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神、守ります  作者: 比賀 彌
3/8

九月六日 午前

「おはよう。待ったか?」

 崇史の声に振り返った私はあいさつを返す。

「おはよう。ううん、今来たとこ」

 週が明けた月曜日、神守中はどの部活も朝練習はない。だから月曜日はみんながゆっくり登校するのだが、崇史と私は今日、始業前に遼と話そうと少し早めに登校して、涼をまち構える計画を立てた。いつも朝練習に行くのと同じ時刻に待ち合わせた。待ち合わせはいつものように家の傍の穂歳神社ほうとしじんじゃの鳥居の前。穂歳神社はこのあたりの氏神様のような神社だ。年末年始になると穂歳神社と書かれた直径二メートル程もある白い大きな提灯が本殿にぶら下げられる。豊作のご利益がある神社なのだそうだ。この穂歳神社の東側の細い路地の奥に私の家がある。崇史の家は逆の西側の路地に面している。だからここが待ち合わせの場所になっている。幼稚園のお迎えバスを待つときも、小学校の通学団の集合場所もいつもここだった。

「さ、行こうぜ」

「ちょっと待って。その前に神様にお願いしてかないと」

「やっぱりするのか?しょうがないなー」

 普段はあまり信心深くない崇史も、今日は私の提案を受け入れてくれる。

 二人で二礼、二拍手した後、少し頭を下げてお願いをする。その後もう一礼。こんなお参りの仕方も知らぬ間に覚えている。剣道の大会がある時、学校で何かの行事がある時、何か困ったことが起こった時は、いつもここで、お参りをしてから出発している。

「さあ、行こうか」

私が一礼を終えるのを待って崇史が促す。

「ねえ、崇史。ちゃんとお願いした?」

「もちろん」

「何てお願いしたの?」

「そりゃあ、遼が剣道部に入ってくれますように、だよ。決まってるだろう」

「へえー、珍しく一緒だわ。願い事が叶うといいね」

「ああ、何としても入ってほしい」

「きっと大丈夫だよ。二人でお願いしたんだから」

 私たちは、佐屋街道と呼ばれる道を並んで歩く。この辺りは昔、宿場町だったそうだ。今その名残は電柱の横にひっそりと立っている『宿場跡』と記された一本の説明書きしかない。よく注意をしていないと見落としてしまいそうな棒だ。そこを通り過ぎると南に向きを変える。私たちが通った小学校を右手に見ながら、ルール通り道路の右側を歩くのだが、私の左側、つまり中央に近いところを崇史が必ず歩く。

基本、部活が一緒で家も近いから、崇史といっしょに登下校することが多い。『二人は付き合ってんの?』などと聞かれることもあるが、全くそんなことはない。いつも身近にいるから男子とか女子とか好きとかなんて、考えたこともない。崇史も同じような気持ちだと思う。

 やがて、学校までの通学路で唯一の信号である下町しもまちの交差点に出る。わりと交通量の多い交差点だ。ここを越えると道の左側に歩道があるので横断歩道を通って、左側に方向を変える。すると崇史は左手に持っているサブバッグを右手に持ち替え、私の右側を歩き始める。理由は車に近いところの方が危険だからだそうだ。見かけによらず、崇史は紳士なのだ。

 およそ十分の時間をかけて、ようやく学校に着いた時はもう汗びっしょりだ。今日も朝から日差しが強い。また暑くなりそうだ。至誠橋を渡って校内に入るとすぐ右側に派手なピンク色の花をつけている百日紅の木がある。それらも朝からの暑さに心なしか元気がないように思える。

私達、二年生は北館と言われている校舎に教室がある。歩いて登校した場合、一旦グラウンドまで出て、そこから北に向かい北館の昇降口に着く。崇史と私は三階、遼がいるE組は二階と階が違う。神守中では他のクラスの教室に入ってはいけないというルールがあるので、昇降口付近の日陰で待つことにする。さすがに月曜日ということでまだ誰も登校していない。二年生の昇降口は北館と中館の間に作られた狭い小屋のような場所だ。青くペンキで塗られた鉄格子のドアが東西の両サイドにある。

「遼の奴、早く来ると思うか」

 崇史は、その鉄格子を揺らしながら尋ねてくる。

「わかんない…。でも生真面目そうだからギリギリじゃない気がする。それになかなか話す時間も取れないしね」

「ワンチャンにかけてみるってことだな」

 七時四十分を回ったころ、大粒の汗をかきながら遼が登校してくる。

「おはよう、遼」

「おはよう」

 私たちのあいさつに少し警戒しながら、遼もあいさつを返す。

「おはよう」

「実は、ちょっと話があって…」

 遠慮がちに切り出していく。

「剣道部、入部の話か?」

「ああ」

 話題を了解したところで、遼は話を始める。

「明日と明後日、全部の部活を見学するんだ。舟山先生といっしょに」

「その前にちょっと聞いてくれない。私たちの話」

遼はうなずくと、少し離れた「立志」と書かれた石碑の周りを囲む石の一つに腰を下す。腰を下ろすにはちょうど良い高さの石だ。崇史と私は、遼の前に立ったままだ。

「あのね、前にも言ったけど、男子部員は今、六人なの。でもその中には最近始めた一年生もいるから…。経験者の遼が入ってくれたら、戦力アップ間違いないなーと思って」

「一年生は出ちゃいけないっていうルールはないんだよな」

「まあ、それは確かに。でも、ようやく竹刀が振れるようになったばかりの子だから」

「いなきゃ、やるしかないよ」

とりつく島のない遼に、崇史が声をかける。

「なあ遼。剣道、いっしょにやろうぜ。この間、竹刀を交えてお前の強さが分かったよ。頼むよ」

「今はまだシードが取れるどころじゃないけど、遼が入ってくれたらその可能性も高くなると思うの」

「お前がいたら一緒に頑張れるっていうか、切磋琢磨できると思うんだ」

「来年の中総体での目標は、県大会出場なの」

「遼。一緒に県大会優勝を目指そうぜ。力を貸してくれよ。なあ、遼」

 崇史と私は交互に熱く遼を勧誘した。

しかし遼は黙ったまま。時間だけが流れていく。昇降口にやってくる生徒の数も増えてきた。

 急に遼が口を開いた。

「今は俺の力が必要だなんて言っても、うまくいかなかった時には、全部俺の責任にするんだろ。よく知ってるよ」

 少し間を開けて遼が続ける。

「崇史が目指す夢なら、崇史が自分の力で追いかければいいだけの話だ、俺に関係なく。俺、人に期待されるの、好きじゃないんだ」

 さらに苦いものを飲み下すような顔で遼は問いかける。

「それに…、神様が守ってくれるんだろ?この学校は」

「えっ?」

「だったら俺なんかじゃなく、その神様にお願いした方がいいんじゃないか……」

「じゃあ、これで」

 長い沈黙の後、遼は自らの言葉でピリオドを打つと、立ち上がり昇降口に向かって歩き始める。

「ちょっと待てよ。俺は期待されるってそんなに悪いことじゃないと思うんだよな。期待されるから頑張れるってこともあるんじゃないか」

 崇史の言葉に、遼は一瞬立ち止まったが、振り払うように小走りで昇降口の中に入っていく。

 遼が立ち去った後、崇史と私はただ黙って立ち尽くすしかなかった。

「遼のこと、あきらめるしかないのかな」

「残念だな」

 私達が本気で勧誘すれば、遼はうんと言ってくれると思っていた。何の根拠もないけれど、うまくいくだろうと単純に期待していた。神様にお願いもしたのに。それがうまくいかなかったショックはかなり大きい。

「たぶん、白石先生が言ってたように、前の学校で本当に辛い思いをしたんだろうな。それが重荷になって、剣道をやることを拒否ってるんじゃないのかな」

「そうだな。でもそれなら余計に、うちの部に入って一緒に頑張っていけば良いのにな」

 崇史は人のことを思いやれるいいやつだ。だからこそ崇史のためにも、互いに切磋琢磨できるよきライバルになるであろう遼に剣道部に入ってもらいたかったのだが…。

「まあ、遼が決めるのを待つしかないか」

「そうね。何かきっかけがあるといいけどね」

 朝の入室を促す曲が流れている。私たちは昇降口へ向かう。しかしその足取りは重い。


 朝のSTの時間も今朝の遼とのやりとりが頭から離れていない。

「神様が守ってくれるんだろ?この学校は」

 遼の言葉の意味を考えている。椅子を引きずる音があたりからして、みんながおずおずと起立を始める。日直が号令をかけたようだ。

 この時期、朝STの終わりは校歌を歌う。まもなく行われる学校祭に向けて、発声練習をかねて歌うことになっている。どのクラスからも似たような時間帯でCDから校歌の伴奏が流れてきている。

『朝靄晴れし 尾張の野…』

 わがクラスの歌声は元気なく、半数ほどの子しか声が出ていない。情けない歌声だ。かくいう私もそれと似たり寄ったりだ。もちろん愛校心がないわけではない。これが学校祭当日の開会式や閉会式だったらきっと、何の臆面もなく声を出して歌えると思う。でも今、毎日のように校歌を元気よく歌うことはなんだか気恥ずかしくて、なんとなく、もごもごと歌ってしまう。多分、神守中のいや日本中の中学生の大半はそうなんじゃないかと思っている。

『希望の朝は晴れやかに…』

 CDは流れ続けている。

「もっと元気ださんかい。歌声が澱んどるぞ」

 担任の越後先生が大きな声を張り上げる。先生一人の声の方が大きいくらいだ。

『神、守ります 神守中学校』

 一番が終わる。

 あっ。もしかして…?

 二番も三番も最後のフレーズはこの同じ歌詞だ。ひょっとして遼はこの校歌のフレーズからあんなことを言い出したんではないだろうか。この時期はどのクラスでも毎日校歌を歌っているから、転校生の遼も毎日校歌を聞いているはずだ。そして歌詞も少しずつ頭に入ってきているはずだ。遼が言った『俺なんかより、その神様にお願いした方がいいんじゃないか』という言葉とも辻褄があってくる。

 神が守るで神守かもり。私たちが当たり前で何とも思わなくなっていることが、転校してきた遼にとっては、新鮮なフレーズとして耳に残ったのだろう。何となく恥ずかしさが胸に立ち上ってくる

校歌を三番まで歌い終わると、ST終了のチャイムが鳴る。すぐに教室を飛び出すと隣のB組教室に向かう。

「崇史、崇史。さっきの遼の言葉の意味、分かったよ」

「言葉の意味って?」

「さっき遼が言っていた、『神様が守ってくれるんだろ、この学校は』って言う言葉」

「あぁー、あれか?」

「校歌よ、校歌。『神、守ります 神守中学校』のことを言ってたんだと思う」

 歌の部分は口ずさもながら説明をする。

「は?そんなことあるか?」

「この時期は、どのクラスも毎朝、校歌歌ってるじゃない。遼も歌ってるというか、毎日聴いている訳じゃん。だから…」

「まさか」

 崇史は懐疑的だ。

「きっとそうだよ。さっき校歌を歌ってて、ピーンときたんだよね。ピィーンと!」

 謎を解いた名探偵のように人差し指を上に向けて、自慢げに答える。

「ふーん。でも、そんな校歌の歌詞、真に受けられてもなー」

 崇史はまだ納得していないようだ。

「それに栞。その意味が分かったところで、遼が剣道部に入るわけじゃないんだぞ」

「そうだけど…」

 私の小さな発見も、崇史にはどうでも良さそうだ。遼を剣道部に入部させられなかった崇史は、不機嫌なのだ。そんな崇史を見ることは珍しい。崇史も遼がうんと言ってくれると期待していたのだろう。

「まあ、確かにそうだけど…、そんなにめげないで。決まるまで何度も誘ってみようよ。ねえ」

 そう言い残すと、私は一時間目の授業のために自分の教室に向かう。

「ああ」

 背中越しに崇史の声が聞こえる。今日の午前中くらいまで、崇史の機嫌は直りそうになさそうだ。


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