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神、守ります  作者: 比賀 彌
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九月六日 午後

 今日からは学校祭特別日課だ。四十五分の五時間授業の後、三十五分のブロック練習が二コマ行われる。だから普段の月曜より下校が遅くなる。これからのおよそ二十日間、学校は学校祭一色になる。この時期だけは部活のない月曜日も体操服での下校が認められている。

 崇史は生徒会副会長として、今日も学校祭の準備のために残っていくそうだ。崇史は崇史で忙しいようだ。

 ブロック練習の時間から次第に雲行きが怪しくってきて、黒い雲が広がっている。ひんやりした風も吹き始める。私のショートカットの髪も風で乱れがちだ。ひと雨来そうな気配だ。一人で下校する私は、急ぎ足で校門にかかる至誠橋を通過する。下校を促す一曲目の放送を聞きながら、右に曲がると、少し前を一人で歩く遼を見つける。前を歩く生徒をかわしながら、少し足早になって近づいていく。

「遼」

 振り向いた遼は、一瞬驚いた様子を見せ、そして少しバツの悪そうな顔を見せる。

「ああ、栞…さん」

「私も栞って呼んでくれていいから」

 遼は何度かうなずく。私は横に並んで一緒に歩き始める。

「崇史はいないのか?」

「うん。崇史は生徒会の副会長だからね。学校祭の準備が忙しいんだって」

「そうか。…あのー…朝は強く言いすぎた。ごめん」

 遼は頭を下げる。

「ううん。遼の正直な気持ちが聞けてよかった。…決めるのは遼だから」

「ありがとう」

「本当は入ってほしいけどね」

「……」

 うまく会話がつながらない。気まずい雰囲気を和らげるために話題を変えてみる。

「そういえば、今朝、言ってた、『この学校は神様が守ってくれる』っていうのは、校歌から思ったこと?」

 遼は黙ってうなずく。

「なかなか神様が守ってくれるっていう歌詞が珍しいなって思って」

「やっぱりね」

 心の中で、予想が当たったことに嬉しさを感じながら、続ける。

「でもね、私たちがみんな神様に守ってもらって、毎日をお気楽に過ごしているわけじゃないよ。自分なりに頑張っている子も結構いるのよ」

「それは分かってるよ」

「でも、いま私が神様に願いを叶えてもらうなら、遼が剣道部に入ることだけどね」

「……」

 今朝登校する前に崇史と一緒に穂歳神社にお願いしたことは黙っておく。

「剣道をやりたくないって思う様になったのには何かあったの?前の学校で」

「誰かから聞いたのか?」

「ううん。遼がずっと迷っているから、何かあったのかなってなんとなく思っただけだよ」

 白石先生からそれとなく聞いたこともここでは口にしない。

「そうか…」

「でも、遼には剣道は嫌いになってほしくないなって思ってる」

「……」

「違うな。剣道やってる子みんな、嫌いになってほしくない。特に遼は、って感じかな」

私は自分の過去を振り返りながら正直に思いを伝える。

「……吹っ切ることも大事かもな」

 遼の独り言で話が一段落した時、ちょうど下町の交差点に出る。信号が目の前で黄色になり、私たちは足を止める。

「なあ、栞。あのひょろっとした建物は何だ?」

 遼の指先は、交差点の向こう側にある建物を指さしている。二階建ての家よりも高いのだが、間口と奥行きが短く、ひょろっとしたという言葉がぴったりの建物だ。白いタイルの壁だが、下の三分の一程は黒い、その黒い部分に白いセメントで斜め格子に線が盛られている。なまこ壁と言われている造りらしい。見慣れているから奇妙に思わなかったが、初めて見た遼からすれば気になる建物なのだろう。西面の銀色のアルミ扉には、金色で『南町』と切り抜かれた行書文字のパネルが貼られている。

「ああ、あれは、祭りの山車がしまってある蔵よ。十月の第一日曜に秋祭りがあって、あそこから山車を出して、町内をみんなで引き回すのよ」

「へぇー。どんな山車だ」

「うーん。あんまり記憶が確かじゃないけど…。桃だか桜だかの花が前の方にたくさんぶら下がってたような…よく覚えてないよ」

「地元民のくせに、何で知らないんだよ」

「だっていつもその日は津島神社の神前剣道大会があって、小学生になった頃からそっちにずっと出てたからね。だから、ここのお祭りはずっと見てないの」

「津島神社って、ユネスコ世界遺産になるんじゃないか言われてるお祭をやる神社だろ?」

「天王祭りね。えっ、でも、そ、そんなすごいお祭なの?」

「ああ。日本三大川祭のひとつだったはずさ」

「よくそんなこと知ってるね」

「その程度のことは常識だぞ。そっか…。なんだかわくわくするなあ」

 遼の目が生き生きと輝いていることに気づく。さらに遼は何か話そうとしていたが、信号が青に変わった。山車蔵に向かって歩いていく。初めて気づいたのだが、扉に何か解説が貼ってある。

「俺はちょっとこれ読んでくから、先帰ってて」

「え?あっ、うん。じゃあ、バイバイ」

 その声も聞こえたのかどうかもわからない。遼は視線をその解説に向け、真剣に読みふけっている。

「今の子が、剣道部に誘ってる子?」

私が遼と分かれた直後、後ろから声がする。水落 優愛だ。優愛は、小学校の時からの親友の一人だ。バレーボール部でセッターをやっている。

「うん。雨宮 遼っていうんだ」

「で、なにやってんの?あの子」

「何かあそこの山車蔵に書いてある説明を読むんだって」

「へー。ここ一年半毎日前を通っても、興味ないわー山車なんて」

「私たちは毎日通っているから、珍しくもなんともなくなっちゃてるんだよ」

「そうかな。ひょっとして、あの子、変わり者?」

 今まではそんなふうに感じたことがなかったけれど、今日の一日の様子を見ると、優愛の言葉あながち間違いではないような気がしてくる。

「神社とかにも興味があるみたい」

「へー。じゃあ、オタクじゃん」

「さっきも天王祭についていろいろ語ってたけど、常識って言ってた」

「間違いなく神社オタク」

顔を見合わせて笑い合う。

「あっ!」

 頭に雫が当たるのを感じる。二人ほぼ同時に空を見上げる。

「降ってきたよ」

 あっという間に大粒の雨が降り出した。夕立だ。地面を叩く雨音が激しい。近くのタバコ屋の店先にあるのぼりがばたばたと音を立てて揺れている。

「急ごう!びしょ濡れになっちゃう」

 優愛と二人、走り出す。雨の降り始めの埃っぽい匂いを感じながら、一目散に家に向かって走る。走る。一緒に通った小学校のところまで全力で走る。

「ハア、ハア、ハア、じゃあバイバイ」

息を切らせながらも、叫ぶようにあいさつをして優愛と分かれる。そしてまた叩きつけるような雨の中を走る。家に向かう細い路地に入る手前で、私はスピードを緩める。もうここまで濡れてしまえばこの先急いで家に着いたとしても差はないだろう。穂歳神社の鳥居をくぐる。荒い息のまま、二礼二拍手。心の中で報告する。

「神様、遼はまだ決心がつかないようです。どうか遼に剣道をやらせてあげてください」

 一礼して目を開ける。ひときわ叩きつけるような雨で周りが白いベールに包まれているようだ。雨が小やみになるまでここで雨宿りでもしていこうか、そんな思いにもかられる程のバケツをひっくり返したような激しい雨だ。

穂歳神社の軒下に一人で佇んでいると、昔のことが思い出される。

―― 崇史と私は、物心ついた時から、ここで一緒に遊んでいた。負けず嫌いで勝気な私と女の子のように優しい崇史は、お互いの母親に連れられここを遊び場として走り回っていた。幼稚園に上がったころから、私たちは崇史のじいちゃんがやっている道場で一緒に剣道を始めた。初めは、竹刀に振り回されながら、じいちゃんの厳しくも優しい指導についていった。私は歯を食いしばり、崇史は涙をボロボロこぼしながらも互いに剣道の練習に取り組んだ。あれから約十年―。楽しい時も苦しい時も、そして悔しい時もいつも剣道が私達の身近にあった。今年の二月までは――。

私は剣道をやめてマネージャーになった。単純に剣道を嫌いになりたくなかったから、剣道とのかかわり方を大きく変えた。その選択は今でも間違いだとは思っていないし、後悔もしていない。でも、だからこそ遼には剣道を続けてもらいたいと思っている。本人から聞いたわけではないけれど、このまま剣道を嫌いになってやめてほしくはない。 

しばらくするとやや雨も小やみになっている。体操服は身体にぴったりと張り付き、肌寒さを伝えてくる。風邪をひいては大変なので、ほんの目と鼻の先の家まで走って戻って行った。


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