変成、粘性
一時間ほどの間、俺たちはダンジョン内を順調に進んでいた。
既に攻略されたダンジョンだから敵は皆無だし、仲間も多かった。
多少の危険な場所も魔法を使って開拓し、俺たちは進んでいく。
そんな状況なのだから、彼女が退屈するのも当たり前のことだった。
「……エテルノ君、暇ね」
「暇だな」
「ちょっと私あっちの男の子に声掛けてきて良いかしら?」
「ダメに決まってんだろ」
トヘナは髪を弄りながら言う。
退屈しているのは分かるのだが、流石にダンジョン内で獲物探しは遠慮してもらいたいものだ。
「……っと、そろそろみたいだな」
先頭を行っていた冒険者の1人が戻ってきているのが見えた。
そろそろ目的地に着いても良いぐらいの時間帯ではある。確か目的地に到着したら次はバリケードを--
そんな風に、俺が考えた時だった。
「ねぇエテルノ君、あの冒険者の人少し様子がおかしくないかしら?」
「ん?」
トヘナの言葉を聞き、俺はもう一度冒険者の様子を伺ってみる。
……なるほど、確かに少し歩き方に違和感がある。
ぴょこぴょこしているというか、足に怪我でもしているのかという感じの歩き方をしているのだ。
まぁあの冒険者が少しドジを踏んで、ここまでの道のりでどこか怪我でもしたんだろう。
戦闘があったにしては外傷が無さすぎるし、戦いの物音一つしなかった。
俺達が様子を伺っていると、俺の傍にいた冒険者がこちらへと向かってくる冒険者に声をかけた。
「おいお前!どうだ、モンスターハウスは見つかったか?」
冒険者は返事をしなかった。
ただ黙々とこちらへと近づいてきて、その冒険者の表情が見えるほどになってようやく、明らかな異変に皆がざわつき始めた。
虚ろな目、顎が外れているのではないかと思うほど大きく開いた口。
明らかに異常な『何か』がぴょこぴょことこちらへと、無言で向かってきている。
と、腕に自信があると思われる筋肉質な冒険者が前に進み出た。
様子のおかしい冒険者に向けて槍を構え、彼は言う。
「おいお前!そこで止まれ!何があったのか報告を聞こう!」
冒険者は、答えない。
無言で前へと進む。道化師のそれにも似た愚直な歩きで、前へ、前へ。
槍を構えた冒険者は一歩後ろに下がった。
このままだと槍が刺さってしまうほどの距離まで冒険者は近づいてきていた。
「おい!やっぱおかしいぞこいつ!拘束しといた方が良いんじゃねぇか?!」
「……そうだな、何かしておいた方が……」
何が起こっているのかよく分からないが、少なくともろくでもないことになりそうなのを察して俺は杖を構える。トヘナは……言うまでもなく既に臨戦態勢だな。
「へ……?」
緊張した空間に突如間抜けな声が響いた。
声の出処は先程の槍を構えた男。
彼の槍の先端が、おかしな冒険者の胸に突き立っていた。
そんな、馬鹿な。
あのおかしな冒険者は自ら槍に突き刺さった、ということか?
次の瞬間、おかしな冒険者は体から力が抜けたように、その場へと崩れ落ちる。
「は……え……?」
槍を構えた冒険者は間抜けな声を漏らす。
そりゃそうだ。誰がこんなこと予想出来たのか。
どんな間抜けなら自分から槍に突っ込んで死ぬんだ。
訳が分からない。
「え、あ、いや……お、俺じゃないぞ!俺は何も……!」
「お、おう、そうだよ!なんなんだよこいつ!先発隊は何やってんだ!」
冒険者たちの間にざわめきが広がっていく。動揺。恐怖。困惑。
感情こそ様々だが、冒険者たちの心は大きく乱されていた。
それはもちろん俺達も例外ではない。
「……エテルノ君」
「あ、あぁ」
そういえばバルド達も先発隊だったはず。
今どういう状況になっているんだ。何も、分からない。
俺達のざわめきを受けて槍を持った冒険者は振り返った。
槍を持つ手は震えている。
「ほ、本当に俺じゃねぇぞ!?こ、こいつが勝手に……!」
再び槍を持った冒険者に注目が集まった時だった。
ゴボリ、と音を立てて死体の体がびくりと跳ねた。
「っっひぃ?!」
冒険者の持っていた槍に、凄まじい速度で「何か」が絡みつく。
死体の口から飛び出してきたそれは、赤黒く粘ついた体でゆっくりと槍を登っていく。流動体、とでも言うのだろうか、それは味を確かめでもするかのようにゆっくりと槍を這い上がっていきーー
「うわぁぁぁ?!」
それまで持っていた槍を離し、冒険者はこちらへと走って来てしまった。
そしてそれが、命運を分けた。
先ほどまで緩慢な動きをしていた「何か」が凄まじい速度で動き、突如膨張する。
人間の二倍にも値するのではないかと思われる凄まじい量が死体から飛び出し、
--槍の冒険者は飛び出してきた赤黒いそれの中へと消えた。
***
冒険者達がすぐに各々の武器を構える。
魔法を撃ちこむ人間も居れば逃げ出そうとする者もいるようだが……だが、皆明らかに心が乱れている。
「……スライムよ」
冒険者の一人が、ふと声を上げた。
「スライムだわ!それも特別な種類!今のダンジョンの中には魔獣は居ないんじゃなかったの?!」
スライム。粘体が厄介な魔獣だが……赤いスライムなんて聞いたことが無いぞ?
それも、ただでさえ巨大なスライムは危険なのにこいつは通常の物よりも圧倒的に素早い様に見えた。
「先発隊は何をしてるんだ……?!」
「知らないわよ!そんなことよりギルドに報告を--!」
ビシャリ、と汚らしい音を立ててスライムが分裂した。
そして、その凄まじいほどの速度で床を滑り、入り口へと走っていた女冒険者を呑み込んだ。
「出口が……!」
こうして出口が塞がれ、前後の挟み撃ちになった状態でモンスターハウス攻略は始まった。
事件はまだ始まったばかりである。