ミニモ=ディクシアの毒白
逃げるために足を動かすどころか、呼吸すらままならない。
全身から骨を抜き取られたような浮遊感と不快感の中で、私は既に生きることを諦めていた。
だってほら、もう結構頑張ったし。
子供なのに急に放り出されて、治癒魔法とかを身に付けて。
この蛇からもそこそこ頑張って逃げてきたことだし、私を食べることに夢中な蛇ならあのエテルノとか言う男の子だってしっかり罠にかけてくれるだろう。
だから、私がここで死ぬのは何も意味がないことじゃない。
それだけでもここまで頑張って来た価値があるというものだ。
蛇の牙に反射する私は、泣いているような笑っているような顔をしていた。
「早く逃げろって……言ってんだろうが!!」
そんな時だった。私の脇腹が思い切り蹴飛ばされて地面の上を転がされる。
茂みに隠れていたエテルノさんがいつまでたっても動かない私を見かねて飛び込んで来たのだ。
それにしたって、私を蹴飛ばしてそのままの勢いで自分も罠から脱出するだなんてなんて乱暴なことをとは思うけど。
「馬鹿!蛇が口を開いたらすぐに逃げろって言っただろうが!」
「……ぁ……」
何か言おうと思ったのだが声にならない。
口を何度動かしても掠れたような声しか出さない私の様子を見て、彼は気づいたように言う。
「お前、顔真っ青だぞ……?!お、おい、まさか蛇に噛まれたりとかしてたのか?!」
確かに蛇の牙がかすったことはあった。
口では伝えられないため、私は頷いて見せた。
「……それでこの症状となると蛇の毒だな。今すぐ町に帰って治療するぞ」
でも、あの蛇が追ってくるんじゃ。
「大丈夫だ。あいつはまだしばらく罠から出てこられないはずだからな」
見れば、確かにあの大蛇の頭が地面に埋もれてもがいている。
さらにその上から丸太が何本も覆いかぶさり、いくら力のある魔獣だからと言って簡単には出てこられないだろうことが伺えた。
「後の問題は、俺に毒が回りきる前に町まで帰れるかどうか、ってところだな」
そう言ってはにかんだ彼は頬を引きつらせている。
一体何を。そう不思議に思った私を彼が無理に抱き上げた。
抱き上げられて、一瞬見えた彼の背中に息を呑む。
--服が引き裂かれ、『切れた』というよりは『抉れた』とでも言ったほうが近いほどの傷が彼の背中に残されていたからだ。
「悪いな。さっき避けそこなってザックリ行っちまったわ」
そんな、馬鹿な。
「こんなことなら解毒魔法ぐらい覚えとくんだったな……。あぁ、でも適性が無いかもしれないか……」
私をどうにか抱え、ふらふらしながら歩き出した彼の傷口に触れる。
私に出来ることは限られているけれど、それでも、今私に出来る最大限のことを。
「……お、なんか痛みが引いてきた気が……?」
効果は微々たるものだが、彼に治癒魔法を掛けておく。
彼と出会ってからきっとまだ十分も経っていないのだが、彼は今まで出会った誰よりも信用できる人間なような気すらしてきていた。
***
「……あ」
そこからのことは、よく覚えていない。
息苦しさも、体が末端から痺れていく感覚も、全て無視してエテルノさんの治療に専念していたからだ。
次に私が目を覚ましたのは、やけに枕の硬いベッドの上だった。
「……」
自分を蝕んでいた毒がもう無くなっているのに気づいて、私は周囲を見渡す。
この部屋には見覚えがある。
私がいつも来ている、医療室だ。
とはいえいつもは私が治療する側なのだけれど、今回は患者として来てしまった。
「あ、そんなことよりエテルノさんは……」
ここまで帰ってこられたということは、きっと彼もこの部屋で治療を受けていたはずなのだ。
お礼を言わなくてはいけない。
どうにか私はベッドから降りて、深く息を吸う。
息ができる。これだけでも、今の私にとっては何にも代えがたいもののように思えた。
「あの、すいません。私をここまで運んできてくれた人がいたと思うんですけど、その人はどこに……?」
近くに居たギルドの係員を呼び止め、エテルノさんがどこへ行ったのか尋ねる。
けれど、答えはいささか私が考えていたものと異なっていた。
「あぁ、貴方を運んできた人ですか?確かもう治療が済んでしまったので、お帰りになったかと……」
「え、いつ帰っちゃったんですか?!」
「もうかれこれ十時間ほど前に……」
何と言うことだ。
私は寝過ごしてしまったらしい。
いや寝過ごしては無いんだけど、それでも結構やらかした。
私の手元に残されたのは、私の手当に使われていたであろう血染めのハンカチと『エテルノ・バルヘント』という名前だけ。
ハンカチはギルドの物では無いのでエテルノさんの物なのだろうが……
「……明日からエテルノさんを探さないといけませんね」
だって、お礼を言わないと私の気が済まない。
これが私の冒険者人生の中で、初めて目標が出来た瞬間だった。




