君のための陽炎
「ッッ!シュリ!」
杖を振るい、すぐに炎を放つ。
放たれた炎は寸分違わずスライムに命中し、スライムの表面に焼け焦げた跡を生み出した。
「ぐ……!?」
もちろん、それでスライムが大人しくなるわけもない。
振るわれたスライムの触手が炎で熱された空気を切り裂いて、俺の体を弾き飛ばす。
杖で受け止めるも衝撃を殺しきれず、地面を転がる俺の元にトヘナが駆け寄ってきた。
「エテルノ君、大丈夫?!」
「っ大丈夫だ!そんなことよりあのスライムを逃がさないでくれ!」
スライムを逃がしてはならない。あのスライムの中には、シュリが、ネーベルがいる。
せっかく彼女達を救えそうなところだったのだ。逃してたまるか。
吹き飛ばされたのもこうなれば好都合だ。遠距離から徹底的に魔法で攻撃を繰り返す。
その甲斐あってか、スライムに何度も攻撃を当て、生物が焼ける臭いが充満するほどになるとスライムは黒く縮こまって動かなくなった。
「シュリ!ネーベル!」
すぐに駆け寄って、スライムの死骸に手を突っ込む。
手が焼けるように痛む。スライムの消化液によるものだろうが、今の俺にはそんなものに気を払う暇があれば一刻も早くシュリ達を助け出すことが大切だと思えた。
「……ぁ」
呑み込まれた三人を引きずり出す。
バルドは手足が少しとろかされた程度だ。
だが、バルドをかばうようにして呑み込まれた二人は別だった。
ネーベルは左半身が、シュリは腰から下が無くなっている。
溶かされ、ドロドロになった肉が断面を伝い、べっとりと俺の手のひらについた。
「ぁ、く……」
「ネーベル?!」
意識が戻ったネーベルを抱きかかえながらも俺は途方に暮れていた。
この怪我では俺が今すぐギルドまで戻ったところで助かる見込みは薄い。
かといって俺が出来る手当てでは回復は見込めない。
俺はただ、歯を食いしばってネーベルの次の言葉を待った。もうシュリも、ネーベルも救うことはできない。これまでの経験がはっきりとそう告げていた。
こんな時でも冷静にいようと努める俺の心が妬ましいようにすら思えた。
ネーベルの手が、俺の頬を撫でる。
「……」
ネーベルが口を動かす。が、微かなその声は俺の耳には届かない。
「……なんだ?何かあるなら、俺がしっかり伝えよう」
この状況で彼女たちが伝えたいことがあるとしたら、それは遺言に他ならない。その遺言はしっかりと俺が伝えよう。
……バルドも、シュリも、ネーベルももう俺のことなぞ覚えていないだろうが、それでも俺にはこいつらの言葉を残してやる義務があるように思えた。
耳を寄せ、頭を研ぎ澄ます。
何を言いたいのか知らないが、一言一句違わず伝えてやろうじゃないか。それがバルドの奴に対してのものだとしても、しっかりと伝えてやるさ。しかも拳のおまけつきだ。
そんな気持ちはすぐに裏切られた。
「--エテルノく、ごめ……」
「……?」
違う。これは遺言じゃない。
ネーベルの目から涙が零れ落ち、こびりついた血と混ざった。
「ご、めん。私が、わる……」
「お、おい!なんでそんな……!」
ネーベルの絞り出すような声をかき消すように俺は大声を出した。
それでも、隙間を縫うようにしてまっすぐにネーベルの声は俺の心に突き刺さる。
その時だ。別の声が聞こえた。
「あ、はは……エテルノじゃん、久しぶり……」
「っ?!」
背後、シュリも既に目を覚ましていた。
ネーベルよりもその言葉に苦痛が含まれていないように感じられるのは俺の勘違いだろうか。
それとも、見た目より重症じゃないのかも、しれない。
「エテルノ、ほんと、悪かったわね。迷惑かけて」
「……」
シュリが口にしたのも、やはり謝罪の言葉。
俺が抱き上げたネーベルも、同意するように震えた。
「……私、ちょっと失敗しちゃったわ」
「……知ってるよ」
ほんと、何を考えてるんだ。俺を追放するなんて。
いくらバルドに魅了されていたとしても、許せることではないのだ。
そのせいで俺がどれだけ苦労してきたと思っているのか。
そんな気持ちがあったというのに、俺は気づけば笑顔になっていた。
「まぁ、大丈夫だ。気にするな」
「……そう言われても楽になれるもんじゃないわよ」
「そうか」
もうすぐ死ぬとは思えない人間の言葉。
何度も、何度もこの会話が出来たならと想像した。また元のように戻れたなら、と。
きっと俺なら、二人の謝罪を受け入れてしまうだろうなと思っていた。
……やっぱり、予想通りになったな。
と、その時だった。小さな咳が一つ、ダンジョンの中に響き渡った。
見ると、ネーベルの口からどろりと粘液が伝っている。
スライムのそれに、似ているように思えた。
「……っ」
ネーベルの目に浮かんだのは、恐怖でも苦痛でも無かった。
スライムがネーベルの口から湧きだしてくる。
顔の下半分をスライムに覆われ、もはや声も出せなくなったであろうネーベルが、笑顔でこちらに手を伸ばした。
抱擁を受け止めようとしているような姿勢。
ネーベルの目にはもう、涙は無い。
ただただ笑顔で、俺に何かを求めていた。
シュリも、言う。
「……私も無理っぽいからさ、エテルノ、お願いして良い?」
「……何をだよ」
「何をって……そんなの分かってるでしょ?」
見るとシュリの口元からも、スライムの粘液が伝っていた。
シュリもまた、俺を受け止めようとするかのようにこちらに両手を伸ばす。
「さ、一思いにやってよ」
「……」
黙って、俺は剣を構える。
炎を、剣にまとわせる。
振るう剣は磨きに磨かれた他者の技をスキルの力で習得した模造品。
それでも。
俺以外の誰にもこんなことはできない。
俺が必要とされている。それだけで十分だった。
「--あぁ、結局Sランクにはなれなかったなぁ」
シュリのそんな言葉が聞こえて、俺は笑顔を見せた。
「じゃ、天国で待っとけよ。Sランクになった俺の冒険譚、後でじっくり聞かせてやるからさ」
シュリも笑顔で言う。
「私達が行くとしたら地獄だろうからねぇ、そんな話を出来る余裕があるかどうか、怪しくない?」
「んんん……確かに。俺も大概悪いことばっかしてきたからなぁ」
「ま、楽しみにしとくよ。地獄で会おうぜ、ってね!」
シュリが頷いて、ネーベルが笑って、そこには光景こそ違えどかつての俺達のような会話がある。
剣にまとわせた陽炎が揺れ、夢のようなひと時が弾けた。