聖人(虫が嫌い)
「嫌ぁああぁ!!こっち来るんじゃないわよぉ!!」
とある日の朝早く、そんな叫び声で目が覚めた。
何事かと宿の一階へと降りていくとそこには既にパーティーメンバーの姿があった。
「どうしたんだ一体。騒々しいぞ……」
「あぁ、ごめんねエテルノ。君も起こされちゃったか」
「エテルノさん、ドンマイですよ!」
目を擦っている俺を励ましているのか知らないが、ミニモが親指を立てた。
喧嘩を売っているのなら買うぞ。寝起きの俺は機嫌が悪いからな。
……さて、フリオとミニモがいることは確認したからこの叫び声の主はやはり……
「グリスティア、うるさいぞ」
「あ、え、エテルノ!ちょうどいいところに来たわ!早くそいつどうにかしてよ!」
「話を聞けと……」
グリスティア、このパーティーで魔導士をしている女だ。今のところは俺が知っている中で一番の常識人枠でもある。
適度な距離を保っていてくれるためこちらとしても助かるのだが、そんな彼女がここまで必死に俺に助けを求めるとは、いったい何事だ?
グリスティアの指さしていた方向に目をやると……
「なんだ、羽虫じゃないか」
「なんだって何よぉ!?私は虫駄目なんだからね?!」
「こんな虫、子供の使うレベルの魔法でもどうにか出来るだろうに」
「私の魔力が触れるのも嫌なの!早く取ってよ!」
うるさいやつだ。しょうがないので羽虫を摘まみ上げ、窓の外へ放り投げておく。
すると直ぐにグリスティアがその場にへたりこんだ。余程羽虫が怖かったらしく、その目には涙が浮かんでいる。
「ありがとう、助かったわ……」
「しかし、ミニモもフリオも虫は触れるだろうに、何故助けなかったんだ?」
「私はグリスちゃんの反応が可愛かったのでつい……」
「ミニモ、私の魔法を食らいたいようね?」
まぁミニモはそんな理由でも納得出来る気がするが、フリオもそんな理由となったらいよいよ救いようがないな。
俺が若干の期待を込めてフリオを見ると、フリオが焦って弁解するように言った。
「僕は、今からグリスには虫に慣れてもらおうと思ってね。だから放置してたんだ」
「慣れる?」
「うん、次の討伐依頼はジェヌムの森。討伐対象は『リリアンビー』。巨大な蜂の魔獣だよ」
なるほど。隣に座っていたグリスティアの顔が実に見事だな。
となると、好都合だ。次の追放されるための作戦もそこで実行するとしようじゃないか。
***
「わ、私帰る……」
「駄目だよグリス。大丈夫、ただの大きな蜂だよ、君には指一本触れさせないから」
「蜂が駄目だって言ってるのよ?!」
グリスティアは既に逃げ腰だ。先ほどから周囲を見渡してばかりで全然進んでいない。よほど虫が苦手なのだろうな。
今回の俺の作戦も、この感じであればうまくハマるだろう。
ミニモはそこら辺の落ち葉をひっくり返してダンゴムシを探したりしているが、それは無視だ。
さて、今回の作戦はこうだ。
フリオが『リリアンビー』に攻撃を仕掛けている間は俺がグリスティアを守ることになる。
魔法を使っている間グリスティアを守るのが俺の役割だからな。
が、今回はギリギリまで蜂を近づけることにする。
理由は簡単。自分の嫌いな物を限界まで近づけられれば本来の仕事を満足にこなさなかった俺にヘイトが向くことになるからだ。グリスティアが俺に不信感を抱き始めれば占めたもの、というわけだ。
もちろん、グリスティアが怪我をすることになってはいけない。そこまでの失敗をすると「理不尽な追放」ではなく「実力不足による自主的な脱退」という形で俺がこのパーティーを抜けることになる可能性があるからだ。
俺のスキルは強力ではあるが条件はかなり厳しい。その辺は上手いこと調整する必要があるだろう。
「グリスティア、標的がいたよ。用意はできてるかい?」
「う、な、何とかするわよ……」
グリスティアがフリオと話している隙に、彼女に防御魔法をかけておく。自分の体に触れるか触れないかぐらいのところで発動する結界魔法で、本来は騎士同士の手合わせなどで使用されるものだ。その分若干防御力は低めなのだが……まぁ蜂の針くらいは簡単に止められるだろう。
虫が触れそうな距離にいる、という嫌悪感は拭えないがな。
俺は心のうちでほくそ笑んだが、そんなことを知りもしないグリスティアは不安そうにフリオと話していた。
フリオがグリスティアの様子を伺いつつも、楽しそうに頷く。
「うん、準備はできたね。それじゃあ行くよ!」
「ちょ、早いってば……!」
フリオが全力で駆け出し、目の前の木にぶら下がる巨大な蜂の巣を切りつけた。
ぱっと見で十メートルはあろうかというレベルの大きさの巣が周囲の木にいくつもぶら下がっている。これが今回の討伐対象、リリアンビーの巣なのだが、ここまで大きい物は中々見ない。
この中に何匹もの魔獣が住み着いているのだが、そのうちの一つが切られたことで中にいた蜂の群れが飛び出してきた。
「も、もう分かったわよ!や、やるわよぉ……!」
グリスティアも広範囲に魔法を放ちだす。木に燃え移らない様に水の魔法を選択、それも動き回るフリオをうまく避けて使っているな。さすがSランク冒険者、上手いものだ。
「治癒は私に任せてくださいねー」
「……ミニモは何を食ってるんだ」
ぼんやりと俺とグリスティアの後ろで立ち尽くしているミニモがそう声を掛けた。
その手には、なんかべとべとしてる手のひらサイズの塊。
ほのかに良い匂いが漂っている。
ミニモは何でもない様に言った。
「さっきそこで見つけた蜂蜜ですよー。探せばそこら辺に落ちてますから、エテルノさんも良ければどうぞ?」
「誰が食うか」
なるほど、フリオとグリスティアの攻撃で散らばった巣の中には随分蜂蜜が詰まっていたらしい。討伐が終わったらこの蜂蜜を持って帰って売るのも良さそうだな。
しかし、先ほどから全然蜂が向かってこないのが不思議だ。今ならグリスティアは狙い放題だというのに、これだから知恵のない魔獣は……。
……と、そんなことを考えながら振り向くとミニモが蜂に狙われまくっていた。何故に。
「エテルノさん!た、助けてください!さっきから私にばっかり攻撃が来てるんです!」
「逆にお前なんでそんなに蜂にまとわりつかれてるんだ?」
直接戦闘に加わっていない俺やミニモに向くヘイトは少なくなるはずなのだが、ミニモは十数匹もの蜂にまとわりつかれている。
やはりこいつは訳が分からないやつだな。蜂に好かれる匂いでもするのだろうか。それとも来る前に果実酒でも飲んだか?
「は、蜂蜜のせいですよ多分!この子たち、地面に落ちてる蜂蜜にもたかってるんです!」
「なるほど、蜂蜜を食ってたから狙われた、と。自業自得だな」
「ごめんミニモ!私の分も襲われててちょうだい!」
「お二人とも辛辣ですね?!助けてくださいよ?!」
しかし、蜂蜜に集る習性があるのか。これをうまく使えばグリスティアに蜂を集められるのではないか?
「よくやったミニモ。お手柄だぞ」
「何がですか?!」
こいつもたまには役立つらしい。お礼代わりにミニモにも一応結界魔法を……
「エテルノ!危ない!」
フリオの叫び声。咄嗟に振り向き何事かとこの目で確認を――
「わぶっ」
顔に何かがぶつかってきて視界が塞がれる。若干柔らかくてべたべたしていて、そして甘い。
「あっ……」
「……ミニモ、俺がどういう状況か教えてくれ」
グリスティアの何かを察したような声を聞きつつ、ミニモに質問する。
ミニモもまた、グリスティアと同じように気まずそうな言い方で答えてくれた。
「フリオさんの切り飛ばした巣の塊がエテルノさんにぶつかって、体中蜂蜜まみれに……あ、私に集ってた蜂がそっちに行きましたよ」
「……」
顔にくっついた蜂の巣を引き剥がすと、俺を憐れむように見るグリスティアと申し訳なさそうな顔のフリオ、そして全力で俺に向かってくる蜂の大群が目に入った。
「……ふ」
「エテルノさん?」
「……ふざけるなよぉおお?!!」
ミニモとグリスティアの結界魔法を維持しているので俺の分の結界を同時に展開するのはかなりきつい。
致し方なく、俺は全力で逃げつつ追ってくる蜂を切り落としていくのだった。
***
「す、すまなかったねエテルノ」
「……あぁ。もういい」
「あ、あの、治癒魔法かけますか?」
「ああ頼む」
蜂どもを全滅させるのにかかった時間はざっと二時間。俺とフリオの体は既に蜂蜜まみれ。依頼を達成したうえで蜂蜜を集められたのでかなり報酬は入ってくると思うのだが……
「……フリオ、蜂の死骸を何個か貰っていっていいか?」
「いいけど……何に使うんだい?」
「孤児院に行ってサミエラに投げつけてくる」
「そ、そうかい……。ほどほどにね?」
よし、早速行ってくるとしよう。ついでに蜂蜜を持って行ってやるのだから、文句は言わないだろうな。
俺は蜂蜜まみれの体で町へと駆けだしたのであった。
ま、要するに八つ当たりである。