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「デイナント子爵夫人……迎えの馬車が来ておりますが」
「え……?」
母は先程来たばかりである。
驚いて確認をするように母の方を見ると、静かに首を横に振る。
「迎えは別に頼んでます。追い返して頂いて結構ですわ」
「かしこまりました」
「お母様……」
「今更わたしに頼ろうとしても、そうはいかないんだから。アルフは信頼している侍女に任せてきたし、今日はウェンディと共に居られる時間を楽しむって決めていたの」
此方を心配させまいと笑う母の顔を見ながら複雑な心境でいた。
そのまま二人で話していると、軽いノックの後にゼルナと共に部屋に入ってきたマルカン辺境伯を見て母は目を見開いた。
そして直様、辺境伯の側にいくと「本当に……本当にありがとうございます!」と涙ながらに頭を下げた。
辺境伯は母の肩に手を置くと「御礼を言いたいのは此方も同じだ。ウェンディのお陰でゼルナは大きく変わる事が出来たのだから」と柔らかく笑った。
そして、四人で夕食を食べながら和やかで温かい時間を過ごしていた。
ゼルナと話す姿を見ては、安堵の言葉と共に涙を流す母の姿を見て胸が締め付けられる思いでいた。
(……今、デイナント子爵家は大変なのに。お母様の為に何が出来るだろう)
こんなにも自分の事を想ってくれていた母には幸せになって欲しいと思わずにはいられなかった。
幼い頃から屋敷を駆け回り苦労ばかりしていた母の楽しそうな笑顔を見るたびに、この後の事を想像しては心配になってしまう。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、母と手を握りながら別れを惜しんでいた。
目が合うと二人で目元が赤くなっている事に気付いて、泣きながら笑い合っていた。
不安な胸の内を吐き出すと母は驚いた後に「わたしは大丈夫」「自分の幸せを一番に考えて」と言った。
母は笑顔で馬車に乗り込んだ。
そして、馬車が見えなくなるまで見送っていた。
ゼルナはそんな様子を見てか「デイナント子爵夫人やアルフをいつでも呼んでいい」と言ってくれた。
(お母様とアルフに何事もなければいいけど……)
それから数週間後、驚くべき事が起こることも知らずに祈るように手を合わせていた。
次の日、マルカン辺境伯は国境付近で問題が起こった為、急遽そちらに向かう事となった。
ゼルナも行こうか迷ってはいたが「私に任せなさい」「ウェンディをしっかり守るんだよ」と、言って夜中に出掛けていった。
その数日後、パーティーには間に合うように帰るからと手紙が送られてきた。
それからは、マルカン邸で客人をもてなす為に、招待状やリストの確認を行いながらパーティーの準備をしていた。
ゼルナやハーナ、セバスチャンにも驚かれる程に手際よく準備を進めた為にかなり驚かれた。
フレデリックやニルセーナ伯爵家の為にと必死に学んできた事が役に立ったようだ。
パーティーもマルカン辺境伯が居ない中、何も問題が起こる事なく終了した。
ゼルナの笑顔はぎこちなくはあったが、しっかりと役目を果たしてくれた。
共に挨拶に回り、客人のおもてなしが出来たことに安心していた。
その晩、ゼルナは「疲れた」「ウェンディが足りない」と言いながら、膝に頭を乗せながら唸っていた。
どうやら仮面を付けずに人前に出ることは相当な負担だったようだ。
此方から見ると、ゼルナの対応は予想とは違い、とても素晴らしく思えた。
「大丈夫ですか?ゼルナ様……」
「ウェンディに迷惑を掛けてばかりだ……不甲斐ない自分に落ち込んでいるよ」
「そんな事ありません。ゼルナ様は沢山頑張って下さいました!それにこの調子ならば、きっとすぐに慣れますよ」
「ウェンディ……ありがとう」
「ふふっ、こんなゼルナ様を見られるなんて嬉しいです」
「…………幻滅した?」
「まさか。とても可愛らしいなと思っています」
「可愛いのはウェンディの方だから」




