カゲロウの見た夢
「ぐっ……!トヘナ、そっちは?!」
「大丈夫とは言えないけど何とかするわ!」
場は混沌を極めていた。
スライムが人間を取り込み、死体に潜り込み、壁にへばりつく。
結果として、ダンジョン内はもはや地獄すら生ぬるいような場所へと豹変した。
先ほどまでは何の変哲も無かった道も今となってはスライムの粘液で赤黒く染まり、スライムに取り込まれかけている冒険者たちが必死にこちらへと手を伸ばす。
それを助けようとした冒険者までもがスライムに取り込まれ、逃げようとしても出口が無い。
逃げ場も無くあちらこちらへと逃げ回る冒険者たちは、確実にその数を減らしてきていた。
だが。この程度では動じないほどの冒険者が少数ながらもこの場に居たことも事実だ。
あちこちから冒険者が集まっていただけあって、すぐにこの状況に対応しだす冒険者たちが居た。
「--スライムの弱点は炎だ!魔法が使える奴らは魔法で、魔法が使えない奴は魔法使いを守れ!」
ダンジョン内で響くその声で正気を取り戻す冒険者は少ない。だが、ゼロでは無いのだ。
一部でも冷静さを取り戻せばやりようはいくらでもあった。
すぐに俺はトヘナの元へと走り、冒険者達の輪の中に逃げこむ。
俺たちは魔法を扱える側の人間だ。他の冒険者が持ちこたえている間に出来る限り逃げ道の確保。スライムを退ければいい。
であれば。
「トヘナ!操作は頼んだ!」
「え、あ、分かったわ!」
杖から炎がほとばしる。
炎は冒険者達を取り囲むように弧を描き、燃え上がる。
炎の熱で危険を感じたのかスライムたちがゆっくりと逃げるように移動し始めた。
「な、す、すげぇ……」
冒険者達の中の誰かがふと、感嘆の声を漏らした。
まぁ、多少は自信のある魔法だったからな。この反応も当然だ。
魔法の向かう方向の操作をトヘナに任せる代わりに、俺の魔力を全て炎を生み出すために使う。しかも、ただでさえ追放されまくっていたおかげで莫大な魔力を持った俺の魔法だ。
彼らが驚くのも無理は無かった。
……とはいえ、トヘナが居ないと扱えない魔法だ。
俺はただただ膨大な魔力をぶちまけただけ。その膨大な魔力に指向性を持たせてここまでの結果を生み出したのはトヘナの実力あっての物なのだからあまり調子に乗っても居られない。
「おい今だ!逃げるぞ!」
「あぁ、そうだ!くそ、ギルドの奴らこんな魔獣がいるなんて聞いてなかったぞ……!」
多少なりとも余裕を取り戻したのか冒険者たちが荷物をまとめてダンジョンの出口へと向かう。先ほどまでそこに鎮座していた巨大なスライムはすっかり炎で委縮し、隅の暗いところで縮こまっていた。
あれほどの巨大なスライムだったというのに、今ではもう酒樽の半分ほども無いのではないかというほどにまで小さくなっている。
……小さなところにも潜り込み、どれほど巨大な物も呑み込む。それがスライムの恐ろしいところだ。
ここに居た赤いスライムは変異種だったらしいが、これからもし普通のスライムと戦うことがあったとしても気を付けておこう。
普通のスライムなら人間を呑み込むなんてことはしないだろうが、だとしても何かあったら困る。
冒険者なんてものはいつどこでピンチになるか分からないからな。
あの、スライムが体内に入り込んでいた冒険者も自分がこんなところで死ぬことになるとは思っていなかっただろう。
ふと、先ほどの様子がおかしかった冒険者の方に目をやる。
顎が外れ、足がひしゃげ、服のあちこちが焼け焦げている。
見るに堪えない。後で埋葬を--
「……ぁ」
「ッッ?!」
ピクリ、と男の指先が動いた。
違う。生きている。この冒険者はまだ生きているのだ。
「お、おい!スライムに寄生されてた奴が生きてるぞ?!」
「なっ……?!」
「エ、エテルノ君、それ本当?!」
「あぁ!さっき動いてるのを見た!」
冒険者の間にざわめきが広がる。
既に死んでいてもおかしくないほどの傷な上に、炎のせいで火傷まで負ってしまっている。
誰もが予想しなかった展開。
だが、喜ばしい誤算だ。ギルドまで行けば治癒術師がいる。そこで治療をしよう。
冒険者は急いで男の元へ駆け寄り、男を助け--
「……助けない、のか?」
誰一人として冒険者達の中から進み出た人間は居なかった。
誰もが皆、近寄ることを忌避するかのように。
困惑する俺に、冒険者の一人が言った。
「エテルノ君、だったかな。助けたいのは山々なんだけど、その人はもう手遅れだよ。それに、まだ体内にスライムが残ってしまっている可能性がある。連れて行くのはリスクが--」
「……は?」
そんな馬鹿な。火傷はそこまで重症ではないはずだし、スライムが内臓を傷つけた可能性があると言っても吐血が少ない。そこまで大きな傷ではないはずだ。
それよりも冒険者達にとって大事なのは--
「結局保身かよ……!」
「だからそうじゃなくてだね……。スライムをダンジョンの外に逃がしてしまったら更に酷い事態になるのは分かっているだろう?」
理屈は分かる。が、この言葉に賛同する冒険者達の考えていることはそんな理屈的なことじゃない。
怖いのだ。きっと、自分がまたスライムに襲われることになるかもしれないから。
冒険者達が先ほどからちらちらと出口の方に視線をやっていることに俺は気づいていた。
それに、俺だって怖い。こんなところでスライムなんかにやられるわけにはいかないのだから。死にたくない。
……けれど、流石にここで怪我人を見捨てるほど俺は非情でもなかった。
怪我をしたからと言って、負けたからと言って、弱いからと言って、元々仲間だった人間を見捨てる。追い出す。
そんなもの、俺を追放した奴らとまるっきり同じじゃないか。
だから決めた。俺はこの冒険者を助け--
ぼそり、と冒険者の誰かが何かを呟き、俺の頬を掠めて一陣の風が吹き抜けた。
「……え」
知っている。今のは魔法だ。
背後で、ビシャリと何かが飛び散る音がした。
振り返ることができない。そこには傷ついた冒険者が居たはずだ。多少怪我はしていたものの、助けることが出来たはずの冒険者が。
それを、それに、誰かが魔法を使ったのか?
今のは、攻撃魔法の詠唱だ。なんで、そんなことを
「さ、先に行ってるからエテルノ君も早めに戻ってきた方が良いよ。君の実力なら大丈夫だろうと思うけどさ、スライムにやられた可哀そうな被害者は少ない方が良い」
「……は」
俺が言葉を失っている間に涼しい顔で言葉を並び立て、冒険者たちは出口へと向かっていく。
トヘナだけが、その場に残った。
「……エテルノ君」
俺は黙ってゆっくりと後ろを振り向く。
「……」
やはり、言葉は出ない。
「エテルノ君」
ふとこみ上げた嘔吐感を抑えるため、俺は口元に手をやった。
死体なんて見慣れたもののはずなのに。
気持ち悪い。
あの冒険者たちが。気持ち悪い。酷く、汚れている。
そうだ、こういう時にはどうすればいいんだったっけ。
……そうだ。やられたならやり返さないと。復讐しないと。罰を受けさせないといけない。
それで、それでようやく俺のされたことに意味が、俺の人生は価値があるものだと--
「--エテルノ君!」
頬を挟まれるようにして無理やり上を向かされる。
そこには、目に涙を溜めたトヘナの顔があった。
「エテルノ君、違うよ。責めないで」
「……責めては、ないけどな」
嘘が口をついた。
そもそも、殺されたのは俺じゃない。俺があいつに代わって復讐をする道理なんて無いし、悪いのは俺じゃないはずだ。
そう思うのもまた、本心だ。
だが、自分の無力を責めてはいた。
何故助けられなかったのか。何故魔法を止められなかったのか。
考えれば考えるほど、思考は渦の中に落ちていく。
そんな俺をその場につなぎとめるかのようにトヘナはしっかりと俺の頬を抑えていた。
「エテルノ君、復讐だけじゃ駄目だよ。許さないと。少しだけでも、弱いことを許してあげないと擦り切れちゃうよ」
違う。弱い人間は他人に虐げられるだけだ。強くなることが全てなのだと俺は知っている。
弱くなければパーティーを追い出されなかった。
弱くなければ仲間を守れた。
弱くなければこんな風に、思考がぐらついたりなんてしなかったはずなのだから。
「大丈夫。エテルノ君は弱いし悪いことばっかり考えてるけど、それは間違ったことじゃないんだよ」
「何を--」
「自分が弱いと思うなら、自分を信じられないなら、他の誰かを信じて。例えば友達とか、恋人とか、私だって良いの。私が信じるエテルノ君を信じてあげて。弱くて、嫌な奴で、でもそれでも足掻きながら進んでいくエテルノ君を、信じてあげて」
額が触れ合う。
トヘナの頬を涙が伝った。
「……」
何かがあったわけでもない。静寂を破ったのは俺達では無かった。
「……ぁ……」
「っ?!」
ダンジョンの奥からこちらに向かってくる人影があった。ぎこちない歩き方で一歩、また一歩と。
影は一つではない。後から後から続いてくる。
そうだ、先発隊がどうなったのかまだ分かっていなかった。
予想するのは、簡単だが。
「……シュリ」
幼馴染。うるさいけれど、それでも一緒にいると明るい気分になる少女。
「……ネーベル」
常に他人に気を使って、相手が喜ぶように動く少女。いつだったか、他人の笑顔を見るのが好きだと語っていた。
「それと、バルド」
正直憎い。殺してやりたい。
が、まぁしょうがない。許してやろう。
シュリとネーベルとバルド、三人を先頭にして見覚えのある先発隊の面々がゆっくりとこちらへと向かってくる。
「……お前らも、スライムにでもやられたか?」
返事は無い。だが、それがはっきりと肯定の意を示していた。
俺はトヘナの方を振り返らずに言った。
「トヘナ、今回は復讐じゃなくて人助けなんだが手伝ってくれるか?」
「当たり前でしょう?ほんと、私の相棒は弱いから世話が焼けるわねぇ」
「ほっとけ。さっき泣いてたくせに」
「なんっ?!あ、あれはその、スライムが目に入っただけよ!」
「ここのスライムが目に入ったんだったら血涙みたいになるし、目に入ったのがもし本当だったんならお前をこのダンジョンの中に置いてかないといけないだろうが」
杖を構え、スライムが潜んでいるであろうバルド達に向ける。
いや、バルドに向けてるのに他意は無い。火傷させるんだったらバルドだなとか、そう言うことじゃない。
トヘナが言う、
「じゃあ早速、炙り出すとしましょうか!」
「あぁ、あいつらの悪いところ丸ごとな!」
杖から放たれる火炎が宙に揺らめき、弾けた。