16 対ベヒモス
巨獣ベヒモスは大きな口を開けて雄叫びを上げた。
といっても、目の前にいるアリウェル騎士団や冒険者達を威嚇するような雄叫びじゃない。
巨体のベヒモスからしてみれば人間なんぞ蟻と同等だろう。きっと雄叫びを上げたのは先にあるアリウェルランドを破壊しに行くぞ、と宣言するようなモノだったのだろう。
西門前に集まっていた騎士団やベテラン冒険者達が抜刀したが、ベヒモスは構わず前進を開始。
太く短い脚を一歩前に踏み出すだけでドスンと大きな音と振動が起きる。
その一歩だけでまだ魔獣との戦闘に慣れていない初心者冒険者は恐怖を覚えた。
しかし、迫り来る相手を前に恐怖しているだけでは勝利を掴めない。
「土魔法を使える者はベヒモスの足に向けて壁を作れッ! なるべく侵攻を妨害するのだッ!」
普段のイベント戦では戦闘開始後に口を出さないガイストであるが、今回ばかりは別なようで。
巨体に戸惑い、どう攻めてよいか困惑するベテラン冒険者達、恐怖して怯える初心者冒険者達に道筋を示すように指示を出した。
彼の叫び声を聞き、我に返った冒険者達。魔法使いである者達はワンテンポ遅れ、土魔法を取得している者全員がベヒモスの足元へ魔法を放つ。
初心者魔法使いの放った魔法は石の塊を飛ばすものであった。しかし、ベヒモスの巨体と厚い皮膚は高速で飛んでいく石の塊が当たろうともビクともしない。
ベテラン組はベヒモスの足の前、進行方向に土の壁を作った。高さは5メートル弱、ベヒモスの足一本の丁度半分程度の高さである。
壁を作って相手の進行を邪魔する、といったアイディアは悪くない。だが、これだけの巨体を持つ巨獣はそれ相応のパワーを秘めているのだ。
「ガアアッ!」
足を持ち上げ、壁を踏みつけるベヒモス。魔法で盛り上がった土の壁はメキメキと音を立てて、壁には亀裂が生まれる。
「おいおい……」
「まじかよ」
踏みつけ。ただの踏みつけである。それだけでベテラン冒険者達が協力して作った土の壁は崩壊した。
稼げた時間は精々5秒くらいだろうか。生半可な魔法では足止めにもならぬと現実を知る冒険者達。
「諦めるなッ! 何度も行えば時間は稼げるッ!」
呆気に取られ、茫然とする冒険者達を鼓舞するようにガイストの叫び声がフィールドに木霊した。
「ちくしょうが!」
「やったらぁ!」
ベテラン冒険者の証拠として、それぞれが個性豊かなローブに身を包む魔法使い達は自分が最も得意とする魔法を放つ。
風の塊を大砲の弾のように撃ち出す者。枝分かれする雷を放つ者、ファイアーボールよりも遥かに巨大な炎の弾を放つ者。
土魔法を取得している者は引き続き壁を作って。
誰もが全力で、気合を込めた声と共に魔法を放った。その全てがベヒモスに直撃する。
だが、攻撃が効いている気配は全く無い。
「足止めしている間に撃獣槍を腹の下まで運び、撃つしかないッ! 勝利の鍵は魔導兵器だッ!」
ガイストが勝利する為の方法を叫ぶ。運ぶのは生命力が少しでも高い近接系のジョブに就いている者が行うのが良いだろう。
それは誰にでも思い浮かぶことだ。
しかし、運べと言われてもあの巨体の下に潜り込む事など出来るのか。近接系ジョブの者達が抱く感想はそんなところだろう。
誰が先陣を切るか。お互いに顔を見合わせていると、1人の冒険者が名乗りを上げた。
「クソッタレがッ! やってやんぜ!!」
己に喝を入れるように叫び、並んでいた魔導兵器を担ぐ男。スキンヘッドで厳つい顔をした、山賊が着ているような毛皮の装飾を施した鎧を着用している者だった。
「転送しても戻って来れるんだからよッ!」
何度だってやってやるさ、そう言わんばかりに筒型の魔導兵器を肩に担いで駆け出す。
「うおおおおッ!」
魔導兵器を肩に担いでいるものの、走る姿はラグビー選手のような力強さがあった。
ただ、やや重い魔導兵器を担いでいるせいでスピードがイマイチである。
「援護せよッ!」
ガイストの指示に従って、魔法使い達は走り出した男を援護するべく魔法をベヒモスへ放つ。
顔を中心に狙いを付けて真下まで駆けて行く冒険者から気を逸らすように。
放った魔法はベヒモスの巨大な顔に着弾すると属性毎に色とりどりの着弾エフェクトを見せた。
「ぬおおおお!」
「よっしゃ、行ったぞ!」
気を逸らす事が出来たのかは定かではないが、スキンヘッドのベテラン冒険者は確かにベヒモスの真下まで潜り込んだ。
見守っていた者達からは歓声が上がる。
「どこだ!? ここか!?」
腹の下、心臓部を穿てと言われてはいたが、日本にこんな巨大生物は存在していない。
勿論、図書館に置いてあるような生物図鑑にも詳細な骨格図や内部構造を描いた絵など乗っているわけがない。
ただ、心臓部付近に行くとボタンの機構に掛かっていたロックが解除される。それを目印にしろ、と言われただけだ。
「いけっ!!」
故に彼は筒の発射口を上に向けて、LEDランプらしき光が赤から緑に変わったのを確認すると側面にあった大きなボタンを掌で押し込む。
押した瞬間、発射口には青白い光が収束した。
「ああん?」
槍など出ない。聞いていた話と違うぞ? そう言いたげに男はベヒモスの真下で首を傾げた。
「どわあああ!?」
が、次の瞬間には発射口から魔法の巨大な槍が発生する。間近で魔導兵器の起動を見た男は驚きで後ろへ飛び退いた。
発生した青白い魔法の巨大槍は『ドン』と腹の下から突き上げるような槍が直撃すると、しばしベヒモスの巨体を浮かすほどの威力を見せた。
腹の下では青白い巨大槍がベヒモスの腹を突き破ろうと、直撃箇所を削るようにバチバチ火花を散らす。
「グオオオ!」
スキンヘッドの冒険者が上げた悲鳴よりもワンテンポ遅れて、ベヒモスも悲鳴のような声を上げた。
が、ベヒモスの悲鳴が鳴り止むと同時に魔法の巨大槍は消失。浮いた巨体が重力に引かれて落ち始める。
「へ?」
という事は、下にいた冒険者はどうなるのか。もう既にお気付きだろう。
「あああああッ!? うそだろおおおお!?」
これがゲームの中であれば、ぷちゅんと効果音が鳴っただろう。
落ちてきたベヒモスの下敷きになった冒険者は潰れてしまう。彼の生命力は一瞬でゼロになって転送された。同時に魔導兵器も潰れて壊れてしまった。
だが、問題のベヒモスは地面に伏した状態になって動かない。
「やったのか?」
目を閉じて沈黙するベヒモスを見た冒険者の1人がそう呟くが――ベヒモスは閉じていた目を開けるとゆっくり立ち上がる。
再び立ち上がった巨体を見つめる冒険者達。今までアリウェルランドしか見ていなかったベヒモスの目が、今度こそ冒険者達へ向けられた。
ようやく彼等を認識したのか。それとも有象無象の抵抗に怒り狂ったか。
怒りに満ちた目を見せながら、ベヒモスの口がガパリと開く。
「いかん! 退避だッ!!」
ガイストの叫びに焦りが滲む。騎士と兵士達は慌てて魔導兵器を担ぎ、西門の前から左右に散って行く。
彼等の動きを追うように冒険者達も慌てて走り出した。
「グオオオオオッ!!」
ガイストの指示は正しかった。口を開けたベヒモスは口から風のブレス――圧縮した風の塊を撃ち出してきたのだ。
轟音と共に撃ち出されたブレスは真っ直ぐ地面を抉るように進み……。
「うわああああ!?」
逃げ遅れた大多数の冒険者がブレスの軌道に巻き込まれ、光の粒子になって消えて行く。もう少しでブレスの射線から抜けそうだった冒険者も、掠っただけで転送されてしまった。
もしも、セーフティが無かったら彼等は肉塊になって死んでいただろう。
人を一瞬で粉砕するブレスが西門に直撃すると、門の中心が衝撃でぐわんと歪む。若干、くの字に曲がった門はメキメキと音を立てて亀裂が入った。
破壊はされなかったものの、あと一撃食らえば壊れてしまうだろう。それは誰の目に見ても明らかだった。
「半端ねえ……」
「直撃喰らったら10回分は死ぬだろ……」
ブレスの威力にドン引きする冒険者達。
巻き添えで死んだ冒険者の中にはベテラン達も多く含まれており、例え何度も参戦できると言っても相手が放った初めての一撃だけで味方の被害は甚大である。
足の遅かった者、気付くのに遅れた者を中心に200人以上の冒険者が転送地点に送られた。
戦線に戻って来るとしても数分は掛かるだろう。それまでは減った人数で凌がねばならない。
「おいおい! 足が速くなってねえか!?」
しかも、ベヒモスの進行速度は見るからに上がっている。撃獣槍の一撃で相手を怒らせてしまったからか。
「いかん! このままでは到達されてしまうぞ!」
ガイストの顔には先程までと同じく焦りが見えた。このままでは数分後に門へ到達して、崩壊寸前の門を突き破って内部へ到達してしまうだろう。
「クソ! 俺が行く!」
「勝利ポイントの為だ!」
「ビビってる場合じゃねえ! 受付嬢のお姉さんに褒めてもらうんだッ!」
だが、この状況で燃え上がる冒険者達も確かに存在した。
明らかにピンチであるが最後まで足掻こうとする姿は冒険者という存在に相応しく、近接系ジョブのベテラン冒険者は魔導兵器を肩に担ぎ始めた。
「やったらああああ!!」
魔導兵器を担いだ総勢12名の大激走が始まる。
「我々も足止めを行うぞッ!」
ガイストは兵士と騎士、遠距離攻撃を行えぬ冒険者達に集まるよう指示を出す。
彼の周辺に冒険者達が集まると、部下である騎士に指示を出した。
騎士と兵士達が門の方へ駆けて行き、壁の付近で何か操作するとレバーが出現。それを引くと壁の上にあった通路には大砲のような魔導兵器が出現した。
遅れて他の兵士達が折り畳み式の梯子を担いで壁に向かい、壁の上にある大砲まで行けるよう道を作る。
「手の空いている者は大砲まで向かって、騎士と兵士に協力してくれ!」
ガイストの指示を受けて、遠距離攻撃が出来ぬ者達は梯子を上っていく。壁の上には大砲のセットアップする騎士と、それを補助する兵士達。
「冒険者の皆さんは後ろにある筒を運んで下さい!」
大砲に装填するのは太くて重い筒状の何かだった。男でも2人で運ばなければならぬ程の重さであったが、冒険者達は男女問わず協力して筒を大砲の傍まで運んでいく。
「大丈夫? 持てる?」
「はい、大丈夫です」
「うん。平気よ」
運搬係の中にはサトシとまひろ、咲奈3人の姿が。3人は壁の上で出来る事をしようと必死に作業を進める。
壁の上で足止めの準備を進めている間、地上ではガイストと共に残った魔法使い達が魔法を撃つ準備を完了させた。
「撃てええええ!!」
剣をベヒモスへ向けたガイストの叫びと同時に魔法使い達の一斉射がなされた。
魔法使い達の中にはサトシとパーティーを組むツトムの姿もあり、様々な属性の魔法が束になってベヒモスの頭部へ命中する。
彼等が放った魔法が着弾するも、ベヒモスの顔に傷はない。だが、ギロリと大きな瞳が魔法使い達に向けられる。
前回と違って、今回は本当に足元付近にいる冒険者達から気を逸らす事に成功したのだろう。成功した、という事は魔法使い達の攻撃を受けて、ベヒモスが彼等を認識して注意を向けたという事である。
すると、どうなるか。
「ガアアアッ!」
再びブレスを撃とうと口を開けたのだ。口の中に風をチャージするように、周辺の空気がベヒモスの巨大な口に収束していく。
巨大な風の塊が口の前に生成され、魔法使い達へお返しとばかりに放たれた。
逃げようとする魔法使い達だが、もう間に合わない。全員死んで魔法使い組は崩壊するかと思われたが……。
彼等の前に飛び出したのは騎士団長ガイストであった。
彼は首元から掛けて鎧の中に収めていた円形をした銀製のタリスマンを引っ張って、チェーンを引き千切りながら取り出した。
それを迫り来るブレスへ掲げるとガイストは背に隠した魔法使い達を守るように障壁を発生させる。
「くッ! ぐううう!! 女神アリウェルよッ! どうかッ!」
力を貸してくれ、そう願うかの如くガイストはタリスマンを掲げてベヒモスのブレスを受け止めた。
しかし、ガリガリと削れるように障壁が小さくなっていき、やがてガイストの体を傷つけ始める。
タリスマンにヒビが入ると同時にガントレットが砕けて弾け飛んだ。体を覆う鎧も所々が砕け、破片を撒き散らしては風に乗って飛んでいく。
それでもガイストは苦しそうな表情のまま脚を踏ん張って、ズルズルと後ろに下がって行くのを耐えた。
「ガッ! はぁ、はぁ……!」
ブレスを完全に受け止め、障壁が消えると同時にブレスも消失。
ガイストは明らかに疲労困憊の状態で鎧もボロボロの状態であった。
「行け……! 行けえええ!!」
しかし、彼の目にはベヒモスまで到達した冒険者の姿があった。
「起動!」
「起動する!」
先に到達した2人が撃獣槍を起動して、ベヒモスの腹に魔法の巨大槍をお見舞い。すると、一撃目と同様にベヒモスは悲鳴のような鳴き声を上げて体を浮かせた。
「よっしゃ! 腹にヒビが入った!」
真下にいた冒険者はベヒモスの硬い皮膚に亀裂が入ったのが確認できた。歓喜の声を上げ、後続の冒険者がトドメを刺してくれる事を祈ったが……。
「ガアアアッ!!」
怒り狂ったベヒモスは体を浮かせながら吼え、顔を下に向けると亀のように首を伸ばした。
ベヒモスにとっては若干ばかり首が伸縮するだけだったかもしれない。だが、巨体故に人間からしてみれば随分伸びたと感じられる。
「はっ!?」
「嘘だろおおお!?」
首を伸ばし、顔を下から上に。まるでゾウの鼻が地面を抉るような、そんな挙動を空中でやってのけた。
後続の冒険者が上下に動いた顔を直接食らう事は無かったが、抉り取って飛ばした地面が巨大な土の塊――まるで人が放つ土魔法のようなスピードと威力が接近を続けていた冒険者達を襲う。
「ぎゃあああ!」
「あ、ちょ、うわああ!?」
魔導兵器を担いでいた冒険者達は土の塊を受けて吹き飛ばされてしまい、生命力を鍛えていなかった者はその威力に負けてしまう。
辛うじて生き残った冒険者も数十メートルは吹き飛ばされて、ガイストと魔法使い達がいる付近まで地面をバウンドしながら転がった。
真下にいた冒険者2人は巨体の下敷きになり、生命力がゼロになって転送されてしまう。
「ガアアアアッ!」
それどころか、更に怒りを増したベヒモスはすぐに立ち上がると、地面を抉るように前足を動かした。
抉った地面を蹴飛ばして、まるで津波のような土の塊がボロボロのガイストと魔法使い達がいる場所まで飛んで来る。
「ぐうう!!」
ガイストは大剣を盾にして身を守り、辛うじて立っていられる状態に。
土の津波を受けた魔法使い達の中には当たり所が悪く死亡してしまう者、半身土に埋まってしまった者など続出。
「ギギャアアア!!」
更にはベヒモスの攻撃は一度だけじゃなく、2度、3度と土を飛ばす攻撃を繰り返した。
「ガアアアッ!」
最後のトドメ、とばかりに3度目のブレスを放つ。
放ったブレスは門の中心には当たらず、アリウェルランドを覆う壁の右側に激突。
「うわああ!?」
直撃を受けた壁が大きく揺れる。壁の一部を崩壊させ、上の通路で大砲を構えていた騎士と兵士、準備を手伝っていた冒険者の一部が内側へ落下していった。
加えて、転送されて戦線に戻って来た冒険者達の中にも運悪く射線上にいた者もいて再び転送されてしまう始末。
怒涛の連続攻撃に多くの被害が出てしまい、前線は崩壊したと言ってもいいだろう。
「ああ……!」
ブレスの直撃を免れた壁の上にいた騎士や兵士、冒険者達が絶望するような声が漏れる。
鍛え抜かれたベテラン冒険者達はほぼ全滅。魔法使い達も先ほどの攻撃でほとんどが転送された。
楯突く有象無象を蹴散らしたベヒモスは侵攻を開始。
「時間稼ぎは出来るが、一度きり……。どうするか……!」
大砲を構え、ベヒモスを見やる騎士が言う通り足止めは可能だった。
だが、攻撃を受けて大砲の数が少なくなってしまった事もあって門到達までに行える足止めは1度きりが限界。
さらに、問題は勝利するための決め手である。
冒険者達が担いで行った魔導兵器は壊れるか、攻撃によってどこかに吹き飛んでしまった。
恐らくはあと一撃。あと一撃で撃破できる。
「あれは……!」
が、このタイミングで壁の上にいたサトシが地面に転がる魔導兵器に気付いた。
場所は壁の真下。
サトシの他にも数名が転がっている魔導兵器に気付いたようだが、誰も動く気配はなかった。
諦めたのか。それとも怖気づいたか。
「ちょっと行ってくる!」
他人任せにせず、勇気を出したサトシはまひろと咲奈に告げて動き出す。
「あ、田中さん!?」
まひろの声を背中に受けながら、サトシは梯子を降りて行くと魔導兵器を回収。
筒型の魔導兵器は土で汚れているものの、赤いランプが光っていて壊れてはいなさそうであった。
「よし……!」
サトシは魔導兵器を担ぐと前を向き、怒りに満ちた鳴き声を上げるベヒモスに向かって走り出した。




