第10話 異世界へ(4)
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梨里香はリュックからお気に入りのファンタジー小説『Meet You Again』を取り出し、紫苑とともに読み始める。
ふたりで一緒にこの小説を読むとどうなるのか、確かめてみるために。
だが、いつもの場所以降は白紙と化している。文字ひとつ書かれてはいなかったのだ。
紫苑の、「どういうことだ」という問いかけにも、梨里香は返す言葉がなかった。
なにがどうなっているのか、梨里香自身にも解らないからだ。もちろんそれは紫苑にも承知のことではあるが、困惑して発した言葉だった。
そしてしばらく真っ白な紙面を見つめていたふたりだが、そっと小説の表紙を閉じ、ため息をついた。
梨里香と紫苑は、この小説をふたりで読むことによって、なにかが起こるのかを確かめたかったのだが、実際になにかが起こることは少し怖いような気もしていた。
怖い物見たさというような表現がしっくりくるのかもしれない。
しかし全くなにも起こらないことに拍子抜けをしてしまったというのが、正直なところだろう。
と同時に少し安心した気持ちがあるのも確かだ。とはいえ、小説が白紙になってしまったというのは見過ごせない事実である。だからといって、どうすることもできない『もどかしさ』があった。
梨里香と紫苑はそのまま黙り込んでしまう。
少しして、空気を変えようと、梨里香は話し出した。
「ねえ、知ってる?」
「ん?」
「梨里香の名前に使われている『梨』の花言葉ってね、『愛情』なんだよ」
「へぇ。そうなんだ。花言葉ってなんかいいよなぁ」
「うん。そんで、『梨の木の花言葉』は、『慰め』とか『癒やし』なんだって」
「梨にはそんな意味合いがあるんだな。俺の『紫苑』はどうなんだろう」
「えへん。それも調べました!」
と、梨里香は敬礼のポーズをする。
「ホントに? 教えて、教えて!」
と、まるで子供のようにキラキラと目を輝かせて紫苑は聞いた。
「あのね、『紫苑』の花言葉は、『追憶』『君を忘れない』『遠方にある人を思う』なんだって」
「え、そうなんだ。なんか寂しげだな」
「そんで、別名は『思い草』っていうんだよ~」
「ふうん。そうなんだぁ」
紫苑はなにかに思いを馳せるように、少し考える素振りを見せた。
だが、ふたりにはもうひとつ確かめなければいけないことがある。
気持ちを切り替えて、次にふたりは紫苑のお気に入りの音楽『Meet You Again』を聴いてみることにした。
紫苑はスマホをタップして、音楽を再生する。
緊張の波がふたりを包む。
暫しの沈黙のあと、紫苑のお気に入りの曲が梨里香に託されたスマホから流れてきた。
この素晴らしい景色の元で聴く威風堂々としたその曲は、梨里香と紫苑にはまるでファンタジー映画の幕開けの緊張感と期待感を味わっているように思える。
* * *
♪♪♪
時間の狭間駆け抜け
夢と現追いかけ
幻か現実か
その目に映す真実
逢うべくして出逢った
信じる愛つらぬき
運命か宿命か
こころ映せ想いを
♪♪♪
* * *
とそこまで聴いたところで、紫苑はひとり緊張の面持ちを浮かべる。
そんなこととはつゆ知らず、梨里香は目を閉じて音楽に聴き入っていた。
この音楽は、梨里香のこころを惹きつけ、夢中にさせてしまう。
紫苑は梨里香に、この場所まで聴いた時に歌詞が変わり、紫苑の周りが変化したのだと告げるが、その後、特にふたりの周りが変化することはなかった。
音楽を聴き終わり、梨里香は「とても素敵な歌ね。凄く気に入ったわ」と告げる。
紫苑は自分のお気に入りが梨里香にも気に入ってもらえたのが嬉しかった。
「そうだろー。俺たち、小説も音楽も趣味が合うよな~」
楽しそうに紫苑は言う。
「本当に。こんなに同じ感覚を抱けるなんて、そうそうないことよね」
梨里香も嬉しい気持ちでそう告げた。
だが忘れてはいけない。
ここでふたりでお互いのお気に入りを、ただ堪能しようとしただけではない。
雄大な風景をバックに、楽しく小説を読んで音楽を聴いて、はしゃぎたかったわけではない。
確かめたかった。
なにが起こるのか確かめたかったのだ。
そしてあの不思議な世界のことを、自分たちなりに受け止めようとしていた。
なにか変化があることを期待していなかったと言えば嘘になるが、なにもなくて、ただ単にホッとしているわけではない。
ふたりはこころの整理もつかぬまま、思考を巡らせている。
「特になにも起こらなかったわね」
ため息とともに梨里香が発する。
「そうだな。ある意味それが普通なんだけど」
「そうだけど。なにか見落としてる気がする」
梨里香は左手を軽く握り、あごを人差し指でちょんちょんとたたきながら、考え込むような素振りを見せた。
「うーん。なにか見落としてる……か」
紫苑も今日の出来事をはじめから思い返していた。
「って言っても、特になにもないわね」
「そうだな。小説も音楽も特に変化はなかっ……」
とそこまで紫苑が言葉にしたときに、ふたりは思わず顔を見合わせて、同時に発した。
「あっ!」
梨里香はなにかを思いついたように、横に置いていた小説を膝にのせて、表紙をめくってみる。
紫苑もなにかに気がついた様子で、もう一度音楽を再生してみた。
お読み下さりありがとうございました。
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