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2 殿下の外歩き

 数日後の朝、朔夜が不寝番を終えて寮に戻ろうと殿下に挨拶をすると、殿下は珍しくにこやかに言葉を返した。

「よく休め」

「はい、そういたします」

 衛門府の寮に戻るとちょうど同室の者たちとは入れ違いになった。六人部屋にある自分の寝台に入るとすぐに朔夜は眠りに落ちた。

 どれほど時間がたったのか、朔夜は体を大きく揺さぶられて眠りを妨げられた。目を開けると、先ほど「よく休め」と言ったのと同じ顔が間近にあった。とりあえずもう一度目を閉じてみると、今度は頬をベチベチと叩かれた。

「朔夜、早く起きぬか」

「どうして殿下がこんなところにいらっしゃるのですか。私は明日の朝までは休みのはずですが」

 朔夜は渋々起き上がった。時間を確認すると正午少し前だ。

「休みゆえ、ともに出かけるから着る物を貸せ。ここか?」

 朔夜の返事を待たずに、殿下は寝台の下の引き出しを開けて中を漁り始めた。

「そなたも着替えろ。これでよいか」

「いったいどちらへ行かれるのですか?」

 言われるままに、殿下が投げてきた着物の袖に腕を通しながら尋ねた。

「街だ」

「街にって、何をしにですか?」

「視察だ」

「なぜ私の着物を着られるのですか?」

「皇太子と暴露ぬようにだ。決まっておろう」

「お忍びということですか? 櫻井どのは?」

「真雪は留守番だ。やらねばならぬことも多いからな」

「それって、殿下のやるべきことですよね」

「うるさいのはあいつだけでよい。そなたは大人しくわたしに従え」

「はい」

 着替えが済むと、殿下は朔夜を連れて寮を出た。朔夜が食事がまだだと訴えると、外に出てからだと却けられた。

 殿下は皇宮の北東の端にある衛門府寮から最寄りの玄武門ではなく、白虎門に向かった。門を出るには身分証が必要だがどうするのかと思っていると、殿下は持たぬはずのそれを袂から取り出して門番に見せた。門から離れたあとで朔夜は殿下に訊いた。

「身分証はどうされたのですか?」

「真雪に用意させた」

 殿下はこともなげに答えた。つまり、真雪は完全に殿下の今日の計画を知っていることになる。

「止めても無駄だから必要な準備はしておいたということか」

 朔夜は独り言のつもりだったが、殿下には聞かれていた。

「そもそもこうしてわたしの供をできる者が見つかるまでは自重していたのだぞ。ありがたく思え」

「はあ」

 あまり思えなかった。

「で、どこだ?」

 唐突な殿下の問いに、今いる場所もあって嫌な予感がした。

「何のことでしょうか」

「そなたの家だ。士族ならこの辺りであろう」

「私の家に殿下が見る価値などありません」

「それは実際に見てからわたしが決める。さっさと案内しろ」

 朔夜は諦めて歩き出した。


「衛門府の友達、かい?」

 玄関で迎えた母は、首を傾げた。母の疑問はもっともだった。いくら朔夜の着物を身に付けていようがこの方は衛士には見えない。

「皇太子殿下です」

 朔夜が事実を告げるとさすがの母も目を剥き、その場に膝をつこうとした。殿下はそれを止めた。

「そのままでよい。突然訪ねてすまぬな。ここでは朔夜の友として扱ってくれて構わぬぞ」

 そう言うと、まだ戸惑っている母を横目に殿下は家に上がり込んだ。全然友達らしくもない。

「良い匂いがするな。昼餉の邪魔をしたか」

「いえ、済んだところでございます」

「残ってはおらぬか」

「すぐに用意できますが、殿下が召し上がるのですか?」

「朔夜もわたしも腹が減っておる。食べさせてもらえるとありがたい」

 母が朔夜の顔を見たので、朔夜は仕方なく頷いた。

「では、少しお待ちくださいませ」

 母が奥へ引っ込むと、朔夜は殿下を居間へ案内した。

 殿下は迷わず上座に座った。そこに置かれている座卓を物珍しげに撫でた。

「おお、士族は膳を使わぬのだったな」

 さらに殿下はキョロキョロと部屋の中を見回した。自分の生まれ育った家なのに、朔夜は落ち着かない気分だった。

「お待たせいたしました」

 母が湯気を立てる椀をふたつ盆に載せて運んでくると、殿下と朔夜の前に置いた。

「これは何だ?」

「煮込み饂飩でございます」

「ああ、饂飩なら食べたことがある。もらおう」

 殿下が箸を手にして食べる姿を母子はじっと見守った。

「うん、美味いな」

 殿下の言葉で母は安堵の笑みを浮かべ、朔夜も箸をとった。

 おかわりの分まできれいに平らげると、殿下は母を捕まえて話しを始めた。普段何をしているのか、最近気になっていることはないか、朔夜はどんな子どもだったかなどなど。母も息子の話になると楽しそうな顔になっていた。

 殿下がようやく腰を上げたときには、朔夜は心底ホッとした。ところが殿下が、

「また参る」

と言い、それに対して母も、

「いつでもお越しください」

などと答えるので、朔夜は思いきり顔を顰めた。

「朔夜、殿下の御為にしっかり働くのよ」

「わかってます」

 朔夜は複雑な気持ちで母とわかれた。


「もっとあちこち行くつもりだったのに、思わぬ長居をしてしまったな。次は気をつけねば」

「次があるのですか」

「良い母ではないか。また会いに行こう。そなたももっと顔を見せに帰れ」

 朔夜はムッとするが、その顔を見た殿下はフンと鼻で笑った。

「そなたがあまり家に帰らぬのは、親に会えば気持ちが弛むとかそういう理由であろう。良い心がけではあるが、幸せな悩みだな。あのようにいつでも迎えてくれる家ばかりではないぞ」

「殿下はもっとご両親と一緒にお過ごしになりたいのですか?」

 こんなことを訊くのは不敬だろうかと思いながらも朔夜はそれを口にした。

「いや、わたしにはあれ以外はありえぬからな」

 殿下に気を悪くした様子はなかった。


 翌朝、朔夜と顔を合わせた真雪は涼しい顔で言った。

「昨日はご苦労だったな」

「せめて、前もって教えてください」

 恨みがましい気持ちになった朔夜に対し、真雪は珍しく笑顔を見せた。

「大して変わらないだろ。どうせ殿下の思うまま動かされるしかないんだから」

「また外に出るおつもりのようですが、よいのですか?」

「あの方が納得されるまでは付き合うしかないな。おまえはとにかく何があっても殿下をご無事に東宮殿までお戻ししろ」

「はい」

 朔夜は溜息半分で答えた。


 それからは、朔夜は休みのたびに殿下に叩き起こされた。

「なぜ殿下がご自身で着替えをできるのですか?」

 何度めかのときにふと気になって朔夜は殿下に尋ねた。

「わたしがただボサッと突っ立って着替えをさせているわけがないだろう。内官や女官らの動きもよく見て盗めるものは盗むのだ」

 殿下はそう言って胸を張った。

 殿下は街へ出るとあちらの商店、こちらの飯屋と目についた場所に入っては店員や客と話したり、並んでいる商品を眺めたりした。

 士族の形をしたやけに綺麗な顔立ちの子どもに突然話しかけられた者は最初は訝しむ様子だった。が、若い文官による視察とでも思われたのか、もしくは殿下が意外にも真面目な顔と丁寧な態度で庶民と交流する術を心得ていたからなのか、相手も気がつくと心を許しているようだった。

 一方で、朔夜の家に立ち寄ったときにはやはり殿下はいつもの殿下のままで、それがむしろ寛いでいるように朔夜には見えた。だが、仕事を真雪に丸投げして殿下だけこのように遊んでいてよいのかと疑問が浮かび、次に真雪に会ったおり尋ねてみた。

「殿下が執務室で普段されているのは仕事ではないぞ」

 真雪にそう返されて、朔夜はますます首を傾げた。

「ではいつも朝から晩までいったい何をしておられるのですか?」

「勉強、だな。よく考えてみろ、殿下の御歳でまともな仕事を任されるはずがないだろう。だから殿下は今のうちに見られるものを見、聞けることを聞き、読んで調べてとしておられるのだ。まあ、街に出るのもその一環ともいえるか」

 朔夜は目を見開かれる思いだった。

「だから殿下をお止めしないのですね」

「正直に言えば、朔夜に殿下を任せておけば、その間わたしは自分のやりたいことを好きなようにできる。ある意味ではおまえの休みをわたしが奪っているのかもな」

 そう言って真雪はニヤと笑ったが、朔夜は腹を立てる気にはならなかった。おそらく真雪のやりたいことというのも勉強の類だろう。

「櫻井どのはなぜ殿下にお仕えしているのですか?」

 ふと気になって、朔夜は尋ねた。

「もともとはおまえの場合と同じだ。官吏養成所をもうすぐ卒業するという頃に、殿下が突然訪ねてこられた。ただ殿下の命で、卒業して1年はほかの卒業生と同様に正殿のあちこちに行って実地研修を受けた。そのあとで殿下から正殿か東宮殿か好きなほうを選べと言われて、迷わずこちらを選んだ」

「その理由は?」

「殿下にお仕えするほうが間違いなく将来出世できるからだ」

「え、そんな理由ですか」

「大事なことだろう。それと、殿下の側にいるほうがおもしろそうだからだな」

 朔夜には、まだピンとこなかった。


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