地獄へ舞い戻る
「っしゃァ!おらイギル!受け止めてみろや!」
近くの木片を掴んでイギルへ向けて勢いよく投げる。
言うまでも無くイギルは怪我をしているため避けられるわけも無いのだが--血が飛び散る代わりに、煙のようにイギルが空気に溶けた。
「あぁ、やっぱ幻なのな」
「当たり前じゃないか。僕がそんなに単純な人間だと思ってたのかい?」
「お前人間と言うよりは亜人だけどな。まぁ万が一ってこともあるだろうよ」
喋りながらもイギルの声の方角を探ってみるが……やはり分からないな。
この……幻?はどうやら聴覚も操っているらしい。
先ほど聞こえてきた女の声もどこから聞こえてきているのか分からなかったし、イギルの声が聞こえる方向に木片を投げても一つも命中しなかったからな。思ったより幻覚魔法は厄介な物のようだ。
「お……っと」
急に足が何かに突っかかって転びかける。
これも先ほどからだが、時々攻撃されてるっぽいんだよな。スライムが衝撃を吸収してくれてはいるのだが、イギルの仲間と思しき女……Aとしておくか。
そのAが攻撃を仕掛けてきており、俺の体勢を崩そうとしているのだ。
だから、うかつには動けない。
怪我をしているからイギルは動けず、俺は攻撃を受けているせいで動けず……面倒だなこれマジで。
『収納』が使えればどれだけ楽だったことか。
「……試してみるか」
収納のスキルはやはり発動しない。だが、それ以外の物であれば何とでもなるのだ。
魔法だって使える。スライムを変形させれば剣だって盾だって用意できる。
「『喰らうは我が炎天。臓腑を溶かせ、気色を遺せ、潰えた四肢を我が物に。終わりの景色は我が手に--』」
詠唱。これくそ長ぇんだよな。
頭の後ろに強い衝撃。女Aに殴られたらしいが……意識を刈り取られるほどではない。
スライムの流動性を持つ鎧が衝撃を分散してくれた。
意識して痛みから気を逸らし詠唱を続行する。と、イギルの驚きの声が耳に入った。
「なっ……?!おかしいんじゃないかい?!君がその規模の魔法を使えるはず……!」
「あぁ、これな。なんでも『学園』秘蔵の大魔法らしいぜ?」
『学園』。魔法使いを育てる学校の中でも最高峰の学校だ。
ここで育った魔法使いは冒険者になれば平均がBランク。Sランクだって夢ではないほどの実力者の集いだ。
そんな学校の関係者のみが知ると言われる、凄まじい威力を持つ魔法の詠唱が、今俺が行っている物である。
なんで知ってるかって?
「毎朝毎朝この魔法で起こされてちゃ詠唱だってそりゃぁ覚えるわなァ!!」
今だけはシェピアに感謝してやってもいい。
……いや、やっぱ駄目だな。学園秘伝の魔法を目覚まし代わりに使うとかマジであいつ何考えてんだ。
「--イギル!お前なんでその怪我を負った!幻覚魔法があれば攻撃なんてめったに当たんねぇだろ!」
シェピアとミニモを襲った時だってそうだ。
なんで逃げた?
答えは、一つ。
「お前の幻覚魔法の弱点は『広範囲攻撃』だろうが!近くに居るんだからそりゃぁ当たっちまうよなァ!?」
「……」
詠唱を終える。
あとは簡単だ。手の平を空に向けてこう宣言すればいい。
「我が名は《シェピア》!馬鹿でけぇ目覚ましの時間だ覚悟しやがれ!」
そう、名前の宣言。残念ながら俺の名前は存在しないので代わりにシェピアの名前を借りた。
まぁそもそもがこれシェピアの魔法だからな。別に間違っちゃいないだろう。
「っぐ……!フィナ!これは流石に防ぐしかない……!」
「分かっタ。任せレバ良い」
イギルの焦った声と、女の声。フィナ、フィナと言うのか。覚えておこう。
「悪いがこの魔法は俺の『収納』で別空間に隔離してようやくセーフってレベルの代物でな!エテルノだって防げないと思うぜ!」
空へ向けた手から炎が迸り、勢いよく溢れ出す。
確か、いつだったか見た『噴火』というものが丁度こんな見た目をしていたように思える。
問題はこの魔法を使った後イギルや女……フィナの死体が見つかることは無いだろうということだな。
骨も残らず焼き尽くされる。俺の店を奪った商人、ルルガスについても同じだ。
後で間違いなく怒られるだろうな。
「『フィリス・ルルバス・リディスト』」
聞きなれない抑揚の知らない言語が女の凛とした声で辺りに響き渡り、先ほどまで轟音を立てていた頭上の火炎が突如として消失する。
女の、そう。女の声だ。
「……はぁ……?」
魔法を俺のように『隔離』して対処したというよりは『無効化』とでも言ったほうが正しそうな様子だった。
魔力が一瞬で掻き消され、火炎そのものが嘘のように焼失したのだ。
汗が吹き出すような熱気と、既に灰になった木箱の塵だけが周囲に舞い上がっていた。
「おいおい……どうやったんだよ?まさかこんなこと出来るとは思わなかったぜ?」
「あァ。此方モ焦った。中々ヤルナ」
「フィナ。悪いけどもう話し合いをしている次元じゃないみたいだから、いいかい?」
「……無理スルナ、とハ言えないナ」
相手の顔も見えないままにフィナと言葉を交わしたところで、イギルが口を挟んで来た。
あぁ、相談か?
というかさっきの口ぶりからしてあの魔法の無効化はフィナって女の仕業なんだろうな。
幻覚魔法と、何か……厄介そうな魔法、もしくはスキル。
あぁ、くそ。切り札もうあんまりねぇぞ?
さっきからちょこちょこ床に罠バラまいてんのに引っかかる様子も無ぇしよ。
「悪いけどアニキ、今から本気で行くよ」
「あぁ?大体そういうこと言う奴に限ってすぐボコボコにされんだよなァ。今まで本気じゃありませんでしたってか?くそダセぇのな」
イギルが挑発に乗ってくるような人間では無いのは分かっている。
だが、イギルは理性的なタイプだ。そう言うタイプの敵は得てして対話を好む。
例えば挑発された時、会話なんてしないでも良いのにわざわざ会話を続けてしまったりな。
腹立たしさからくる反論をするというよりはまだ放っておいても構わないのが分かっているから会話をする、いわば余裕を見せつけてくるわけだが。
「アニキ、君今日はやけに口が悪いね。どうしたんだい?」
「あぁ?……あぁ、前の口調に戻ってたか。悪ぃな」
知らぬうちに、以前貧民街に居た時の口調に戻ってしまっていたようだ。
「ほんとに悪いと思ってるのかい?」
「思ってる訳無ぇだろうが。お前がシェピアに手を出したんだろうがよ?」
「……へぇ、驚いたな。あの子のことを案外気に入ってるんだね?」
「あぁ。こんなカスみたいな俺を慕ってくれてる可愛い奴だろうが」
だから、あいつに手を出した人間は許さない。
子分に手を出した人間を許さない。
店を奪った人間を許さない。
俺の居場所を奪おうとする相手には、容赦しない。
「悪いね。僕も負けてあげられないんだよ。蘇生魔法なんてものがあるぐらいだから死後の世界か何かもあるだろうし……そっちで仲良くやっててくれない?」
「ぎゃーぎゃーうるせぇ。俺は顔すら見せない奴の話を聞く気はねぇんだよ」
「……それもそうだね」
馬鹿にした口調で中指を立ててやると、イギルがぼそりと呟く。
そのまま、眼前の景色が揺らぎ--
「……どうかな?」
やはり車いすに座ったイギルが、両手を広げてこちらを見据えていた。
その隣には、腰まで伸びる長い三つ編みの異国風の女。
距離は……踏み込んでスライムを変形させれば間違いなく、届く。
そして事実、俺はその通りにした。
すぐさま踏み込んで剣をイギルの喉元へと伸ばし--
「--禁術、『幻想魔法』」
「……っ」
絵具を混ぜたような汚い地面の色。色に溶けるように消えたイギルと、女の姿。
剣先が届かなかった。あと少しで届いたはずなのに、届かせられなかった。
「アニキ、君はもう死んだんだ。さっさと地獄に落ちるなりなんなり、よろしく頼むよ」
パチン、と風船が弾けるような音がしたかと思うと、イギルの言葉を最後に俺の意識は刈り取られた。




