商業的に失敗した作品が、Webで少しでも更新される方法を考察する~読者ファーストは、小説家になろうを発展させるのか?~
半年前になりますが
『なぜ追放、ざまあがランキングを席巻するのか? 短時間消費型コンテンツ化する「小説家になろう」と、新人作家への提言』
というエッセイを書きました。
内容はざっくり言えば
「ランキングの上位、これからは短編や、短い話数で完結したり、すぐにざまぁされるような物語のピークが早い作品の割合がどんどん増えるので、我々新人作家はそれを頭に入れて活動する必要があるでしょう」
といった内容です。
それから約半年経過し、当時言ったことは、大きく間違えてはなかったな、と思ってます。
で。
今回のエッセイを書くにあたり、一つのきっかけとなった出来事があります。
それはある方が、しばらく前にしたツイートです。
その方は私からすれば、一方的な「Web小説の師」とも言える方です。
向こうは私のことなど認識もしていないと思いますが、その方の作品から様々な事を学びました。
そのおかげもあり、何者でもなかった私が、本サイトや読者の方々のお力でご縁を頂き、一冊とはいえ小説を出版でき、また別作品がコミカライズを控えているという状況。
つい数年前には考えられなかった事です。
今、私がこのような状況を迎えているのも、その方のおかげとさえいえる、私にとっては一方的な「恩人」ですらあります。
その方が先日、このようなツイートをしていました。
「小説家になろうのおかげでプロになれたので、仮に商業的に失敗し、続刊が難しい作品でも、恩を返す意味でもその後も更新する」
といった趣旨の内容です(かなり意訳してます)。
非難したいわけではなく、むしろ心情的には同じような思いで「農閑期の英雄」という作品を(遅いとはいえ)更新していたので、とてもよくわかります。
ただ。
この発言で、追い込まれる人たちがいるだろうな、と思いました。
というのも、その発言をした方の作品は、なろう発という面で言えば「大成功」を収めています。
なろう作家として、トップクラスと言っても良いでしょう。
もちろんその方からすれば
「あくまで私はそうする」
というだけでしょう。
しかし、世間はおそらく
「やはりトップを取る人間は違うな、作品をすぐに放り投げるような、他のエタ作家は見習え」
といった見方をするでしょう。
そして私としては
「商業的に失敗した作品が、その後もWeb版で完結まで更新される、というのは短期的には読者にとって良いことかも知れない。だが、長期的な視点から考えると、小説家になろうというサイト、及び、それを利用する読者にとって果たしてプラスなのか?」
と考えるようになりました。
ここで重ねて申し上げたいのは、その方がおかしなこと言ってる、とか、間違ってる、という話ではありません。
単なる「サイトの発展性」という観点から、私が現在、そしてこれからの「小説家になろうの発展性」について考察をするきっかけとなった、という話です。
打ち切られた作品のWeb版の扱いなんて、それぞれの考えで好きにすれば良いと思います。
なので、このエッセイでは「書き手はどうするべきなの?」という話はしません。
ここからお話しするのは「現状」と、「少しでも更新する意義を与える」ことにより、商業的に失敗した作品を作者が「更新しよう」と判断する為の材料を増やしていけたら良いですね、という話です。
ではまず、小説家になろうの利用者、特に読者にとって、良い状況とは何か。
これは私の考えですが
「素晴らしい書き手、つまり新しい才能がどんどん小説家になろうに参入し、次々と面白い作品が投稿され続ける」
という事です。
新しい才能が、次々と斬新な物語を書き、それを読もうと続々と読者が集まる。
サイトが活況になれば、その中からまた新たな才能が現れ、さらに⋯⋯という循環です。
現在の小説家になろうにおいて、この循環はある程度機能しています。
ではこの循環を支えている、根本的な要因とは何か。
「なろう発」の作品群が、小説家になろうという枠組みを越えて展開し、そこからまた新たな読者を引っ張って来ている、という循環です。
「なろう系」の言葉に代表されるように、小説家になろうの認知度は年々高まってます。
小説家になろうに投稿する動機の一つとして
「小説家になろうで人気が出れば、書籍化できるかも知れない」
「俺も、私も、もしかしたらプロになれるかも知れない」
というのは欠かせないと思います。
もちろん全員がそうだ、などという気はありません。
もっと言えば、私個人で言えば、書籍化やコミカライズしたい! という思いで作品を書いたことは無いです。
今のところ、ですが。
結果的にそうなれば良いな、とは思いますが、そこを目標に作品を書いてません。
ただ、個々の事例ではなく、全体的な話として「書籍化」「またはそこからの漫画化、アニメ化などのメディアミックスという展開」というぶら下げられた人参が、上記の循環において大きな効果がある、という話です。
そしてなぜ、冒頭に前回のエッセイを紹介したのか。
この「書籍化」という人参だけに頼るのは、限界が来ているな、と感じるからです。
この先、小説家になろうが今以上に発展していくには、新たな人参が必要になる、というのが私の予想です。
Webサイトの黎明期は、恐らくお金が稼げるかどうかというのはそれほど重要でなかったかと思います。
ニコニコ動画なども、初期は「センス」の競い合いで、「俺が作る動画が面白いんだ!」という、投稿者達がそのセンスを競い合う場でした。
そこにあったのは、熱意だったり、自己の承認欲求だったり⋯⋯と、金銭的な報酬を度外視した、投稿者達の「思い」のようなものです。
これは様々なサイトに共通していたと思います。
インターネットが一般化し、それまで表現する場所を与えられていなかった一般人が、自己を表現する場所を獲得し、「自分の作品を見てもらえる!」という、その喜びが行動の源泉となりました。
言い方を変えれば
「まさか趣味の延長線上のような、自分が好きなことをやって、それでお金が稼げるかもしれない」
という発想が、まだ定着してなかった時代、とも言えます。
そして、時代は次の展開を迎えています。
わかりやすいのがYouTubeです。
なぜ今、動画投稿サイトとしてYouTubeが覇権を握っているのか。
投稿者達に「稼げる」仕組みを作ったからです。
もちろん、要因はそれだけでは無いと思います。
しかし、大きな一因であることは間違いないと思います。
「稼げる」ということが、そのサイトに興味を持たせる一因となり、投稿者の参加を促すのです。
現状、(表面上)無料で遊べる娯楽は世に溢れています。
YouTubeも、見るだけならプレミアムに加入しなければ無料です。
そのぶん広告は見なければいけないわけですが。
私の記憶では、当初YouTubeには広告はありませんでした。
なので広告がスタートした頃は
「広告見るのめんどくせえ」
と思っていました。
見るだけなら今もそうですが、さすがに慣れてきました。
そして、この「広告が流れるのを見る」という視聴者の負担こそ、YouTubeの動画クリエイターたちへの支援に繋がっているのです。
YouTuberたちの素晴らしい動画を今後も見たいと思うのなら、この「広告」というのは不可欠な存在、とも言えます。
そして、広告費というのは最終的にその商品やサービスを利用する人が負担するため、全員が直接的ではないとしても、少しずつ負担してる、とも言えます。
そしてそんな無料で利用できるYouTubeですが、動画クリエイター達はどうか、というと、トップクラスになれば大金を稼いでいます。
だからこそ、コロナ禍によって仕事が減るなどした芸能人なども次々とYouTubeに参入し、更に高品質(と感じるかは人によりますが)な娯楽を提供する場として発展しているのです。
そんなトップYouTuberたちですが、仮に今後YouTubeでは広告が付かなくなったらどうか。
恐らく「YouTubeや視聴者には恩があるから、俺はこれからも動画を投稿し続けるぞ」という人は少数派でしょう。
つまり、動画視聴者にとって一見すれば「不便」な「広告を流す仕組みの導入」こそが、新たな才能の参加を促し、多種多様な動画が投稿された結果、YouTubeが動画投稿サイトとして覇権を握ったわけです。
もし今、YouTubeが
「視聴者の利便性を優先するため、広告を廃止します」
といったらどうでしょうか。
広告なしで動画が見れる、それは一見視聴者ファーストに見えますが、YouTubeには旨味がない、と動画投稿を控える人たちが続出し、結果として視聴者は「面白い動画が見れない」という不利益を被るのです。
小説家になろうも最初は
「自分が書いた小説が読まれる」
その喜びだけが報酬だったのではないでしょうか。
それが現在「小説家になろうで人気が出れば書籍化できるかもしれない」という事実。
全ての作家では無いと思いますが、それを夢見て作品を投稿する方も多いはずです。
前述したように私個人は、書籍化やコミカライズはしたいと思いますが、「書籍化するため」に作品を書いた事はありません。
「どういう作品を書けば書籍化しやすいのか?」
という観点で作品を書いた事はありません。
「俺はこういうの面白いと思うんですが、皆さんどうですか?」
という気持ちで書いています。
ただ、そういった気持ちとは別で
「小説家になろうで人気が出れば稼げる」
というのは、才能が、より集まる為には必須だ、という考えは変わりません。
そして、小説家になろうで稼ぐ手段は現状
「書籍化した作品が売れ、結果、さまざまなメディアミックスを果たす」
これ以外にありません。
ただ投稿するだけではお金になりません。
つまり、書籍が打ち切られるということは、今後、その作品は作者に対してほとんどお金を生み出しません。
私は書籍を刊行するにあたり、知人に言われました。
「え? Webでタダで読めるんでしょ? ならわざわざ本を買わなくても良いって人多いんじゃないの?」
と。
そして、私はその通りだと思います。
タダで読めるうえ、仮に作品が打ち切られても、その後完結まで更新するのが当たり前。
これが常態化し、常識化すると、小説家になろうというサイトにとって良くない、と思いました。
読んでいた作品が完結まで無料で読める、短期的には読者にとってプラスでしょう。
しかしなろう発の書籍が「売れなくても」、つまり小説家になろうという場が書き手にとって「それほど稼げない場」になってしまうのは、結果的に「新たな若い才能を潰す」という事に繋がる、と思いました。
つまり
「あなたが面白いと感じた作品があれば、是非金銭的な負担をしてください。それがなければ続きは読めませんよ」
その原則を周知すること。
それによって、読者に
「面白いと感じた小説というのは、書籍が売れないと続きを読めない」
と認識していただき、一冊でも本が売れること。
「稼げる」ということが、新たな才能の参加を促し、結果として未来の小説家になろうの為になる、それこそが恩返しなのではないか、と思うに至ったわけです。
ここで少し「恩」という事についても話しておきます。
プロ野球選手が、「俺がプロ野球選手になれたのは母校の監督のおかげだ」と感じ、せめてその恩返しになればと思い、休みの日やシーズンオフに母校に赴き練習を手伝うとします。
非常に美しいエピソードだと思います。
ただ、これが、もし監督が
「お前、俺のおかげでプロ野球選手になれたんだから、恩を感じるなら休みの日やシーズンオフに手伝ってくれても良いんじゃないの?」
と選手に言ったとなると、一気に下品な話になります。
ましてやそのプロ野球選手が、そのシーズン成績がパッとせず、オフは自分を鍛え直そうと考えている時に
「あれ? 今年は手伝ってくれないの? ふーん恩知らずだなぁ」
などと言い始めたらどうでしょうか。
当たり前ですが、プロ野球選手の場合、成績は生活に直結します。
その選手には、家族がいるかも知れません。
もし、そのプロ野球選手が、自身の状況や家族の事を考えず
「いや、俺はそれでも監督に恩を返すために練習に付き合うんだ!」
と、無償の奉仕を続けていたらどうでしょうか。
そして、監督側も「そんなの当たり前」という認識でいたらどうでしょう。
それは歪な恩返しではないでしょうか?
むしろ、監督がその選手に一流になって貰いたい、応援したいという気持ちがあるならば
「俺の手伝いなんかしてる場合か、自分の練習をしろ」
というのが筋ではないでしょうか。
冒頭取り上げたツイートは、あくまで作家個人としての信条、信念によるものだというのは理解しています。
ただ、なろう発の作家、その第一人者とも言える方が、無償奉仕を是とする考えを周知するのは如何なものか、と思ったわけです。
作家にとって、打ち切りとはキツい事実です。
打ち切り後、筆を折る人もいます。
もう一度書籍化しようと作品を書いても、前作のように小説家になろうで人気が出ず、苦しんでいる人も沢山いると思います。
運良く(もちろん本人の実力ですが)複数巻続刊し、しばらく次回作や新作を書かなくても大丈夫、という人もいます。
各々の立場がありますし、どうするかは個々が考えれば良いのですが、それを読者にすんなりと理解して貰うのは難しいと思います。
だからこそ、このエッセイを書こうと思ったきっかけに繋がりますが
「トップのあの人はこう言ってたのに、やはり売れない奴は人間性も低いんだね」
といった意見を後押しするような発言はどうなんだろう、と思ったわけです。
なので、全然トップでも何でもない私から、読者の方々にお願いがあるとすれば
「続き読みたければ、本を買いましょう。それが新たな才能を育てるきっかけになります」
ということですね。
はっきり言って、書籍が打ち切られた作品を、更新するもしないも結局は作家の判断です。
「自分で始めた作品だから、完結までキチンと面倒を見たい」
という気持ちで更新する方に、「やめろ」というつもりはありません。
なぜなら冒頭申し上げたように、その気持ちもとてもわかるからです。
しかし。
「なろうで人気出てもイマイチ稼げないし、そのクセなろう読者は金は出さないのに『続きを書け書け!』と口は出す、もうなろうに投稿するのは旨味が少ない」
という考えが常態化してしまうと、非常にマズいと思います。
繰り返しになりますが、小説家になろうにおいて、現状、唯一の金銭的な恩恵を受ける手段は
「書籍化し、その本が売れること」
なのです。
この流れを少し感じる出来事がありました。
さる小説サイトで
「なろうで合計PV何億の作家が集結」
みたいなキャッチコピーで、キャンペーンを打っていました。
私自身はその流れに一切関わってないので憶測になりますが、恐らくそれなりの報酬を対価として、作家たちはそのサイトで書き下ろし作品を発表したのでしょう。
それはつまり
「なろうで新作を上げて、出版社から打診を待ってから書籍化する」
よりも、そちらの方がメリットがある、という判断だと思います。
そんな、なろうから有名になった作家が、書き下ろしを手掛けるという例は増えてきています。
それらの作品というのは、つまり
「小説家になろう経由で打診を受ければ、読者の一部が買ってくれて普通に出版するより本が売れるから、作家にとって大きなメリットがある」
と判断されていれば、小説家になろうで読めていた作品かも知れないのです。
で、こういう話をすると、予想できる反論として
「小説家になろうは、書籍化作家の金稼ぎの場じゃない」
とか
「小説家になろうは、小説家になりたい人が実力を身に付ける為に頑張る場だ、金は二の次だ」
みたいな話です。
それはその通りなのですが、それと「Webサイトとしての発展性」は別です。
ここで私の考える、Webサイトとしての発展性とは繰り返しになりますが
「素晴らしい書き手、つまり新しい才能がどんどん小説家になろうに参入し、次々と面白い作品が投稿され続ける」
事です。
それが結局、読者にとってもメリットがある、ということです。
もちろん、本を売ることだけでいえば、他にも考慮すべき点は多々あります。
Web版との差別化、イラストなど、書籍としての付加価値を大きくして、Web版読者でも「買って良かった」という満足感を与える、といった努力は必要だと思います。
「タダだから読むけど、金払ってまでなろうの作品を読む気はしないな」
という方もいるでしょう。
私からすれば、「その程度の作品なら、先が読めなくても良いんじゃないですか? 金払ってでも読みたい作品を探して読んで下さい」となります。
小説家になろうでは、書籍化する際も様々な縛りがあります。
その最たるものは「ダイジェスト化の禁止」。
つまり「続きは書籍で!」は御法度、という点です。
書籍独自展開はOKとの事ですが、これも結局、作家にとっては負担になります。
実際、小説家になろうのある大人気作の最新刊がなかなか発売されず、ようやく発売された際には、作者の方は「書けなかったから」と仰ってたそうです。
同じ設定で、別々のストーリーを考えなきゃいけないわけですから、まあ大変だろうな、と思います。
かといってダイジェスト化が禁止されている以上、今後はもしかしたら
「書籍化が決定したら、作品は消す」
何て事が主流になるかも知れません。
この「ダイジェスト化禁止」の考えは、読者に向いた施策だと思います。
つまり、YouTubeとは逆行してる、と言えます。
YouTubeでは最近「メンバー限定コンテンツ」の提供が当たり前になっています。
そして、メンバー限定コンテンツの一部をチラ見せ、というのは特に禁止されていないかと思います。
利用者に一定の負担を求めることにより、クリエイター支援に出たYouTube。
サイトを利用する読者重視で、作家に負担を求めた小説家になろう。
という構図です。
これは、どっちが良い、とか言いたい訳ではなく「現状そうですよね?」という話です。
現在の小説家になろうが、なぜ今、Web小説の投稿サイトとしてTopに君臨しているのか?
それは私の判断では「過去の貯金」です。
過去、先人たちが熱意で投稿した作品群が、書籍化、コミカライズ、アニメ化によって高めた「なろうブランド」です。
その勢いで、現在もこのサイトは小説投稿サイトとしてトップにいます。
ただ、その貯金はどんどん目減りしていきます。
ここで、なぜ冒頭に前回のエッセイを取り上げたのか、という話になります。
前回のエッセイでも取り上げたように、書籍化に必須の事項として
「10万字以上必要」
ということです。
もちろん例外もあります。
短編で人気だった作品が長編として出版され、大好評となった作品もあります。
ここで、私が最近ランキングに載り、コミカライズの打診をいただいた作品についてお話させていただきます。
私の作品「俺は何度でもお前を追放する~(以下略)」は、『簡易版』と『完全版』の二種類あります。
自分で言うのも何ですが、なろうで流行りの「追放」を主軸にしつつ、他の追放物にはあまり無いタイプの話だと思います。
本作の簡易版がランキングに載った際、コミカライズの打診をいただきました。
しかし、その前に私は「完全版を書きますよー」と方々で発言していました。
私としては本来、「完全版」は書籍オリジナルで発表できれば良いな、と思ってましたが打診はありませんでした。
これは私なりの「Webとの差別化」を狙った物で、65000字の加筆、独自展開と、「商品価値」の創出を図ったものです。
「完全版はうちで!」とか「これ長編化して書籍化しませんか?」という打診があれば、受けたと思います。
ただ、書籍化の打診が無いのなら仕方ない。
むしろ、コミカライズの打診があっただけでも僥倖です。
打診いただいた出版社の方に「完全版を書くので少し待って下さい」とわがままを言い、プロットを提出。
簡易版は思いついて一日で書けたのですが、完全版は少し手こずり、約1ヶ月かかりました。
この完全版ですが、当初はランキングを上がるのに苦労しました。
未読の方にネタバレを避ける為にも詳しくは説明しませんが、「俺は何度でもお前を追放する」という作品は、読み切って初めてカタルシスを得られる構造です。
読み終わるまでは、結構しんどい話だと思います。
結局この作品がハイファンタジーの表紙に入れたのは、簡易版からの読者のおかげです。
その経緯は「実録!? ハイファンタジーランキング攻防戦! その時作者は!」というエッセイに書きましたので、よろしければそちらを。
で、なぜこの話をしたのかというと。
簡易版は、完全版を発表する前の時点で、総合ポイントは60000を越えていました。
もちろんポイントが全てではありませんが、充分書籍化ラインのポイントだと思います。
そして内容も、コミカライズの打診があった事からも、充分商業的に通用するものだったのではないかな? と。
ただ、35000字しかない。
だから書籍化の打診は来なかったんだと思います。
つまり、一部例外はあれど(ロシデレとか)、短編からの書籍化は基本的に難しい。
という点。
しかし現在の小説家になろう(というか、スマホ利用者をメインターゲットとするコンテンツ)は、前回のエッセイで申し上げたように「『短時間消費型』に特化していくだろう」という点。
この二点から、私は「小説家になろう」というサイトは転換期に来ていると思います。
つまり
「書籍化を考えるなら長編を書かなければならないが、長編でランキングを上がるのは難しい」
という状況です。
このため、出版社は作品を探しにくくなる。
じゃあ出版社が、限られた時間で、書籍化に適した「長編」をランキング外から作品を探す、となった場合に少しでも楽をする方法は
「実績のある作家の作品から読む」
というのは一つの方法でしょう。
つまり、只でさえ新人が上がりにくいのに、ますます新人が書籍化しにくいサイト、という傾向が強まる可能性があります。
私個人の考えで、一番良いと思うのは
「ユーザー登録の義務化、広告動画の視聴制などの導入によって、書き手にインセンティブを払う」
これじゃないかな、と思います。
これを導入すれば、様々な問題が解決します。
一つは書き手の立場で
「出版市場で淘汰された作品も、続きを更新する意味が出てくる」
です。
書籍を打ち切られても、続きを書けば収入を得られるとなれば、更新する作者も増えるのではないかな? と思います。
もちろん、広告をつけるために少ない文字数で連続更新! みたいなものにはある程度制限が必要だとは思います。
また
「いちいち動画視るのが面倒」
「没入感が削がれる」
と感じた読者が、面白いと感じた作品を書籍で購入するきっかけにもなると思います。
ユーザー登録の義務化に関しては、ぶっちゃけどっちでも良い気もしますが、広告を年代に合わせたもの、つまり若年層には当たり前ですがR18広告出さないとか、年代が上の人には広告単価が高いものを表示するとか、広告効果が上がればインセンティブの額も変わるかな、と。
私が望ましいと思うのは、読者から見れば
「タダだから読んでるけど、金払ってまでは見ないかな」
という評価を下されてしまった作品でも、広告のインセンティブである程度小金が稼げる、みたいなサイトです。
書籍化ラインまで届かなくても、月数万円でも稼げれば、才能のある学生さんなんかがアルバイトに時間を使わなくても
「小説でちょっと稼いでるよ」
と言える状態ですね。
そうなれば、新たな才能が次々参入するのではないかな、と。
またYouTubeの話になりますが
「チャンネル登録者数が100万ないと稼げない」
だと、ハナから諦める人いっぱいいると思います。
それと同じで
「書籍化しないと稼げない」
よりは
「ブックマーク1000あれば、そこそこの金になる」
「短編でもバズれば、ちょっとした小遣いになる」
の方が、書き手のモチベーションは上がりますし、若い才能の参入も進むかな、と。
高校生が貰う一万円と、社会人が貰う一万円って、相対価値が全然違いますからね。
その分、面白い作品も増えるのではないかな、と。
「アマチュアの作品で、商業的に通用しない作品で、金稼ぎ?」
と眉をひそめる方もいるかも知れませんが、それを言ったらYouTubeの動画も「商業的レベル」ですか? DVDだったら買いますか? という話です。
私は正直、このエッセイを読んだ、特に読み専と呼ばれる方々が
「そうか、好きな作品の続きを読みたければ、作者に更新して貰うためには、本を買わなければならないんだ、よし、買おう!」
みたいなことは、全然期待してません。
だって、ハッキリいって、私も良く見るYouTubeのチャンネルは多数ありますが
「総集編としてDVD出すので、買って下さい!」
と言われても、よほど好きでない限り買わないです。
でも、そのチャンネルが投稿を止めれば寂しい。
わがままですよね。
そんな、私を含めたわがままな利用者に、広告の視聴という、ちょっとした不便を我慢してもらい、クリエイターを育てる。
上は一例ですが、そんな仕組みが今後の「小説家になろう」にも求められているのではないかな、と思います。
それ抜きに「始めた作品なら、終わるまで書くべきだ!」みたいな、精神論だったり、義務感の押し付けでは、才能は育たないと思います。
つまり表題の
「商業的に失敗した作品が、Webで少しでも更新される方法」
は、私の考えでは
「インセンティブを導入し、その分読者の負担を少し増やす」
です。
そして、読者が「そんなの嫌だ」ということであれば、現状の小説家になろうの仕組みをそのままにする、という事です。
ただ、何度も繰り返しになりますが、現状の小説家になろうにおいて、書き手が金銭的な支援を受ける方法は唯一
「書籍化、またはコミカライズ」
である以上、本が売れなければ続きは読めなくても仕方ない、そんな認識が読者にも必要だと思います。
でも、やっぱりみんな、好きな作品の続きは読みたいですよね?
なら考えていかなければいけないのは、「恩」や「やる気」や「義務感」、「奉仕」といった「作家の気持ち」に頼らない仕組みづくりの考察と、それを小説家になろう運営に提案していく姿勢、それが重要なのではないかと思います。
あまり纏まってない気もしますが、この辺で。
では。