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精霊王物語  作者: 水野 精
22/46

22 サクヤの心

「あれ?真っ暗だな┅┅確か電灯は点けたまま寝たはずだが┅┅」

 目を開けると、そこは何も見えないひんやりとした空間だった。普通ならぼんやりと周囲の壁や本棚などが見えるはずだが、どうも辺りに何もないように思えた。

(ああ、これはまだ夢の中だな┅┅いやにはっきりしているが、周りの様子が普通じゃない。

それに┅┅これはベッドじゃない┅┅)

 俺は自分が座っている場所を手で触ってみて確信した。いったいこの夢は何なのか。それを確かめるために、俺は立ち上がった。とりあえず歩いてみる。地面でもない、固いアスファルトでもない、何か空中を歩いているような頼りない感じだった。


 不意に前方がぼんやりと明るくなった。俺は急ぎ足でそこへ向かった。だんだんと光は大きくなり、何か色あせた風景のようなものが見えてきた。やがて、俺はその古ぼけた写真のような風景の中に入っていった。

(ここはどこだろう?記憶にはない、初めて来た場所だ┅┅)

 そこは周囲を深い森で囲まれ、たくさんの花々が咲き乱れる草原のような場所だった。なぜ夢の中にこんな知らない風景が出てくるのか不審に思いながら、腰近くまで伸びた萩や薄、女郎花、桔梗などが咲き乱れる中を歩いていった。


「┅┅ああ┅┅あ┅┅御師匠様┅┅」

 突然聞こえてきた女の声に、俺の心臓はどくんと大きく高鳴った。それは確かに聞き覚えのある声だったからだ。俺は声のした方へ草花をなぎ倒しながら急ぎ足で歩き出した。

「んん┅┅あああ┅┅お慕いいたしております┅┅御師匠様┅┅」

 声はすぐ近くから聞こえているのに、行けども行けども草の波が続くばかり┅┅俺はいつしか息を荒げ、こみ上げてくる涙をこらえながら夢中で歩き続けていた。

「おや?誰か来たようだぞ」

 ついに、草の波が途切れ、俺は空き地になった場所に飛び出した。そこは周囲二十メートルほどの円形で草が刈り取られ、干し草となって敷き詰められた場所だった。そして、そこに衣を敷いて全裸で絡み合ったひと組の美しい男女がいた。


「┅┅サ、サクヤ┅┅」

 俺の声に、男の胸に顔を埋めていたまだ幼い少女が、ちらりとこちらを見た。

「ほお?そなたのことを知っているこわっぱのようじゃが、誰じゃ?」

「さあ┅┅知りませぬ┅┅薄気味の悪い┅┅早うどこへでも立ち去れっ!」

 サクヤの目は嫌悪に満ち、氷のように冷ややかだった。

「あははは┅┅残念だったなこわっぱ┅┅これは我の女じゃ┅┅この世に二人といない極上の、我だけの宝じゃ┅┅ふひひひ┅┅さあ、今一度夢を見ようぞ、カシワギ┅┅」

「はい┅┅一度と言わず、何度でも┅┅存分に可愛がって下さりませ┅┅」

 ミタケノミズチカヌシとサクヤは、もう俺のことなど眼中になく、再び蛇のように絡み合って狂おしい声を上げ始めた。

「┅┅やめろ┅┅サクヤ┅┅やめろったら┅┅やめろおおおっ!」

 俺は絶望に包まれて叫ぶことしかできなかった。目の前の光景とそこで泣き叫ぶ自分の姿が次第に遠ざかっていき、やがて暗闇の中に消えた。


 俺はベッドの中で目を覚ました。あわてて起き上がって周囲を見回す。今度は間違いなく自分の部屋だった。

(くそっ┅┅なんて夢だ┅┅いったい、なんだってあんな夢を?)

 ほっとため息を吐いた後、汗に濡れたシャツを着替えるためにベッドから下りた。胸くそが悪くなる夢だったが、いやにリアルだったことが気になった。


〝サクヤ、いるか?〟

 シャツを着替えた後、心の中で使霊の少女に問いかけた。

〝はい、どうかなさいましたか?〟

〝どこにいるんだ?〟

〝屋根の上で見張りをしております〟


 俺は、部屋の窓を開けて出て行った。星たちがはっきりと見える良く晴れた夜だった。サクヤはどこか寂しげな顔で、屋根の上に浮かんでいた。その姿が見えたとき、俺の胸は先ほどの夢の中のようにどきどきと高鳴り始めた。

「┅┅あの┅┅ちょっと聞きたいことがあるが、いいか?」

 俺はサクヤの側の屋根瓦の上に下りて座りながら言った。

「┅┅はい、どんなことでしょうか?」

 サクヤはいつになく固い表情と声で答えた。

「ええっと┅┅普段は俺たち、閉心術を使って、お互い無駄な感情を相手に伝えないようにしているだろう?┅┅」

 サクヤは無表情で小さく頷く。

「┅┅でも、寝ているときはどうなんだろう?┅┅ほら、た、例えば夢を見ているときなんか、相手にも同じ夢が伝わって見えるとか┅┅」

「いいえ、さすがに夢の中身までは知ることはできません┅┅ですが、夢で恐怖や怒りなど激しい感情に襲われたときなどは、その感情が伝わってくることがあります┅┅」

「そうか┅┅実は、さっきまで、とても嫌な夢を見ていたんだ┅┅」

 

 俺の言葉に、サクヤは俺から目をそらしてうつむいた。

「┅┅あの┅┅気づいておりました┅┅とても嫌な感情が伝わって来て┅┅心配になって、修一様がお休みになっている近くまで行きました┅┅そしたら、修一様が寝言で私にやめろ、とおっしゃって┅┅ゆ、夢の中でまで、私は修一様に嫌な思いをさせているのだと思って┅┅」

 サクヤはそう言うとさらにうつむいて泣きそうな顔になった。

「ああ、いや、サクヤ┅┅君は今大きな誤解をしているよ┅┅たぶん┅┅」

「誤解?」

 俺は頷くと、思い切って正直に、先ほど見た夢のことを話した。


 サクヤは真剣な顔で俺の話を聞いていたが、途中から狼狽し始め、夜目でも分かるほど顔が赤くなっていった。

「ま、まあ、そ、そのような夢を┅┅ああ┅┅なんということ┅┅」

「┅┅すまない┅┅嫌なことを思い出させて┅┅でも、自分でもなぜそんな夢を見たのか、分からないんだ┅┅記憶にない風景が夢に出てくるなんて、初めてだったし┅┅」

 サクヤは何か迷っているような様子で、もじもじ手を動かしている。

「┅┅散歩に行かないか?」

「えっ┅┅あの┅┅」

 俺は空中に浮かんであてもなく飛び始めた。サクヤはあわてて後をついてきた。


 今何時なのか時計は見てこなかったが、まだ市街地は明るく、自動車の行き来も多かった。逆に、右手の奥多摩の方は暗く、夜空が明るく感じられた。俺はその市街地から離れた郊外へ向かって飛んでいった。人に見られないように十分に高度を上げて、ほんのり一筋光って見える多摩川に沿ってしばらく進んでいった。

「降りるぞ」

 俺は横を飛んでいるサクヤにそう言うと、ゆっくり高度を下げていった。降り立ったのは、川沿いにある林の中だった。周囲に人家はなく、川のせせらぎだけが聞こえてくる。

林を抜けたところにある小さな河原まで無言のまま歩いて行った。


「こうして、あてもなく二人で歩くのは初めてだな┅┅」

 俺は立ち止まって後ろにいる精霊の少女に言った。

「さっきの夢のことだけど┅┅あれ、君の記憶の中にある風景なんじゃないか?」

 サクヤはうつむいてしばらく黙っていたが、やがて顔を上げて俺の側に歩み寄ってきた。

「┅┅はい┅┅おそらく、そうだと思います┅┅なれど┅┅」

「ああ、中身の方は、俺の心の中から出てきたものだろう┅┅でも、君の記憶が僕の意識の中に入り込んできたということは┅┅まだ、君はあの男のことを┅┅」

 俺は心の中に燃え上がろうとする嫉妬の炎を必死に抑えながら言った。すると、サクヤは俺の前に回り込んで、真剣な表情で俺を見つめた。

「違います┅┅私がお慕いしているのは修一様だけ┅┅信じて下さりませ┅┅」

「┅┅じゃあ、なぜ、あんな記憶が┅┅」

「そ、それは┅┅」

 サクヤは急に赤くなって目をそらし、口ごもった。


「サクヤ┅┅本当に今のままでいいのか?俺は、君を幸せにできるのか?」

 俺の言葉に、今度は少女の顔が怒りの表情に変わった。

「では、私もお尋ねします。修一様は、本当に私が使霊で良いのですか?私は修一様を幸せにできるのでしょうか?」

「俺は┅┅」


 俺はサクヤから離れて、砂と小石の地面に座った。

「┅┅自分が幸せになる未来なんて想像できないんだ┅┅何が幸せなのか、それさえもよく分からない。ただ、自分の周囲の人が皆幸せになって欲しい┅┅不幸になって欲しくない┅┅だから、さっきの君の質問の答えは┅┅君が幸せなら、俺も幸せだということだ┅┅」

 サクヤはなぜか唇を震わせて泣きそうな顔で、俺の側に座り込んだ。

「私は┅┅私は、幸せではありませぬ┅┅」

「┅┅そ、そうか┅┅」


「だから、私を幸せにして下さりませっ!」

 鬼のような形相で迫る精霊の少女に、俺は思わず後ずさりした。

「私は┅┅淫らな、穢れた女でございます┅┅いつも心の中で、修一様と魂交の儀をいたしたいと、そのことばかり考えております┅┅それが、修一様の心にまで入り込んでしまい、恥ずかしくて┅┅また、あなたに嫌われたと思って┅┅なれど、もう嫌われても構いませぬ┅┅私の幸せが、修一様の幸せなら┅┅私を幸せにして下さりませっ!」


 かつて、大陸の夏という王国をその色香によって滅ぼした妖魔、妲己。その妖魔の魂を半分宿しているサクヤは一般の女性より性欲が強いと、ミタケノウチノツカサ翁から聞いていた。俺の使霊でありながら、ミタケノミズチカヌシの毒牙に掛かって、むしろ自分から肉体の快楽を求めたのも、それが原因なのだろう。そのサクヤが今、抑えきれない欲求の矛先を俺に向けている。


俺にはむろんまだ彼女の裏切りを許さず、ここで彼女を拒否するという選択肢もあった。だが、そうすれば、彼女はこれから先本当の心を隠し続け、表面的には俺に従っても何かをきっかけにまた裏切ることがあるかもしれない。彼女を完全に支配下に置いてくためには、彼女の持つあり余る性欲を十分に満足させられる主人でもあらねばならないのだ。しかし、まだ、そんな経験が全く無い俺にできるのだろうか。


「わかった┅┅ただし、魂交の術ではなく、人間のやり方でやる、いいな?」

「はいっ」

 サクヤはとたんに無邪気な笑顔になって大きく頷いた。

「こ、ここじゃ、服が汚れるし、背中も痛いから┅┅家に帰ろう」

 俺は赤くなった顔を隠すようにそう言って、空中に浮かび上がる。サクヤもにこにこしながらすぐ後に続いた。

 


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