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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

だから中に入れて欲しいッス!

作者: andynori




 (あずま)朝陽(あさひ)は売れっ子成人向け同人作家だ。


 同人と言っても二次作品は初期の数点くらいで、以降殆どはオリジナル。そのクオリティは非常に高く出版社からの引く手も数多だが、作品に他者の手が入るのを嫌う朝陽はその全てを断っている。

 朝陽にとって同人はあくまでも趣味、己の欲望や願望の捌け口だ。好き放題描けなくては意味がなかった。

 同人作家を生業とする人も少なからず居るだろうが、朝陽の場合そうではない。たまに参加したイベントで得る売上を株で転がし、それで日々の糧を得ていた。

 トレーダーと言えば多少は体裁も良いかも知れないが、それで本格的に稼ぐつもりがない本人に自身が株トレーダーであるという自覚はなく、朝陽の立場を社会的な枠組みで位置付けるなら無職、またはニート、もしくは軽度の引きこもりであろう。本人もそう思っている。 

 株で得た収入はあくまでも次の作品を創る為の資金。同人誌を売り、その売上を株で増やし、生活費を抜いた金でまた次の同人誌を作る。そんな自転車操業的な生活を既に十年以上も続けていた。


 決して人嫌い、コミュニケーション障害者の類いという訳ではないのだが、過去のとある経験が朝陽に他者との関わりを酷く億劫なものに思わせていた。端的に言って、社会との接点を極力絶ちたかった。なので、同人作品の販売も数少ない気の置けない知人に委託している。

 よって、作品のファンにしろ、契約を打診してくる出版関係者にしろ、朝陽の容姿、年齢、性別その他……個人情報を知る者は皆無であった。


 売れっ子成人向け同人作家“東朝陽”、ペンネーム『明けの明星』は謎多き人物なのだ。



 


 夕刻、西陽の射すとあるマンションの一室に、カリカリとペンが紙をなぞる音が響いていた。デスクに向かい、紙にペンを走らせているのは、艶のある真っ直ぐな黒髪を腰まで伸ばした若い──恐らくは若いであろう女だ。

 女の容姿は恐ろしく整っている。顔は小さく、切れ長で伏し目がちな目を長い睫毛が縁取っている。スッと通った鼻筋に薄い唇、顎のラインは細く、白い肌には染み一つ見当たらない。

 女はスタイルも良い。胸と臀部は下品ではない程度に大きく、それを繋ぐ腰回りは冗談のように細い。背は程々だが手足は長く、引き締まっていていた。

 全てが黄金比。余りにも整った容姿は人間味が薄く、動かずにいればビスクドールのようにしか見えないだろう。一見して年齢の判別が難しいのもその美しさ故に、である。


 迷いなく動き続けていたペンが不意に止まり、女が「ふぅ……」と吐息を漏らした。続けて両手の指を組み、頭上に腕を伸ばし「んっ……んぅ……」と、伸びをする。無駄に悩ましい。本人は凝った身体を解しているだけなのだが、気怠げな美女というものは伸び一つ取っても、色気を撒き散らさずには居れないものらしい。


「…………」


 女は自身がたった今描き上げたばかりの原稿を手に取り、フッと口許を綻ばせる。どうやら満足のいく出来映えに仕上がったらしい。

 彼女の持つ紙上には、あられもない姿の男女──ではなく、あられもない姿の女性同士が睦み合う姿が赤裸々──いや、かなり露骨に、そしてリアルな描写で描かれている。そこに“修正”などといったものは一切入っていない。全てがつまびらかに描かれていた。その形式は所謂“漫画”である。


 女はスマホを手に取ると、どこぞへと電話を掛けた。


「──私。……うん、描けた。……うん、じゃあ、いつもの通りで……うん、ありがとう──」


 電話を切った女は、描き上げたばかりの原稿をスキャナーに掛けPC上に取り込んでいく。仕上げにファイルを圧縮しプロテクトを掛けると、それをメールに添付し、先程の電話先の相手に向けて送信した。送られた原稿は受け取った相手が印刷、製本し、同人イベントで販売してくれる手筈になっている。

 そう、女は成人向け同人作品を描く漫画家なのだ。ペンネームは『明けの明星』──そう、この絶世の美女こそ謎の売れっ子成人向け同人作家『明けの明星』こと、本名“東朝陽”その人なのである。


 朝陽の作品はデビューから一貫して、全てが百合本である。繊細なタッチ、なのに露骨に描かれる性描写は男女問わずファンが多く、“エロありき”にも関わらずきちんと練られたストーリーは、出版業界からも評価が高かった。

 百合本ばかり描いている朝陽だが、本人はレズビアン──所謂“同性愛者”という訳ではない。……多分。

 確証がないのは未だ朝陽には恋愛経験がないからだ。もちろん、男女どちらに対してもである。

 ただ、朝陽自身、性的興味──というか、性的興奮を覚えるのは女性……もっと露骨に言うなら女体に対してなので、少なからず「私はレズかも知れない……」とは思っている。

 女体は綺麗、男は汚物。それが朝陽の認識だ。なので、『明けの明星』の作品に男は殆ど出てこない。少なくとも男の裸体は絶対に出ない。どこまでも“百合百合しい”。それが彼女の描く同人漫画だ。


 ──BL? ナニソレ美味しいの?





 朝陽がこうなってしまった原因の何割かは、本人にとっては業腹なことかも知れないが、彼女自身に起因する。


 朝陽は幼い頃より、飛び抜けて美しかった。その突き抜けた美貌は老若問わず同性からは羨望と絶望の、異性からは憧憬と欲望の視線を集めた。

 やがて思春期を迎える頃には同年代の女子からは敬遠され、男子からは高嶺の花扱い。結果、朝陽は周囲から孤立することとなったが、本人は余り気にしていなかった。

 美男美女は性格も良い、という説がある。それは、幼少から蝶よ花よと持て囃されることによって自己肯定の気持ちが強く育ち、無闇に他者を妬んだり羨んだりすることもなく、また他者からの称賛を素直に受け取れるようになるから──らしい。

 それが真実かはともかく、少なくとも朝陽にはある程度それが当て嵌まっていた。

 両親や親族から蝶よ花よと持て囃され続けた彼女は思春期を迎えても、とても素直で優しい少女のままであった。

 他者には常に慈愛を以て接し、他者からの言葉はそれがどんな事であっても真摯に耳を傾け、疑う事など知らなかった。純真そのものと言っても良い。まるで反抗期など何処かへ置き忘れて来てしまったかのようですらあった。


 そんな純粋培養美少女朝陽の精神は、例え周囲からやっかみを受けたり、陰口を叩かれる──実質、“いじめ”を受けるようなことがあっても、「美しいは罪」──そんな超理論によって護られていた。「みんなが意地悪をするのは私が可愛いから……ごめんね、みんな。悪いのは私……」──そう、朝陽はナルシストだったのだ……。

 両親や親族から持ち上げられ過ぎた結果だった。誉めて伸ばすのにも限度というものが必要だという一例だろう……。

 そんなこんなで朝陽の幼少期そして思春期前半は、多少の問題がありつつも、ナルシスト故のマイペースさも手伝って、程々に平穏に過ぎて行った。


 事件が起きたのは中学最後、朝陽が高校に入学する直前の春休み中のことであった。


 その日、朝陽は中学時代の友人たち(と、朝陽は思っている)から呼び出しを受けた。彼女たち曰く「お別れ会しようよ」。

 普通ならクラスメイトだったとは言え、実質自分をいじめていたような連中と、“お別れ会”をしようなどとは思わないだろうが……生憎、朝陽は普通とは言い難かった。おかしな純真さを発揮し、他者を疑う事など知らない朝陽は、クラスメイトだった少女たちからの誘いを額面通りに受け取り、ノコノコと呼び出し先のカラオケBOXへと出掛けて行ったのである。


 カラオケBOXで朝陽を待ち受けていたのは、クラスメイトだった五人の少女たちと──十人の知らない男たちであった。


 そこから先は朝陽自身、余り良く覚えていない。

 思い出せる事といえば、目の前に晒された汚物──男性器と、それを強かに蹴り上げた感触。

 金切り声を上げながら朝陽を押さえ付けようとした元クラスメイト、それを押し退けた際に触れた少女の胸、その柔らかな感触。

 それらを思い出す度に、前者は恐怖と嫌悪を、後者は混乱と僅かばかりの興奮を覚える。


 ──罪状『強制性交等未遂罪』及び『教唆罪』


 前者は男たちに、後者は朝陽のクラスメイトだった少女たちに下された判決である。

 五人の少女たちにはそれぞれに想い人が居た。内、一組は実際に交際もしていたらしい。しかし、彼女たちの同級生には(彼女らにとっては)不幸なことに校内一、いや町一番の美少女“東朝陽”が居たのだ。

 彼女たちの想い人は同級生に後輩、教師など様々ではあったが、共通事項として皆が皆、東朝陽に夢中であった。彼女たちがどれ程恋い焦がれようと、見向きもされない。

 どうにか交際にこぎ着けた一人も、相手の男は身体目当ての妥協でしかなく、少女曰く行為の最中も相手が朝陽のことを考えているであろうことは明白だったらしい。この少女が今回の事件を扇動した首謀者であった。


 彼女たちはSNSなどで男たちを募り、朝陽を集団で強姦することを持ち掛けた。言うまでもなく犯罪だ。獲物の魅力に釣られ、端から食い付く者も居たが、渋る相手には自分たちの身体を差し出し、交渉材料とした。当然、一人を除けば処女だ。

 恋敵(朝陽)憎しで好きでもない男たちに身体を委ね、あまつさえその対価に求めるものは恋敵への強姦だ。

 何処までも愚かで反吐が出る行為だが、嫉妬とは人をここまで狂わせるものなのか……事の顛末を知った朝陽は、これまで想像もしなかった人の感情の負の側面に初めて触れ、恐怖を覚えた。そして、朝陽は春休みが終わる前に進学を取り止めることを両親に告げる。

 両親からの反対はなかった。何せ未遂とは言え同級生に嵌められ、集団から強姦されかかったのだ。娘に激甘な両親としては、傷付いた娘の望みを極力叶えようとするのは当然といえば当然であった。


 それからの朝陽は必要以外では極力外出はせず、一日の殆どを自室で過ごすようになった。

 “人”が怖くなったのだろう。両親は朝陽の行動をそう捉えたが、事情が事情である。両親は朝陽に無理な社会復帰など望まなかった。

 幸いにして東家は代々続く資産家で、裕福な家庭であった。半ば引きこもりとなった娘一人、生涯養うくらいは余裕であり、父親も母親もそれでも構わないと考えていた。


 ──しかし、朝陽の超理論はそんな両親の親心すら超越していたのである。


 一見すれば、事件によるショックから引きこもりになってしまった“悲劇のヒロイン”──それが第三者から見える朝陽の立場であるし、両親もそのように思っていた。

 が、実態は全くの別物であった。実のところ、事件の前後で朝陽の精神性には殆ど変化など起きていなかったのだ。

 せいぜい、男は汚物、女の子は柔らかい……と、彼女の中で他者への認識が少々改められた程度だ。男性恐怖症や対人恐怖症を患ったということもない。

 朝陽は自分の存在が悲劇を生むのなら──と、自身を世間から隔離──彼女の言葉をそのまま流用するのであれば、“己を封印”することにしたのだ。

 そう、朝陽は「私さえいなければ……私が美しいから悪いのね……」──と考え、自らの意思で世間どの距離を置いたのだ。相変わらずのナルシストである。周囲の見立てとは別ベクトルで、彼女はヒロインロールしていたのだ。


 周囲にとっては残念(?)なことに、朝陽が患っていたのは“恐怖症”の類いではなく、所謂“厨二病”だったのである。


 以来、朝陽は自身を“封印”し続けている。

 封印の間(自室)ですることと言えば、小さな頃から大好きだった魔法少女系アニメ(女児童向けというよりは大きなお友達向けの百合百合しいOVAが好き)の観賞と、それらを見ているうちにインスパイアされ、いつの間にか描き始めていた百合同人の執筆である。

 ネットを通じて知り合った同好の志と意気投合し、描き上げた作品の委託販売もするようになった。

 初期の頃こそ全年齢向け作品を描いていた為問題はなかったが、それがR18指定作品に移行し始めると、流石に実家の自室での執筆は憚られるようになった。色々とアレな朝陽も、自分の趣味が一般的でないことぐらいは自覚していたのである。

 その問題を解決すべく、朝陽は株取引を勉強した。元々、頭の出来は良い。彼女は親の名義を借り、同人の売上から少しずつ投資を始めると、僅か一年余りで五千万円もの黒字を叩き出すことに成功する。

 朝陽の両親はそれを手放しで称賛した。曰く「流石、朝陽! 私たちの娘!」──普通の親であれば未成年の子供が八桁もの大金を動かすなど到底、容認出来ないことであろうが、朝陽の両親の場合、娘に甘いのはもちろんのこと、自身らが資産家という立場上、やはりどこかしら金銭感覚がおかしかったのだ。

 そして──朝陽18歳の春、ついに彼女は封印の間の移転を果たす。新たな封印の間(自宅件作業場)は実家からも程近い、新築の3LDKマンションである。現金一括購入であった。

 もちろん両親は一人娘の早過ぎる自立を心配し、大いに寂しがりもしたが、それ以上に、朝陽が事件のショックから立ち直ったものと捉え、最終的には喜んで送り出してくれた。別居したと言っても、実家とマンションが徒歩10分程しか離れていなかったことも理由としては大きかったに違いない。


 ──《メールが届いています》


 ふと昔を思い出していると、PCの画面にメールの受信を知らせるメッセージがポップアップした。


『原稿、確認! ヤバい、濡れた……ちょ、どーしてくれるッスか!? 相変わらず明けちんの作品はエロいっ、エロいッスよ! これは今回もSOLDOUT間違いなしッスねっ\(^^)/』


 作品の取り扱いを委託している友人からだった。いつも通りのリアクションに、頬が緩む。彼女は朝陽の同人作品のファン第一号でもある。彼女がこう言うなら今回も大丈夫、良いものが描けた、そう思える。


 彼女との付き合いももう随分と長い。デビュー前からなのでそろそろ14年近いだろうか……。

 実のところ、彼女と実際に会ったことは一度もない。14年間、一度もだ。メールと電話──文字と音声のみのやり取りで、互いの本名も顔すらも知らなかった。作品の売上にしたって銀行振込である。

 正直、会いたいと思ったことは一度や二度ではない。何しろ彼女は朝陽にとって、家族以外で自分を理解し、家族にも明かせない自分の趣味をも理解してくれる唯一無二の存在だ。会ったことがないというだけで、プライベートなことも殆ど明かしてしまっている。

 実際に会おうと、互いに計画を詰めたこともあった。しかし、いざ直前になると、何故か毎回のように何かしら突発的な事情が発生し、結局は会えず仕舞いに終わるのだ。……もはや呪いか何かかと疑いたくなる。


 けれど最近になって、朝陽はそれで良かったのかも知れない……と、思うようになった。

 14年前のあの事件。朝陽を嵌めて、男たちに強姦させようとした元クラスメイトたち。

 どこか“ズレている”朝陽は、当時“嫉妬は怖いもの”と思っただけで、彼女たちの心理について想いを馳せることなどなかった。

 事件後、朝陽は“悪いのは嫉妬させた私”と考え、彼女たちを恨むことはしなかった。けれど、それは根本のところで間違っていたのだ。

 悪いのは確かに“私”だった。しかし本当に理解すべき問題──“では、私はどう悪かったのか”を、当時の朝陽は考えることなく放棄してしまった。

 顛末を聞き自分が“嫉妬された”ことは分かっても、何故、どうして嫉妬されたのか、それを理解していなかったし、理解しようとも思っていなかったのだ。

 要するに、彼女たちを凶行に走らせた嫉妬の根源──自分が彼女たちの想い人である男たちからどう見られていたか──それを当時の朝陽はまるで分かっていなかった。

 ナルシストであるが故に他人から向けられる感情に対し、致命的なまでに鈍感だったのだ。

 

 流石に間もなく30にもなる今であれば、朝陽にだって当時の元クラスメイトたちの心理が多少は理解出来る。

 自分が大好きな相手は他の女に夢中で、自分には全く振り向いてもくれやしない。

 なのに、自らが欲して止まない想い人からのアピールを、その女は歯牙にも掛けていないのだ。

 当然、女は自分たちの存在になど気付いてすらいない。

 酷い女だ。それは腹も立つだろう。完全な逆恨み、被害者は自分とはいえ、同情すらしてしまう。


 ──いや、こういうのがダメなんだ。


 朝陽は自身を戒めた。完全には理解しきれないが、自分のこういう所が彼女たちを追い詰めてしまったのだろう。

 無理解と無関心。それらは容易に人を傷付けてしまうものなのだ。この14年、数々の創作作品から朝陽はそれを学び、そして悟ってしまったのである。自分に人並みの人付き合いは無理である、と……。

 少しばかり悲しくもあるが、それが現実だ。だから彼女にもこのまま会わないでいる方がきっと良いのだ。

 朝陽としては彼女の容姿がどうであれ構わないと思っているし、自分の容易に関しては決して失望はさせない自信があるが、自信があるのはそれだけで、会えばそれ以外のボロが多々露見してしまうに違いない。嫌われる……ことはないと思うが、余りがっかりされるのも辛い。

 それに、今の関係もなんだか遠距離恋愛のようで素敵ではないだろうか──と、そこまで考えて朝陽はハタと我に返る。


 ──自分は今、いったい何を考えていたのだろうか……。

 

 自然と顔が熱くなる。


 ──私は彼女が好き。


 そうか……そうだったのか。薄々なら自覚はあったが、これまで目を逸らし有耶無耶にしてきた事実を、朝陽はうっかりはっきり自覚してしまった。


「……私、レズだった……」


 朝陽の呟きが、一人きりの部屋に染みては消えた。





「どうしよう……」


 うっかりはっきり自覚事件から数時間後。朝陽はベッドの上に正座をし、膝元に置いたスマホを前に一人、懊悩を繰り返していた。

 本日は5月14日。そして明日、5月15日は朝陽の30回目の誕生日であった。明日は実家にて両親がお祝いをしてくれることになっている。毎年の恒例行事だ。

 そしてもう一つ、ここ14年間毎年恒例になっていたイベントが、もうすぐ目と鼻の先に迫っていた。


「どうしよう……」


 既に同じ姿勢で同じ言葉を最低でも20回は呟いていた。


 ──23:55:08


 スマホのデジタル時計が間もなく5月15日の0時を告げようとしていた。……あと、5分。5分後、彼女から着信がある……筈だった。

 特に約束している訳ではないのだが、知り合って以降毎年、誕生日の0時に彼女は必ずお祝いの電話を掛けてきてくれるのだ。

 お祝いされて、お礼を言って……そこから明け方まで他愛もないお喋りで盛り上がるのが、ここ14年間続いている朝陽の誕生日イベントであった。

 最初の年は少しだけびっくりし、それ以降は毎年楽しみにしてきた。電話自体は頻繁にしているが、この夜だけはいつもより少しだけ特別に感じて、朝陽の胸は毎年のように高鳴った。


 ──考えてみると、私……かなり前から彼女を好きってことかしら……?


「っ……」


 余計な事を考えて、茹で蛸のように赤くなる。普段、超然としている朝陽しか知らない者からすれば「誰だコイツ」──と言いたくなること請け合いだ。


 ──23:58:03


 一人相撲でオタオタしているうちに、残り時間は2分を切っていた。


「どうしよう……」


 どうもこうも、電話が鳴ったら出る──答えは元より一択しか用意していない。

 好き……いや、大好きだと自覚してしまった今、彼女からのお祝いの言葉を聞き逃すなんて、絶対にあってはならない事だ。

 ただ、その後朝まで何を話したものだろうか……恥ずかしくてまともに話せる自信がなかった。つい数時間前、事務的な電話をしたばかりだというのに。


 ──これが恋、か……。


 なるほど、狂おしい。

 今ならば恋に狂った元クラスメイトたちの気持ちも、もう少し理解出来るかも知れない。朝陽はそんなことを考える。


 ──23:59:06


 残り1分を切った。

 こうなれば、後は出たとこ勝負で乗り切るしかない。向こうは何も知らないのだからいつも通りを装うだけだ。最初の数分を乗り切れば多分、なんとかなるだろう。そう、朝陽は腹を括った。


 ──23:59:51


 残り9……8……7……6……5……4……3……2……1……0……………………「え?」……着信が……ない。

 

 ──え、どう……して……?


 そりゃあ、約束はしていない。けれど、彼女は毎年必ず0時ちょうどに電話をくれていたのだ。

 朝陽の胸中を困惑と焦燥が駆け巡る。もう少し待つべきだろうか? もしかしたら寝落ちしてしまっているのかも知れない。それならいっそ、自分から──?


「っ……」


 ──あ、ダメ……泣きそう……っ


 ──ピン、ポーン♪


「ッ──!?」


 インターフォンのチャイムの音だった。彼女のことばかり考えていた朝陽は、思わず肩を跳ねさせ、身を強張らせながら息を飲んだ。


 ──誰?


 ここを訪ねて来る人間は限られている。朝陽の両親、その他は郵便、宅配、新聞の勧誘ぐらいのものだろう。いずれもこんな時間に訪ねて来るような相手ではなかった。

 ふと、スマホに目をやる。


 ──00:01:24


 彼女からの着信は、未だにない。


 ──ピン、ポーン♪


 二度目のチャイム。


「……まさか……?」


 あり得ない。一瞬、そう断ぜざるを得ない、荒唐無稽な予感が脳裏を過った。


 ──ピン、ポーン♪


 三度目。間隔が短くなっている。急かされているような気分になった。


「あり得ない……けど……」


 確かめなければ何も判らない。幸い、インターフォンにはカメラも付いている。まずは確かめれば良い。そう考え、朝陽はインターフォンに対応する室内端末の元へと向かった。


「誰も……居ない?」


 室内端末の画面には無人の玄関前がただ映されていた。


「…………」


 ──悪戯……?


 さっきは驚きの余り忘れていたが、そもそもこのマンションのロビーはオートロックだ。基本的に、外部から勝手に中へ入る事は出来ない。

 すると、同じマンションに住む誰かの悪戯かも知れない……いや、ご近所の旦那さん辺りが酔って部屋を間違えていた、という可能性もある。


 ──ピン、ポーン♪


「わひゃっ!?」


 悪戯、もしくは間違い──そう、朝陽が結論付けようとした矢先、四度目のチャイムが鳴らされた。


「……ど、どうやって……?」


 相変わらず、カメラには誰も……何も映ってはいない。心霊現象──などというものを、朝陽は信じない。何かしらトリックがある筈だ。……上手いこと、死角にでも入っているのかも知れない。


 ──ピン、ポーン♪


 ──しつこい。


 いい加減、朝陽は腹が立ってきた。待っていた電話は来ず、なぜこんな招かれざる客の相手をしなければならないのか。理不尽だ。


「──いい加減にしてください。誰ですか? これ以上は警察を呼びますよ?」


 気が付けば朝陽はインターフォンの通話ボタンを押し、マイクに向かって凄んでいた。自分で思っていたよりもかなり低い声が出たことに朝陽自身、内心でびっくりした。……どうやら自分は余程気が立っていたらしい。そう、思った。


「──!? ちょ、ちょい待ちっ! 明けちん! うち! うちッスよ!? 警察は勘弁ッス!」

「……うち?」


 射ち? 打ち? 家?

 朝陽の脳内で色々な「うち」がぐるぐると廻る。新手の特殊詐欺だろうか……「オレオレ」ならぬ「ウチウチ」……?


「だーかーらっ、うちッス! 明けちんのマブダチの“ミステル”ッスよ!」

「……見捨てるの?」

「ちょ、見捨てちゃダメッス! ちゃんと拾い上げて欲しいッス!」


 声の主はミステルと名乗った。朝陽が14年間親しくしてきた友人のハンネと、同じ名前だ。それにどうも声も同じような気がする。


 ──フム? つまり……?


「あなたは私の好きなミステルである、と?」

「──好き!? え、えーっと、そうッス! 明けちんの大好きなミステルちゃんッスよー! だから中に入れて欲しいッス!」


 カチャリ、カチャリと、二重ロックを解錠する。残すはチェーンロックのみだ。朝陽はそれを外さずにそっとドアを押し開け、隙間から外の様子を窺った。


「…………」

「…………」


 ニコニコと笑顔を浮かべる、金髪の女性……どちらかと言えば少女だろうか? 十代後半──18、9程に見える美少女と目が合った。明らかに純粋な日本人ではない。


 ──美人!


 朝陽は普段、伏し目がちな目を丸く見開いた。

 朝陽は自覚あるナルシストだ。その朝陽が率直に認めざるを得ない程、金髪の少女は美しかった。


「……ミステル、なの……?」

「そッスよ! えっと、そんなに見られるとちょっと照れるッス……」


 その声、その微妙に三下っぽいしゃべり方は、間違いなく朝陽の知るミステルのものであった。

 ただ、14年もの付き合いである。自分もそうだが、ミステルだってそこそこいい歳だろうと思っていたので、その見た目の若さに朝陽は思い切り面食らった。


「えっと、若い……ね?」

「……お互い様だと思うッスよ?」


 朝陽とて、見た目は二十歳そこそこだ。とても本日三十路を迎えたようには見えない。


「……ありがと」


 朝陽は耳が熱くなった。


「……そ、そろそろ入れて貰っても良いッスかね?」

「あ、うん。ごめん、ちょっと待って」


 そう言って朝陽は一度ドアを閉め、チェーンロックを外してから再度ドアを開いた。


「……ど、どうぞ」

「……あ、じゃ、じゃあ、お邪魔するッス」


 二人してぎこちない。

 朝陽は気が付いていないが、良く見るとミステルの耳も赤かった。サプライズを仕掛けたまでは良かったが、実のところ彼女も初めて生で見た朝陽の美貌にどぎまぎしているのだ。

 そのまま無言で廊下を抜け、朝陽はミステルをリビングへと通した。





 リビングにはローテーブルが置かれ、その周囲をソファーが囲んでいる。所謂“応接セット”だ。この家には両親ぐらいしか来客はないが、入居の際、その両親がそれなりに立派な応接セットを買って、リビングへと据えてくれたのだ。

 

「…………」

「…………」


 そんな立派な応接セットを尻目に、二人は立ったまま向かい合っていた。互いに値踏み……というつもりはないが、なんとなく言葉もなく相手を観察している。特に朝陽はガン見と言っても過言ではない。


 ──凄い。やっぱり美人。


 と、朝陽は思った。玄関先は薄暗く、気が動転していたこともあって余り詳細を確認出来ていなかったが、こうして明るい場所で改めて見るミステルはナルシストの朝陽をして、とびきりの美女に思えた。

 金色の髪は高い位置でポニーテールにされている。茶目っ気を感じさせる猫のような目にはエメラルドグリーンの瞳が宿っており、髪と同色の眉と睫毛が周囲をバランス良く飾り付けていた。

 笑うと覗く真っ白い歯は綺麗な並びをしているが、犬歯がやや目立っており、それが彼女の悪戯っぽい雰囲気ととても良く合っている。

 胸は朝陽よりも明らかに大きい。背は朝陽と同じか少し高いくらいだが、人種の違い故かミステルは細身でも全体的に朝陽よりも豊満な体つきをしているようだ。

 服装に目をやれば、タンクトップにホットパンツ、上から一枚デニムのシャツを羽織っていて、長い脚は殆ど剥き出しだ。肌は元々は白そうだが、少し焼けているのか健康的な色をしている。

 

 ──元気印のヤンキーガール……だが、エロい。


 朝陽の中でミステルにそんなジャッジが下された。因みにアメリカンな意味のヤンキーであって、日本発の不良少女のことではない。


「……あの~、さっきも言ったッスけど、あんまり見られると恥ずかしいッス……」


 朝陽の視姦に堪えきれず、ミステルがモジモジと身体をくねらせる。


「……エロい」

「はい!?」

「……なんでもない」

「そ、そッスか……」

「……本当に、あなたはミステル?」

「えーっと、まだ信じらんないッスか……?」

「信じたいけど、突然過ぎて私も混乱している……だから少し確認したい」

「まあ、そりゃそッスよね。いいッスよ! 明けちんが納得出来るまで、なんでも聞いてくれッス」

「デビュー前、私があなたに最初に見せた二次作品は?」

「魔法少女○○か☆○ギ○ッスね。全年齢向けだったッス」

「初のR18指定作品は?」

「魔法少女リ○○ルな○はの二次作品ス。○○は×フ○○トの百合本だったッス……てか、明けちんは魔法少女好きッスよね~」

「では初のオリジナルは?」

「エターナルスレイブ。魔法少女×SMの百合本だったッス! あれは名作ッスよ! ……しかし、ここまで全部魔法少女じゃないッスか。いや、ホントぶれないッスね!?」

「むぅ……なら、ミステルの性感帯は?」

「そッスねぇ……全体的に攻められると弱いんスけど、やっぱ一番弱いのはク……ってええええええっ! 何を言わせるんスか!? そんなこと言ったことないッスよね!?」

「ちっ……」

「舌打ち!?」

「気のせい」

「あ~んっ、もぉっ、いい加減信じてくれないと、うち、泣くッスよ!? もーぎゃん泣きしちゃうんスからね!?」

「大丈夫……もう疑ってない」

「……ホントッスか?」

「うん」

「うちがミステルってことでおっけーッスか?」

「うん」

「ファイナルアンサー……?」

「ファイナルアンサー。だから、ぎゅってしてもいい?」

「ふぁ!?」

「んんぅ……柔らか……いい匂い……」

「ちょ、もうしちゃってるし! うちのファイナルアンサーは!? あ、ちょ、匂い嗅がないで! やっ、ひゃんっ!? あーた、どこ触ってんスか!?」

「……聞きたい? っと……今はね、ちく──」

「しゃら~~~っぷ!! いいッス! 言わなくていいッス! そもそも判ってるッスから! そういうことじゃないッスから!」

「そ……」

「んひゃっ!? はぅ!? って、続けるんか~~~いっ!?」

「……ミステル? 今、何時だと思っているの? 大きな声を出しちゃダメ」

「なに真っ当なこと言ってんスか!? そういうのはその手を止めてから言うッス! ふひゃっ!?」

「……悲しいこと言わないで。私、今日気が付いたの」

「……ぇと、真面目な話ッスか……?」

「うん」


 不意に真顔で切り出された朝陽の言葉に真剣な雰囲気を感じ取ったミステルは、朝陽と真っ直ぐに視線を合わせた。朝陽も伏し目がちな目を開き、真っ直ぐにミステルを見詰めている。


「……」

「……」

「……私、私……ね、あなたが好きみたい。友達として──とかじゃなく、その……性的に……」

「ふぁ!?」

「ごめん、驚く……よね。私だって百合本なんか描いてるけれど自分が同性愛者だとは思ってなかったし……あなたに対して感じているものも友情だと思ってた。でも、違ってた。今日……ね、昔のことを思い出してた。昔の私は恋愛感情どころか、人の気持ちもろくに分からないような人間だった。あなたも知ってる……でしょ? でも、私だって少しは成長した。人を好きになるってどういうことか、私なりに分かった。そうしたら……さ、気付いちゃった……私はずっとあなたに恋をしてたんだって。けど、諦めるつもりだった。私、同性愛云々じゃなくて、やっぱり人としてちょっとズレてるから。あなたの迷惑にはなりたくなかったし、これまで通りの関係が続けば良いって、そう思ってた。けど、気持ちを自覚したとたん恥ずかしくって、恥ずかしくって……いつも通りに振る舞える自信なんかなくて、0時になるずっと前からスマホの前で、どうしよう……どうしようって、テンパっちゃって……そうしたら、電話、来ないし……。私、泣く寸前だったんだから……っ」

「……それはその、申し訳なかったッス……」

「ううん、いいの。今この状態で言っても信じて貰えないかも知れないけど、多分、私電話だったらこんな風には話せてないと思う……」

「はは……確かにいつもの明けちんよりも流暢ッスね」

「もうね、勢いで喋ってるから。そ、それで……さ、どう……かな? 私の気も知らず、突然やって来たミステルさん的には。私からの告白は……あり? なし? ふ、振るならきっちりと振ってよね? さ、最後に会えただけでも私は満足だから……」

「……そんな震える声で言われたら断れるものも断れないと思うッスよ?」

「っ……ご、ごめん、やっぱり怖いし……ほ、ほら、早くはっきり答えなさい!」

「──ッス……」

「……え?」

「ありッスよ」

「……いいの?」

「いいに決まってるッス。うちも明けちんが好きッスよ」

「っ……ミステル!」


 感極まった朝陽がミステルに思い切り飛び付いた。ほぼ同じ体格の朝陽を、ミステルは確りと受け止める。が──、


「ミステルっ……ミステルっ……ミステルっ」

「わっ、わわわっ、ちょ、危ないッスよ!?」


 めちゃくちゃに抱きつこうとする朝陽の勢いに押され、二人は縺れるようにしてソファーへと倒れ込んだ。


「んっんん……ミステル~ッ……」

「にょわっ、ちょっ、明けちん!? あぃたっ!?」


 もはやムードも手順もなかった。押し付けるような、齧り付くようなファーストキスは歯と歯が当たり、その余波で互いの唇は切れた。


 ──ファーストキスは鉄錆の味だ。


「んふ……んふふ……今まで妄想と参考資料だけで作品を描いてきたけど、実際にはこんな感じなのね……ふふっ……ふふふ」

「明けちん! いったん、いったん落ち着くッス! 目が、目がぐるぐるしてるッスよ!?」

「ダ~メ……もう逃がさない」

「に、逃げないッスよ!?」

「いいから、いいから……初めてだけど、知識だけはた~くさんあるの。知ってるでしょ……?」

「そ、そりゃあ知ってるッスけどぉ! っく……ふぬぬ……うちより細いのにどこにこんな力がぁ!?」


 どうにか一旦離れようと、ミステルはもがくが、朝陽は見た目からは想像もつかない膂力で以て彼女を押さえ付け、あっという間に服を剥ぎ取ってしまう。


「ちょ、これ、あ~れ~って言うところッスかねぇ!?」

「ふふ……大丈夫、天井の染みを数えていれば終わるから」

「現代建築に天井の染みなんて滅多にないッスよ!」

「……痛かったら、ちゃんと教えてね……?」

「──ッ、くっそう! 急に真顔で優しい声掛けるなんてズルいッス! 反則ッスーーーっ!」

「……だって、初めてが無理矢理だった……なんて、ずっと思われたらやだし……」

「く~~~そぉ~~~うっ! なんでそんなに可愛いんスかっ!? ええいっ、うちも女ッス! もう、あーたの好きに染めちゃってッス~~~ッ!」

「んふ……いただきます♡」


 後にミステルは語る。

 

『アレは明けちんじゃなかったッス。獣……いや、アレはもう淫魔だったッス。うちは初体験で色々な扉を開くことになってしまったッス。もう、元には戻れないッス……うち、汚れっちまったッス……後悔ッスか? ないッスよ……あるわけないじゃないッスか。はは、はははははは……』





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