01 早速旅行に出かけてみる
ガタゴトと馬車が揺れる。
カーテンの裾と目深に被ったフードを少しだけ捲り上げて、春空の雲のようにゆったりと外を流れていくリダージュの下町の景色を一つ一つ眺めていると、退屈なのか脳裏で彼が喋り始めた。
(舗装されてない道、サスペンションってもんが無いから揺れが酷いのを覚悟してたんだが……思った程でも無いな? もっとダイレクトに振動が伝わるかと思ってた)
確かに、それほど酷い揺れは感じない。これならお尻が痛くて堪らないなんて事にはならずに済みそうだ。
(どういう仕組みなんだろうなぁ。やっぱ、魔術か?)
これまで住んでいた貴族街には、綺麗に舗装された煉瓦敷きの道しか存在しなかった。腕の良い職人が美しく目地まで整え、定期的に補修までされているともなれば、馬車が道の悪さ故に揺れる事など一度も経験した事は無かった。
公爵令嬢であった私が乗る馬車の座席は全て厚みのあるクッションで覆われていたという事もある。
対して、今乗っている馬車は単なる板張りの座席に、申し訳程度に石畳で舗装されただけの悪路だ。下町を抜けると舗装すらされてないらしい。
クッションは持ち込んだけど、この分だと長時間硬い椅子に座るか否かの違いしかないだろう。それ程までに揺れが少ない。不思議だ。
「おい、あんまり外に顔出すな。目立つぞ。……亡命や夜逃げじゃねェらしいが、出来りゃ目撃情報は残したくねェんだろ」
と、そんな事をつらつら考えているところに、今までずっと黙り込んでいた同乗者の声が割り込んできた。
「暇なんだよ。初めて見るから物珍しいってのもある。けどあんたがお喋りに付き合ってくれるんなら暇じゃなくなるんだけどな、ネッド。……嫌ならいいよ、傭兵の仕事じゃねえって断っても」
ほんの一刻前に雇った傭兵、ネッド・レイテルは、やたら縦に大きな身体を窮屈そうに馬車の壁にへばりつけるようにして、元から厳しい顔にむっすりと不機嫌そうに皺を寄せた男だ。
馬車に乗り込んで直ぐに何度か声を掛けたものの、ろくな返事がなかったので放っておいたんだけど、どうやら先に沈黙に耐えきれなくなったのは向こうだったようだ。
「…………貴族の娘を楽しませるような話術なんかねェよ、俺には」
ネッドは口籠った挙げ句、低く唸るようにそう返事をした。
「あぁ……。そういうの、どうでもいいよ」
少し呆れた。そんな事に拘るなら元から傭兵雇うような真似はしない。
「話術ってのは教育を受けないと身につかない技術なんだぜ? 街から街を渡り歩いて身一つで日銭を稼ぐような傭兵相手に、そんな教養なんて最初から期待してない。必要なら品のいい騎士でも手配してるよ」
「そ、そうか……。考えてみりゃあ、そりゃそうかもな……」
「だろ? まあ、気が引けるのも分からない事はないから、話題は私から提供してあげるよ。ネッドは質問に答えるだけ、簡単だろ?」
「ああ、そっちのが気が楽だ。その、元から俺はあんまり喋るのが得意じゃねェしな……」
明らかにホッとした表情を浮かべるネッドに、私はにっこりと笑う。
(元から会話じゃなくて質問攻めにするつもりだったくせに、誘導のお上手なこって。ああ、こういうのも『教養』なんだったか?)
自虐の声がやかましいけど、気にしない。
「んじゃ早速。気になってたんだけど、こんなに道に凹凸があるのに馬車が揺れないのはなんで?」
ポンポンと座席を叩きながらそう尋ねると、ネッドは「そんな事か」と胸を撫で下ろした。……そんな難解な問いかけなんかしないって。
「そりゃあ、あれだ。出発前に魔術紋を発動させておいたからだな。詳しい仕組みは知らねェが、えーと……車輪と乗るところの間にこう、うまく風の魔術を使って、少しだけ浮かして? 揺れを少なくしてるって話だぜ」
(それってもしかしてエアー断震技術と同じような原理じゃねえか? すげぇ! やっぱ魔法って何でもアリだな!)
彼が突然興奮して叫んだ──勿論、聞こえるのは私だけだけど。
物理法則に支配される科学技術よりも、魔法に支配される魔術の方が技術転用し始めたら一足飛びに進歩するかも……とは、家に居た頃から考えていたけどねえ。どうやら本当にそうらしい。
「やっぱり魔術か。下町では結構使われてるんだな、魔術も」
「下町ではって事は、貴族街じゃ違うのか?」
「五代前の王が魔術が嫌いで『いかがわしい』って禁止したからな。流石に今は禁止令は解けてるけど、その名残か今でも貴族は殆ど魔術を受け入れない。堂々と魔術師が居るのは王宮くらいかな。貴族街の方だと、魔道具の代わりに機構技術を、魔術師の代わりに職人や研究者を躍起になって育ててるね」
「……あー、よく分からんが、その、それって不便じゃねェのか?」
「不便にならないように魔術に代わる仕組みを考えてるってコト」
ふぅん、とネッドは相槌を打つ。
「そんな中で育ったから、魔術がどの程度便利で広く使われてるのかとか知らなかったんだけど……。意外と使われてそうなものが多くて驚いたよ。技術そのものにはあんまり差は無さそうだな」
「国外ではもっと便利な魔道具が使われてるぜ。ちらっとした見ちゃいねェんだけどよ、お前さんの目的地であるナザレグの帝都なんか、別世界みたいだった」
「別世界ね。ますます見るのが楽しみだ」
そう、私が一番最初に決めたのは、『世界一魔法の研究と魔術文明の発達した魔術帝国』ナザレグへの旅行だ。この国じゃ見られない、世界最高峰の魔術を見物しに行くのである。
(うは、魔術帝国とか傭兵とか魔術とか、やっとファンタジーらしいファンタジー要素が出てきてオラわくわくすっぞ。まじ十七年近くは長すぎじゃねえ? まあ多分実際のとこ多分十年くらいしか待ってなさそうだけど)
魔法の存在しない世界で生きていたらしい彼の影響でか、私は昔から魔法や魔術への興味はかなり強く持っていた。
リダージュの貴族として生まれて、王族として生きていくと思っていたから、そんな事はおくびにも出さずに今まで過ごしてきた訳だけど……自由の身になったからには、手を出さずにいる訳がない。
「楽しみ、か。なんつーか、肝が据わってる嬢さんだぜホント──まさかお前さんみたいなのが、たった一人であのナザレグに向かおうだなんて、思いもしなかったんだがなぁ……」
私の満面の笑みを見てか、ネッドは困惑したような、それでいて呆れたような顔でそう呟いた。
「そう? 魔術に興味のある人間なら、一度は行ってみたいと思う国だと思うけどな、ナザレグ」
「そうかもしれねェがよ……。ナザレグは『同盟国』じゃねェんだぜ」
「ああ、知ってるよ。むしろだからこそ堂々と行けるっていうか。……あれ? もしかしてネッド、私の肩書き説明されてねえの?」
いや、とネッドは首を振り、溜息を吐く。
なんだよ。幸せが逃げるぞ。ただでさえ、こんな奴の護衛任務を押し付けられてるあたり苦労人の気配しかしないってのにさぁ。
「聞いた。聞いたが信じられねェよ。お前さんみてえな若いお嬢さんが外遊官、それも王室直属だなんてな。一体どんな事したらそうなんだよ?」
不審そうなジト目を向けられて、私はふふんと鼻で笑った。
「別に、そんな大層な事じゃないぜ。──十七年掛けた忠誠が認められただけだよ」
そう、十七年だ。
婚約破棄の場で王家が最初に提示したのは、ギリアネイン家の十七年の忠誠に報いるための補償だけ。
私はそこに、私自身が費やした十七年のささやかな見返りをちょっと上乗せさせて貰う事にした。
それが『リベル』の名と、もう何年も前に途絶えたギリアネインに縁ある家名に爵位、それと王室付き外遊官という立場──つまるところ、自由に身の振り方を選べる権利という訳だ。
「……そう。だからさ、ネッド。私の事はなるべくお嬢さんじゃなくてリベルって呼んでくれないかな?」
『Liber』。この世界の言葉じゃなくて、彼の世界から自分で自分に付けたその名は、結構誇らしかったりするんだよな。
「……? ああ、分かった」
そんな私の思い入れなんぞ知る由も無いネッドは、不思議そうにしながらもそう了承してくれた。