02 宿場町ラーフェルにて
……ガタガタゴトゴト、ガラガラガタガタ、道を轢く車輪の音は続く。
「え、ネッドって迷宮に潜った事あんの」
「ああ。あんまりにも金に困った時期にちょっとなぁ。リダージュには無ェから、近場でも東南のミルザルトか西のナルダキアまで行くんだけどよ。町を出入りする税金は高ェわ、迷宮の危険度がその辺の魔獣狩りとは段違いだわで…………」
大抵の街では平民の旅券だと出入りするだけで税金が取られるらしい。傭兵家業も楽じゃなさそうだ。
◇
……ガタゴトガタゴト……。
「……つうかリベル、お前さん本気で箱入りのもの知らず過ぎやしねェか? 貴族のお嬢さんったって、外遊官に任命されるのがそんなんで大丈夫なのかねぇ……」
「あはは、私はちょっと念入りに育てられてきたからね。まあ、すぐ慣れるって」
「そりゃあ違和感なくそんな口調で喋りやがるくらいだし、そうかもしれねェけどよぉ」
王室直属の外遊官という事だって信じられないでいるネッドである。これで私が実は元第二王子の婚約者な公爵令嬢でーす、だなんて明かしたところで、絶対に冗談だと思われるだろうなー。
◇
……ガコガコ……、ギッコン。
「魔術や魔道具を使う傭兵ってのは、やっぱリダージュには少ねェわな。迷宮も無ェし、それに……」
「国からの援助や保護が一切無いしな」
「ああ、そうだな。あとは……出る魔獣も大人しい方だから、そういう意味でも魔術はあんまり必要とされてねェな」
(リダージュってやっぱ技術先進国ではあるけど、魔術に関しては後進国だよなあ。まあ、先進国後進国って概念なんかこの世界じゃ聞いたこともねえけどさ)
◆
……ガタタタ! ガガガガガッ、ギッ! ガゴンッ!!
「うわっ!? なんだなんだ!!?」
朝っぱらから婚約破棄されてーの、即時で貴族街を出た足で傭兵ギルドに向かいーの、そこからそれほど間も無く馬車に乗りーの。
で、およそ半日程の時間をネッドとの散発的なお喋りに費やした頃。
予想以上に快適な乗り心地を提供してくれていた馬車が悲痛な叫びらしきものを鳴らし、ついでに前方からお馬さん達のめちゃくちゃ可哀そうになるような嘶きが突如として聞こえてきて、私とネッドの楽しいお喋り……の、間の微妙な沈黙タイム……を強制的に中断させた。
「伏せてろッ! おい、何があった!」
一気に仕事モードになったネッドはぐいっ、と私の頭を掴んで馬車の床の方へと押し付けつつ、窓から御者に大声で状況確認する。
素晴らしい護衛ぶりで全く文句は無いんだけど、ひん曲げられた首と背中が痛い。それとあとコルセットの端が刺さってめっちゃ痛い。アッすげえ痛いコレめっちゃ腹に食い込んでるわ──新しい服を買ったら二度と付けるか、こんな下着……ッ!!
「す、すいませんお嬢様、傭兵の旦那! それが、いきなり道で人が倒れ込みまして……!」
御者からの返事に、私達は揃ってほっと息を吐いた。ら、腹に刺さったコルセットの端のせいで噎せた。ネッドの手が慌てて頭から外され、げほげほと咳き込みつつもそっと上半身を起こす。首とか背中の筋痛めてないといいなー。
外の様子を見るためにネッドが少しだけ捲り上げたカーテンの向こうへと私も視線を移す。
どうやら私達は既に街道沿いの宿場町に入っているようだった。数刻前に見たリダージュ王都の下町とは随分雰囲気の異なる、質素かつやや堅牢そうな、一言で表すなら武骨なデザインをした建物が道沿いに立ち並んでいて、ほんの少しだけ人のざわめく声が聞こえてくる。
「……げほっ。うぇ。……ネッド、倒れた人ってどうなったか分かる?」
「分からん。馬車の揺れ方からして轢いちゃいねェと思うけどよ」
「んじゃ、降りて様子見よう。死なれると寝覚めが悪い」
ネッドは呆れ返った顔で私を見下ろした。
「……おいおい、箱入り世間知らずの上にお人好しときたか」
「そりゃそうだろ。一応これでも貴族生まれの貴族育ちなもんで──まあ、高貴な育ちってやつ?」
「その喋りのどこに高貴さがあるってんだ?」
「やかましいぞ」
耳を抑えながら行儀悪く足で馬車の乗降口のドアノブを下げると、ますますネッドは顔に浮かべた呆れを深めたが、何も言わずに先に馬車を降りた。
(いや何言っても無駄だって悟っただけじゃね?)
あーあーあー、頭の中までやかましいぞ。
◆
「……まったく。まさか怪我を見るだけじゃ飽き足らず、保護まで決めるたぁ……」
「高貴な育ち、高貴な育ち♪」
「お前さんって奴は本当に調子いいぜ、本当によォ……」
(おい、なんかすごい勢いでネッドに呆れられてる気がするんですけど大丈夫ぅ?)
オーライ、気にせずガンガンいこうぜ。
調子のいい私は宿場町・ラーフェルの中央通りをガンガン進む。
完全に成り行きだけど、意識の無い怪我人を保護したので、今日はこの町に泊まる事に決めた。
ついでに折角馬車から降りた事だし、今のうちにこの超邪魔くさいコルセットにドレスにヒールを処分してしまう事にもした。
と、いう訳で、私とネッドは今から服屋に入るところだ。
──実のところ、傭兵ギルドに語った「亡命でも夜逃げでもない」という言葉は嘘じゃないが、完全でもなかったりする。
私は王家で身分を得たその足で貴族街を出た。つまりこの旅は、亡命でも夜逃げでもないが、家出ではあったりするのだ。王家から公的な自由を手に入れはしたけど、それを家族が許すかどうかは別問題という訳で。父や兄の性格を考えるに、追ってくる可能性は結構高い。
とはいえ、今の奔放な自分なんぞ片鱗たりとも表に出してこなかった私がまさか最速のルートで国外に出ようとしているとは誰も思わない筈だ。
王家からの婚約破棄と、それに纏わる補償内容がギリアネインに通告されるのは明日の朝。それまでは、私の元婚約者殿がその名に懸けて『リベル』の存在は明かさないと誓ってくれた。
追手が掛かるとするなら明日の朝以降。つまり──のんびり国内で買い物が出来るのは今のうちだけって事だ!
「いらっしゃい。……って、あんた貴族さまのお嬢さんかね? うちは古着屋でこそないけど、傭兵や冒険者向けに商売してる店て、綺麗なドレスの取り扱いは……」
「あはっ、そんなにこのヒラヒラが似合って見える? マジかー! 『毛並みに艶あらば馬も君主の騎獣なり』とはよく言ったもんだぜ、なぁネッド!」
「ああ……そうだな」
「なんだ元気ないなー。詳しい事は説明できないんだけど、今朝王都で一仕事終えたばっかりでさ。急ぎで他所に行くことにしたからそのままの格好で出てきたんだよ。という訳で、動きやすいの一式欲しいんだけど、ある?」
表通りに面したそれなりに繁盛してそうな服屋に飛び込むなり、店番のおばさんにお断りされそうになるのをさっくりと言い包める。
「な、なんだ。傭兵の坊主かい……。無駄にびっくりさせないどくれよ、本当に貴族さまが来たのかと思ったじゃないか」
チョロいぜ。
ほっと豊かな胸を撫で下ろしたおばさんがカウンターの奥へと引っ込んでいくなり、ペロッと唇を舐めた私を「お前……」と最早げんなりした顔でネッドが見下ろした。
「嘘は言ってないだろ、嘘は」
王家に呼び出されて謁見して家と家の縁談の始末をつけてきたのだ。立派な貴族の仕事だよ。
「…………」
ネッドはジットリと目を座らして私を見下ろし続けていたが、そんな事に構っている暇は無い。
私は好奇心のままにぐるりと店内を見回した。
内装はぬくもりのある木の柱に腰壁と梁、漆喰で塗り固められた壁。店内は入ってすぐにドンとカウンターがあり、壁の高いところから吊り下げられた見本以外、商品は全部その向こう側という作りだ。
(うわーやべえ! マジでファンタジー感あるな!)
脳内の彼が猛烈に大喜びしているが、それも当然、実は私は店での買い物というものはこれが初めてだったりする。今までの買い物は、商人が家に商品を持って来てその中から気に入ったものを選ぶという、完全にお貴族様用のショッピングスタイルだったのだ。
それが私の『買い物』。で、そして彼にとっての買い物も、やはりこの店の様式とはかなり異なる。
彼の場合、店に行って好きに商品を手に取って見れるのが『買い物』らしい。
「…………おい。そんな物珍しげにキョロキョロしてると、そのよく回る口から出た言葉が台無しになるぞ、リベル」
やがて盛大な溜息と共に、そうネッドが釘を刺してきた。
どうやら見て分かる程に初ショッピングでテンション上がり過ぎてたらしい。