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馬車に揺られて数時間。
重たくなった腰を叩いても鈍い痛みは残り続けている。
(……もう、最悪だわ)
疲れた顔をしていたのだろうか。
御者から「大丈夫ですか?」と声が飛ぶ。
反射的に笑みを浮かべて「大丈夫です」とニコリと微笑んだ。
(お姉様ならなんて言うのかしら……休憩を、させてもらえたら良かったのかもしれないけれど)
本音を言ってしまえば腰もお尻もかなり痛い。
こういうところを素直に伝えられずに我慢してしまう。
だから可愛くないと言われるのだろうか。
(お姉様と自分を比べるなんて馬鹿みたい……今更、何もかも遅いのに)
"たまには甘えなくちゃね"
"殿方は頼られると嬉しいみたい"
誰かがそう言っていた気がしたが、結局上手く出来たことはなかった。
フレデリックに甘えた事など、殆どなかったような気がする。
長い付き合い故に、フレデリックが何をすれば嫌がるか、何を言うと不機嫌になるか、どんな時に喜ぶのか。
嫌いな食べ物や好きな食べ物、飲み物が欲しいタイミング……嫌でも全て頭に入っている。
「はぁ……」
小さな溜息は空気に溶けるように消えて行った。
思い出すのは三日前の事。
手紙の返事を書いてから、再び届いた真っ黒な封筒。
そこには"この手紙が届いてから三日後に迎えに行きます"という短い文と結婚の書類が詰め込まれていた。
普通ならば「有り得ない」と誰もが言うだろう。
流石に予想外の対応にひっくり返りそうになった。
恐らく此方の容姿やどんな人間なのかはどうでもいいのだろう。
しかし、今の自分にとってはこれ以上有難い事はなかった。
フレデリックと婚約破棄した理由を根掘り葉掘り聞かれるのも辛い。
それに、ここを出て行くのが早ければ早いほどいいと思っていた。
何よりフレデリックとジャネットが一緒に居る姿を見たくなかったからだ。
自分の思い描いていた幸せで温かい結婚とは何もかも違っていて真逆だった。
投げやりな気持ちもあったが、今はこんな方法しか思いつかない。
殆ど顔も知らない相手と紙だけで契りを交わす。
まるで物語に出てくる可哀想な主人公みたいだ。
(いいえ、違うわね……私はヒロインにはなれない)
父に急いで書類を作成してもらい、侍女達に荷造りを手伝ってもらってから家を出る準備をしていた。
姉はニルセーナ伯爵邸にフレデリックと共に挨拶に向かっていた。
それから"婚約者"として向こうの屋敷に数日間滞在すると言っていた。
今からフレデリックの婚約者として、ニルセーナ伯爵家に嫁ぐ者として色々と学ぶのだろう。
自分がそうだったように。
その間に出て行けば、姉の顔を見る事もない。
なんてタイミングがいい事だろう。
それに屋敷に帰れば、此方に聞こえる様にフレデリックとの仲を自慢するのだろう。
婚約者を奪った事を気にする事なく当然のように。
外堀から埋められてしまえば抵抗する手立てはない。
社交界に多く出ていた姉は、色々な知識から悪知恵まで沢山の事を知っていた。
「お母様、今までありがとうございました」
「ウェンディ!あぁ、もう……どうして、貴女がこんな目に!!」
「……いいのです。マルカン領は遠いのでなかなか会えないとは思いますが、お身体に気をつけて下さいね。無理をなさらないで下さい」
「っ、ウェンディ……!わたくしだけは貴女の味方よ」
「はい……!落ち着いたら手紙を書きますね」
隣にいる父に何も言わなかったのは、結果的には家とジャネットを選んだ事に対しての腹いせだった。
結局、味方は母だけだった。
涙を浮かべながら母と抱き合った。
気不味そうに顔を伏せる父に小さく会釈だけして、悲しげに涙する母に「心配しないで」と笑顔を見せてから、迎えの馬車に乗り込んだのだった。




