9 揺れる心 2
俺が一人で食事を作ったり、訓練をしたりする様子を、サクヤはテントの上に座ってじっと見つめていた。彼女は普段は、感情を相手に悟られないようにするいわゆる閉心術を使っていなかったが、今日はずっと心を閉ざしたままだった。俺もまだあまり得意ではなかったが、テントを出る前から閉心術を使っていた。自分の中の醜い感情をサクヤに知られたくなかったからだ。
俺は十分ほどで訓練を切り上げ、テントに戻った。飯盒からはぶくぶくと泡と湯気が出ており、もうすぐ炊き上がりだ。
〝心を閉ざしたまま術を使うには、魂交術を学ばねばなりませぬ┅┅〟
突然、頭の中に声が流れ込んできた。俺はその声を送った人物がいるテントの上を見上げた。サクヤは、硬い表情で俺を見下ろしていた。
「┅┅そうか┅┅閉心術を使っていたから、精霊が集まりにくかったわけか┅┅」
「はい┅┅されど、修一様がなさろうとされていることは、間違いではございません┅┅」
サクヤは少しうれしそうに俺の側に下りてきた。
「実際の闘いにおいては、閉心のまま術を使うことが必要になってきます。そのためにも、明日は我が師より、魂交の術を┅┅」
そのときサクヤの方から、何やら不快な感情が一瞬どっと流れ込んできたので、思わず彼女の顔を見たが、彼女の表情はむしろうれしげだった。
「┅┅しっかり学んでいただきたいのです」
「ああ、わかったよ┅┅」
俺は頷くと、飯盒を取り上げようとミトンを右手にはめて手を伸ばした。
「あ、あの、私がいたします」
サクヤはそう言うと、素手で飯盒の取手を持ち、テーブルへ運んでいった。
「おい、手は大丈夫か?やけどとかしてないか?」
サクヤは初めて見るような嬉しげな表情で、頬を赤らめながら首を振った。
「大丈夫です┅┅私は土気の精、火気では傷つきませぬ┅┅あ、あの、私の心配をして下さってありがとうございます┅┅」
「あ、うん┅┅」
俺はサクヤの感情の揺れ動きが、まったく理解できなかった。女の子がめんどくさい生き物だということは、この十四年間の短い人生でも、何度かそんな場面に出くわしたり、当事者になったこともあったので知っていたが、実際側にいて一緒に生活していると、身にしみて難しさを痛感していた。
サクヤは、うきうきした様子で俺の夕食を準備していた。
「これでは、栄養がまんべんなく摂れませぬ。明日よりは、私が食事をお作りいたします」
「い、いや、そんなことまでしてもらったら、申し訳ないというか┅┅」
「何をおっしゃいますか。私はあなた様の使霊、当然のことでございます」
(じゃあ、今まではなんだったんだ?┅┅)
思わず心の中でツッコミを入れてしまい、しまったと思ったが、もう遅かった。恐る恐るサクヤの方を見ると、彼女は真っ赤な顔でうつむいて、唇を引き結んでいた。
またやってしまったと自分を恨みながら、謝罪の言葉を口にしようとしたとき、突然サクヤが俺の方へ向き直り、深々と頭を下げたのだった。
「申し訳ございません!どうか、いかようにも罰をお与え下さいませ┅┅
また、理解できない彼女の言動に、俺は驚きの後、むなしさを感じてため息をついた。
「┅┅すまない┅┅俺には君の心がまったく分からない、理解不能なんだ┅┅なぜ、怒るのか、なぜ謝るのか┅┅君も俺が敬語を使ったとき、なぜなのかと聞いたが、俺は基本的に、君が不愉快にならないように気をつけているつもりだ┅┅それ以外に他意は無いよ」
サクヤはしばらく頭を下げたまま無言だったが、やがてゆっくりと顔を上げて俺を見つめた。
「それです┅┅」
「えっ?そ、それって┅┅」
「修一様が、私に無用な気遣いをなさることが、歯がゆいのです┅┅」
「ええっ?┅┅で、でも、そうしないと、君は怒ってばかりで┅┅」
「はい。ですから、修一様に余計な気遣いをさせたのは、私の未熟さ、愚かさゆえ、それを謝っているのでございます」
「はああ┅┅もう、どうすりゃいいんだよ┅┅」
頭を抱え込む俺に、サクヤはぐっと顔を近づけて言った。
「悩まれることはございません。これより後は、私に一切の遠慮、気遣いはなされまするな。私は修一様が何をなさろうと、何を仰せになろうと従うのみ┅┅」
「い、いや、それはだめだ。君は絶対怒る┅┅怒った君は怖いんだよ」
「いいえ、絶対に怒りませぬ」
「絶対怒るって┅┅」
サクヤは眉をつり上げたまま、じっと俺を見つめた。俺には彼女が既に怒りを我慢しているようにしか思えなかった。
「では┅┅もし、私が怒ったら、その都度罰を受けまする。いかようになされてもかまいませぬ。この命さえ、捧げまするゆえ、どうか┅┅」
そこまで覚悟を示されては、もう拒絶することはできなかった。
「分かった┅┅じゃあ、これから思ったことは遠慮無く言わせてもらう。ただし、それはお互いにだ。君も、俺が間違ったことをしたり、言ったりしたら、遠慮無く言ってくれ」
サクヤはその人形のように整った顔をほころばせて、しっかりと頷いた。
「よし、じゃあ、さっそく聞くけど┅┅この何日間か、ずっと君から嫌な感情が伝わって来ていた。最初は俺に対してかなって思ったけれど、どうも違うような気がして┅┅何か心当たりはあるかい?」
その問いかけに、サクヤの顔がさっと曇るのが分かった。彼女は目を伏せて、しばらく口ごもっていたが、やがて目を開いて俺を見つめた。
「それについては、襲名の儀が終わりましたら、必ずお話いたしますゆえ、今はどうかお許し下さい┅┅」
「┅┅そうか、分かった┅┅よほどのことなんだろう。言いたくなければ言わなくてもかまわないよ。ただ、君がずっと何かを抱えたままだと、俺もなんか気になるというか┅┅俺に何かできることがあれば言ってくれ」
「┅┅ありがとうございます┅┅そのお気持ちだけでサクヤは幸せでございます。いずれ、修一様にも関わりがあることゆえ、必ずご相談いたします」
俺は微笑みながら頷いて、それ以上詮索するのをやめた。
「さあて、夕食にすっか┅┅」
「はい。では、ご飯をおつぎします┅┅」
夕日が辺りを赤く照らす中、俺は美しい精霊の少女の笑顔をおかずに、うまい夕食を心ゆくまで楽しんだ。