3章 1話
顔合わせと挑発の朝食が終わり、皇子たちは互いの食事が終わるのを待って……おそらく今日の執務に関わる会話を交わし始めた。
おそらく、というのは特段大声で話すことでもないので漏れ聞こえる単語から推測したからだ。
立って姫のそばに控えるべきか、しかしそれでは姫に不要な圧をかけないかと思い悩んで結局私はちまちまとミルクで口を湿らせている。
「リコ、飲み終わりましたら執務室に行きましょう」
「ん、わかりました。 姫様は他の方とお話されなくていいんですか?」
「ええ、今日は特に用はありません」
「そうおっしゃられるなら」
待つ理由もないならとミルクを飲み干す。ことんとグラスを置いては手を合わせた。
「母なる恵みに―― ……もう大丈夫です」
「ではいきましょうか」
「リア、お尋ねしたいのですが」
「はい?」
朝の光が一杯に広がる廊下は塵も舞っていない。
「食事の前後にしていた、その、手のひらをくっつけるのは、そちらの世界の風習ですか?」
言われてはっとする。頭を下げるときに目を閉じていたので周囲を見ていなかった。
「癖なので違うことに気づきませんでした。こちらでは違う作法があるのでしょうか」
「ええ、私たちはこうして――」
姫は右手の人差し指と中指だけを揃えて立て、その指先を額に当てる。
「――『糧よ、その血肉が我になる』、と」
「そうなんですね。 私たちは、『母なる恵みに』と言いますが、続けるなら……それに感謝します、といったところでしょうか」
「母なる恵み?」
「私の世界では命を育む大地を母に例えることが多いんです」
「ふむ。こちらでは――と、ここが私が日中の多くを過ごす部屋です」
姫が足を止めたのは他の部屋と同じく重厚な造りの木の扉の前。
壁に掛けられているプレートの文字は読めない。
そう伝えると姫はまあ、と片手をほほに当てる。
「これは『第一皇子執務室』と書かれています。 言葉が通じるので文字も読めるかと思いましたが……これは想定外でした」
「お邪魔でなければ部屋のどこかで勉強できますか?」
「私は構わないのですがいずれ帰られる身。 もう少し有意義な時間を過ごしてほしいです」
扉の両脇に控えていた帯刀の――衛兵と思しき二人の男性が揃った動きで柄に手を当てる。
「ええ、おはよう。今日もよろしくおねがいします」
どうやらそれが朝の挨拶のようだった。
「ああ、この子はリコフォス。先日の『客人』です。 室内では彼女も護衛をしてくださるそうですので仲良くしてくださいね」
「リコフォスです。外の警備はよろしくお願いします」
仲良く、といわれてもどう仲良くすればいいのだろう。
とりあえずなぞるように挨拶をして頭を下げた。
顔を上げると衛兵二人もどう扱ったものかと言いたげな、困惑を隠せない顔を見合わせていた。
私が見ていることに気づくと何事もなかったかのようにもう一度剣の柄に手を当てる。
そして揃った動きで扉の取っ手に手を掛けると押して開いた。
「「よい一日を」」
ええ、と頷いて中へ歩く姫に続いて執務室に入る。
向かって正面、窓が続く壁面の真ん中にこちらを向くように立派な机。
窓のない壁には上部はガラス扉、下部はむき出しの本棚が並んでいる。
扉から見て右手前の角はローテーブルを挟んだソファ。ちょっとした面会に使えそうだと思った。
左側も奥と同じような本棚で埋められている。
書き物机の横にいたハンナが裾をつまむ礼をする。
「おはようございます、オリバ様、リコフォス様」
「ハンナさん」
「おはよう、ハンナ。 今日は?」
「昨日の命を受けて緊急の書類だけより分けております」
「ありがとう。 リコ、先の続きですが……あくまでリコのなさりたいように過ごしてください」
「お心遣い痛み入ります。 とはいっても姫様からはそう離れないと思うので…… 目に煩くなければ鍛錬のほうが鈍らないといえばそうなんですけど」
「室内でもできますの?」
「はい。手足が物にぶつからない場所であればどこでも」
「頼もしい限りです。とはいえ今日は私に従って城の中を周ってもらいます。 必要な書類だけ目を通しますのでお待ちいただけますか?」
「それは……私に紹介するためですよね。 そう気を使われなくても大丈夫だと思いますが」
「あら? 次の儀式がいつになるかは分からないけれど月はまたぎます。 その間いらっしゃるのですから知っておいて損はしませんよ」
「それはそうですが」
「では決まりです」
姫様直々に付くようなことではない、といいたかったのだが言わせてさえもらえなかった。
後はただ書類に手を付け始めた姫の邪魔にならないように――片腕立て伏せからはじめるしかなかった。