30 もう一人の妖魔
「┅┅ち┅┅さ┅┅ま┅┅しゅう┅┅さま┅┅修一さま┅┅」
白い光が見える。何度かまばたきをして、ようやくそれが白い天井だとわかった。
「あああ┅┅修一様┅┅よかった┅┅よかった┅┅ううう┅┅」
まだぼんやりとした意識の中で、サクヤの声が聞こえてくる。必死に首を声のする方へ向けようとしたが、何かに固定されているのか動かない。それでも、視界の中に俺の顔をのぞき込むようにして泣いているサクヤの顔がようやく入ってきた。
〝サクヤ┅┅ここはどこだ?┅┅〟
〝はい、マルセイユの病院です。シモーヌ様のお父様が手配して下さって、修一様を車でここまで運んで下さったのです〟
〝そうか┅┅シモーヌは無事だったんだな┅┅よかった。┅┅俺はどのくらい寝ていたんだ?〟
〝今日で三日目です┅┅とても酷いケガで┅┅右の胸に穴が開き、肺の一部がなくなり、血管が破れて出血が多く┅┅医者はもう助からないと諦めていました┅┅でも、シモーヌ様は必ず助けると、ご自分も血を提供されて┅┅〟
実際、俺は死の淵をさまよっていたらしい。ところが、医者たちを驚かせたのは俺の異常な回復力だった。手術後一日も待たずに傷はふさがり、破壊されたはずの右肺が新しい組織を作り始めた。そして、二日目には肺がほぼ復元し、集中治療室から出されて普通の病室に移されたのだった。これも精霊王に与えられた力なのか、サクヤに問うと、彼女は少し考えてからこう言った。
〝はい、確かに修一様には精霊の力が働いています。ただ、今回はそればかりではないように思われます┅┅これほど早い回復には他の要因もあるかと┅┅〟
〝他の要因?〟
〝はい┅┅これは推測ですが┅┅シモーヌ様のお力ではないかと┅┅〟
〝シモーヌの┅┅そうか、彼女の中の光の精霊が俺に力を┅┅〟
〝はい、恐らくは┅┅彼女の血が修一様の体に流れ込むことで、より精霊の力が働いたのだと思われます┅┅それと┅┅彼女もやはり能力者でした┅┅〟
〝えっ、本当か?でも、彼女はあの男に取り憑いた妖魔に気づかなかったんだぞ?〟
〝はい┅┅これも推測ですが、妖魔に触れたことで、彼女の眠っていた力が目覚めたのではないかと┅┅〟
〝ああ┅┅なるほど┅┅俺と同じか┅┅スイッチが入ったんだな┅┅しかし、そうなると、ますます妖魔たちにとって彼女の存在は目障りになるだろうな┅┅〟
サクヤは睫毛に残っていた涙を指で拭いて頷いた。
〝心配かけたな┅┅初めての実戦だったとはいえ、油断した┅┅次はちゃんとやるよ〟
サクヤはまた唇を震わせながら首を横に振った。
〝私が早く手助けしておれば、このようなことには┅┅〟
〝いや、一人でやると言ったのは俺だ┅┅奴の力を見くびっていた。でも、これで奴らがどれくらいの力を持っているか、ある程度分かった┅┅俺も、まだ修行が足りてないってこともな┅┅次の戦いでは、サクヤに大いに頼らせてもらうよ、よろしく┅┅〟
〝はい、お任せ下さりませ〟
美しい精霊の少女は、ようやく笑顔になってしっかりと頷いた。
さて、その頃、クウェートに向かった竜騎と沙江は周到に張り巡らされた警備網に阻まれて、なかなかジョルジュ・ルクレールのもとにたどり着けないでいた。
二人は日本大使館の協力を得て、日本人学校の転校生としてクウェート市街に潜入した。そしてすぐにルクレールの別荘へと向かったのだが、途中の町や油田施設の検問所には見張りの使い魔やハッサンの息が掛かった私兵たちが警戒していて、危うく正体を見破られそうになった。
「んん┅┅陸からも空からも行けないとなると、海からか?」
「無理ね。港は特に警戒が厳重なはずよ」
「だったら、どうするってえの?まさか、地面を掘って行くって言うんじゃないだろう?」
「いいえ、そのまさかよ┅┅」
思わず大声で叫びそうになって、竜騎はあわてて自分の口を押さえた。日本人学校の昼休みに、多くの生徒はラウンジや校庭の木陰で昼食やティタイムを過ごしていた。竜騎と沙江も校舎の隂でサンドイッチとカップ入りのチャイで昼食を摂りながら、今後の作戦を話し合っていた。イサシとゴーサは、使い魔たちに見つからないように、人間の姿になって宿舎の部屋に待機していた。
「おい、冗談はやめろよな。誰が何十キロも穴を掘るってんだ?」
「誰も私たちがやるとは言ってないでしょう?┅┅」
沙江はそう言うと、チャイを一口飲んでから続けた。
「フランスの方の成り行きも気になるから、今夜イサシを修一様のもとへ行かせるわ。あちらがすんだら、なるべく早くこちらへ来ていただく┅┅」
「お、おい、まさか射矢王様に穴掘りをさせようって言うのか?」
「もう、馬鹿ね、そんなことするわけないじゃない┅┅サクヤさんよ。彼女は土気の精霊だから、地中に道を造るくらい簡単なはずよ」
竜騎は改めて感心したように沙江を見つめた。
「完全に忘れてた┅┅何度も言うけどよ┅┅沙江、お前ってほんと頭いいな┅┅」
「大事な情報を整理して記憶しているだけよ┅┅難しい問題を解決するときには、関連した情報をたくさん集めた方が早く解決できる┅┅名探偵と言われる人は、たいていそういう風に事件を解決してるのよ」
「俺たちいつから探偵になった┅┅」
その日の夜、市街のビルの屋上から黄金の鷲が西に向かって飛び立っていった。港を見張っていた使い魔がそれに気づいたが、ルクレールの別荘とは反対の方角だったので、そのまま見逃したのだった。
一方その頃、ルクレールは専用のヘリコプターを使ってバクダッドに来ていた。郊外の砂漠の中に、今は誰も訪れない古代の神殿跡があった。
「エリ、サパス、キリ、ウ、ディア┅┅」
ルクレールはフード付きのマントを被り、崩れた神殿の一角で低く呪文を唱えた。すると、地面に黒い光の紋章が現れ、彼を地下へと吸い込んでいった。そこは、クウェートの別荘とは違う、もう一つの彼の住処だった。
「グスタン┅┅何か報告はあるか?」
広い地下空間には、最近造られた妖魔の祭壇があり、その脇に数人の黒マントの人間が
立っていた。
「もうお聞き及びかと思いますが、フランスでレフィクルが光の者と交戦し消滅いたしました┅┅」
「ああ、それは聞いた┅┅あの馬鹿め、あれほど慎重にやれと忠告したのに┅┅他には?」
ルクレールは祭壇の奥の玉座に座り、いらいらした様子で言った。
「はい、先頃不審な日本人の子供二人が、お屋敷の近くの検問所で目撃されております」
「子供?なぜ、不審なのだ?」
「使い魔が、かすかに精霊の気を感じたとのこと。念のため調べさせたところ、その二人は最近日本から来た者たちで、日本人学校に入学したとのことでございます」
「ふむ┅┅子供のうちは霊力の強い者がよく見られる┅┅さほど気にすることもあるまい┅┅それより、フランスでレフィクルを倒した者はその後どうしている?」
「その者もかなり傷を負ったようで、マルセイユの病院に入院しております」
「そうか┅┅よし、今が好機かもしれん。我は明後日天山におもむくぞ」
それを聞いて、周囲の黒マントたちは一斉にどよめき、妖魔を讃える唱文を声高らかに




