骨牛
月も眠る夜中。何が楽しくて男の上司とふたり馬車に揺られないといけないのか。
「なにか予定でもあったのですか?」
「え、いえ、別に。」
そう、なにもない。だから余計にイヤなんだ。夏の夜に仕事しか予定がないなんて。
「調査部からの資料に、目を通していますか」
「はい。対象は竜による家屋全壊にて保険金を受け取っていましたが、調査部の査定により、事実と反することが判明しました。」ここで一息。「実際は対象が飼育している骨牛を意図的に暴れさせたことが原因との報告です」
「悪質ですね。竜による天災に乗じて、保険金目当ての破壊行為とは。」
上司のハースが鞄から杖とナイフを取り出す。
「随分と物騒ですね」俺が会社から支給された杖より数段良いものだ。どこ製だろうか。
「おや、今日は戦闘有りですよ。聞いていませんでしたか」
ハースの目が光る。比喩ではなく。エルフの瞳は感情に応じて色が変わるらしい。
「冗談です。持ってきてますから、ほら。」
貧相な杖。会社からの支給品。下級魔法しか使えない。
ハースは軽く頷き、それ以上追求してこなかった。面倒くさいのだろう。エルフってのは大抵そうだ。他人に興味がない。
市街地からやや外れた場所に、いくつか村が点在している。その村々を竜が飛来して破壊して回ったのが、数週間のこと。
我愛すべき、エルドラド保険会社の天災保険に加入していた保険支払い業務も一段落した矢先、調査部から不正ありの報告が舞い込んだのだ。
竜による破壊ではなく、別の生物、なおかつその生物は対象が飼育していた骨牛によるものである。即刻支払い済み保険金を回収すべし。
「事務職員による再三の説得も効果なし。さらには暴言を繰り返すなどの問題行動が見られた。これ以上は穏便な解決は不可能とみなし、徴収係の出動を要請する。まあ、これが仕事といえば、仕事なんですが、最近出動続きじゃありませんか?」
「あなたが言う通り。これがわたしたちの仕事です」
「それはまあ、そうなんですけど。」
馬車からおり、対象の自宅前近くのあぜ道を歩く。畑と畑の間に、竜に破壊された家の残骸と、新たな建物のための建築資材が置かれている。
数件、被害を免れた家も、灯りはなく静かだ。
しかしそのなかで1軒、煌々と光を垂れ流す家がある。
「報告書の住所によるとあれですね。ここ数日、毎日のように乱痴気騒ぎだとか」
「行きますよ。」
ハースは特に感想もなくドアの前に立つ。早く終わらせたいのか、内側の義憤を隠しているだけなのか。
「はい。」
早く終わらせたいのならば同感だ。
杖を抜き、力いっぱいドアを叩く。
ドアが開き、怪訝な顔をのぞかせたのは人間の男だった。まだ若く、やんちゃそうな顔つきだ。彼の背後から女性らしき、楽しげな声が漏れ聞こえる。
「こんばんわ。エルドラド保険会社の者です。本日は徴収に参りました。」
「帰れ!てめぇらに払う金なんかねえ。竜に家壊されたんだぞこっちは。少しはきぃ使えや」
「えーと、、、ジムニーさん。当社の調査ではあなたの家は竜ではなく、骨牛によって破壊され」
「しるか。竜にやられたんだ」
「話を聞いてください。当社の調査結果は第三者機関からも正しいとの承認を得ています。これはつまり」
「しるかっつってんだ。帰れ」
ジムニーがドアを閉める寸前、足を差し込む。
「てめぇ」
「人の話は最後まで聞いてください。でも、あんたはじっくり聞くタイプじゃなさそうだから、短く言ってやる。徴収開始だ」
俺の背後でくすっとハースが笑ったのがわかった。人に興味がないくせに、争いごとは好きなのだ。たちの悪い上司だ。
ジムニーが杖を引き抜く。
だが、それよりも早く俺は杖をジムニーに向け、短く呪文を唱える。放たれた光がジムニーを取り囲む。
異変を察したのか家の奥から数人の男たちがナイフや杖を手に飛び出してくる。
ハースが俺を押しのけるように家に押入る。手にはナイフと杖。エルフ語で早口に呪文を唱えると、光の帯が男たちを取り囲む。俺はドアを閉める。逃げられても面倒だ。
「そのまま拘束を。彼、中々の術者のようですのでお気をつけて」
ハースは生き生きと男たちと対峙する。ハースの光の帯はナイフで切り裂かれズタズタだ。
頬に鋭い痛みが走る。視線をジムニーに戻す。ジムニーがちょうど俺の拘束の魔法をナイフで完全に断ち切っていた。ジムニーの杖の先端が光る。
咄嗟に身を屈める。頭上でドアに尖ったものが刺さる音が響く。
「おい、危ねえ、殺す気か」
「うるせぇ。ぶっ殺してやる」
放たれた矢をナイフで受け止める。訓練していても、至近距離はマズイ。家の奥に一気に駆ける。
玄関からさらに奥に進むと、そこは居間だった。かなり広い。明らかに高価な調度品がいくつもある。部屋の隅には薄着の女性たちが固まって震えていた。
部屋の中央ではハースが男たちに取り囲まれている。だが、その表情は余裕に満ちている。四方八方から魔法がハースに向けられているが、ナイフや魔法でかき消している。明らかに遊んでいる。
居間の奥、大きな木の机の上に無造作に転がる骨を見た瞬間、ぞわりと鳥肌がたった。
「やれ!」ジムニーが俺の背後で叫ぶ。ハースを取り囲む男たちが頷く。ひとりが俺に向かって鉛色の光を放つ。ナイフで受け止める。切裂こうとするが、異様な弾力でなかなか裂けない。
ジムニーが怒鳴り声で詠唱する。興奮している割には正確で速い。居間のなかを重苦しい空気が漂う。
ジムニーが何をしようとしているかが分かった。骨牛を起こす気だ。
俺が放った魔法は、ジムニーの前に立ち塞がる仲間がナイフで切り裂いた。
太鼓をたたくような低い音が居間中に響く。机の上に並べられていた骨たちがより集まり、牛を形作っていた。大人二人が手を広げたほどの大きさの骨牛は、かふかふっと声にならない音を立てる。
「あまり、美しくありませんね。実用性はありそうですが」
ハースの杖から虹の光が放たれ、男たちを包む。まるで繭だ。時折、虹色の繭の表面の一部が突起するが、破れはしない。完全に閉じ込めたようだ。
「ジムニー、、、さん。立派な骨牛ですね、ほんとに。」
俺は杖を向けたまま、息をつく。
「ここらの村で骨牛の全てのパーツを持っていて、かつそれを召喚できるのはあなたくらいですよ」
「てめぇらの骨をこいつの一部にしてやる」
骨牛が2本の角をこちらに向け、勢いよく床を蹴る。調度品を蹴散らし、磔にする気だ。
ハースはひらりと身をかわし、俺はごろごろと床を転がる。
「ハースさん、あの女性たちの避難をお願いします。」
骨牛は壁に追突したが、乱暴に身を返すしてこちらに向き直す。
「それよりも骨牛を無力化するほうがいいでしょう」
「民間人の避難の方が優先でしょう」
「上司の助言は聞いておくものですよ。さあ」
ハースが杖から銀の鎖が飛び出し、骨牛の前足に絡みつく。骨牛がガクッとその場に膝をつく。
ジムニーがなにか叫ぶ。呪文ではない。ただ単に驚いただけだ。俺は杖をジムニーに向ける。拘束は諦めた。無力化する。槌をイメージし、魔力を固め、ぶつける。
ジムニーの身体がくの字に折れ曲がり、ソファーにぶち当たる。
あとは骨牛だ。ぐっと気合をいれた刹那、部屋の隅から銀色に鎖が骨牛の後ろ足に巻き付いた。
ハースではない。
ふわ。
と、赤い影が、骨牛の額に降り立つ。薄着の女性。身につけているのは赤い下着、そのうえに薄いベールを羽織っているだけ。
「よいっしょ!」
その女性がナイフを骨牛の額に突き立てる。
陶器を割るような乾いた音が居間を覆う。その場で骨牛は、先程までの勢いが嘘のように崩れて砕けた。
静まりかえる居間で、赤い下着の女性が腰に手をあてぐっと体を反らす。
「あ、どーもおつかれさまでーす。調査部のキューです。あ、キューって偽名ですけどね、へへ」
ハースが杖をしまう。もういつもの無表情だ。調査部の登場にもまるで驚いていない。
「徴収係、主任のハースでございます。こちらが部下のロブです。どうぞお見知りおきを」
「あ、えー、はい。ロブです。、、、はい。よろしくお願いします。よかったら、これ、どうぞ」
コートを脱いでキューに渡す。正直目のやり場に困る。目の保養にはなるが、同じ会社の人となると、気まずい。
「やさしー、うれしい。ありがとうございます」
キューがコートを羽織る。しかし、ボタンを止めないので余計に刺激的になった気がする。
「さて、挨拶はこの程度にして。ロブさん、仕事にかかりましょうか。換金物を徴収しますよ」
徴収が完了したとき、キューは姿を消していた。
換金物を手に馬車に乗り込む。
「ハース主任。最初から知ってたんですね、調査部が潜入してることを」
「どの時点を最初とするかによりますけれども。ええ、そうですね。あの家のドアが開いたときから、相当な術者がいることには気づいていました。そしてその術者が調査部であることも推測はしていましたね」
「それであの余裕っぷりをかましていたわけですか」
「ええ。彼女、しばらく静観するつもりだったようで。少し遊んでみただけです」
まったく、本当にエルフは喰えない連中だ。
窓の外は既に薄明かり、夜があけようとしている。
これから会社で報告書づくりが待っている。せめて到着までは休もう。
箱をかかえ、俺は目を閉じた。