12 サクヤのいない朝
その日、俺は昨日の疲れからか遅い時間に起きて、寝ぼけ眼をこすりながらいつものように草原の先にある谷川へ向かった。
草原の端から坂道を下っていくと、森から流れてくる渓流のせせらぎが聞こえてくる。俺はここで毎日顔を洗ったり、訓練の後は水浴びをしたり、また飲み水として汲んでいくこともあった。
「あっ、修一だぁ、お早う、修一ィ┅┅」
この清らかな渓流には、ミナセという名の水の精霊が住んでいる。ミナセという名は俺がつけた呼び名で、本当の名はやたらと長くて覚えるのが面倒なので勝手にそう呼ぶことにしたのである。
「やあ、お早うミナセ┅┅」
ミナセは水の中から顔を半分出して、何やら辺りをきょろきょろ見回している。
「どうしたんだ、ミナセ┅┅?」
「カシワギは?いないの?」
今まではいつも俺の側にはサクヤがいて、ミナセが俺に甘えようとすると睨まれたり、怒られたりしていたのだ。
「ああ、いないよ┅┅」
ミナセはちょっと不思議そうな顔で俺を見ていたが、サクヤがいないということで、水の中から飛び出してきて、さっそく俺の背中におぶさり、ひんやりとした腕を首に巻き付けた。
ミナセは精霊といっても少し特別な存在で、遠い昔からこの川で溺れて死んだ多くの子供たちの霊と精霊が融合した、妖怪に近い存在だった。ただ、十分に浄化された子供達の霊は本来なら成仏して自然霊の根源へと帰るはずなのだが、川を守るという役目といざという時に精霊王の要請を受けて役目を果たすために、知性と体を与えられたのである。
俺はミナセを背負ったまま、冷たい水で顔を洗い、喉を潤した。
「ああ、うまい┅┅」
「修一、水の中で遊ぼうよ、ねえ、遊ぼう┅┅」
「あはは┅┅朝っぱちから泳ぐのか?そうだな┅┅昨日は体も洗ってないし、風呂代わりに水浴びするか」
俺はその場で服を脱ぎ捨て、大喜びの水の精霊と一緒に、氷水のように冷たい川の中へ入っていった。
白い浴衣のようなものを着たミナセは、自由に水の中を移動することができた。川の流れもまったく関係なかった。不思議なことに、ミナセに手を引かれて水に潜った俺も、彼女のように水の抵抗をほとんど感じることなく動くことができた。
「はああ┅┅気持ち良かったあ┅┅全身がさっぱりした気分だ」
「ふふ┅┅修一だいすき┅┅」
「ああ、俺もミナセが大好きだぞ」
「うれしいい┅┅すき、すき┅┅修一┅┅」
ミナセは寝転んだ俺の上で体をすり寄せながら、いきなり唇を重ねてきた。あまりに突然のことで、俺は茫然としながらひんやりとして柔らかい少女の唇を感じていた。やがて、小さな舌がおずおずと俺の口の中に入ってきた。と同時に、ミナセの体がふわりと俺の体を包み込むような感覚が襲ってきた。次第にその感覚は全身に広がっていき、俺とミナセの体が溶け合って一つになっていくようだった。
その時、俺はこれが魂交の術ではないかと思いついた。確かに、これに性交が加われば、
身も心もとろけるような快感に違いない。はまってしまうのも無理はなかった。
「┅┅ミナセ、もうやめるんだ┅┅」
俺はしがみついた少女を何とか引き離してそう命じた。
「┅┅でも、まだ交わりやってないよ┅┅」
「それは、まだお前には無理だ┅┅もっと、体が大きくならないと┅┅」
「あたし、これ以上大きくはならないよ┅┅」
俺は頭を抱えてしまう。どうすればこの無邪気な水の精霊を納得させられるのか、懸命に考える。
「カシワギに怒られる?」
「あっ、ああ、そう、そうだぞ┅┅カシワギが怒ったらとっても怖いぞ」
それを聞くと、ミナセはしゅんとなってようやく俺から離れた。
「┅┅ミナセの気持ちはとても嬉しかったよ」
俺は小さな少女の頭を優しく撫でてやった。
「┅┅修一はこれから射矢王様になって、遠くに行っちゃうんでしょう?もう、ここには帰って来ないんでしょう?」
水の精霊の少女は、その大きな目から水晶のかけらのような大粒の涙をぽろぽろとこぼしながら言った。思わずかがみ込んでその小さな体を抱きしめた。
「必ず帰ってくるよ┅┅」
「ほんとに?」
「ああ、本当だ、約束する┅┅」
少女はようやく涙を拭って笑顔を見せた。
「明日の儀式には、ミナセも来てくれるんだろう?」
「うん、行きたいけど┅┅まだ、お知らせが届いてないんだよ┅┅」
「お知らせ?」
少女は頷いて、手で大きな木の葉のような形を描いて見せた。
「こんな形の葉っぱで、川の上の方から流れてくるの┅┅読み終わると、ぱって光って消えちゃうんだ」
「へえ┅┅そうやって精霊たちに情報が届くんだな┅┅じゃあ、空を飛ぶ精霊には、葉っぱが空を飛んでやって来るのかな?」
「うん、そうだよ┅┅フウロたちがそう言ってた┅┅」
「そうか、分かった┅┅じゃあ、お知らせが届いたら来てくれよな」
「うんっ、行くよ」




