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他 一方、その時の彼らは・1

別視点のお話です。



 さて、ミレイユ・ナ・ギリアネイン公爵令嬢──改め、リベル・アト・レスタギリアが人生初の店での買い物に浮かれきっている時から、話は少し遡る。



「──恐れ多くも、国王陛下」


 長い沈黙の末の事であった。

 たった一人、王家の人間がずらりと並んだ玉座の間へと呼び出された少女が、ほんの僅か震える声で、しかし、はっきりとそう声を上げたのは。


 十七歳の公爵令嬢、ミレイユ・ナ・ギリアネイン。彼女は生まれる前からこのリダージュ王家に嫁ぐ事が定められ、そのためだけに育てられたと言っても過言ではない存在だった。

 年若いながらも、社交界では突出するほど完璧に仕上げられた『淑女』の体現者。彼女がそこに至るまで、どれほどの努力と苦労を積み重ねてきたか。

 それを、王妃はずっと見守り続けてきた。未来の義母として──彼女の第二の母のつもりで。


 そして、だからこそ、あまりにもその姿が哀れに思え、そっと目を伏せていた。

 定められていた未来が断たれ、積み上げてきた全てが水の泡と消える、この婚約破棄の場を、どうしても彼女は見ていられなかったのだ。


 しかし。


「王のお言葉を遮る無礼は存じております。けれどどうか……どうしても、お聞かせ頂きたい事がございます」


 ミレイユの申し出に、ただ空気だけが揺れた。

 誰も、誰一人として、まさかこの淑女が王家の決定に異論を唱えるなど、予想もしていなかったのだ。

 普段の彼女からは想像出来ないその行為に、ますますこの仕打ちを痛々しく思った王妃は更に目を伏せようとし──、しかしふと、その声の秘めた力強さに気づいて視線を上げる。

 そうして一瞬、ミレイユの澄んだ空色の瞳に、まっすぐ射抜かれた。


(……泣いて、ないわ。ああ、流石はミレイユね。どんな時も平静さを失わず、堂々と威厳と気品に満ちている。本当に、どうしてあの子は私の子として生まれてくれなかったのかしら。お従兄(にい)様の子ではなく、私の娘に生まれていたら──。いいえ、それでも、この家に嫁いで私の子となる筈であったのに……)


 婚約を別にしても、王妃はミレイユを特別愛おしく思っていた。祖母の色彩を継いだ淡い金髪碧眼や、ギリアネイン家の怜悧な顔立ちを受け継いだ美しい容姿は、お腹を痛めて産んだ二人の王子より余程親しく感じられて。

 故にこの今にも失われようとしている婚約を、王家の中で最も惜しんでいたのは王妃であった。恐らくは、当事者である第二王子よりも、心底深く。


(──せめて、この子が何を願おうとも、私が出来る限りを図らいましょう。私はミレイユの第二の母と心を定めていたのだから……)


 そう決心した王妃の隣で、王がミレイユを促した。


「なんだ? よい、遠慮無く申してみよ」


 元から、この婚約が破棄される事になったのは全て王家側の問題によるものだ。

 王家への深い忠誠を尽くし、そして一生仕えていくためその十七年を捧げたミレイユに、王妃だけでなく、王家の全員が報いる心積もりをしてあった。


「では……。此度の破談、もしも当家や私の不徳の致すところであれば、私はこれ以上この王の都を穢すような事には耐えられません。どうか王のお言葉でお裁き頂きたく」


 そう言って深々と頭を垂れるミレイユに、慌てて王家の面々は「違う!」と声を揃えた。ただ一人、この場にただただ困惑するしかないロードレントの姫を気遣う第二王子を除いた全員が。


「そうではない! そうではないのだ。ギリアネインと其方の深い忠誠と献身は一つも損なわれてはいない。寧ろ、この破談により、其方の名誉に傷が付くことこそを私は心苦しく思っているのだ」

「まぁ……陛下。そのお言葉こそ、我が身に余る光栄でございます」


 ミレイユの毅然とした姿がやっと一瞬だけ揺らいだように王妃には見えた。


(本当に、なんという忠誠と献身なのでしょうか。そして私達は、そんな彼女を裏切るのだわ……)


 その、遣り切れなさに、再び王妃が目を伏せようとした時だ。


「……それでは、陛下、憚りながら。私の十七年の忠義と献身に、どうか報いてはくださらないでしょうか?」


 耳を疑うような言葉が、耳を疑うような声色で、彼女の口から飛び出した。


(……? …………!!?)


 まるでたった一瞬のうちに別の人間がそこに立ったかのように思えて、動揺と共に王妃は目を瞬かせる。


 芯の強さを感じさせつつも慎ましさを備えていた上品な微笑みが力強い不敵さを称えた笑みへと変わり、鈴を転がすかのような軽やかな声が、まるで演説する王のようにはっきりと猛々しく。


(これが、これは、ミレイユ? 本当にミレイユなの?)


「は、……う、む。そうだな。其方自身にも報いる必要があるだろう。よい。遠慮なく申してみよ」


 その変わり様は王妃だけでなく王にも衝撃を与えるほどのものであり、ほんの僅かながら、彼は目の前の少女に気圧された。

 よく見知った筈の少女の突然の変容は、それほどのものだったのだ。


「なんというご寛大なお言葉。陛下のご厚情に、遠慮なく私の心の内を明かせて頂きたく存じます」


 あまりにも鮮やかに、それまでの淑やかさをすっかりと振り切って、晴れ晴れとミレイユは笑う。


「私は一生を王家に捧げる身として過ごして参りました。この忠誠と献身は、既へと神に誓ったもの──ゆえにこれより先、他の誰にそれを移すような事があれば、私は神への誓いを穢す事となります。陛下、どうか私の忠誠と献身に報いを下さるというのであれば、どうか私を一人の王家の騎士として(・・・・・・・・)、取り立てて頂きたく存じます」


 一体この娘は何を言い出すのかと、その場の誰もが心のうちではそう叫んだ。

 それ程に、ミレイユの口にした望みは突拍子も無い事であった。


「次に私の名誉を思うのであれば、誰一人として私を知らぬ国へと私が去れるよう、『外遊官』の官職を授かりたく。……厚かましくももう一つだけ。ギリアネイン家の娘としての責務を果たせぬ事になる、この私の矜持をお慰め頂けるならば、私に新たな名を名乗ることをお許し下さい。──これが私の願いです。恐れながら、陛下のご温情を賜りたく」


 今度こそ、誰もが言葉を失った。

 ミレイユが願った事は、隠棲に等しい。世を儚み、世俗から離れる事を願った貴族のそれだ。

 ただ彼女が修道院へ行きたいとは言わなかったのは、彼女が口にした通り、既に立てた誓いによりその身と心を神へ捧げる事が叶わぬゆえの事だろう。


(結婚は女の幸せだというのに、そこまで。ああ、やはり私達は、恐ろしい裏切りを彼女に働いたのだわ……)


 ミレイユの望むままに全てを叶えるとしか、王と王妃には応えられなかった。


 ──そう、彼らは最後まで知る由も無かったのである。

 囲われた世界しか知らない筈のミレイユに、いつの頃からか全く別の世界で生きていた青年の人格と記憶が混じっている事など。

 その影響とこれまでの抑圧だらけの人生の反動で、彼女がこの世界では確立さえしていない『個人の自由』を欲していた事など。

 そして目論見通りにその自由を手に入れた彼女が、その足で出奔じみた経路を用いてこのリダージュを去るつもりである事など。

 更には『婚約破棄の事実を受け止めこれからを考える時間が欲しい』などと尤もらしく並べ立て、口止めまで果たした事など。


 まったくもって、知る由も無かったのである。


 ──沈痛な面持ちを僅かに滲ませる王家の面々のうちミレイユの婚約者であった第二王子セルエストだけが、全く異なる思いで彼女の背を見送った事さえも。

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