ここはどこだ?
「はいろう様……。」
追い出されることは回避できたが疑問が増えてしまった。はいろう様なんて聞いたことがない。拝廊、灰狼、牌楼?思いつく言葉を並べてみるがそこから結び付けられるものはなかった。だがこの村ではかなり広まっているらしく、よく聞いていると周りの話し声の中にその名前が確認できた。
「はいろうさまって、どんなひとなんだろうね。」
「わかんない、だれもみたことないらしいよ。」
「みんなをすくってくれるんだって、かあちゃんがいってた。」
子どもたちですら“はいろう様”を知っている。俺はただでさえよそ者なのに、こんな要素まで追加されると本気で困る。だが村人と話すきっかけは得られた。俺は意を決して談笑する子どもたちに声をかけた。
「ねえ、はいろう様って、誰に習ったの?」
「おぼえてないの?きょーそさまがみんなにおしえてくれたんだよ。」
「やまのうえのきょーそさまがおしえてくれた」
「みんなしってるよ。おにーさん、へんなの。」
「教祖様か……。」
一人考え込む俺を見てさすがに訝しんだのか、子どもたちもどこかへ行ってしまった。
はいろう様に教祖様、間違いなく宗教がらみだが、やはり何も分からない。
「誰もはいろう様を見たことがないって言ってたな。伝承すらないのか?」
なんだか怪しげな新興宗教に近づいている気がしてならないが、今はこれに頼るしかない。
「いや待てよ、電話貸してもらえばいいじゃん。他に頼れるもんあったわ。」
今更ながらそれに気づき、すぐそばにあった家を訪ねた。よそ物としての不安はあったが、何故か俺を奇異の目で見る人がいないことと、村人と少し話したことのおかげで気が楽になっていた。
「すみませーん、どなたかいらっしゃいますかー。」
インターホンが見当たらなかったので戸を叩きながら問いかける。出てきたのは若い女性だった。彼女もまた最近では見ないような格好をしている。
「どうかしましたか?」
「えーと、ちょっと電話を貸してもらいたくて。」
「ああ、いいですよ。どうぞ。」
携帯を持っていないことを疑問に思われるかと予想していたのだが、意外にも明るい返事を貰えた。
「っと、これは。」
案内された先には黒電話があった。この村はレトロブームでも起こっているのかと想いつつ、自宅の番号をダイヤルで入力していく。とにかく親にだけでも連絡しておかなければ。
――音が鳴らない。何も聞こえない。
「……っ⁉」
そんなはずはない、番号は間違えていなかった。俺はもう一度かけ直したが結果は変わらなかった。もう一度、もう一度……。
「あの、大丈夫ですか?」
「……は、はい。」
しびれを切らして女性が話しかけてきた。怪しまれないように平静を装って答えたが、さすがに声が上擦ってしまう。
どういうことだ。繋がらないはずはない。どうする。どうやって帰る。どうやって
「もし何かお困りなら、教祖様をお尋ねになると良いですよ。私も初めて来たときはそうしました。」
「あ、あなたはこの村の人ではないんですか?」
「ええ。半年ほど前に、光来村のことを知って移住してきたんです。はいろう教に入信して救ってもらうために。」
「以前はどこに?」
「広島です。」
「……失礼ですが、どうして救ってもらおうと思ったんですか?」
「――10年前のあの日、私は家族をみんな亡くしてしまったんです。日本が戦争なんてするから……。あれからずっと何をするにも苦しくて、辛くて。でもここに来てからは少し楽になりました。私と同じ境遇の人にも出会えて。きっとはいろう様のおけげです。」
「……そうですか。語ってくれてありがとうございます。」
「あなたもきっと救われますよ。なにせ今日は、はいろう様が降臨なさる日なんですから!」
「降臨?」
「ええ、はいろう様が皆を苦しみから解き放つために降臨なされる。それが今日この日、この村なのだと教祖様がおっしゃっていました。」
「それは、楽しみですね。では俺はこれで。」
若干強制的に話を終わらせて家を出る。気がつくと空はもう夕暮れ色になっていた。
彼女のおかげでいくつかの謎が溶けた。ここは過去の世界だ。彼女が言った戦争はおそらく第二次世界大戦。それが10年前だから今は1955年か。彼女のように外からやってきた人が何人もいるから、よそ物の俺を怪しむ人はいなかったんだ。俺の家に電話が通じないのもここが過去だからだ。
「ただ……みつきたりよ村と言っていたか?そんな村存在したのか?今俺がいるのは、本当に俺が知っている日本なのか?」
さらなる手がかりを探すためには教祖に会ってみるのが一番手っ取り早い。不安が膨らみ続けるが他に道はない。