41 新たな旅立ち
日本に帰ってまた普通の中学校生活を送るのだと思っていた俺を、思いがけない知らせが待っていた。
「えっ、一年間の留学?┅┅しかも、六カ国を回るだって?」
無事に再会できたことを喜び合ったのも束の間、両親から見せられた内閣官房局からの書類に、俺は愕然となった。
「断りましょうよ、修ちゃん。父さんと母さんが官房長官に直接言いに行くから┅┅ねえ、お父さん」
「ああ、お前ばかりがそんな苦労をすることはないんだからな┅┅」
いったいどんな目的があるのか、それが書かれた書類はそこにはなかった。ただ、国際文化交流親善特別大使の任命状と一年間の大まかなスケジュール表、そして一週間後に、国際文化交流センターの会議室に来るようにという書面とセキュリティカードのようなものが封筒に入れられていた。
「んん┅┅今度は何をさせたいんだろう?サクヤ、どう思う?」
サクヤは怒ったような顔で書類を見ていたが、俺の問いに首を振った。
「まったく分かりません┅┅お父様とお母様がおっしゃっているように、断っていいのではないかと┅┅」
「サクヤちゃんは何て?」
「ああ、彼女も母さんたちと同じ意見だよ┅┅ただ、何か目的があるはずなんだ。それを聞いてから判断すべきだと思っている。とにかく、一週間後行ってみるよ。俺以外の者でもできる内容なら、断ってくるから┅┅」
とりあえずその場を収めてから、俺は自分の部屋に上がっていった。
「なんで六カ国なんだろう?」
ベッドに横になりながら、改めて概要が書かれた紙を眺めた。
「アメリカ、ブラジル、フランス、ケニヤ、インド、オーストラリア┅┅んん、つながりがまったく見えてこないな┅┅」
「また、妖魔が現れて、悪さを始めたのでしょうか?」
「んん┅┅いや、それならわざわざ国際文化交流親善特別大使なんて、仰々しい名前は必要ないだろう┅┅それに、六カ国同時に妖魔が襲うってのも考えにくいし┅┅」
結局、謎は解けないまま一週間が過ぎ、俺たちはバスと電車を乗り継いで都心に向かった。そして、国際文化交流センタービルの会議室で、官房長官の秘書と宮内庁神祇局首席神祇官から話を聞く中で、ようやく今回の留学の目的が明らかになったのである。
いきさつから大まかに説明すると、次のようなことだった。
宮内庁神祇局は、俺たちの動向や状況を各国の支部から情報収集しようとしたが、ほとんど情報は得られなかった。結局、首席神祇官がミタケノウチノツカサに直接会いに行って、ようやく事の顛末を詳しく聞くことができたのであった。
官房長官は今回の俺たちの任務について、首席神祇官からの報告を聞き、事態の重大さを改めて痛感したという。ルクレール一味による世界経済の混乱は、なおも尾を引いており、世界中の国に大きな傷跡を残した。俺たちが妖魔を倒さなかったら、どれほどの危機が世界を襲ったか想像もできなかったのだ。
官房長官は、さっそく首相とも相談して今後の対策に取り組むことにした。そのための第一歩として、世界六カ国にある宮内庁神祇局支部の強化充実と各国との連携協力を強化
することを決めた。その最初の取り組みとして、俺とサクヤに六カ国の支部を回ってもらい、強化のための方法と意識改革を教授して欲しいというのだった。
「┅┅できれば、その国の宗教界のトップとも会ってもらい、光の組織との連携強化をお願いして頂けたらと思っています。各国の大使館や領事館には全力でサポートするように伝えます。どうかご無理なお願いとは承知の上で、日本国のため、ひいては全世界の平和のためにお引き受け下さいますよう、お願いいたします」
「本来なら、この身が陣頭で指揮を執らねばならないところですが、ご覧のような老いぼれでお役に立つとは思えません。射矢王様には誠に御不興とは存じますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます」
官房長官の第一秘書と宮内庁の首席神祇官が、中学生に頭を深々と下げるのは前代未聞のことだったろう。それだけ、政府も本気だということだ。
「┅┅このお役目を引き受けるとき、俺は自分の命を捧げるとヌシ様に誓いました┅┅ですから、ヌシ様のご希望ならどんなことでもやるつもりです。首席神祇官にぜひお願いしたいのですが、こういう大事なことを決めるときには、ヌシ様のお考えをまず聞くようにしていただけませんか?それを政府の方たちで検討して政策や予算を決めてもらいたいのです」
「はい、誠に仰せの通りです。ただ、残念なことに、すべての人間がヌシ様の存在やそこにおられる使霊様の存在を見たり信じたりできるわけではございません。現に、宮内庁の中でも、我らを無駄金使いと公然と批判する輩もおります┅┅」
「政府内も同じです。大半の政治家や官僚は、今回の事件について詳しく説明しても信じないでしょう┅┅」
「┅┅ですから、これは秘め事として、一部の者たちで伝え守っていくしかないのです。もちろん、歴代の神祇官はミタケノウチノツカサ様からお聞きしたヌシ様の御意志を、その都度首相や側近に伝えるようにしております」
「なるほど┅┅分かりました。そのお役目、引き受けましょう┅┅」
秘書と首席神祇官はテーブルに額がつくほど頭を下げて感謝した。恐らくこれを手始めに、これからもいろいろな計画が作られ、俺もそれに関わることになるだろう。つまり上手く利用されている感じだったが、世界平和のためと言われれば断るわけにもいかなかった。
こうして俺たちは三ヶ月後、最初の訪問先であるアメリカを皮切りに世界六カ国を回る旅に出発した。文化交流という名目だったので、国際文化交流事業団が選んだ伝統工芸や芸能などの個人や団体が同行した。俺は名目上、神道について講演する宮内庁の職員の助手ということになっていた。一つの国に約二ヶ月滞在する中で、文化交流事業は各地を巡回して行われたが、俺は日本大使館にずっとこもりっきりだった。世界六カ国にある宮内庁調査部は、そのほとんどが日本大使館か領事館の中に本部を置いていた。だが、フランスにあるヨーロッパ支部を除いて、他の国の組織はあまりにも貧弱だった。
まず、宮内庁から派遣された職員の意識が低く、ほとんど何の活動もしていない場合が多かった。俺とサクヤは、こうした職員の意識改革から始めねばならず、最初のうちは上手くいかず二人であれこれ悩む毎日だった。しかし、その苦労のかいがあって、二カ国目のブラジルからは、やり方や要領が分かってきて、上手くいくようになった。
調査のためには、能力者がいることが必須条件だ。しかし、どの国でも能力を持ち、しかも世界平和に貢献したいという気持ちを持つ人間を見つけるのは容易ではなかった。職員の意識が低いのも、そこに原因がある場合が多かった。俺はそのために、できるだけサクヤ同伴でその国の教会などに足を運び、信心深くしかもサクヤの姿が見える人間を探した。その結果、アメリカでは四人、ブラジルでは二人、ケニア、インドではそれぞれ一人ずつ、オーストラリアでは二人の新たな職員を発掘することができた。
ヨーロッパ支部は、職員の人数が多すぎることが問題だった。そこで、支部をもう一つ作って人数を分けることにした。幸い、シモーヌの父親が、シモーヌの護衛ということを条件に、屋敷の中に立派なオフィスを建ててくれ、ここが第二支部となった。大喜びしたのはシモーヌで、彼女も能力者としてこの支部の準職員に登録された。
「長いようで、あっという間の一年だったな┅┅」
「ええ、本当に┅┅でも、たくさんのことを学びました┅┅私にとってはとても充実した一年間でした」
オーストラリアでの最後の夜、俺たちは打ち上げパーティの会場からこっそり抜け出して、公園のベンチで語り合っていた。夏が始まったオーストラリアはまだ明るく、散歩する人たちも多かった。
「うん、俺も新しい発見がいくつもあった。一番驚いたのは、世界には悪霊や闇の気に影響されている人がたくさんいるということだ┅┅妖魔でなくても、これはどうにかしないといろいろな悪影響を及ぼすと思う┅┅」
サクヤも真剣な顔で俺の話に頷いていた。実際、各国を回る中で、俺たちは何度もそうした悪霊や妖魔を呼び寄せそうな陰の気の充満した場所に出くわして、人に知られないように処理したことがあった。中には、国の中枢にいる人間や宗教界の重鎮が悪霊に取り憑かれていたり、陰の気を溜め込んでいる例もあった。
「┅┅だから、俺は妖魔の侵攻がない平和な期間に、そうした危険な種を見つけて取り除く仕事をしたいと思う┅┅まだ具体的なやり方は考えていないけれど┅┅」
「素晴らしいお考えです、ぜひやりましょう」
サクヤはそう言って、俺の首に抱きついてきた。甘い花の香りとともに柔らかな唇が俺の唇に重ねられていく┅┅。通りがかる人たちには、まだ若い東洋人の少年がベンチに座って、エアーキスのような変てこなパフォーマンスをしているように見えたに違いない。




