42 精霊王の新しいお仕事
二千四十年、五月、新宿。
夜の街は午前零時を回っても、まだ多くの人間たちが蠢いている。あちこちの暗い路地の片隅には、麻薬に溺れた人間やそれを食い物にする売人、ヤクザ、そして様々な人生の果てに流れ着いた売春婦や不法滞在外国人、ホームレスなどがたむろしている。
そんな危険と隣り合わせの街の中を、おびえたような顔で一人の少女が歩いていた。時折声を掛けてくる酔っ払いやチンピラからなんとか逃れながら、彼女は必死にある人物を探していた。その人物は、密かにSNS上で噂になっていて、東京のあちこちに深夜になると現れるという。
なぜ噂になっているかというと、その人物が不思議な力を持っているらしいからだ。彼はわざわざ危険な場所に入っていく。すると、必ず暴れ出す人間が現れる。それは時には麻薬中毒患者だったり、ヤクザやチンピラ、暴走族だったり、外国人や浮浪者だったりする。彼はそんな危険な人間たちを、特に何をするでもなく、少し手を動かしたり、何か語りかけたりすることでおとなしくしてしまう。彼が去った後、おとなしくなった人間たちは、まるで別人になったように感謝の言葉を叫びながら帰って行くのだという。
少女はつい最近、中部地方の田舎の町から東京に出てきたばかりだった。結婚の約束をしていた同郷の若者が一年前から東京で働いているが、半年ほど前から急に変化が見え始め、心配になって様子を見に来たのだった。
案の定、婚約者はギャンブルにはまり、多額の借金を背負っていた。何やら怪しげな女の影もちらちら見え隠れする。彼女の必死の説得にも彼は耳を貸さず、むしろ近頃では酷い言葉で反発したり、暴力に訴えようとする態度まで見せるようになってきた。少女がもうこれまでかと諦め、故郷に帰ろうと思っていた矢先、故郷の友人からのSNSで、今噂になっている人物のことを知らされたのである。
少女は藁にもすがる思いで、その日から毎日深夜の都心を探して回った。そして、五日目の今日、ついにそれらしい人物と遭遇したのだった。
そこは、歌舞伎町の外れのごみごみとした路地裏の飲み屋街だった。その中の一件の店の前に、なにやら大勢の人だかりができていた。少女は恐る恐るその人だかりのそばに近づいていった。
「┅┅だからどうだってんだよォ、あん┅┅くそガキが、おいっ┅┅」
怒声とともにガラスが割れる音がして、小さな椅子が通路に飛んできた。集まっていた人だかりがあわててその場を離れていく。ところが、怒号と破壊行動はそれっきりなくなった。人々が恐る恐る店の中を覗くと、テーブルや椅子が倒れ、グラスや割れた瓶が散乱する中に、数人のいかにもヤクザといった風体の男たちが気を失って倒れていた。そして、今、太った中年のヤクザ風の男と、背は高いがまだいかにも少年といった顔つきの若者が向かい合って立っていた。中年の男はだらりと下げた右手にドスのような刃物を持っていた。
「┅┅光が見えるか?」
少年が男に問いかけた。
「┅┅はい┅┅」
ヤクザ風の男がぼんやりとした口調で答える。
「よし┅┅では、その光を目指していくのだ┅┅救いはその先にある┅┅二度と戻ってくるんじゃないぞ┅┅さあ、行けっ」
少年がそう言い終えたとたん、男は糸が切れた操り人形のようにがっくりと膝から崩れ落ちて床に倒れた。
「これで、もうこの男につきまとわれることはないはずです」
少年は店の奥に向かってそう言った。すると、カウンターの陰から和服を着た女性と仕事着を着た男性が出てきて、少年に向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございました┅┅何と御礼を言っていいか┅┅」
「いや、これが仕事ですから┅┅それより、お店がずいぶん壊れちゃって、すみません┅┅」
「いいえ、店は直すことができます┅┅不治の病から救われたと思えば、なんでもありません┅┅本当にありがとうございました」
二人がまた頭を下げる中を、少年はそそくさと外へ出て行く。野次馬たちは、さっと分かれて道を空け、何か恐ろしいものを見るように無言で少年を見送った。そこへ、パトカーのサイレンの音が聞こえてきて、少年が消えた道の先辺りで止まった。
「あ、あの、すみません┅┅」
少年の後をつけていた少女は、長いこと迷ったあげく、勇気を振り絞って声を掛けた。
少年は笑いながら振り返って、少女に言った。
「声を掛けるか掛けないか、ずいぶん迷っていたようだね?」
少女は後をつけていたことを知られて赤くなりながら、頭を下げた。
「申し訳ありません┅┅あ、あの、どうしてもお願いしたいことがあって┅┅」
「俺にできることであればいいよ」
「ありがとうございます┅┅実は┅┅」
少女は恋人のことを包み隠さず告白した。
「なるほど┅┅ちょっと待っててね┅┅」
少年は彼女の話を聞き終えた後そう言って、しばらくの間、何やら横を向いてごちゃごちゃと独り言を言いながら、まるで側に人がいるように、視線を右や左に向けていた。
「ああ、お待たせしました┅┅ええっと、結論から言うと、君の抱えている問題は、俺には解決できない┅┅というのも、俺が扱っているのは、死霊や生き霊などによる霊障というやつなんだ。君の彼氏は、霊に取り憑かれているわけではないので、俺にはどうすることもできないんだよ、ごめんね┅┅」
少年の答えに、少女はがっくりと肩を落とし涙を流し始める。
「ああ、わかったよ┅┅わかったから┅┅ああ、その┅┅君┅┅」
少年は立ち去ると思いきや、何か言いながら少女の肩に手を置いた。少女は、涙に濡れた顔を上げて、自分より年下に見える少年を見上げた。
「ええっと┅┅俺の相棒たちが┅┅といっても、君には見えないんだけどね┅┅ここにいるんだ、二人┅┅どっちも女の子でね、君の話を聞いて、どうしても助けたいって言うんだ┅┅これから、その彼氏の所へ一緒に行っていいかい?」
何か狐につままれたような気分で、少女は頷いた。




