54.フレデリックside⑤
ガリガリと爪を噛む音が響く。
鋭い目付きで二人の後ろ姿を見ているジャネットを見て、呆然としていた。
「わたくしに恥をかかせるなんて許せないわ!許せない許せない……っ」
「ジャネット!?一体、何を言っているんだ!マルカン辺境伯の恐ろしさは知っているだろう!?それに仕方なかったんだ!それに元はと言えばお前がウェンディに……っ」
「許せない許せない……ッ、ウェンディのくせに」
道の真ん中にも関わらず、地団駄を踏む彼女を端に寄せて「もうやめてくれ」と肩を揺らす。
まるで壊れた人形のように「許せない」「ウェンディなんかが」と呟いている彼女に掛ける言葉はもう見つからなかった。
ピタリと止まった後にジャネットは何事もなかったかのように顔を上げた。
その顔は以前の美しいと思ったことが嘘のように、むしろ醜さに歪んでいた。
それとは真逆で目を惹いたのはウェンディの輝くような美貌だった。
(ウェンディは、あんなに綺麗だったか……?)
久しぶりに見る彼女は別人のようになっていた。
上品なドレスを纏い、佇んでいる姿は、自分が婚約者だった時よりもずっとずっと美しかった。
何事もなかったように話しかけたのは敢えてだ。
でなければ、自分の悪い部分を認めてしまう事になる。
他の男と結婚したという事は、もう水に流してくれたに違いないと……そう思うしかなかった。
そんな此方に対して、ウェンディの視線には軽蔑と驚きが混ざっていて、それに大きく傷付いた自分が居た。
何故か自分だけ置いてけぼりにされたような気がしていた。
ウェンディがゼルナを見つめる表情を見て目を見開いた。
自分が婚約者だった時はいつも不安そうに此方の顔色を伺っていたのに……。
ウェンディは彼を心から愛しているのだと分かってしまったのだ。
それと同時に湧き上がるのはどうしようもない後悔だった。
(……ウェンディは、やはり"俺"でなくとも良かったのか)
あれだけの差を見せつけられてしまえば、そう思わざるを得ない。
そして何より驚いたのはマルカン辺境伯の息子で変わり者、変人などと呼ばれていたゼルナの端正な顔立ちと優雅な仕草。
そして……ウェンディへの溺愛っぷりだ。
『愛する妻を侮辱する行為を、僕は絶対に許さない』
ジャネットに対して容赦なく牙を剥き、当然のようにウェンディを守ろうとしていた。
『愛想がない?有り得ないな。それにウェンディは詰まらない女ではない……今すぐ撤回しろ』
『二度とこのような事が起きないようにしてくれ。それと、僕の許可なしに彼女に近付くな』
今まで……彼女を守ったことはなかった。
(ウェンディは自分でなんとかするだろう)
何があっても笑っていた為、次第にそう思うようになり、彼女から愛情を受け取る事が当然になっていた。
困っていても、助けようともしなかった。
頬に涙の跡があり悲しんでいても、慰めた事はあっただろうか。
母に心ない事を言われて傷ついた時も、見えないフリをして助けようとしなかった。
ジャネットとの事があった時もそうだ。
(俺は……まだ、あの時の事を、ちゃんと謝ってすらいない)
それに噂が流れた時も自分の事ばかりで、ウェンディを庇おうともしなかった。
ずっと、ウェンディから愛される事が当然だと思っていた。
『フレデリック様は私が支えますから』
『私はいいんです。フレデリック様が幸せなら』
『二人で頑張って乗り越えていきましょう!』
どうしようもない喪失感と不安に駆られている。
あんなにも素晴らしい女性は居なかったと、今となっては後悔ばかりしている。
「……ウェンディ」
『ウェンディの名前を気安く呼ばないでくれないか?』
ポツリと呟いた名前……もう自分にはその名を呼ぶ権利すら無かった。