マイナスを乗り越えて
「エテルノ君、用事はもう終わった?」
トヘナに声をかけられ、俺は立ち上がって言う。
「……大丈夫だ。じゃあさっさとギルドに戻ろーー」
ふと見ると、周囲一体がスライムに囲まれている。
そうだ。俺たちがやり取りしている間にもトヘナはスライムと戦っていた。
それで今こんなことになっているということは……
「ごめんねエテルノ君、ちょっとこの数は難しかったわ」
「……みたいだな。無理を言って悪かった」
「いや大丈夫よ。私もまだ少しだけ奥の手があるから」
トヘナは酷く清々しく笑う。
どうにか今もスライム達を押しとどめてくれている炎の壁は、既に子供でも飛び越えられるサイズになっていた。
俺はただ、トヘナの次の言葉を待った。
「サキュバスの力に、魅了っていうものがあるって言ったじゃない?あれ、別に異性を引きつける力って訳じゃないのよ」
いつもと同じような気楽な口調。
いつもと同じようなのんびりした表情。
だがその言葉に含まれる意思は、あまりにも大きく重たかった。
「サキュバスの力は相手の『欲求』を刺激する物。例えば夢魔なら睡眠欲と性欲を、サキュバスなら性欲だけを……って感じでね」
相変わらず、トヘナは何ともないような顔をしている。
「だから当然、やりかたを変えれば食欲だって刺激できちゃうのよね」
言いたいことを察して俺は息を呑み、答え合わせをするかのようにトヘナが言い放つ。
「ってわけで、私が今から囮の役目をしてあげるから皆を連れて逃げなさい。冒険者の皆をどうにかギルドに送り届けて?」
「……」
言葉が出ない。
何を言えと言うのだろう。『頑張れ』。そんな言葉でここまでやって来た仲間を死へと送り出せというのか。
『ふざけるな』。そう思う気持ちはある。かつての仲間も、復讐の対象も失った俺の手からトヘナまで零れ落ちたら、俺は何を手に生きていけばいいのか。
だが、復讐のために研ぎに研いだ思考は感傷を許さない。
どこかこの状況を冷静に見ている自分がいることに気づく。
トヘナの言葉に酷く胸を痛める自分を、どこか客観的に見てしまっている。
この状況で助かる方法があるとしたら、それはきっとおとりを差し出すことだ。
……トヘナとは、ここで別れるしかないのだろう。
それ以外に道が、見つからなかった。
「トヘナ」
「……何かしら?」
「ごめん」
俺は冷たい人間だ。俺は醜い人間だ。許される資格なんてないのだろう。
少なくとも、ここで仲間を差し出してでも生き残る必要はない人間であることだけは確かだ。
トヘナは友人に会いに行くと言っていた。ならトヘナが生き残るべきだ。
だが、俺には『魅了』だなんて魔法を使うことはできない。だから、しょうがないじゃないか。
そんな風に思う俺はやはり利己的な人間だ。
「エテルノ君、ちょっとこっちおいで?」
「……え、あ、おう」
トヘナが俺を呼び寄せ、またもや頬を挟む。
ひとしきり頬を引っ張り終えた後、深呼吸--
ゴッ、と鈍い音が響いた。
「痛っ……?!」
グラグラする頭を押さえつけて、涙目でトヘナの方を見る。
見るとトヘナも額を抑えていた。
「エテルノ君、頭硬すぎでしょ……!魔封石に頭突きしたのかと思ったわよ……!」
「こ、こっちのセリフだよ……!何しやがる……!」
そう。頭突きだ。急にトヘナが頭突きをかましてきたのだ。
なんでこんな状況で。
そんな疑問をトヘナの張り上げた声がかき消した。
「エテルノ君、そのカッチカチの頭でよく聞きなさい!ごめんだなんて、調子乗るんじゃないわよ!そう言うのはせめて彼女できてから言いなさい!!」
「は、はぁ……?!」
トヘナにしては珍しく、上からの言葉だ。
俺は咄嗟に反論できなかった。
あまりにも無茶苦茶なことを言って来たから、すぐに返しが思い浮かばなかったのだ。
だから、トヘナの言葉が俺の隙を縫うようにして耳に届いたのもしょうがないことだ。
「私は、エテルノ君を許すわ!」
「っつ……」
そして、畳みかけるように言われたトヘナの言葉にも俺は何も返せなかった。
「じゃ、そんなわけで行ってくるわね」
「……分かった」
うだうだと言っていてもしょうがない。トヘナはもう、先に進もうとしている。
再び俺は荷物をまとめ--バルドが居ないことに気づいた。
ふと見るとトヘナがバルドを抱え上げている。
「……トヘナ、お前何やってるんだ?」
「え?あぁ、魅了の魔法を使う時にこの子も触媒になるかなぁと思って。だって魅了のスキル持ってるんだから。そうでしょ?」
「え、あ、おう……」
バルドも助けなくていいのか?と聞くとトヘナは何でもないような顔をして答える。
「今まで悪いことばっかりしてきた子なんだから。死ぬ時ぐらい役に立ってもらおうじゃない?」
「復讐は無益だから許してやれって言ってなかったか……?」
「いや、復讐だけじゃだめよ、ってだけの話よ?復讐一辺倒にならなければいいの。それに悪人が罰を受ける、っていうのは当たり前の事じゃない」
トヘナの言うことは彼女の都合の良い様に成り立つ自己中心的な論理だ。
彼女の考えを今後、俺が理解できるかは分からないな。
理解出来たら良いな、とは思うが。
「あ、そうだエテルノ君。私が目指してた町は知ってるわよね?」
「一応はそうだな」
トヘナの友人がいる町だったか。元々同じパーティーだった仲間を訪ねて彼女はここまで俺と旅を共にしてきたのだ。
「出来ればあの子たちに、私の英雄譚を聞かせてあげてくれる?」
「……分かった。何があっても伝える」
俺がそう言うとトヘナは笑った。
「じゃ、よろしく頼むわ。私の仲間のうち、人間の方は『ドリット=アリシア』。魔法学園で先生をしているらしいわ。もう一人は『サミエラ』。町で孤児院をしているはずだから、困ったら私の名前を出して世話になりなさい!」
「はいはい。分かったよ。サミエラとアリシアだな。覚えとく」
笑ってトヘナに手を振る。
トヘナはバルドを抱えて、スライムを避けつつダンジョンの奥へと消えようとしていた。
「じゃあエテルノ君。またいつか!」
「--あぁ、またいつか!」
トヘナを見送り、冒険者達を抱え上げ、ダンジョンを出て、ギルドに行って--
俺は結局、あのスライムたちを討伐するための二度目の討伐隊には加わらなかった。
その前に街を出ていたからだ。
強くなろう。シュリとの約束を果たしてSランク冒険者になるために。
辿り着こう。俺を救ってくれた、一人の冒険者が居たことを彼女の友人に伝えるために。
今までは復讐のための冒険だった。
言うなればマイナスの道のり。マイナスをゼロに戻すための冒険だった。
ここからは約束を果たすための冒険。いつか彼女達と再び巡り合った時自分を誇れるように。
ここが、俺の冒険のゼロだ。
***
そんなことがあったのだが。
炎に包まれつつ、俺は考える。
バルドは結局生きていた。が、俺が今度こそ殺した。
巻き添えの形だが、ディアンも死んだだろう。
あの『ゼロ』から、俺は進めたのだろうか。……まぁでも、強くはなったかな。
それから、サミエラの孤児院には何度も足を運んだ。
が、結局トヘナのことを言うことは無かった。
知らない方がきっとサミエラのためになるだろう。俺のことはフリオの友人だとしか思っていない方が彼女も幸せだ。
アリシアの方についても、魔法学園まで会いに行く機会が無かったからな。
トヘナの死を知らせられなかったのは……まぁ、遺書とか一応用意してるし大丈夫だろう。
冒険者稼業をやっていればいつ死ぬか分からないからな。遺書、用意しておいて良かった。
さて……こうしてあいつらに会ったとき何言うかとか考えているわけだが……
……。
……走馬燈長くないか?走馬燈ってこんな長いものなの?
結構俺トヘナの事とか思い出してたぞ?時間相当経ってるよな?
しかも、この後シュリとかに会えたら何言うか相当シミュレーションしてたぞ?
走馬燈ってこんなもんなのか?
「……」
うーむ、おかしい。
とりあえず、声を上げてみる。
「--ぁ……」
……声出てるな。しゃがれた声ではあるが、声が出る。
「エテルノさん、起きましたか?」
「……」
声がして恐る恐る目を開けてみると、見知った顔がそこにはあった。
俺をのぞき込んでいるこの少女を俺は知っている。
彼女の白髪が俺の顔をくすぐる。
「……あー……よう、ミニモ」
「おはようございます、エテルノさん。寝顔が撫でまわしたくなるくらい可愛いですね撫でまわしてました」
なるほど。俺生きてるなこれ。
あと最後の一言が絶妙に気持ち悪い。ミニモに会うのが久しぶりだから一層気持ち悪い。
というかただの事後報告だなこれ。気持ち悪い。
まぁ、それは置いといて。
「……また、死に損なったかぁ……」
「それはもちろん、私が治しましたから!地獄の縁からでも引きずり戻して見せますとも!」
思わず笑いが漏れる。
まだ俺には地獄は早かったか。そうか。
じゃあまぁ……
「頑張るか。あいつらのためにも」
そんなことを呟いて、俺は再び意識を手放したのだった。




