5 力の目覚め 1
次の日から、俺の訓練が始まった。サクヤは訓練の内容を、『心・技・体』の三つに分けて行うと言った。『心』は、文字通り精神の鍛錬だ。三段階あって、最初の課題は、断崖と断崖の間を歩いて渡るというものだった。夜に行うという。
その日の午前中、祖母の家に行って畑仕事や薪割りを手伝い、昼食後は『体』、つまり剣や槍に見立てた木の棒を使った体術の訓練をおこなった。相手は、サクヤが近隣の妖怪たちに頼んでおいてくれていた。
サクヤに言わせると、妖怪・もののけといった者たちは、長年人の思念が染みこんだ物に自然霊が宿ったもので、人の思念に、恨み、憎しみといったものが多ければ、人に害を為すものになり、逆に愛情や尊敬といった思念が多ければ、人のために役に立つものになるという。
その夜、サクヤは俺を連れて、草原の先にある谷へ向かった。最初の『心』の鍛錬を行うためだ。谷は幅が二十メートル、深さは十二、三メートルほどだった。下を流れる渓流が月の光にキラキラと輝いている。
「心の鍛錬は、何事にも動じぬ心の強さを身につけることと同時に、精霊に心を通わせ、意のままに動かせるようになること、この二つが主なる目的と心得られよ」
「ああ、わかった」
「では、この谷をお渡りなされ」
(いきなり、すげえ難易度なんですけど┅┅本当にできるのかそんなこと┅┅いやいや、俺は精霊の王なんだ┅┅俺にはできる┅┅信じること┅┅自分と精霊を信じる┅┅信じる┅┅)
俺は数秒間心を落ち着けた後、いよいよ断崖の端へ行って、何も無い空中に右足を踏み出した。
ふわっという心もとない感触に、思わず叫びそうになった。
「もっと強く命じるのです。そして、精霊たちを信じなされ」
サクヤの声に、恐怖と疑念が消えていく。
ぐっと体重を掛けると、意外としっかりした感触が返ってきた。俺は深呼吸を一つした後、次の一歩を踏み出した。
今、俺の足は両方とも空中を踏みしめていた。なるべく下を見ないようにして、ゆっくりと歩き出す。
(ああ、感じる┅┅これが精霊たちなのか┅┅)
俺の足を支えてくれている何か温かい力、足下だけでなく、時折顔のほうまでそよ風のようなものが撫でていく。
(頼むよ、精霊たち。俺を向こう岸まで運んでくれ)
俺が信じてそう心に念じると、驚いたことに自分で歩かなくても、すーっと体が前に動き出したのである。
「浮遊術も会得なされましたね。精霊の力を使えば、このように自在に空を飛ぶこともできるのでござりまする」
サクヤが俺の横を優雅に飛びながら言った。
サクヤに言わせると、精霊とは星に満ちている陰と陽が混ざり合った生命エネルギーのようなものらしい。それが集まり、魂と結びつけばサクヤのような実体を持った生命体として生まれる。彼女が自分たちのような存在も精霊と呼ぶのは、そうした理由からだった。
ここ数日の間に、この辺りには近隣のみならず、かなり遠くからも妖怪や自然霊、死霊などが大勢集まってきているらしい。皆、新しく生まれる射矢王を見に来ているのだ。中には、人に害を為す者たちもいるらしいが、今は彼らは何もできない。なぜなら、富士山の上に存在する『陽を司る精霊の根源』(サクヤはそれをミタケノヌシと呼ぶ)が、俺を祝福するためにたくさんの精霊たちを遣わしているからだ。
精霊は、その特性によって七つの種類に分けられる。七つとは、火、水、木、金、土、光(陽)、闇(陰)である。その精霊たちを使うことができる人間も、常に一定の数生まれてくるのだという。彼らは魔術師、魔女、能力者などと呼ばれ、一般的には人々から恐れられたり、疎外されたりなど、あまり良いイメージは持たれていない。しかし、世界中の神話や伝説、あるいは歴史の中には、英雄として讃えられている者たちも多い。
そうした精霊使いたちも、多くは七つの特性のどれかを一つ、まれに二つ持っているだけだ。七つのすべてを使える者こそ、射矢王、または精霊王と呼ばれ、数百年、あるいは数千年単位でこの世に生を受ける。世界に危機が訪れようとするとき、地球を取り巻く自然霊の根源(ミタケノヌシ以外にも、別個の知性を持った同様の根源体が二体いるらしい)は、自分の元に帰って休んでいた過去の英雄の霊を再び地上に送り出すという。その英雄霊は、自分が宿るにふさわしい胎児を選んで入っていく。その際に、彼の霊から一部が分かたれて、将来彼の補佐役として仕えるべく宿命づけられた〝使霊〟も生まれる。その多くは動物や植物に宿り、特別な存在として知性と不老不死の命を授けられる。ただし、不老不死と言っても不死身というわけではない。傷が深ければ死ぬし、主人である英雄が死ねばともに死に、その霊と再び一つとなって光の根源へと帰って行くのである。