21 自宅にて
留守中に母がやってくれたのだろう、きれいに整頓され掃除された部屋に入り、エアコンを点けると、そのままベッドに倒れ込んで深い眠りの中に引き込まれていった。
目覚めたのはもう夕方だった。いつの間にか、きちんとベッドに入りタオルケットにくるまっている。母かサクヤがやってくれたに違いない。まだぼーっとした頭のまま、階下へ下りていった。何やらダイニングルームからなごやかな声が聞こえてくる。父も帰ってきているようだ。
「父さん、お帰り┅┅」
「おお、ただいま┅┅元気そうだな?」
「うん┅┅でも、短期間でいろんな事があったから、少し疲れたよ」
「まあ、そりゃあそうだろうな┅┅父さんたちもびっくりだよ┅┅」
「今、昼間の修一の話を父さんにもしていたところよ。それに、サクヤさんのことも┅┅」
サクヤは台所で母の作る料理を熱心に見ながら、ときどき俺の方に微笑みを送っていた。
「しかし┅┅本当にいるんだな、見えないだけで┅┅修一は、小さい頃からそういう世界が見えていたんだ┅┅ずいぶん辛かっただろうな、信じてもらえなくて。すまなかったな、本当は父さんたちが一番に信じなくちゃいけなかったのに┅┅」
俺は父の向かいの椅子に座って、微笑みながら言った。
「しかたないよ┅┅見えないものを信じろと言っても、そりゃ無理な話だからね。それに、サクヤみたいな精霊は、こんな形で人に関わる事なんてめったにないから┅┅」
「そうだな┅┅」
父はごく平均的な考えを持つ、ごく平均的なサラリーマンだ。その息子が、世界の平和に関わる使命を持って生まれたなどという話は、にわかに信じがたいし、信じたくないというのが本音だろう。
「それで┅┅お役目とかいうのは、どんなことをするんだ?」
「うん┅┅俺も初めてだし、詳しいことは分かんないけど┅┅ミタケノウチノツカサっていう、ええっと、神様の使いのようなおじいさんなんだけど┅┅その人が言うには、アジアとヨーロッパを含めた大陸、つまりユーラシア大陸のあちこちで、今、闇のエネルギーが大きくなっているらしい┅┅闇というのは悪魔と言い換えてもいいと思う。大陸のどこかに、悪魔の世界とこちらの世界をつなぐ穴みたいなものができていて、そこから闇のエネルギーが流れ出しているらしいんだ┅┅それと、その穴から何体かの闇の戦士┅┅まあ、向こうの世界の俺たちみたいな奴らだと考えていいと思う┅┅そいつらが出てきて、この世界に入り込んでいるらしい。奴らはそのままでは、光の世界で長くは生きられない。だから取り憑きやすい人間を選んで取り憑く┅┅」
俺がそこまで話したところで、台所から夕食のコロッケやサラダの器を持って母とサクヤが出てきた。二人は器をテーブルに置くと、座って父と一緒に俺の話を聞き始めた。
「その、取り憑きやすい人間って、やっぱり悪人とかかな?」
「いや、そうとは限らないから厄介なんだ┅┅人間の心には誰にでも闇の部分がある。これは、人間が光と闇の融合から生まれたから、もともと持って生まれたものだと言える┅┅仏教なんかでは、これをカルマ、業と言い、キリスト教では原罪と呼んでいるね┅┅それで、この闇の部分が大きい人間ほど悪魔たちにとっては住みやすい体ということになる┅┅それは決して犯罪者とは限らないよ┅┅強欲、怒り、憎しみ┅┅こうした負の感情にとらわれた人間なら、誰でも悪魔に取り憑かれる可能性がある┅┅」
そこまで言ったとき、俺は、母の横に座ったサクヤが悲しげにうなだれているのを見た。
「┅┅というわけで、父さんの質問に対する答えは、一つは大陸のどこかにある穴を探し出して塞ぐことで、もう一つは悪魔に取り憑かれた人間を探し出し、悪魔をその人から追い出して退治すること、これでいいかな?」
「あ、ああ、分かりやすかったよ┅┅でも、聞くだけで大変そうだな、大丈夫なのか?」
「ああ、世界中に俺たちを助けてくれる仲間はいるし、バックには日本政府がついているんだ、大丈夫だよ」
俺は両親を安心させるために明るい声でそう言ったが、本当は自分でも不安でいっぱいだった。
「さあ、ご飯にしましょうか。サクヤちゃんが手伝ってくれたのよ、ほんと助かったわ」
「ああ、じゃあ俺、ちょっと手を洗ってくる┅┅サクヤ、ちょっといいか?」
サラダを皿に取り分けていたサクヤは、頷いて俺の後から部屋を出て行く。
「なぜ、さっきはあんな悲しそうな顔してたんだ?」
洗面所に入った俺は水道のコックをひねりながら、背後に立つサクヤに尋ねた。
「┅┅昔のことを少し思い出していました┅┅私も妲己という名の娘に取り憑いて、夏という国の王族たちをたぶらかし、殺し合いをさせました┅┅」
流れ出した水をいったん止めて、サクヤの方へ向き直る。
「┅┅そうか┅┅でも、それは生まれ変わる前の君だ。生まれ変わるってことは、その前の自分が死ぬってことだよ┅┅君は魂に刻まれた記憶のせいで、まだ最初の自分のことを気にし、そのことにこだわっている┅┅」
「はい┅┅どうしても自分の中に、汚れた妖魔が住んでいるような気がして┅┅」
「ああ、そうかもしれない┅┅」
サクヤは驚いたように顔を上げて俺を見つめた。
「だからどうだっていうんだ?全部そのせいにして逃げるのか?」
「い、いいえ、そんなつもりでは┅┅」
「俺の中にだって┅┅醜い心はたくさんあるさ┅┅でも、それに負けるつもりはない┅┅誰でも同じなんだよ┅┅一番大事なことは、自分に負けないってことだ、違うか?」
「はい、その通りです。申し訳ございませんでした」
その場にひざまづいて頭を下げるサクヤに、俺は手を差し伸べて言った。
「今が┅┅そして、これからが大事なんだ┅┅過去のことは気にするな」
サクヤは顔を上げてしっかりと頷き、俺の手を取って立ち上がった。
「あーあ、柄にもなくカッコイイことばかり言って、なんか疲れたよ┅┅俺ってこんなキャラじゃないんだけどな┅┅」
「キャラ?」
「ああ┅┅キャラクターって英語なんだ┅┅ええっと、日本語で言うと┅┅個性?分かるか?」
「個性┅┅人それぞれが持つ性質ですか?」
「うん、まあそんな感じ┅┅サクヤもだいぶ現代語がうまくなってきたけど、もう少しだから、頑張れな」
「はい、言葉を覚えるのは楽しいですし、得意ですから┅┅」
俺はサクヤの顔を間近に見て、思わず鼓動が高鳴り始めるのを感じ、握っていた手を慌てて放した。サクヤはとたんに悲しげな表情でうつむいた。
「あ┅┅ええっと┅┅か、母さんたちが待ってるから、行こう┅┅」
「┅┅はい」
俺はタオルで手を拭いて、そそくさとダイニングへ戻っていった。サクヤは叱られた犬のようにうなだれて、俺の後をついてきた。
食事を済ませた俺は、風呂に入ると、早々に二階の自分の部屋へ引き上げた。サクヤは両親につかまって、質問攻めに遭っていた。
自分の部屋に入ると、明かりも点けずにベッドに寝転んだ。何かこれまでのことが、すべて夢だったのではないかと思えてくる。だが、実際はこの家で両親と過ごすのもあと一日だ。任務に就いたら、恐らくもうここに戻ることはないだろう。なぜなら、非常に高い確率で俺は死ぬだろうと思うからだ。不思議と恐怖心はない。何かそれが当たり前のように感じるだけだ。ただ、それはとても空虚な安らぎだった。
「小谷修一┅┅お前の人生って┅┅はは┅┅は┅┅なんか寂しい人生だったなぁ┅┅」
誰にも見せたことがない、見せてはならない弱気が、不意に外に出てきた。なぜか涙まで次々に溢れてきて止められなかった。そして、いつの間にか俺は眠ってしまったらしい。




