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2 カドノ 愛玩姿絵に命を吹き込む

嗚呼、とうとう完成だ。

これで、我が半生を捧げてきた美の結晶が完成する。

カドノは、感慨深く、自らの作品を眺め下ろした。


望みようも無いほど、恵まれた地位にありながら、どうしてそんな馬鹿げたことをと

繰り返し批判されてきた

この世界は、僕とは相容れぬ感覚により構成されている

ただ僕は、至上の美を求めていた。

それだけのことだったのに。


カドノがずっと作り続けてきたのは、自分だけの美の理想だった。

神職に着くことは、自分にとって身を守る術であり、

隠れ蓑でもあった

カドノの求めるものは、聖教会の奉ずる神とは明らかに違うものであった。

聖教会の唯一神は、人間の口では決して発音することができないようにと、

「ン」の音から始まる名が神の眞名となっていた。

そんな神の名など、心の中だけですら、唱えてみたいと思ったことも無かった。

でも、神職にはあるので、神よ、と讃える聖句を唱え、神の絵を拝んだりする。

全く馬鹿らしい。

ただ、神の絵や像の製作が、その歴史の中で奨励され、たくさん造られるように変わったことだけは良いことだった。

当初のままに、偶像崇拝に繋がるからと神の絵や像を作ることが禁じられていたら、教会は芸術を生み出す土壌とはならなかっただろう。


教会内で、絵や彫刻にされている神の姿。無機質で、不自然な、薄い笑みを浮かべた男の姿。

カドノは、そんな聖教会の神の姿には、微塵も美を感じることはできなかった。

それでも、聖像を描く画家達の、神の尊さを伝える為とやらで、磨き続けられた技術。表現技法を追求する姿勢には、感嘆に値するものがあった。少なくとも、王侯貴族のおべっか使いとなリ果てた、世俗のサロン画家達とは一線を画するものがあった。

現存する中では、最も優れた美を生み出すための技術が、神殿のそばに集っていることは明らかだった。


いつとも知れぬうちに、カドノは美の創造を生きる目的としていた。

ただただ、求めていた。


天性の才を持った芸術家には、大理石の中に埋まった、これからこの形で掘り出して欲しいと叫んでいる姿が見えると言う。

カドノの求めるそれは、石の中や木の中にはじめから埋まっていてくれるほど親切ではなかった。

ゼロから描き出し、色を付けていく必要があった。


カドノは人生の、全勢力を傾けてその素材を集めて回った。

一つの色を得るためだけに、人間が近づいたことのないという魔の森にすら潜った。

あらゆる方法で岩を砕き、絵の具を作った。

ある興味深い石が、高位の聖職者しか立ち入ることの許されない神域でしか得られないと分かったその瞬間に、カドノはそれまでの全てを捨て去って神殿に入っていた。

積み上げたキャリアも、家名も、真の名すら、その素材を得ることの前には、無価値に思え、捨て去ることに微塵の躊躇いすらなかった。


昨日、カドノは、ある古代の遺跡に呼ばれた。

仕事そのものは、ごく単調で、つまらないほど簡単なものだった。

祟りを祓って欲しいとかいうような何かだった。

だが、仕事も終わり、帰り支度をしていたその時、カドノはとんでも無いものと出会ってしまった。


祠の中に、薄汚れた経文らしきものがいくつも転がっていた。

今は、手入れをする者もなく、打ち捨てられた半壊の祠。

ホコリと黴に覆われた一隅から光が漏れていた。

他の誰にもその光は見えなかったようだが、彼にははっきりと分かった。ここにあるのだ、と。

古代の紙が紐で綴じられて作られた経文はどれも端が擦り切れて破れかけ、経年劣化に耐えきれず反り返ったりしていた。

その中に紛れ込んで、同じ仲間ですというフリをしているその一冊だけには、幾重にも隠蔽魔法がかけられているかのようだった。

カドノは、同行者の誰にも気づかれることなく、その奇跡の書を無事に懐に隠して持ち帰ることができた。


カドノの求める物は、いろんな形で彼に語りかけ、近づいてくる。

よっぽど魂を磨き上げ、その小さな囁きを聞き逃さないようにと気を付けていないと簡単に霧散してしまう。

手に掴める形で訪れてくれる訳では無いのだ。

それは、初光の一線に貫かれた湖から上がる靄の中から現れたり、

光の加減か幻か、という一瞬間に結ばれた像だったりする。

物質では無いのに、世界の導き手になるという点において、言葉もまさに奇跡の結晶だった。

この経典の中には、きっと、カドノの求める何かがある。それは、確信に近かった。


カドノは、それに近づくためだけに、今は失われた言語も含め多くの言語を学んできていた。

経典の中の文字が、いつの時代のどのような物でも、何とか美の囁きを捕まえることができるだろう。

自室に戻るのももどかしく、カドノは夜を徹してその経典と向かい合った。

幸い、経典は方言も少し混じっていたが彼の古語の知識で読むことができた。

世界の創生について、朴訥な語り口で述べられていた。


ーー始まりの時、我、至上の美に出会い、「カミサン(神様)」と呼びかけたーー


「至上の美」こそまさに「カミサン(神様)」ああ、何んと僕の今まで求めてきた全てを端的に示している言葉だろう。

 カドノは、経典を胸に抱いたまま、美術室に走った。


嗚呼、とうとう完成だ。

これで、僕が半生を捧げてきた私の美の結晶が完成する。

カドノは、感慨深く、自らの作品を眺め下ろした。


美術室は、カドノのこれまでの作品群である大小様々な絵が壁に飾られ、

カドノの美への道のりであるそれらの絵を引き立てるため、

カドノ流の美への崇拝を表すため、

集められた調度品も立体曼荼羅のように飾られていた。


美術室の磨き立てられた床の真ん中には、厚手の絨毯が敷かれ、その上に大きな絵がまだ寝かされたまま置かれていた。

そして、その絵に描かれている物自体、等身大の女の姿で表した美であった。


聖教会において、神が女の姿で描かれることは決して無い。

だから、カドノが美の結晶として描いた女をこれまで神に繋がる物などと考えたことは無かった。


だが、いにしえの経典が教えてくれた。「至上の美」こそ「カミサン(神様)」であると。


カドノは自らが描いた絵の傍に、ひざまづくと、


「ああ、カミサン(神様)、カミサン(神様)」


と呟いた。

絵の中のカミサン(神様)は、カドノ自らの造り出したものとは思えないほど、完璧な美を持っていた。

たまらなくなって、カドノは続けた。

この自分の中に湧き上がる、美への賛美を、それがカミサン(神様)だと認識したこの感覚を、

この至上の美の中に刻み込まなければならない。


カドノは、経典を自らの胸に押し当てたまま、美しい女の顔の上にかがみ込むと囁き始めた。

彼自身が、美を追求する中で、感じてきた全てを。

彼は、彼自身が生み出したものであると知りつつも、絵の中の、美しい女に限りなく心惹かれ始めているのを意識した。

そのこと自体をとても不道徳な心の動きと知りながら、止めることができなかった。

美のカミサンを賛美する言葉は、自然と、絵の中の女をかき口説くような言葉となった。

興奮で脈が乱れ、自分の中の魔力が溢れ、言葉と共に女に降り注いでいった。


「ああ、何という美しさ、どうぞ、どうぞ、お許しを。私は、あなた無しには生きられないのです」


カドノの中で、それはもう、絵などでは無かった。閉じられた瞼の下の瞳に見つめられたかった。

ここにいる、この方以上に大切なものがこの世にあるはずが無かった。

彼は懇願した。


「ああ、どうか、どうか、目を開けて下さい」


その美の化身が、かすかにみじろぎしたような気がした。

そんな馬鹿なことはあり得ない、いくら美しいとはいえ、絵に描かれた姿なのだ。

平らな、床の上に置かれた画布の表面の色の陰影に過ぎないのだ。

頭の一方でそんな冷静な声が聞こえてはいたが、

カドノはもう、女から目を離せなかった。

女の瞼がかすかに動き、長いまつ毛の先が細かく震えた。

そして、うっすらと開かれた目がカドノを捉えた。


突然、目がパチリと見開かれ、じっとカドノを見つめた。

驚かせてしまったようだ。

いや、何を、美の神様が僕を見て驚いた……りする訳無い、僕は、何を考えているのだ。


これは幻覚だ。


夢だ

そう分かってはいたが、

ああ、もう、死んでもいいです。どうか、これが夢じゃありませんように


絵の中の美神は、まごうことなく僕を見つめてくださっている。

その瞳に惹きつけられ、僕はかの方の上にかがみ込み。

その両眼の虹彩に映し出された僕自身の姿を見つめた。

何故、瞳に僕の姿が映るなどということがありえるのだろう。

水面に映るみたいに。

そうか、水面があるんだ。

絵の表面がゆらゆらと揺らめいた。

その薄い水の膜の向こうに僕の求めていた方がいる。

僕は、そのまま顔を近づけて、美神の唇に自分の唇を重ねて押し付けた。

その滑らかで冷たい感触は、決して絵布のものではなかった。

唇の間を無理に押し割り、その内側にまで、舌を差し入れる

(や、柔らかい……暖かい……)

グチュ…ンンハッ、クチャ、ヌチャ……

自分が重罪を犯しつつあるという意識が突然湧き上がった。


「も、申し訳ありません」


思わず、叫ぶと、飛び下がった。

と、その時、

水面の薄い膜を突き破るようにして、絵の中から美神が上半身を起こした。

繋がってはいけない世界の境界が破れ……パシャンと、水のはぜる音がした。

絵から抜け出してきた美神のまわりには、七色に光る霧がたちのぼっていた。


一瞬とも永遠ともつかぬ時が流れて、七色に光る霧の後には、ただ、床に水溜りが残っただけだった。

背景も額縁も、皆、床の水溜まりの中に沈んで消えてしまった。

ただ、美神のみが床に取り残されてしまった。

そこには、もう、絵があったという痕跡すら無かった。


美神は、ひどく驚いたように辺りを見回して、

力なく倒れ込んだ。

慌てて、手を差し伸べて抱き支えると


水の膜を超えて出現した美神には、鮮やかな色がついていた

より美しい色を、求め、重ねに重ね続けた色は、

彼の絵で表現できた色は、結局明度の落ちたものとなってしまい

水墨画のような掠れた佇まいであった筈なのに、

美神の白皙の肌はどこまでも透けるように白く輝き、

その黒髪は艶やかで、

そして、瞼の下に隠されていたために描かれないでいた筈の

瞳は、右がとても鮮やかな赤、左が澄み渡る青だった。


カドノは息を呑んだ

まさか、この瞳の色は、

この瞳の色加減は、

始まりの書に記されるところの、世界の相……


と、腕の中の美神がみじろぎした。

美神の目と、僕の目がバッチリと合った。

何故、僕はこの方を裸の姿で描いてしまったのだろう。

居た堪れないほどの気まずさの中で、凍りついてしまった。

その時、美の女神が口を開いた。

何と、美神が口を聞いた。

そして、美神のことを何であるのか理解しているのかと問うてきた。


「…………カミサン、カミサン」


 掠れる声で、辛うじてそれだけ答えると、少し混乱しておられる様子の美神は、とんでもないことを……いや、ご神託である以上、世界のことわりとして解釈すべきなのだあろうか……ことを宣った。



「カミサン? かみさんって、えっ、やっぱりワタクシ、貴方さまと結婚しておりましたのね」



Copyright(C)2021-日比覚世



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