8 カドノ 夜通し語る相手が
何かを完成させるとは何だろうか。
アトリエで、自分の作品に囲まれながら、カドノは、ため息をつく。
四方の壁の作品は、これまでと全く変わらない。
ただ、一つ、これまでの全ての人生をかけてきたといってもいい作品がこの床から無くなってしまった。
毎日、少しずつ書き換え、新しいアイデアを重ね塗りする中で、平面作品とは思えない程の厚みを持っていた、自分だけの眠れる美は、完成した途端に、目を覚まし勝手に動き始めてしまったのだった。
この作品を完成させてしまったら、きっと、何かが動き出す。世界すら変わってしまうと、密かに妄想していたことは確かだった。だが、まさか本当に、絵として描かれた人その人が動き出し、この自分の引きこもり館(世界)を根底から揺るがしてしまうとは。
カドノは、これまでの夜毎の行いを思い出し、頭をかきむしりたい程の羞恥に襲われた。
別に、淫らな行いをしていた訳ではない。というか、それよりもある意味悪い。
内に孤独を抱える人間の常として、愚痴りたいこと、呟きたいことがある。また、壮大な夢を語りたくなることもある。それらは、通常、誰か信用できる身近な者の前で漏らすことで、皆自分のバランスを保っているのだろう。
語りかける相手、それは普通、親しい身内であったり、腹心の部下であったり、恋人であったりするのかもしれない。
カドノの場合は、自分が描き出した美しい人が、その相手であった。
床に寝かせた、絵に絵筆を走らせながら、今まで、毎夜毎夜、何を語り続けてきたのだったのだろうか。
それも、何年にも渡って。
絵に記憶は、あるのだろうか。
記憶とは、物質のように、定着しうるものなのだろうか。
直接尋ねればいいのだろうか。
すいません。貴方様は、突然、絵だった状態から起き上がられましたが、絵としてこの館の床にいた間、何年にも渡って、私が毎夜毎夜、語っていたことなんかを、すべて聞いていたりしませんでしたよね? まさか、みんな覚えていたりしませんよね? って。
そんなこと、尋ねられる訳がないではないか。
そういう、自分の在り方に関わってきそうな難問は後回しにして、と
まず、現実的に、自ら描いていた美しい人が、現実世界に現れてしまって、共に生活を始めることになってしまったという現状に向き合わなければならない。
1日そのまま置いておいたら、また絵から出てきた人が絵に戻っていました。解決。終わり。……ということは、まず無いだろう。
では、自らも信じがたいこの現状を誰かに話して信じて貰える可能性は……それも、無い。
大体、そういう人間関係は、私の周りに無い。
身内=私のことを殺したい人間か、傀儡としたい人間しか、いない。
部下=全て放り出して逃げた以上、部下も、いない。元々、私を担ぎ出したい人間か、他所に売ってやろうと狙っていた奴しかいなかった。
恋人=ある意味、その……絵の中にいながら、かの美しい人は、私の恋人であったかもしれない。だから、そこから出てきた瞬間に、妻に昇格? したのだろうか。
クワワワワワア(赤面)
一人で勝手に赤くなっている場合では無い。
何しろ、今の関係をどう捉えるべきか、いや、側から見たら、どう捉えられてしまうのか、
かの妻を名乗り始めた方と自分との、内うちの関係は一先ず置いておいて、
外からどう見られる形にすればいいのかの方を、何とかしなければいけない。
何しろ、いない筈の人間が一人増えてしまったんだ。絵から出てきましたでは通せまい。
それも、見た目に、困った部分がある。あの髪の色と左右色違いの瞳だ。どう隠したものか。
今だに、滅ぼされた文明サイドの『世界の相続者』という使徒像は完全に忘れ去られてはいない。
下手なところに見つかると、救世主だ、神だと担ぎ出されかねない。
生家との関係を立って、ここに引きこもるに当たって、カドノが国に出した誓約の内容は二つ
・政治に関わらない
・名を捨てる
どちらも今のところ破ってはいない。
ただ、仮に置かれた身分としての教会での位置がまずい。妻帯できないということになっている。
一先ず辞表を出してしまおう。
後は、生計の算段は、宝石か魔道具でも売るとするか。
まずは、行きたくのないいくつかの場所に顔を出さなければならない。
そうしなければ、誠実な夫? として、かの方と向き合うことすらできないではないか。
形を整えた上で、ゆっくり向き合っていくことを考えよう。
仕方がない、まずは正教会の大司教からか。
転移魔法を繋ぐ準備をしながら、今夜は遅くなると告げた時の、美しい顔に悲しげに寄せられた眉を思い出す。やはり、早く帰れるようにしたい。いや、以前のようにぐっすり眠っていてくれれば、この困っているあれこれも、美しい絵に対して語っていた時のように語りかけられるだろうか。
その時のカドノには、より向き合う自信の無い物を後回しにするために、外堀から埋めようとしたことが、また、安全のためにと予防線を張って、美しい妻の部屋の出入りに魔法で制限をかけたことがどのような事件に繋がるのか、全く想定できていなかった。
Copyright(C)2022ー日比覚世
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