらかというと星人。
「ボケ殺しの次は無茶ぶりなんて、先生ってヒドイ人ですよね」
ボケたいと言うので、自由にボケろと言えばヒドイ人扱いだ。ボクに、一体どうしろと言うのか。会話って難しい、切にそう思う。
さて、樹下の機嫌も僅かながらに良くなってきたので今日の授業を始めますか。
ボクは、樹下の横に用意された椅子に座り鞄の中から今日の教材を取り出す。
「また勉強ですか?」
「ボクは、何の為に呼ばれてるんだ?」
「……えっと、話相手?」
「君が疑問持つなよ」
しかも、不吉な疑問だ。彼女は勉強もできてしまうので、本当にボクはただの話相手になりそうだ。
初めての家庭教師としての仕事が、単なる話相手で終わってしまうのはなんだか自信を無くしそうで嫌だ。
「話は、勉強しながら聞くとするよ」
「勉強は絶対なんですね」
「だから、ボクは何の為に呼ばれてるんだ?」
「……えっと、遊び相手?」
「もうそれ、友達呼べよ」
イヌとサル。もとい、犬飼英雄と猿渡美里。
ネコの相手をするなら、あの二人が適任だろう。
「友達は、呼びません」
急に樹下桜音己が真面目な顔をするもんだから、ボクは何も言えなくなった。彼女の表情は、寂しげで少しだけ困惑している様にも見えた。
あの二人と何かあったのだろうか?
「友達、さっき来てたよ。犬飼英雄君と猿渡美里さん」
あんまり突っ込んではいけない話の様な気がするけど、聞いてしまうのがお約束というか暗黙のルールというか。
「知ってます。イヌっちもミリ―も声大きいですから」
樹下は、ボクから視線を逸らしそう答えた。机の上の教材を見てるが、特に本を開くわけでもなく単なる視線反らし。
やはり、あんまり突っ込んではいけない話なんだろうか。
それにしても、ミリーは良いとしてイヌっちって。
ヒデちゃんに、イヌっち。
犬飼君は、見た目の野球少年ぶりとは若干ずれて可愛がられてる様だ。
「二人が、よろしくって」
「それ、お母さんが伝えてって言われてませんでした?」
ああ、やっぱり丸聞こえだったんだな。じゃあ、あの変わった娘扱い談義も聞いていたんだろうか。
「君の事、心配してたよ」
「そうですね。ありがたいと思ってます」
その言葉とは裏腹に、樹下の横顔は何だか迷惑そうに見える。樹下は、小さくため息をついた。
「先生、授業始めませんか?」
君が言うのか、と文句を言おうと思ったが雇い主なので言う権利はもちろん彼女にあるし、こちらとしても望んだ事なのでボクは頷いた。