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精霊王物語  作者: 水野 精
46/46

46 一件落着

ドアを開くと、中は暗く、アルコールの匂いが漂っていた。

「カズ君、いるの?┅┅」

 優花は小さな声で恋人を呼びながら、照明のスイッチを入れた。明るくなった六畳一間のリビングには、スーパーの袋や食べ物の容器、ペットボトル、ビールなどの空き缶が散乱し、その中にまだ二十歳を過ぎたばかりに見える若者が、だらしなく寝そべっていた。


「はんとにしようがないんだから┅┅」

 優花はぶつくさ文句を言いながらも、てきぱきと片付けを始めた。サクヤとメイリーもその手伝いを始める。

「まあ、ごめんなさい┅┅ふふ┅┅ゴミが空中に浮かんで飛んでるみたい┅┅」

 精霊の存在を認めた少女は、むしろ楽しむように協力して手早く片付けを終わった。


「カズ君、カズ君てば、ねえ起きて┅┅」

「んん┅┅何だよ、っせえなあ┅┅」

「あなたに会わせたい人に来ていただいたの┅┅」

「んん?俺に会わせたい人?┅┅」

 若者は寝ぼけ眼をこすりながら、ようやく起き上がった。そして、まぶしそうに目を開いたとたん、驚いて後ろにのけぞった。

「な、何だ、あんたたちは?」

「あんたたち?ってことは、私が見えるの?」

 メイリーの問いに、若者はとまどったように目をそらし、口ごもった。


「修一様┅┅」

「ああ、驚いたな┅┅能力者じゃないのに、二人が見えるなんて┅┅」

「ははん┅┅分かったわ┅┅あなた、魂を売ったわね?」

「あ、あの、どういうことでしょうか?」

 俺は、優花に彼氏には精霊が見れること、だが彼氏は能力者ではないので、何か理由があること、そして、その理由をメイリーが知っているらしいことを話した。


「闇の者が人間をたぶらかすとき、よく使う手よ┅┅何かその人間が欲しがっているものと引き替えに、魂を貰うの┅┅いっぺんにもらうと死んじゃうから、少しずつ奪ってゆくのよ┅┅死ぬ一歩手前の状態にして、思うがままの操り人形になってもらい、さらに他の人間たちをたぶらかしてゆくってわけ┅┅」

「じゃあ、この人も┅┅」

「ええ、恐らく┅┅でも、まだ一回くらいじゃないかしら┅┅自分をしっかり保っているみたいだから┅┅ねえ、そうでしょう?女かしら?」


「お、俺は┅┅」

 若者が何か言おうとしたとき、隣の部屋の襖が開き、美しい女が薄いランジェリー姿で

現れた。

「こんな夜中に何の騒ぎ?┅┅っ!」

「おやおや、主役のご登場?」

 女は俺たちを見て明らかにうろたえ、とっさに逃げようとした。しかし、サクヤとメイリーが両側から女を捕らえ、動けないように押さえた。


「は、放してよ、私は、ただ命令されてやっただけなんだから┅┅」

「君は、精霊だな┅┅だが、俺たちの気配さえ感じられないくらいに消耗している┅┅命令したのはミタケノミズチカヌシだな?」

 精霊の女はあきらめたようにうなだれながら頷いた。

「やはりそうか┅┅安心しろ、奴はさっき俺たちが懲らしめてきた┅┅まだ死んではいないかも知れないが、しばらくは動くこともできないだろう。今のうちに逃げるんだ┅┅故郷があるんだろう?」

 女は激しく泣き出し、床にしゃがみ込んだ。


 事態が分からずオロオロしている優花に、俺はいきさつを話してやった。

「┅┅つまり、君の彼氏は、さっき俺たちが懲らしめてきた悪い精霊のボスに操られていた女の精霊にたぶらかされていたんだ┅┅」

「カズ君、本当なの?ねえ、ちゃんと説明して┅┅」

 茫然と成り行きを見守っていた若者は、諦めたようにうなだれて、それまでの経緯を語り出した。

「こっちへきてしばらくした頃から┅┅仕事がうまくいかなくて、上司には怒られ、同僚たちからもバッシングみたいなことを受けるようになって┅┅だんだん仕事に行くのが嫌になっていたんだ┅┅そんな時┅┅」


 帰宅途中の若者に、ある男が声を掛けてきた。簡単な仕事でかなりのお金が手に入るというものだった。普通なら決してそんな怪しい誘いには乗ったりしないが、仕事に嫌気が差していた若者は、つい誘いに乗ってしまった。

「┅┅マリファナを吸わされ┅┅気がついたらその女が側に寝ていた┅┅僕には記憶はなかった┅┅でも、でかい体の男に、自分の女に手を出したと脅され、殺されたくなかったら言うことを聞けって言われて┅┅」


「ああ、よくある筋書きだね┅┅まあ、悪いのはミズチって奴だけどさ、あんたの心の弱さにつけ込まれたんだよ┅┅こんな可愛いフィアンセがいるのに、もっとしっかりしなさいよ」

「メイリーの言うとおりだ┅┅ユウカさんは、君のために必死で俺を探し出し、さっきは命がけで、君が言うでかい体の男との戦いの中にいた。この人を大事にしなかったら、それこそ神様のばちが当たるよ」


 若者はまだうなだれたまま、ちらりと傍らにいる精霊の女に目を向けた。

「┅┅彼女はどうなるんですか?」

 若者が精霊の女に未練を残していることを感じた俺は、彼に言った。

「ああ、この子は精霊なんだ┅┅精霊っていうのは、どこか特別な場所やご神木なんかを守る、言わば神様みたいな存在なんだよ。この子もどこか遠いところから、あの悪い奴に騙されて連れてこられたんだろう┅┅今、君には術が掛けられているから見えているけど、普通の人間には見えないんだ。それに、もともといる場所から離れたら、霊気を取り込むことができず、やがては消滅してしまう┅┅つまり死んでしまうんだ┅┅だから、この子は俺たちが元いた場所に帰してやろうと思っている┅┅」


 若者はしばらく黙って何か考え込んでいたが、やがて顔を上げて婚約者の少女を見た。

「優花┅┅ごめん┅┅こんな僕に今までついてきてくれて┅┅でも、やっぱり僕は君にはふさわしくない男だ┅┅きっとこの先も君を不幸にしてしまう┅┅だから┅┅」

 バチンという大きな音が響き、少女の平手が若者の頬に炸裂した。

「そんな┅┅そんな卑怯な言い訳なんかしないでっ!未来のことなんか、分からないことを言い訳にしないで┅┅うう┅┅そこにいる┅┅精霊の女の人を愛してるんでしょう?┅┅だったら、正直にそう言ってよ┅┅」


「┅┅すまない┅┅許してくれ、優花┅┅」

 俺とサクヤ、メイリーは顔を見合わせてため息を吐く。まったく、男女の関係というものは、なかなか思い通りにはいかないものだ。

「ねえ、彼はああ言っているんだけど、あんたはどうなのよ?」

 メイリーがかがみ込んで精霊の女に尋ねた。さっきまで泣いていた女は、顔を上げて俺たちと若者を交互に見つめた後、こう言った。

「私は┅┅精進湖のほとりに立つニレの古木の精で、マレキノミタマノミズハと申します┅┅ミタケノミズチカヌシとは二年前に出会い、すぐに魂交の術で魂を縛られ、それ以来奴隷のように扱われてきました┅┅こんな身も心も汚れた女に、愛してもらう資格なんかありません┅┅カズヒロさん、どうかあなたを騙していた私を憎んで、忘れて下さい┅┅そして、その可愛いお嬢さんをどうか幸せにしてあげて下さい┅┅」

「ミズハ┅┅それはお前の本当の気持ちか?┅┅僕は君を愛している┅┅どうか、僕と一緒に┅┅」

 精霊の女は首を強く振って、さっきより強い口調で若者の言葉をさえぎった。

「私は┅┅私は、あの男が怖くて仕方なく┅┅あなたを愛したことなんて┅┅ない┅┅」

 若者はがっくりと肩を落とし、うめくように泣き始める。


「ユウカさん┅┅ちょっといいかな?」

 俺は少女を外へ促すと、サクヤとメイリーに精霊の女を連れて来るように言った。

 ドアの外で、俺は少女にミズハの言ったことを伝え、こう付け加えた。

「彼はしばらくは落ち込むかもしれない┅┅でも、君が側で支えていけば必ず立ち直るだろう┅┅後は君の気持ち次第だ┅┅彼を見限って新しい人生を歩き出しても、誰も君を責めたりはしないよ┅┅」


 少女はじっと下を向いて考えていたが、やがて顔を上げて晴れ晴れとした表情でこう言った。

「私、もう一度あの人とやり直してみます┅┅本当にいろいろありがとうございました」

「そうか┅┅頑張れよ┅┅ああ、うん┅┅相棒の二人も君の選択は正しいってさ┅┅それと、彼は優しいけど、心の弱いところがあるから、迷っているときは君がどんどん彼を引っ張っていくようにした方がいいって┅┅」

「はい、分かりました┅┅素敵な精霊さんたち、ありがとう┅┅どうかお幸せに┅┅」

「うん、今でも十分幸せだから┅┅ねっ、お兄様?」

「う、んん┅┅ああ、じゃあ、元気でね┅┅」

 少女が見送る中、俺たちは手を振りながらアパートを後にした。


「空がすっかり明るくなってきましたね┅┅」

「ああ、そうだな┅┅じゃあ、急いで帰るか┅┅っと、その前に精進湖へ行かないといけなかったな┅┅」

 俺は精霊のミズハを振り返った。ミズハはちらりと俺を見た後、なぜか悲しげに下を向いた。

「よく、自分の気持ちを抑えたな┅┅辛かっただろう┅┅でも、偉かったぞ┅┅」

 俺の言葉に、ミズハは驚いたように顔を上げた。

「なあに、びっくりしたような顔して┅┅皆、分かってたわよ、あなたが無理して気持ちと裏腹なことを言ってたこと┅┅よく我慢したわね」


 ミズハは新たな涙を溢れさせてその場に泣き崩れた。

「精霊は長い長い時間を生きるわ┅┅その中で、辛いこと、悲しいことを数え切れないほど経験するでしょう┅┅でも、同じくらい多くの幸せなこともあるはずよ┅┅これから先、ミズチのような男に騙されないようにして、しっかりお役目を果たしていけば、きっと新しい幸せが見つかるわ┅┅」

 サクヤの実感を込めた優しい言葉に、ミズハは何度も頷く。

「はい┅┅はい┅┅うう┅┅う┅┅」


「よし、じゃあ行こうか┅┅サクヤ、この子を乗せていってくれ」

「承知しました」

 サクヤは九尾の狐に変身し、俺とメイリーはミズハをサクヤの背に乗せてやってから、一気に空中に浮き上がった。


「兄様、競争しましょう┅┅姉様はゆっくり来ていいからね」

「はいはい┅┅ほんと、えらく大人っぽいこと言うかと思えば、やっぱり子供なんだから┅┅」

 サクヤの苦笑しながらのつぶやきも知らず、メイリーはもう弾丸のように飛び出していた。

「しょうがない奴だな┅┅じゃあ、サクヤ、先に行ってるよ」

「はい、たまにはあの子をぎゃふんと言わせてやってください」

「あはは┅┅ああ、そうするか」

 俺はそう言うと、じゃじゃ馬娘を追いかけて一気にスピードを上げていく。


「あの┅┅お尋ねしてよろしいですか?」

 サクヤの背に乗って恐々身を縮ませていたミズハが、遠慮がちに尋ねた。

「ええ、どうしたの?」

「はい┅┅新しい射矢王様のことは、風の噂で耳にしていましたが、普段からあのようにきさくで、優しいお方なのでしょうか?」

「ええ┅┅あのままのお方よ┅┅この世で一番強いのに、少しも奢らず、誰に対しても優しく

┅┅常に正しい道を歩んでいく┅┅素晴らしいお方┅┅」

「あの┅┅こんな私が恐れ多いことを申しますが┅┅わ、私も射矢王様のもとで働かせてはいただけないでしょうか?」


 サクヤは驚いて、ゆっくりと顔を後ろに向けた。

「┅┅射矢王様の使霊になりたいということ?」

「は、はい┅┅穢れたこの身で、大変厚かましいお願いとは存じますが┅┅」

「┅┅ふむ┅┅精進湖の守り神としてのお役目をしながら、ということであれば、かまわないと思うわ┅┅向こうに着いたら、私から射矢王様にお話しましょう」

「あ、ありがとうございます┅┅よろしくお願いします」


 サクヤは頷いて前を向き、今や朝日を受けて美しい姿を見せている富士山を見つめた。そして、思い出したようにこう付け加えた。

「ただし┅┅射矢王様のお子を授かろうなどという、大それた望みは持ってはだめよ┅┅それは、この私、カシワギノサクヤタニと妹の二人だけのお役目なのだから┅┅」

 穏やかな口調とは裏腹に、一気に膨れ上がった土気の巨大さに恐れをなして、ミズハは

サクヤの背に何度も頭をこすりつけるくらい深々と頭を下げるのだった。


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