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声を亡くした死神  作者: パッポン
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1話「片付けないとな」

スープの蒸発した即席カップ麺。割り箸が零れ落ちた弁当殻。容器が膨らみ始めている飲みかけのペットボトル。空き缶や口の空いたスナック菓子、それらに埋め尽くされた部屋。


ベッドの上だけは綺麗で、真っ白な薄い布から、この汚部屋の主が顔を出す。


クシャクシャな長い黒髪に、目の下には酷いクマが見える。起き上がると布は身体を滑り落ち、一糸まとわぬ背が露わになる。不摂生からか頬はこけ、ウエストや二の腕は肉が付いていない。


このようになった経緯は、それなりに同情の余地があるものだ。


_______________________




「嫌ぁねぇ。次はどなたが亡くなるのかしら。」


「え?亡くなるって、どういうこと?」


「なんでも、両親を事故で亡くしたらしい。」


「あら、可哀想じゃない。」


「話はそれで終わらないのよ。なんでも、その後に引き取られた父方の叔母(おば)さんも、その子が来てから床に伏せって、そんなに時間が経たない内に亡くなったそうよ。」


「あぁ、その後引き取られたタカハシんところの親父もガンで亡くなったとか。」


「え、タカハシさん亡くなられたの?」


正月には近い遠いに関係なく、血に縁があるものが多勢集まるのが彼女の生まれた家の仕来りである。


人が三十も四十も集まればそこら中で、やいのやいのと噂話が始まるものだ。


誰々のところの息子がどうした。あそこの家の子は、どこどこを受験するらしい。あいつは、まだ結婚しないのか。無駄に人が多いだけあって、話題は選り取りみどり。


しかし、今年は"ある一人の少女"の話題で持ち切りだ。


噂の内容は概ねあってはいるのだが、やはり人の口から耳、そしてまた口と。伝聞を重ねる度に脚色や誇張が混ざるのが世の常だ。


高校一年の秋。不幸にも両親を交通事故によって、同時に亡くした少女。その後引き取られた叔母は、元より病を患っていた。彼女が叔母に引き取られたのと、病状が悪化の一途を辿る時期が重なるのも、また事実だ。しかし、その後引き取られたタカハシという家の大黒柱は、確かにガンが発見されたが、早期であった為、手術で取り除き現在療養中にて今回は不参加というだけである。


そんな玉石混交の流言合戦が、今年もまた始まったのだ。


「不吉ね。」


「まるで、呪いだ。」


「ほら、あの色白で異様に細い子よ。」


「次は誰のところへ行くのかしら。アンタのとこだったりして!」


「フッ、止めてくれよ。縁起でもあるまい。」


語り部達によって様々に紡がれた話の行き着く先はいつも同じだ。



「まるで"死神"ね。」___



いい歳をした大の大人が口々に根拠が無く、迷信めいたことを(のたまう)う。


無遠慮に交わされるそんな会話は、もちろん本人の耳にも届いてしまっている。


「ユウコのところは、お義父さんが大変だから誰が代わりを頼むって。貴方のところは?」


「ふざけるなよ、どうせピンピンしてんだろ。それに俺んところは四人目が産まれんだぞ。お前のところなんていいじゃねぇか!離婚して、元カミさんに親権まで取られちまって、今は母親と二人暮しなんだろ?」


「うるせぇ。自分の子にだって会わせて貰えねぇのに、他人の子なんて構ってられっかよ。それに、母さん最近調子良くねぇんだよ。それがまだ普通の子だってんなら、いざ知らず。こんな時に厄介事を背負い込むのは…」


もう傷だらけで余白のない心は、麻痺し痛みすら覚えない。


「私、家に戻る。」


両親の持ち家はそのまま残されていた。


血の繋がりよりも薄い情を持つ彼等は、タライ回し先で揉めていた。しかし、提案を受け、それは妙案だと妥結する。先程まで繰り広げられていた醜いやり取り。それが嘘のように、話がまとまっていった。生活費は親類縁者で少しづつ支援することとなり、代表者が時々様子を見に行くということで話しがついた。


_______________________



部屋を出て誰もいないリビングへと向かう。1人で住むには広すぎる家がより心を荒ませる。柱や部屋の隅、そこかしこに思い出が寄り添っていて、閉じ始めていた傷口が開いていく。


リビングや家族の共用スペースであった場所は汚すのには気が引けて、少し埃は積もっているものの私室に比べると綺麗なまま。当時のままだ。


いつも椅子を引かない父。最後の朝食を終え、席を立ったまま斜めに(たたず)む椅子。母が集めていたリングプルやベルマーク。


外で車のドアが閉められる音がした。カーテンの隙間から覗くと、どうやら代表者に選出された遠縁の者が様子を見に来たらしい。


外はオレンジ色に染まっている。時計の電池が切れて針が止まっているため、朝焼けか夕焼けなのかさえ分からない。しかし、人が訪ねてくるのだから、夕方なんだろう。


訪ねてきた人は気にはなるが、わざわざ起き上がり服まで身につけたのだからリビングに来た目的を果たす。喉の乾きだけは、どうしようもない。


蛇口から出した水を、顔を傾け直接口へと含む。配管に残っていたぬるい水は、酷く不味かった。


「だらしがない。あと、鍵も締めておけ。不用心だぞ。」


一昨日の買い出し時に鍵を掛け忘れていたらしい。リビングのドアから代表者に選ばれた男が現れた。この生活が始まった当初に一度だけ様子を見に来た。しかし、それからは姿を見せていなかった。


今更なにを、とも思った。しかし、せめて挨拶だけでもと思い、口を開く。


「___。」


声が出なかった。ただ薄く唇が開かれ、息が()れ出したのみだ。


引きこもって長い。その間、誰と会うでもなく、ただ部屋に引きこもっていた。どうしても空腹に耐えかねて、数日おきにコンビニに行く程度で、意思疎通は頷くだけで事足りた。声を発しようとしたのはいつぶりだろうか。


「まったく、返事すらしないのか。」


そうじゃない。声が出ない。男の言い方に苛立ちを覚える。


「口も聞きたくないか。今月分も振り込んである。それより今日来たのは、学校からの電話が執拗(しつこ)く掛かってきて迷惑している。そろそろ学校に行ったらどうなんだ。」


最初の一度以来、姿を現さなかった男がこうして顔を出したのはその為らしい。


確かに、家にも何度も電話は来ていた。


行くか行かないかは別として、この場をやり過ごすために"わかった"と言おうとする。しかし、声帯が震えず、空気に音を伝えない。


「なにか返事をしたらどうなんだ!こっちは金を工面してやってるんだぞ!不愉快だ。行くにしろ、行かないにしろ、そっちで学校に電話してくれ。わかったな!」


乱暴にドアを閉め出ていく。親戚数軒で彼女の生活費を用立てている。男からすれば、返事すらしないのでは、腹を立てても仕方がないとも思えた。


迷惑をこれ以上掛ける訳にもいかず、すぐに子機を手に取り学校へ電話を掛けた。


「はい。こちら、薄衣(うすい)高等学校です。って、この番号。"イリノ"さんのお宅ですよね?もしかして、"イクミ"さん?イクミさんなの?良かったー、連絡取れた。学校来れそう?ねぇ?大丈夫?先生心配してたんだよ?イクミさんから電話もらえて、それだけで嬉しい!無理しなくてもいいからね?どうかな、来れそうかな?」


通話の相手は若い女性。学校へ行っていた1学期ほどの間、お世話になっていた担任だ。クラスを受け持つのが初めてらしく、妙に肩肘が張っていて、なんというかウザい。


そう簡単に人となりが変わるはずもなく、慌ただしく忙しない。(せき)を切ったように言葉を浴びせかけられる。


言葉自体は優しく、親を亡くし不登校になった生徒に向けられるものとしての体裁を取り繕っているものの、言葉の端々から"私は不登校の生徒を気にかける良い教師です"や"不登校になったのは、私の責任ではないよね"という思いが垣間見える。被害妄想だろうか。


それに、考え無しに電話を掛けてしまっていた。声が出ないのだから、身振り手振りすら伝わるない電話では、尚更コミュニケーションが取れるはずもない。


こちらが黙っていると。正確には黙りたくてそうしている訳では無いが、本当に心配していたのかと思うほど一方的に喋り続けている。


電話越しに、遠くの方で間延びした懐かしい音が鳴り響く。


「あぁ!ごめんね、職員会議あるから!またね!待ってるからね!絶対来てね!」


ガチャっと、乱暴に電話が切れる音がした。


断ることすら出来なかった。


_______________________



どうしよう。


通学路を歩きながら頭を抱える"イリノ イクミ"。


絶対来てね、待ってるからね。と、言い残し、断ることも出来ずに電話は切られてしまった。別に気にしなければいいのに、無視を決め込むことが出来なかった。


そんなこんなで、茶色くなった桜とアスファルトを踏みしめて、懐かしい校舎へと歩みを進めている。


久しぶりに袖を通した制服は、ブカブカで風が吹く度に、帆のように風を受けてしまう。長い引きこもり生活で、(ぜい)(きん)問わず肉が削げ落ちてしまったようだ。


時間割を知らないため、教科書を全て持ってくるハメになってしまったため、カバンが重たい。肩が外れそうだ。


それよりも問題になってくるのは、人との会話が出来ないことだ。


一晩寝ても声は戻らなかった。声を出そうと肺から空気を一生懸命吐き出した。しかし、発せられるのはダ〇ス・ベ〇ダーのような空力音だけだ。


しかし、本当にバカげている。声を長く出していなかっただけなのに、出し方を忘れるなんて。


そうこうする間に校門に着いてしまった。


「おお!ほんとに来たのか!待ってたぞ!」


白衣を(まと)った快活な女性が校門に立っていた。チョークケースや手帳を持つ手を掲げている。


「挨拶がまだだったな、担任の"アンドウ アズサ"だ。お前さん、教室わからんだろう。だから、待っていた。」


そうだった。冬になると、地面を薄らと覆う程度にだけ雪が降り積もる。それが由来である薄衣(うすい)市。その市の名前をそのままつけられた高校である、市立薄衣高校は2年に上がるときにクラス替えがあるのだ。そんなことをすっかりと忘れ、元の教室に入るところであった。


「どうした、腹でも痛いのか?ホームルームが始まってしまう、いくぞ。」

ありがとう

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