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4 朔夜の役目

 殿下とふたりでの街歩きにもすっかり慣れてしまった。気の赴くままにフラフラする殿下から離れぬようしっかりついていく。殿下が八百屋の店主としている会話が朔夜の耳にもポツポツと入ってきた。油断は、あった。

 再び殿下とともに通りを歩き出してすぐに、いかにも柄の悪い男たちが後ろをつけていることに気がついた。朔夜は殿下にさらに身を寄せた。

「士族の子どもなどに用はなかろうに」

「貴方さまは士族には見えませんから」

「ん、そうなのか?」

 ふたりは徐々に足を速めた。やはり男たちが追ってきた。向こうもふたりか。

「おわかりでなかったのですか」

「そういうことはもっと早く言わぬか。さすれば、それなりに対策をとったに」

「大人しく従えと最初に仰いました」

 朔夜は左手で殿下の右腕を取ると走り出した。右手は刀の柄にかける。

「素直なのも時には困りものだな」

 前方からも似たような形の男が近づいてくるのが見えて、朔夜は脇道に逸れた。だがさらにもうひとりが現れて、逃げ道を塞がれた。朔夜は自分の背と道沿いに建つ塀との間に殿下を挟むようにして、男たちに向き合った。

「最近、高貴な若さまらしいのがこのあたりをウロウロしていると噂になってた。いったい何をなさってたんだか」

 男のひとりがニヤニヤしながら言った。

「そなたたちのような者が街で迷惑を掛けておらぬか聞いていたのだ」

 殿下は怖じける様子もなく言った。

「餓鬼が、生意気な口を聞きやがって」

 男たちは手に手に刀や短槍などを構えた。朔夜も刀を抜いた。

「おい朔夜、そこを退け。わたしが刀を抜けぬではないか」

 朔夜は殿下の言葉を無視した。訓練では1対複数も経験しているが、実戦となると初めてだった。朔夜は気持ちの昂りを感じたが、一方で頭の中はひどく冷静だった。

(殿下を無事に東宮殿に帰す。それだけでいい)

 男たちがいっせいに襲いかかってきた。朔夜にはその動きがやけにゆっくりに見えた。後ろにいる殿下の声も耳に届かない。

 朔夜は最初に刃の合った相手を落ち着いて斬りすてた。その間にほかの男たちの得物が朔夜の体に傷をつけたが、痛みは感じなかった。ふたりめの男の持っていた刀を弾き飛ばし、返す刀でその男を斬り倒した。

 3人めの狙いを定めたとき、突如背中に衝撃を受けて朔夜はたたらを踏んだ。慌てて体制を立て直し、間近に迫った短槍を避けると男の体に刀を突き入れた。それを抜いて振り向けば、最後のひとりも地面に崩れ落ちたところだった。その横で血に濡れた刀を手にした殿下がこちらを睨みつけていた。

「4人もいたのだ、全部ひとりでやろうとするな」

「殿下に刀を抜かせては、わたしがお仕えする理由がなくなります」

「なくならないだろ。わたしひとりでは無理だからそなたを側に置いているのだ」

 殿下は呆れたように言い、朔夜の全身を眺めた。

「まったく、傷だらけではないか」

「殿下がご無事ならいいのです」

「おい、何をしている」

 通りのほうから皇都守衛隊の衛士たちが駆けてきた。騒ぎに気づいて誰かが知らせたのだろう。朔夜は責任者らしき衛士に自分の衛門府の身分証を示し、殿下のことは衛門府には入っていないが士族の友人と説明した。信じてもらえたかは微妙だが。衛士が転がっている男たちの顔を確かめてから言った。

「この者たちはこの辺りで何かと問題を起こしていたやつらだ」

「私たちはたまたますれ違った際に因縁をつけられてここまで連れ込まれたため、やむなく刀を抜いて抵抗いたしました」

 殿下がスラスラと口にした。怖い思いをした、というように体を震わせてもみせた。

「そうか。だが、よくおまえたちふたりでこの4人を倒したな」

「無我夢中で、よく覚えておりません」

 4人とも息はあるらしく、縄で縛られたうえで戸板に乗せられ運ばれていった。


 ふたりで東宮殿へと帰った。門衛が傷だらけで着物に血痕も散らせている朔夜を見て目を剥いていた。いつもなら殿下を東宮殿門まで送るのだが、今日はそれだけとはいかず朔夜も一緒に執務室に入った。ふたりの姿を目にした途端、真雪が顔色を変えて立ち上がった。

「そろそろ、こんなこともあるのではと思っていましたが。誰か、傷の手当の用意を」

 戸の向こうから答える声が聞こえた。真雪はふたりの周りをぐるりと一周した。

「数は多いが、それほど酷くはないか。背中の足跡もやられたのか?」

「それは殿下が……」

「朔夜がわたしの邪魔をするからだ」

 殿下がことの顛末を真雪に語った。聞き終えると真雪は嘆息した。

「朔夜、殿下がじっとしておられる方でないのはもうわかっただろう。殿下にも刀を持たせて少し発散させればよい」

「嫌味な言い方だな」

 殿下がムッとするも、真雪は気にかけなかった。

「ところで殿下、御体に触れることお許しを」

 殿下の返事を待たず、真雪はその左手首を掴むと袖を捲りあげた。そこに赤い線が走っていた。

「よくわかったな。さすが真雪」

「朔夜がこれだけボロボロなのに、殿下がまったくの無傷というのもおかしいでしょう」

「申し訳ありません」

 朔夜は咄嗟にその場に跪き、額を床につけた。

「何を謝る」

「殿下を無事にお帰しできませんでした」

「それではわたしが死んだかのようではないか。やめろ、立て」

 腕を引かれて朔夜は立ち上がるが、顔は上げられなかった。水滴が床に落ちていく。

「そなた、泣いておるのか」

 殿下が驚きの声を上げた。朔夜は唇を噛んだが、涙は止まらなかった。

「どこが痛むのだ?」

 殿下がずれたことを訊いてくるので、朔夜は震える声で答えた。

「悔しいのです。わたしは自分の役目を果たせませんでした」

「おまえはよくやった。この程度の傷は殿下の自業自得だ。気にするな」

 真雪が諭すように言うと、殿下が真雪を睨んだ。

「そなた、わたしに言いたいことがあるならはっきり申せ」

「では。そもそも殿下が朔夜のことを本来の役目以外にまで引っ張りだすから悪いのでございましょう」

「朔夜の役目はわたしの護衛だろう」

「皇太子殿下の護衛であって、士族の格好をした貴族もどきの護衛ではありません。そのうえ、休みの日にばかり連れ出すから朔夜も遊び半分の気分になってしまうのです」

 涙は止まったものの真雪の言葉に身を縮めた朔夜の横で、殿下は涼しい顔をしていた。

「使える人材はそれほど豊富ではありません。無駄遣いするようなことはそろそろお止めください」

「わかった。忍びで外に出ることはしばらく控える」

「しばらく、ですか」

 目を細めた真雪に対し、殿下はフッと笑うにとどめ朔夜を見た。

「そういうことだ。残念だが仕方ない。こんな舐めとけば治るような傷のことは忘れてよいぞ」

「舐め、ますか?」

「ただの比喩だ。血迷うな」

「はあ、申し訳ありません」

「そなたは素直すぎる。わたしの言葉すべてを受け入れる必要はない。嫌なことは抗え。何でも頷かれては冗談も言えぬではないか。今すぐ死ねとか、好きな女を差し出せとか、伽をせよとか」

「伽は嫌です」

「安心しろ。わたしも嫌だ」


 その夜、朔夜はなかなか寝つけなかった。同室の者たちの寝息や鼾を聞きながら、改めて己の役目について考えた。

 真雪に言われたとおり、朔夜は殿下とのふたり歩きをどこかで遊びのように捉えていた。殿下の護衛としてついていながら、友人といるかのように気を緩めていたのだ。勘違いも甚だしい。

 朔夜の役目は殿下をお守りすることのみ。最初から真雪に言われていたではないか。真雪のような文官と求められていることは異なるが、護衛も殿下にとって必要な存在であることは同じ。わずか14歳で大きなものを背負い、これからその荷をさらに増やしていかねばならないあのお方を少しでも支えてゆければと朔夜は思った。

 もうじき仮配属の期間は終わろうとしていた。


 救護室での出会いから2ヶ月。その日はやって来た。

 執務室で殿下に対して礼をとった。いつの間にか考えずとも滑らかに体が動くようになっている。

「今まで大儀であった」

 殿下の様子は普段のままだった。

「たいへんお世話になりました」

 朔夜は肌身離さず持ち歩いていた東宮殿の身分証を殿下の手に返した。殿下はそれを真雪に渡しながら、目を眇めて朔夜を見た。

「それで、これからもわたしの側におるつもりはあるのか、朔夜」

「はい、あります」

 朔夜がまっすぐに殿下を見つめて即答すると、殿下はニンマリと笑った。

「良かろう。では衛門府のほうの身分証も寄こせ」

 朔夜が言われたとおりにすると殿下はそれも真雪に放り、代わりに袂から出した新しい身分証を朔夜に手渡した。表には衛門府に所属するが東宮殿が責任を負う旨が記されている。

「今後もそなたの身分は衛門府の衛士であるが、その身柄は正式にわたしの預かりとなる。ゆえにそなたはわたしからの命をすべてにおいて優先しろ」

「承知いたしました」

「間近で見るそなたの剣術は想像以上に凄かった。また見られるのが楽しみだ」

 真雪が咳払いをかぶせてきたので、殿下がつまらないという顔をしながら言い直した。

「まあ、見ずに済むほうが良いが……。ともかく、末長く仕えよ」

「はい、生涯お側で仕える所存にございます」

 朔夜が深く頭を下げるのを、殿下は満足げに見つめていた。

「櫻井どの、改めてよろしくお願いします」

 朔夜が真雪にも一礼すると、真雪は頷いた。

「こちらこそ、頼む」

 それから少し間をおいて、真雪が付け足した。

「ただの真雪でいいぞ。敬語もいらない」

 朔夜は真雪の顔をしばし見つめ、それから答えた。

「これからも頼む、真雪」

 真雪の顔にも笑みが浮かんだ。


 正式に皇太子殿下の専属護衛衛士になった朔夜は己を律することに務めた。

 殿下の側にいるときは常にその身の安全だけを考えること。決して気を緩めたりせず、表情も締めておく。いくら殿下と真雪が許しても、殿下の左腕の傷が一見わからぬ程度の痕になっても、朔夜自身が己の失敗を忘れることはできなかった。

 東宮殿守護隊の萌木色の羽織は寮の引き出しにしまいこんだ。己は殿下の直属の衛士であるという責任を明確にするためだ。そのかわり、守護隊との連携は密にとる。東宮殿の警備計画などもしっかり頭に入れておく。

 ちなみに殿下の専属護衛になった直後、寮では一人部屋を与えられた。本来なら正式な配属が決まった時点ではよくて四人部屋だ。しかし、それを殿下に言うと当然だろうという答えが返ってきた。

「それがそなたの役目の重さではないか」

 朔夜は納得した。だがしばらくしてから、朔夜の生活がほかの衛士より不規則になるのを見越しての配慮だったのではとも思うことになる。

「寮の部屋ごときで騒ぐな。そなたには真雪のように欲しいものはないのか? わたしの側におればそのうち何でも手に入るようになるぞ」

 殿下にそう言われても特に思いつかず、朔夜は首を傾げるしかなかった。殿下は苦笑した。

「やはり朔夜は恵まれておるのだな。まあ、そのうち何か見つかるだろう」

 


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