兄貴の災難な休日
「……よし、行くか……!」
ドアノブに手を掛ける。今いる場所は埃っぽい物置部屋、店の裏口に繋がる場所だ。
自身の頬を叩き、気合を入れなおす。背に背負ったハンドバッグを守るように、自身の前側に回した時だった。
背後から声が掛かった。
「あ、兄貴!こんなとこで何やってるんすか?」
「ッッ?!……バカお前!声出したら気づかれんだろうが!」
「あー、また姉御から逃げてるんすね?」
「そうだよ……あいつマジ怖ぇんだから……」
背後から声を掛けてきたのは俺の子分だった。
めちゃめちゃビビったが、何とか叫ぶのを思いとどまれてよかった。
子分が言う『姉御』というのはシェピア、俺の店で雇っている女魔法使いのことである。
彼女は子分たちには『姉御』などと呼ばれて慕われており、仕事もできる。
うん。それは良いんだ。それはな。
「あいつさ……やたらとこの店を大きくしようとするんだよ……」
「あぁ、魔法とか使えますもんね姉御は」
「いやそういう物理的に大きくするわけじゃなくてだな、事業の拡大的な意味でもこの店を大きくしようとするんだ」
「兄貴の名が広まるってことでいいんじゃないすか?」
簡単に言ってくれるが、店を一つ増やすだけで増える負担は相当なものだ。
スイーツ店を開いてからというもの、肉屋の仕事を子分に任せきりになってしまっているのもそういう理由がある。
「だが!今日こそは俺も休みを取る!全店員が週休二日取れるようにしてみせるぞ!」
「それ普通店員のセリフですよね。兄貴は店長じゃないっすか」
「そのはずなんだけどなぁ……」
「……じゃあ姉御には俺から言っておきますから。今日ぐらいは休んできてください!」
「まじか。助かる」
こいつには帰りにお土産を買って来てやろう。
そう俺は心に決めた。
「で、どこに行くんすか?」
「今日はちょっと、見たい劇が近くでやってるって言う話でな。それを見に行こうと思ってるんだ」
一年ほど前から話題の劇団が、今この町にやって来ているという話を常連客から聞いた。そこまで話題の劇団なら、その公演は見ておきたかったのだ。
「そうなんですか。俺は学無いんで何がいいのか分からないっすけどね。まぁ楽しんできてくださいっす」
「おう、任せろ」
そんなことを話しながらドアを開け、店の裏口から町へと出て行――
「あら、何してるのかしら?」
「え」
開いたドアの先で、シェピアが手を組んで立っていた。
咄嗟に先ほどの子分が裏切ったのかと考え、子分の方を見るも、子分は全力で顔を横に振っている。
「な、なんでここが分かった……?」
「なんでって……そんなの、探知魔法ですぐよすぐ」
探知魔法、そういえばダンジョンでもエテルノの仲間の魔法使いが使っていた。しまった、それを失念してここに隠れているのは愚策……!
絶望して膝をつく俺の前に、子分が立ちはだかった。顔を上げると、そこには覚悟を決めた子分の背中があった。
「兄貴!ここは俺に任せて先へ!」
「そ、そんな……俺はそんなことはできない!」
「見たい劇が!あるんだろ!行け!兄貴ィ!」
「アンタら楽しそうよね」
子分と茶番を演じていたらシェピアがあきれ返ってしまった。
まぁ子分に助けてもらったところで逃げ切れないだろうから、既に観念してこんなことをしているわけだが。
「姉御、兄貴も姉御も最近働きすぎっすよ。俺、ちゃんと休みの日も作るべきだと思うんす」
「……へぇ?」
何を思ったか、子分がシェピアの説得を試みる。それを見るシェピアの目が冷たい様に感じるのは俺の気のせいだろうか。
だがこのまま子分の背中に隠れているというのも兄貴として示しがつかない。震える膝を押さえて俺は立ち上がった。
「お、おい、そいつは悪くねぇぞ!黙って逃げようとしてた俺が悪いんだから罰は俺だけが--」
「いいわね、それ。私も休みたかったし、今日は休みをとろうかしら」
嬉しそうに手を叩くシェピア。……え、休み取っていいのか?
「じゃ、今日はお休みってことで。劇に行くのよね?私もついていくわ」
「えぇ……」
「何?何か文句あるの?」
「あ、いや、はい。分かりました」
話はとんとん拍子で進み、こうして俺とシェピアは一緒に劇を見に行くことになったのだった。
……勘弁してくれ……。
***
「ほらついたぞ。この辺で良いはずだ」
「え?外じゃない」
「外でやるんだよ。連れてきてはやったけど騒いだら許さないかんな」
「は?私がそんなマナーも分からないように見える訳?」
めっちゃ見えるけど言ったら怒られそうだから言わない。
やってきたのは広場、小さめだが舞台が設置されており今日はそこで劇を行うらしい。
石畳の地面の上に、木で造られた舞台は簡素ながらも趣がある。
周囲には俺達と同じく劇目当てだと思われる客が集まっていた。
「……ほら、食うか?」
「あら、気が利くじゃない」
シェピアにおやつ代わりの飴を分けてやる。俺が一人で食おうと思って持ってきたものだが、別にやってしまってもいいだろう。こいつには結構世話になってるからな。
なんか知らないうちに俺よりも店長っぽいポジションになってるのはちょっとあれだが、シェピアのおかげで俺の店が流行ってるのは事実なのだ。感謝していないわけでは無い。
飴玉を口の中で転がすシェピア。黙ってれば美人なのにもったいないことだ。性格が悪すぎるというか何と言うか……。
「ん、そういえば今日って何の劇やるの?」
「ちょっと待ってくれ。確かどっかにチラシがあったはず……」
ポケットを探り、道で配ってたチラシを取り出す。さっとあらすじに目を通すが……
「……なんか暗そうな劇だな。しょっぱなから主人公が居た村が滅んじゃうんだってよ」
「へー。まぁ劇ってそんなもんでしょ?」
「そうか?俺、暗い話って苦手なんだけどな……」
なんというか、劇とか物語ってハッピーエンドじゃないと見れないんだよな。
単純に俺の趣味だとは思うんだが、これ今日の劇を見に来たのは失敗だったか?
何か言おうとシェピアの方に向きなおったその時だった。
劇を見ようと集まっていた人だかりの一つが唐突に吹き飛んだ。
比喩では無い。文字通り、吹き飛んだのだ。人が宙を舞い、血飛沫が広場に降りそそぐ。
一瞬広場が静寂に包まれ、その静寂を打ち破るようにあちこちで悲鳴が上がり始める。集まっていた人間があちこちへと散らばるように逃げていき、その中心に男が立っているのが見えた。
「なっ……?!なんだこれ……!?」
「これ演出か何かじゃないわよね?!私治癒魔法とか使えないわよ?!」
シェピアの声を聞いてハッとする。
そうだ、治療できる人間を呼ばなくては。今逃げて行った人が呼んでくれるとは思うが――
人が吹き飛んだ中心で、男はただただ立っていた。
黒いローブを羽織ったその男はなんでもない様に帽子を被りなおすと、こちらへと向き直った。
「あぁ、お前たち、エテルノ・バルヘントを知っているか?」
「……は?」
エテルノ・バルヘント、とそう言ったように聞こえた。この男はエテルノの知り合いなのだろうか?
「エテルノのことを知ってるかって聞いてんだけど?」
「……そんなもん知ってどうするんだ?」
「決まってるだろ。殺すんだよ。爪を剥いで腹を裂いてバラバラにして魔獣に食わせて――」
そのままぶつぶつと楽しそうに喋り続ける男。
やべぇ。この人やばい人だ。いやなんかやばそうなのは分かってたけどさ。
というかエテルノ何やったんだ。めっちゃ恨まれてるじゃんかよ。
「い、いやーちょっと誰の事なのか分からねぇけどな。……でもこんなことしてタダで済むとか思ってんじゃねぇだろうな?」
とりあえず時間は稼いだ。これで俺の役割は終わりだ。明らかにさっきの爆発っぽいものを引き起こした元凶であるこいつを、今ここで仕留めなくては。
「よぉしシェピア!やっちまえ!」
「任せて!全てを灰燼に帰せ!『破邪の炎戒』!」
「馬鹿お前!町で火炎魔法なんて使ったら――」
火が燃え移ったらどうすんだ、とそう言おうとした時だった。シェピアが放った火炎魔法は男との間に立ちふさがった『何か』に当たって一瞬で消されてしまっていた。
もちろん魔法は男に届いておらず、何でもないようにこちらを向いた。
「--あぁ、邪魔だな」
男が何かを呟いた時だった。周囲の下水道の蓋が持ち上げられ、中から動く骸骨がぞろぞろと這い上がって出てきたのだ。
「うわぁ……」
逃げたい……。のだが……そういうわけにもいかないんだよな……。
俺の休日はどこに行ったのだろうか。そんなことを考えて、俺はため息をついたのだった。




