27 シモーヌ
「シモーヌ┅┅シモーヌ・ルクレール、院長がお呼びです。すぐに、院長室へ行きなさい」
「あ、はい、分かりました、シスター・サマリエ┅┅」
病院から退院した次の日、シモーヌ・ルクレールは通っている聖フランシス修道女学院で、昼休みに院長室に呼び出された。
修道女の服を基にしたグレーと白の制服、豪華なプラチナブロンドのウェーブした髪、それらがスカイブルーの瞳と共に、少女にどこか現実離れした雰囲気をまとわせていた。
院長室のドアの前に立ったシモーヌは、自分の背より高い所にあるドアノックに手を伸ばして、三回ノックした。
「シモーヌ・ルクレールです」
「入りなさい┅┅」
「失礼します」
シモーヌが重いドアを押して中に入ると、正面の院長席には修道女の服を着て眼鏡を掛けた六十前後の太った女性が座って少女を迎えた。そして、女性の横には、すらりとした長身で黒いスーツを着た若い男が立っていた。
その黒髪の男を見た瞬間、シモーヌは体に電気が流れたような衝撃を受け、心臓が高鳴り始めた。
「体の具合はどうですか?シモーヌ┅┅」
「あ、は、はい、もう大丈夫です┅┅」
「そう┅┅それは良かったわ┅┅あなたのお祖父様もご自分のことより、あなたの心配をなさっておられたそうよ┅┅」
祖父のことを言われて、シモーヌは表情を曇らせてうつむいた。院長はそれが祖父を案ずる気持ちの表れだろうと解釈し、優しい声で続けた。
「┅┅それでね、お祖父様があなたに新しい護衛の人を付けるよう手配されたのよ。ここにおられるレフィクル先生が今日から送り迎えされるわ」
シモーヌは驚いて顔を上げ、改めて黒髪の若い男を見た。男は一見映画スターのようにハンサムで、その青い瞳はシモーヌの体の内側まで見通すかのようにクールで鋭かった。
「初めまして┅┅モネール・ド・レフィクルです。どうぞよろしく」
「ど、どうも初めまして┅┅よろしくお願いします┅┅」
シモーヌは高鳴る胸を抑えながら、頬を染めて挨拶を返した。
モネールは新任の数学の教師として学院に勤めるかたわら、シモーヌの登下校の護衛役として彼女を車で送り迎えするようになった。前任の護衛は専門のガードマンで、道中の車の中でもほとんど会話することはなかったが、モネールは話もうまく、シモーヌの好みを知っているかのように面白い話題で彼女を楽しませた。十二歳の少女が、初めての心ときめく恋に落ちるまで、さほど時間は掛からなかった。
「ねえ、ねえシモーヌ、レフィクル先生とはどうなの?進展はあった?もうキスしたの?」
「や、やめてよ、もう┅┅先生はわたしを送り迎えして下さるだけなんだから┅┅」
「ふふん┅┅そんな子供じみた言い訳、通じると思ってるの?じゃあ、あたしが先生を誘惑しても文句は言わないのね?」
「べ、別にいいわよ┅┅好きにしたら┅┅」
シモーヌは友人にからかわれて動揺しながらも、強がってそう言い残すと、門の外へ走り去っていった。その門から少し歩いたところに公園がある。モネールはいつもその公園の脇道でシモーヌを待っていた。
「お待ちいたしておりました、マドモアゼル┅┅さあ、どうぞ┅┅」
シモーヌははにかみながら、車の後部座席に乗り込む。
「あ、あの、先生┅┅」
「ん、何だね?」
「┅┅今日は、うちでお茶を飲んでいかれませんか?も、もし良かったら、勉強も少し見て頂きたくて┅┅」
「ああ、いいですよ┅┅どんなお勉強がいいですかねえ┅┅」
そのとき、シモーヌは何か不快なものが体の中に流れ込んでくるのを感じた。最近何度か感じることがあったが、その原因は全く分からなかった。いずれにしても、初めての恋に浮かれていた少女には、そんなことは些細なことに過ぎなかった。
広い屋敷の門に入ったところで、いつものように犬がけたたましく吠える声が聞こえてきた。
「もう、ルブランったら、いつになったら慣れるのかしら┅┅」
少女の愛犬で白いラブラドールは、二階の彼女の部屋の窓から飛び出すような勢いで、激しく吠えていた。車を玄関の手前で止めるとき、モネールは憎々しげに二階で吠える犬をにらみつけたが、すぐに微笑みを浮かべて車から降りた。彼は後ろのドアを開いてシモーヌに手を差し伸べた。
「さあ、どうぞお嬢さん┅┅っ!」
そのとき、モネールがびくっとして辺りを鋭く見回すのと、ルブランが一段と激しく吠え始めたのはほとんど同時だった。
「せ、先生?」
「あ、ああ、いや、何でもないよ┅┅」
モネールは手を引っ込めてそう言うと、まだ何か気になる様子で辺りを見回した。
「┅┅シモーヌ、今日はちょっと用事を思い出してね。お茶は次の機会にするよ、すまない」
「い、いいえ┅┅いいんです。急にお誘いしたのが悪いんですから┅┅で、では、今日はこれで失礼します。ありがとうございました┅┅」
「ああ、では、また明日┅┅」
モネールはまるで何かに追われているかのように、そそくさと帰って行った。遠ざかっていく車を見送りながら、シモーヌは切ないため息を吐く。そして、玄関に入る前に二階を見上げると、さっきまでけたたましく吠えていた愛犬が、今は精一杯尻尾を振って彼女を見下ろしていた。
「もう┅┅ルブランのばか┅┅」




