第1話 はじまり(1)
田舎の祖父母の家で夏休みの数日間を過ごそうと家を出た梨里香。
ふと時間が気になり時計を見ても、時刻表に記載されている時刻にバスは来ず、少し不安が過ったところに、大きな雷鳴とともに轟音が走る。
夏だというのに肌寒さを憶え、身を震わせていたところにやっとお待ちかねのバスが到着した。
梨里香の前で止まったバスは思ったよりも車内の照明が暗かったが、彼女は雨で視界が悪いから、運転手さんが見えやすくするためにわざと暗めに設定しているのだと思った。
このバスは降車時に料金を支払うシステムなので、梨里香は開いた後部のドアから乗り込んだ。
梨里香が座席につくとバスはすぐに発車した。遅れて申し訳ないとのアナウンスどころか、行き先を告げるコメントすらない。
梨里香は手土産にと買っていたカステラと、大切な小説本を入れた防水機能つきのリュックを膝にのせ、抱えるように持っていた。
時折響く雷の音に身を縮めながら外を見るも、豪雨の中景色など見えるはずもなく、ただ窓に叩きつける雨粒の行方を目で追っているだけである。
まだ18時過ぎだというのに、真冬かと思うほどに辺りは暗かった。
祖父母の家まではバスで15分、その後徒歩で15分。
真夏の昼は長いので、明るいうちに着けると思っていた梨里香は、思わぬ天候にため息を零す。
バスに揺られることしばらく、停車のアナウンスもないままにあるバス停で停車した。
乗客は梨里香ひとりのため、ここが目的の停留所だと思い座席を立つ。
前方のドアが開いたので、梨里香は運転手の横に設置されている料金箱に料金を投入し、いつものように「ありがとうございました」とひと声掛けて降車する。
梨里香がバスを降りるとスーッとドアが閉まり、そのままわずかに光るテールランプとともに雨の中に消えていった。
そこで梨里香はハッと思い出した。
傘を持ち合わせていないことを。
幸いこの停留所には屋根が設置されているが、いつ止むともわからない雨を見つめながら時間を費やすことはできない。
祖父母の家までは歩いて15分。走れば10分程で着くと考えた梨里香は、ティーシャツについているフードを被り、行けるところまで走って行くことにした。
ティーシャツの上には薄手のボタン付きシャツを羽織っていたが、あいにく防水ではない。
雨の中を走るのに、いつものスカートではなく膝下までのパンツをはいていたのは都合が良かった。
かなり濡れてしまうことは予想されたが、祖父母の家に早く着きたい、そして温かなお風呂に浸かりたい、祖母の美味しい手料理を食べたいという思いの方が強く、気づけばバス停を飛び出していた。
子供の頃から何度も訪れていたから、道は把握している。
しかし滝のように降りそそぐ雨は、梨里香の視界を遮り、思うように進めない。
本来ならのどかな田舎道。
祖父母の家までの道程は、梨里香の住む街とは違い穏やかに時間が流れていくような風景が味わえる。いつもならその景色を堪能しながら、鼻歌交じりにゆっくりと歩いているはずなのに、と少し哀しい気持ちにはなったが、考えてもしょうがないことはウダウダ考えないことにしようと、気持ちを強く持ち歩く。
たまに轟く雷鳴に身をかがめながら、梨里香はひたすら前に進んでいった。
ぬかるむ道を、ただ一心に祖父母の家を目指して。
足元の悪い中、転ばぬように気をつけながらも力強い足取りで、梨里香はズンズン進んで行く。
バス停でバスを降りてから10分ほど歩いた頃だろうか。
ふと顔を上げた梨里香は、稲光に照らされた景色を見て一瞬自分の目を疑った。
「え、ここは……」
梨里香は目の前に広がる光景に、動揺を隠せなかった。
これからどうすれば……。
急に足に力が入らなくなるのを感じたが、動転してしまってどうするべきか考えが及ばない。
疲れで見間違えたのかもと、もう一度稲妻が走り辺りが照らされるのを待つことにした梨里香。
その刹那、稲光が空を切った。
祖父母の家まではよく知った道程であるにも関わらず、目の前に広がった景色は、梨里香には一切見覚えのないものだった。
道を間違えたのか。
いや、田舎の一本道を間違えるはずはない。
梨里香は慌てて後ろを振り返ったが、やはり見覚えのない光景だ。
空から大粒の雫が降りしきる中、顔にかかる水滴を拭って、梨里香はその場でぐるりと一回転しながら見覚えのある、なにか目印になるものを探した。
だが、見渡す限り360度、なにひとつ記憶にある風景は探すことができなかった。
途方に暮れた梨里香だが、周りに雨をよけるような場所も見当たらないので、とにかく足を進めることにした。
この雨が、雷が止めば。
せめて雨宿りができれば、と。
お読み下さりありがとうございました。
次話「はじまり(2)」もよろしくお願いします!