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第十三話 怖いよ猿渡さん

「あの、私たち今日はこれで失礼します」


 猿渡美里は、目の前のボクと玄関口に立つ樹下母を交互に見てもう一度一礼した。


 ようやくバランスをしっかり取れた犬飼英雄は、おい、と何かを抗議するものの、その腕を猿渡美里に引っ張られて今度は前のめりに転けそうになっていた。


「いいから、帰るの。ネコには伝言も伝えたし、もう用事は済んだでしょ」


 もう一度、猿渡が腕を引っ張るもんだから犬飼はさらに前のめりになるが、引っ張る腕を掴み返して踏ん張った。


「まだ、ネコに会ってない」


 そう言うと、犬飼は再びボクを睨んできた。思ったより、しつこい男だ。ボクは別に悪くないと、猿渡が言ってたじゃないか。


「ネコが会わないって言っているんだから、仕方ないじゃない」


「コイツについていけば、ネコに会える」


 犬飼の言うコイツとは、もちろんボクの事らしい。ご丁寧に、指で差されている。その丁寧さは、目上の人への礼儀という形で表して欲しかった。


 もう、と言った後、猿渡はさらに強く犬飼を引っ張った。筋肉がなかなかがっちりした見た感じ野球少年は、踏ん張っていたにも関わらずあっさりと引っ張られた。


 猿渡さん、怖いです。


「それじゃ、新木さんがネコに会えなくなっちゃってお仕事の邪魔になるでしょ」


 ボクの事を考えてもらってるなんて、恐縮です。


「ネコに、家庭教師なんていらない!」


「もう、子供みたいな事言わないの!」


 猿渡美里は、そう言って怒ると引っ張るという動作を次の段階に移そうとしていた。


 一歩前へと踏み込んだ猿渡美里を見て、ボクは何やら嫌な予感がしていた。


 背中側にあるボタンを手探りで探し、押し込む。


 息を飲むことを強制されていそうな、緊張感が流れる。


「あ、お、オイ!?」


 文字にしても、結局何を主張したいのかわからない犬飼英雄の抗議と、チン、というエレベーターが到着した音が重なる。それが、合図となった。


 武芸の達人の様な、一瞬にして一連の動作。猿渡美里は、犬飼英雄の腕を両手で掴み直し、スウィング。


 犬飼英雄は、前のめりにバランスを崩しながらボクの方へと向かってきた。


 華麗に横へと避ける、ボク。


 犬飼英雄は、そのまま到着したエレベーターの中へ。ドン、と音がしたので奥でぶつかったのだろう。


 ゴォォォォル、と誰かの実況が聞こえた気がした。


 猿渡さん、渾身のシュート。


 それじゃあ、とまた一礼しながら猿渡はボクの横を通りすぎた。


 犬飼の抗議が始まる前に、慌ててエレベーターのドアは閉まった。


 犬猿の仲だと言うが、犬飼君には可哀想だがアレは違う。


 親と子、姉と弟。完全に、尻に敷かれてる。


 さすが、犬のように飼われた英雄君だ。全国の犬飼英雄さんには悪いが、彼の場合認めざるを得ない。


 それにしても恐ろしきは、猿渡美里だ。まさか、男一人振り飛ばすとは。


 気づけて良かった、巻き込まれてたら多少の打ち身は覚悟しなければいけないところだった。


 やはり、ボクにはニュータイプの素質があるのだろうか?


「先生、どうぞ御上がり下さい」


 随分と静かになった玄関口で、樹下母が手招きする。


 なんだかもう一仕事終えたような気分になったが、まだ始まってもいなかった。


 はい、と返事だけしてボクは樹下家へと歩き出した。


 イヌくんとサルさんがお帰りになったので、今度はネコさんがお相手だ。


 ネコさんは、きっと機嫌が悪い。


 ズボンのポケットに入った振動しない携帯電話が、ボクにそう伝えてる気がした。



「こんにちわ」


 ボクの挨拶を微動だにせずに、樹下桜音己は無視をする。挨拶を軽視すると、最近の若いモンは~、とすぐに大人に愚痴られるのに。


 家庭教師として、人生の多少の先輩として、挨拶の大切さを教えなければならない様だ。


「樹下さん、こんにちわ」


 名前を呼びかけてみたが、やっぱり微動だにせずに、樹下桜音己はボクを無視する。机の前に座ったまま本開いたりもせず、ただひたすら真っ直ぐじっと前を見つめたまま微動だにしない。


 若干、怖い。


 昨日のメールを気にしていて、ある程度のリアクションはあると思っていたが、この態度は無いだろ。変わっている娘だから、この態度はちょっとしたホラーだ。


 だけど、ホラー扱いして投げ出してしまってはいけないだろう。


 ここは、家庭教師としての腕の見せどころ。まだ、二日目なんだけど。


「みんな~、こ~んにちわ~」


 教育番組のお兄さんの様に言ってみた。自分の中にある爽やかさを、全部顔に集めてみた。満面の笑顔。


 樹下は一瞬こちらを見て、くっ、と口から漏らしてから再び机に向かう。


 樹下桜音己の肩が僅かに揺れる。思いきった機転がヒットしたようだ。


 これをきっかけに、話が進めばいいな。

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