05 国境前の逃亡・上
おい、そろそろ見えて来たぞ。
窓のカーテンに頭を突っ込んで外を窺っていたネッドは、態勢を戻すと親指でクイッと進行方向を指してそう言った。
王都から馬車を走らせる事丸一日、旅の時間にして二日。
私達はリダージュの王都から最も近くに位置する国境都市セフィードリムに辿り着こうとしていた。
「ネッド、見たいんだけどいい?」
「あ? お前さんの好きにしたらいいだろ。別に犯罪者でもあるまいし、出来る限りお忍びのがいいってだけで、顔見られてとんでもなく困る事はねェんだろ?」
「あー、そうな」
家出ではある事を隠しているので、ネッドの言う事はもっともである。
「リベルさん、お忍び旅なんですか?」
「あ? あー、うん、そう。私、実は外遊官なんだよね」
そう言えばラルハネーシュにはまだ私の立場について何にも教えてなかった。
エルヴァになら別に構わない、というより関係ないか、とあっさり官職名を明かす。
「がいゆうかん? なんですか、それは?」
が、ラルハネーシュにはピンと来なかったらしい。
んー? とおっとり首を傾げた彼女に、まあエルヴァだしなとさっくり外遊官について説明してやる事にした。
エルヴァは国家としても民間でも、かなり外の文化に関心が無い事で有名なのだ。
「外遊官っつーのは、正式な国交の無い外国の視察調査を主な仕事とする外交官の一種なんだけどさ。親善大使みたいな堂々とした使者とはちょっと事情が違くて、基本的に立場を明かさずに、行き先も自分で決めて、自由にあちこち見て回るような視察をするんだよね」
どっちかって言うと国際的に存在を認められた諜報員に近い。リアル観光客(隠語)。
「へえぇ……。あれ、でも、外国でそんな自由が許容されるんですか?」
「実はな。国際法に違反しない事と、いざという時身分が証明出来る事が条件だけど、やりようによっちゃ結構機密的な情報に近づく事も許されてるんだぜ」
冥蛇の出現以降、エル・アステルの主要な国家は各地の迷宮の捜索と攻略・管理に追われ、国家間で紛争するような余力は人材的にも財政的にも失われている。
『傭兵』ギルドで斡旋される主な仕事が魔獣狩りや迷宮探索であるあたりがその証拠かな。
けど建前上、国家というものは他国の動向に常に注意を払う必要がある。それがたとえポーズに過ぎないとしてもだ。
んで、そのポーズが『外遊官』。表立って仲良くする訳でもないが他国への害意が国内に潜んでいる訳でもない、探られても腹は痛くないと証明するため、国が堂々と招き入れる他国の調査官という訳だ。
「『外国で遊ぶ官』とは的を射つつも結構な皮肉の効いた名前だよな。実際、遊学とか観光に大義名分着せてるだけって事も多いしさ」
「なるほど。面白そうなお仕事なんですねぇ」
(それだけで話が済むなら、別に何の危険も無いんだけどな)
このエル・アステルには迷宮も無く主要な国家でもない、つまり国際社会に見向きもされないような小国……まあ、殆どが一領地扱いだけど……という扱いの土地が、かなりの割合で存在している。
そんでこいつらは、二百年前の国家精神が取り残されているようなド田舎国家と考えられている通り、未だにそういう国同士で領地を争うだの王座を争うだのという前時代的な事を続けていたりもする。
そんな国々にとって、勢力争いをあんまりやり過ぎると圧力を掛けて黙らせる方向に動いてくる主要国家ってのは、完全に目の上のたんこぶという事で。
職務上、目立たないようにほぼ単身で国家間をひっそり行き来して外国の情勢を調査する外遊官は、そういう連中にかなり狙われやすい立場になる。
賄賂を渡して情報操作をさせようとしてくる連中もいれば、誘拐して先進国の情報を得たり外交のカードにしようと目論む連中も居るし、めちゃくちゃ頭の悪いアレだと主要国家同士を争わせようと陰謀練って暗殺しようと狙われるというパターンもあったりするらしい。
とまあ、そういった裏事情から、外遊官はますます目立たないように旅をするのが基本になっているという訳である。
(って言っても今回は主要国家の衛星国しか通らねえし、その辺の理由は今んところ家出を誤魔化す事にしか使ってねえんだけどな)
嘘は言っていないので、この場合もセーフだ、セーフ。
納得した様子でふむふむと頷いているラルハネーシュにもういいかなと説明を打ち切って、私は窓のカーテンをぺっと捲り、外へと首を突き出した。流石にまだ家族の追手がこの辺まで来ているという事はないだろうし、ヘーキヘーキ。
「うわ、凄……」
そうして思わず、感動に小さくそんな声が出る。
視界一面に日暮れに染まる平原が広がっていて、そよ風に波打っていた。遠くには薄ぼんやりと北の山々の稜線が連なって見え、その上では星空と黄昏が丁度入れ替わろうとしていて。
馬車の進む方へと目を向ければ、街道の先には白い城壁が聳え立っていて、その奥から突き出た尖塔が夕日の逆光に揺れていた。──国境都市セフィードリム。歴史は浅いが、冥蛇以降に急速に発展した近代都市で、恐らくこのリダージュで今最も栄えている都市の一つ。
「ネッド、あの城壁って冥蛇から溢れた魔獣の骨で作られたんだって?」
風の心地よさにそのまま窓枠に腕を組んで顎を乗せ、ネッドへと話を振る。
「ん? ああ、バルフートだな。まだ近場に生息してるぜ。バカデケェ牛みたいな魔獣で、未成熟な個体でもちょっとした家くらいもある」
「狩ったことあんの?」
「城壁の修繕に何度かな。普段は生息地は立ち入り禁止だ」
どうやら建材として、狩り尽くさないように一定以上の数は残されているようだ。
「へぇー……。あ、向かいから人が来るわ」
セフィードリムを通りすがりに角とか剥製とかでいいからちょっとそのバカデカさが実感できそうなものでも無いかな、とか思いながら、どんどん近づいてくる白い城壁を眺めていると、その城門から馬に乗った一団が出て来るのが見えた。この時間から他所の街に移ろうとは随分と急ぎの旅だな。
「おーい、旦那方。道を譲ってもいいですかね? 早馬の一団が通るみたいでさぁ」
「いいよ」
遠目から見る限り、シルエット的に傭兵団とかかなぁ。
御者台からの問い掛けにオッケーを返した私は、ゆっくり速度を落とす馬車が街道の端に寄るのを感じながら、そのままボーッと近付いてくる一団を眺めていた。
ドドッ、ドドッと馬の蹄が地を揺らす音が響き、やがてそれに混じって金属のぶつかり合うガチャガチャした音も聞こえてくるようになると、間もなく窓の向こうを旅装の男達が何人も通り過ぎて行って──
「…………あっ、やべ」
その中の一人と、たまたま、目が合った。
偶然だ。
そんで、とんでもない不運だ。
「────ミレイユ姫っ!!? 何故こんな所に────」
「おい御者、馬車出せ今すぐ超特急!! 金貨十枚上乗せしてやる!!」
急には止まれずに流されて行ったが、明らかに私に向かって放たれたその声を掻き消すように、私は身を乗り出して御者へと怒鳴った。
──なんっで、ウチの騎士見習いが傭兵団なんかに混じってこんなところに居るんだよ!!