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第一章 復讐の誓い

 第一章 復讐の誓い



 いつもどおり、朝から元気に遊びまわり、いつもどおり、夕餉をたらふく平らげた五郎は、いつもよりも早い時刻に眠気を催した。

 今日は、さすがに草臥(くたび)れた。久しぶりに晴れたからと、遠出をして、山へ遊びに行ったからだ。

「六歳にしては、よく歩ける」と言われるが、でこぼこの急坂では、息が上がって、脚に来た。勢いよく駆け上がれば、なおさらだった。

 しかも、五郎よりも更に(はしゃ)ぎまくっていた乳兄弟の道祖丸(どうそまる)が、(かえ)りに足を(ひね)った。(くじ)いてからの半里の道程(みちのり)を、五郎は肩車をして帰った。

 初めは肩を抱えていたけれど、道祖丸は痛がって、見る間に歩けなくなった。

 そういえば、いつだったか、父上が教えてくれたっけ。

「互いの躰が小さいうちは、背負うよりも、肩車をするほうが楽に担げる」と。

 思い出して肩車に切り替え、何とか()んとか連れ帰った。実によく頑張った一日だった。

 侍女の入れた灯火が、ときどき二つに分かれて見える。我慢していた欠伸が漏れた。

「……だめだ。俺、もう寝る。明日は海のほうへ行きたいし、道祖も見舞わないと。おやすみ」

 五郎は二つ目の欠伸を零すと、食後を一緒に過ごしていた三郎兄者と妹のお春に、寝る前の挨拶を告げた。そのとき、屋敷の内外が急に騒がしくなった。

「方々(かたがた)! 山口より、ご使者が到着じゃ!」

 大声が自慢の郎党が、遠くで声を張り上げた。

「えっ、山口から? なら、父上だ! わあい、父上、父上!」

 眠気が一気に吹き飛んで、五郎はその場で躍り上がった。お館の亀童丸さまからも、そろそろお呼びが掛かる頃だと思っていた。

 郎党たちの掛け合いは更に続いた。

「はて、今の時分に山口から? じゃったら、急使じゃな。おおい、殿から急ぎの御用じゃ!」

「いや、違うぞ。山口からちゅうても、殿からじゃねえ。とにかく、お方さまへお知らせいたせ」

「お方さまはどこにおいでる。若君や姫君とご一緒か。ほうじゃ、大方さまもお呼びせい。急げ」

 曹司の近くを幾つもの足音が行き交う。五郎は襖を弾いて飛び出した。兄者とお春が後ろに続き、三人で外へ向かった。

 ここ富田(とんだ)まで、はるばる馬を飛ばした使いは、庭先でぐったりと膝を突いて、母上を待っていた。

 全身が埃っぽい。汗に泥が混じった顔は、汚らしいほど真っ黒けで、急ぎに急いで駆けた様子だ。

 いったい、何の知らせだろう。母上はどこにおる。お婆さまは、まだか。

 待つ寸刻がもどかしく、五郎は使者へ駆け寄った。

「なあ、父上は何と仰せだ? いや、わかっておる。父上は俺たちに、急ぎ山口へ来るよう仰せだな? 亀童丸さまが俺を呼んでおいでだと」

 使者はひと言も答えなかった。疲れきった顔が、何かを言いたげに歪む。もう一度、畳み掛けても、唇を噛むばかりだ。気忙(きぜわ)しく動く目が、母上を懸命に捜していた。

「待たせたな。山口で何があった。何の知らせじゃ」

 母上とお婆さまが駆けつけた。待っていたとばかりに、使者は悲痛な声を上げた。

「お方さま。殿が……殿がお亡くなりに! 本日、大内館にて、津和野の能登守に討たれてござる!」

 こいつは、何を抜かしておるか。

「嘘を()くな!」と、五郎は真っ先に異を唱えた。

「父上は俺たちを揶揄(からか)うておるのだろう。俺たちがいつも、いつも、父上からの便りを楽しみにしておるから。ふん、そんな手には乗らんぞ。まだ少し若いからって、馬鹿にされては困る」

 五郎は大人の真似をしようと、腕を組んで()()り返った。使者は悲しげに首を横に振った。

「あれ? 違うのか。うーん、じゃあ、叔父上が揶揄われたんだな。そなたを富田へ送り出したは、叔父上だろう? 叔父上は人が()いと、父上はよく笑うておった。叔父上は、死んだ振りをした父上に、まんまと一杯、食わされたんだ。叔父上ときたら、大人のくせに、いかんなあ」

 五郎は腕を組み直して、更に反り返った。いつも大らかに笑い掛けてくれる、父上の次に大好きな丸顔が、ぽわんと頭に浮かんだ。

「五郎。いいから、お前は早くお休み。大人の話に首を突っ込むでない。曹司へお帰り」

 後ろから母上が肩を押した。ちぇっ、と振り返ると、顔の色が真っ白だった。

 五郎にとてもよく似た目が、きーっと吊り上がっている。おまけに口までへの字に曲がって、いつも以上におっかない。

 母上よりは甘やかしてくれるお婆さまも、今日は何だか、いつもと違う。

「左様。三郎とお春も、五郎と一緒にお下がり。子供らは早う寝るがええ。今宵は、よう寝ちょけ」

 お婆さまは額に深い縦皺を寄せて、五郎たちを追い払った。五郎は兄者やお春と一緒に、すごすごと引き返した。

 横を歩く兄者の顔付きが、怖いくらいに険しい。五郎は兄者の袖を引いた。

「なあなあ、兄者。父上は、まさか本当に死んでしまったのか? でも、戦は終わったんだろう?」

 しつこく訊いても、兄者は何も答えなかった。

 もうじき十歳を迎える兄者は、背丈は高いが、とにかく細い。細いからといって、決して虚弱ではないものの、武芸はどうも苦手のようだ。腕力がないから、稽古にも身が入らないのだろう。

 頼りなげな左右の肩が、小刻みに震えていた。兄者は「おやすみ」も言わずに背を向けると、自分の部屋を目指して、とぼとぼと去っていった。

 五郎も曹司に辿り着いて、そっと襖を開けた。

 明かりの届かない隅っこの暗がりに、何かが潜んでいる気がする。今夜は一人で寝るのが怖い。だけど、臆病は父上に笑われる。

 意を決して、五郎は一歩を踏み出した。同時に、お春が強く袖を引いた。

「……五郎兄者と一緒に寝る」

 引き攣った顔が、心細げに五郎を見上げた。

 こいつにも怖いものがあるんだな。いつもなら、母上の次におっかないくせに。

「いいけど、この間みたいに蹴っ飛ばすなよ。(おのこ)には、蹴られて痛いところがあるんだからな」

 言い聞かせて、部屋へ入れた。間もなく、侍女が着替えを持ってきた。

 一緒に寝間着に着替えていると、廊下をぱたぱた駆けてくる足音が聞こえた。

 あの危なっかしい足音は、弟の次郎だ。まだ二歳のよちよちだから、とっくに寝ているはずなのに。

「あにじゃぁ」と、襖が開いた。気に入りの手拭いを引き摺って、次郎が曹司へ転がり込んできた。

 次郎は五郎の顔を見るなり、わあわあ泣き出した。きっと、皆の(かも)す何かに()てられたんだろう。

「わかった、わかった。お前も一緒に寝ような。この間みたいに、おねしょするなよ。どうしてか、俺がやったって話になって、俺が叱られるんだからな。まあ、約束しても、絶対に無理だろうけど」

 とりあえず、「うん」と頷かせて、(しとね)に入れた。三人で川の字に寝た。

「ねえ、兄者。父上は本当に死んじゃったの? さっきの騒ぎって、徒事(ただごと)じゃなかったよね」

 お春が小声で訊いてきた。

 どうだろう。五郎にも、徒事でないくらいは理解できる。

 でも、まだ事実とは信じられない。間違った便りが届く場合だって、きっとあるはずだ。

「わからん。お前は信じられるか? 父上は、お屋形さまを除いたら、周防で一番、強いんだぞ」

「明日になれば、わかるよね。本当の話なら、次から次へと知らせが届くはずだもの」

 それから暫く、お春とひそひそ話をした。庭の喧騒は収まって、屋敷の中も、とりあえずは静かになっている。次郎は安心したように眠りに()いて、「すぴー」と、健やかな寝息を立てていた。

 五郎もすぐに眠くなった。おっかない妹でも、隣にいると、今夜は安心して眠れそうだ。

 父上とも、よく一緒に寝た。山口へ着いたら、いつものとおり、さっそく父上の褥へ潜り込もう。

 そういえば、この間は父上と母上が、なぜか素っ裸で取っ組み合いの喧嘩をしていて、飛び込んだ五郎に仰天していたっけ。

 さっきの使いは、きっと間違いさ。もうすぐ父上に会える。

 大丈夫だ、父上。何があったって、俺が行くからさ。もうちょっとだけ、待っていてくれよな……

 瞼から父上の顔がぼんやりと消えていく。父上は少し悲しげに笑って見えた。



 お春が言ったとおり、翌日になったら、次から次へと知らせが届くようになった。

 昨夜の急使は嘘ではなかった。使いを寄越した相手も、父上に騙された叔父上ではなかった。

 昨日みたいに追い払われないよう、五郎は固く口を噤んだ。襖を隔てて、母上とお婆さまが交わす言葉に、じっと耳を(そばだ)てた。

「のう、義母上(ははうえ)。筑前におる中務(なかつかさ)少輔(しょうゆう)どの(陶弘詮(すえひろあき))は、いつ頃、お戻りであろうか。昨日のうちに知らせを送ったと、さっきの使いは申しておったけど」

三田尻(みたじり)から船を出したならば、遅くとも夜中には知らせを聞いたであろう。あれは兄思いであったでな。寝る間も惜しんで、こっちへ向こうておるはずじゃ」

「すると、博多から、夜明けと同時に出航しなさったか。明るいうちに富田津(とんだのつ)へ着ければよいが」

「尾張のほうは、いつ頃になるであろうな。亡骸(なきがら)を丁寧に運ぶには、支度にも時を要する」

「お屋形さまの仰せでは、『能登守の躰は打ち捨てよ。したが尾張守は、大行列を組んで富田へ戻れ』と。涙ながらのお申し付けゆえ、これまで以上に大掛かりになるやもしれん」

「大掛かりか。ならば、到着は夕刻じゃな。中務も、尾張に少し遅れるくらいで着くであろう」

 二人とも、声は鼻に掛かっていた。

「のう、義母上。中務どのが戻ってこられるは心強いが、考えてみれば、(わらわ)には中務どのに合わせる顔がない。もう少し早くに山口へ戻っておればと、己を呪わんではおられん」

「何の、何の。どうして中務が我殿(わどの)を恨もうか。子供らを富田で育てるは、尾張の信念であった。妾も子供らも、もう一日、あと一日と、我殿をここへ引き留めた。我殿が山口におらなんだは、ただの巡り合せじゃ。おったとしても、何ができたか。自らを責めるでない。それよりも、未来(さき)を見るのじゃ。これからは、父を亡くした子供らの母として、四人をしっかり育てていかねばならんぞ」

 いよいよ、知らせは本当らしい。五郎は木刀を掴むと、大股で庭へ向かった。

 ちゃんとした刀の構えは、まだ習っていない。足を痛めた道祖丸は、今日は現れないだろう。対手がいなくたって、構うものか。人の形に作られた藁束に向かって、五郎は一人で木刀を振り回した。

「何をしておる、鶴千代(つるちよ)。その藁束は、槍や真剣の稽古に使うものだぞ。木刀を振るなら、案山子(かかし)でも相手にしておれ。まったく、馬鹿が本当の馬鹿に見える。他にも、()すべき行為(こと)があるだろうが」

 近くを通り掛かった三郎兄者が、呆れた顔付きで苛立ちを覗かせた。

 兄者だけは、五郎を五郎とは絶対に呼ばない。いつだって、幼名のほうで呼ぶ。

 前髪立てである今は、確かに鶴千代のほうが正しいのだろう。兄者だって、本当の名前は鶴寿丸(つるじゅまる)だ。

 実は兄者の(かたく)なさには、ちょっとした理由(わけ)がある。あれから、ほぼ一年が経った。

 今でも含むところがある兄者の(こだわ)りに、敢えて逆らうつもりはない。兄者だって、いざ元服した暁には、五郎の名乗りに拘らず、三郎の名を誇るだろう。

「お前は阿呆か、鶴千代。父上が亡くなったのに、木刀なんぞを振り回して」

「父上が死んだからだ!」

 五郎は強く訴えた。

「兄者だって聞いたよな。父上は、能登守とかいう卑怯者に討たれた。俺は敵討ちをする。これが、俺の()すべき行為(こと)だ」

「お前、聞いていなかったのか。能登守はとっくに討たれたぞ。俺たちの為すべきは、もはや敵討ちではない。俺たちに代わって仇討ちをしてくれた御仁への、心からの感謝だ。おい、もうすぐ雨になるぞ。母上やお婆さまに迷惑を掛けんよう、大人しゅうしておれ。それが、お前の()すべき行為(こと)だ」

 兄者は鬱陶しそうに五郎を睨むと、青い顔をして立ち去った。

 夕方になって、暗い雨雲を背景に、山口からの行列が到着した。

 父上が富田へ戻るときは、「周防守護代らしゅうせんとな」と、いつも大人数の行列を組んでいた。

 今日も大行列だけど、雰囲気は全く違う。華やかさの欠片(かけら)もなく、笑う顔が一つもない。何より、一行の真ん真ん中で堂々と馬に(また)がっているはずの父上の姿が、今はどこにも見えなかった。

「ここにおったか、五郎。中へお入り。父上がお前を待っておるよ。三郎とお春は先に行っておる」

 お婆さまに呼ばれて、五郎は父上の曹司へ駆けた。

 線香の匂いが強い。白い煙がもくもくと漂っている。煙の向こうに蚊帳(かや)が吊ってあった。

 梅雨が明けていないのに、どうして蚊帳が要るんだろう。蚊なんて、まだ一匹もいないのに。

 涼しげな蚊帳の真ん中に、父上は静かに横たわっていた。

 蚊帳の周囲を、蝿がぶんぶん飛び回っている。五郎は蠅を()けて、ぱっと中へ滑り込んだ。蚊帳が吊ってある理由(わけ)は、蠅が寄ってくるからか。

 父上の向こう側に、母上と同胞(きょうだい)三人が座っていた。母上に向き合う場所に、五郎は黙って腰を下ろした。

 酷く臭う。死んだ生き物の臭いだ。思わず、両手で鼻と口を覆った。

 あ、しまった。五郎は目だけを動かして、母上を窺った。珍しく、咎める目付きではなかった。

 兄者とお春は気まずそうに目を逸らした。二人とも、五郎と同じようにやらかしたのだろう。

 ごめんな、父上。五郎は胸の内で謝ると、覚悟を決めて、膝の上に手を下ろした。

 枕元に座ったお婆さまが、父上の顔を覆う白い布を外した。五郎は思わず目を見張った。

 いつもと全然、顔の色が違う。白っぽいのに、変に黄色味が強くて、血の色が感じられない。

 五郎の周りには一人もいない肌の色だ。父上は本当に死んでしまった。

「鶴寿丸、いえ、三郎よ。立派に、父上の跡を継ぐのですよ」

 涙を湛えた母上が、兄者の手を握って、篤と言い聞かせた。兄者は黙ったまま、大きく顎を引いた。

 その後、頭は上がらなかった。五郎には、兄者が俯いただけに見えた。

「ふええ」と、次郎が泣き出した。顔を上に向けて、全力で愚図(ぐず)っている。

 昨日の晩と同じように、場の重苦しさに()てられたんだろう。物心なんて、ついていないはずなのに、こいつにも父上の死がわかるんだろうか。

「……父上……よく頑張ったね。痛かったのに……偉いね」

 力なく(しゃく)りながら、お春が父上の額を撫でた。いつも撫でてもらっていたから、同じように振舞っているのだろう。

「ああ、お(いたわ)しや。お殿さまも、お(ひい)さまも……」

 部屋の隅に控える侍女たちから、次々と啜り泣きの声が上がった。

 五郎も父上の顔に触れてみた。ひやりと酷く冷たくて、慌てて手を引っ込めた。

 梅雨時で、少し蒸している時節だもの。そんなに冷たくないはずだ。

 なのに、手が凍りそうで、ぞくっとした。今まで感じた覚えのない冷たさに、言葉を失った。

 父上はもう戻ってこない。見慣れた寝顔を見守りながら、五郎は静かに悟った。

 父上の首には、真っ白な(さらし)が幾重にも巻かれていた。もしかして、ここを斬られたのか?

 己の首を押さえてみる。どくどくと脈が波を打って、斬りつけられた気分になった。

 苦しかったろうな、父上。五郎は勢いよく立ち上がった。

「あっ? これ、五郎、どこへ行く。これから通夜と申すに」

「母上、阿呆は放っておこう。あいつは父上が亡くなったことさえ、全っ然、理解できんのだ」

 何を言われても、五郎はひと言も答えなかった。少しでも口を開いたら、唇を噛んで懸命に堪えている涙が、どっと溢れてくる。五郎はまっすぐ納戸へ向かった。



「若、どこへ行く。若ったら、若」

 廊下の途中で、誰かが後ろから五郎を呼んだ。いるはずのない声に驚いて、五郎は振り返った。

 やっぱり、道祖丸だ。道祖丸は片足を痛そうに引き摺りながら、五郎を追い掛けてきた。

「道祖! お前、足は大丈夫か。無理をしなくていいんだぞ。どうせ今日は遊べないし」

「それくらい、道祖もわかってござる。ただ、若が心配で。若こそ大丈夫か」

 五郎の代わりに、道祖丸が泣きそうな表情(かお)を見せた。五郎は少しだけ目頭を押さえて、大きく頷いた。

「ちょうどよかった。道祖、お前、ちと手伝え。その足で供をせいとは言わんが、手が欲しかった」

 五郎は道祖丸を従えて、納戸へ忍び込んだ。

 目指すは、父上が初陣の折に身に着けた緋縅(ひおどし)の胴丸だ。(うち)にある鎧の中で、あれが一番小さい。

「というても、父上が十六歳のときに誂えたものだ。十歳(とお)も若い今の俺には、ぶかぶかだけどな」

 どれくらいぶかぶかか、ちゃんと知っている。この間、父上に頼み込んで、着せてもらった。

 兜まで被ったら前が見えず、父上は腹を抱えながら、「似合うわい」と笑い転げた。

「この胴丸を着けて、お父上の敵討ちでござるか」

 道祖丸が五郎の顔を覗き込んだ。

 兄者みたいに呆れてはいない。大真面目に尋ねる道祖丸に、五郎も大真面目に頷いた。馬が合う乳兄弟だと、意気が上がる。

「お前、俺が父上に胴丸を着せてもらったとき、傍らで見ておったよな。着せ方を覚えておるか」

「あの後、拙者も親父に頼んで、我が家にある一番小さい鎧を着せてもらってござる」

「なら、大丈夫だな。俺はあれより前にも、武家の(たしな)みとして、父上から習うておるし」

 二人で緋縅の鎧櫃(よろいびつ)を探し、えっちらおっちら運び出した。

 この間の父上は、一人で軽々と抱えていたっけな。思い出して、また少し切なくなった。

「まあ、大きいけど、着られないことはないよな。この間だって、笑われながらも、着たんだし」

「大は小を兼ねるとか。この胴丸で仇を討てば、お父上もお喜びでござる」

「この間も困ったけど、肩が広くて、落ちるなあ。父上がやってくれたみたいに、落っこちないようにしてくれ。後ろから、右と左の肩の間に手拭いを通して、ぎゅっと絞るんだ。手拭いは袖で隠そう」

佩楯(はいだて)は、なくてよいかと。草摺(くさずり)の長さで充分、膝まで隠れまする」

「そうだな。格好が悪いけど、馬に乗れなかったら、意味がないものな」

 本当に、何から何まで全てが大きい。それなりに(まと)うには、試行錯誤が必要だ。

 工夫を凝らし、籠手(こて)から脛当(すねあて)から、付け方をいろいろと(ひね)って、何とか胴丸を身に着けた。

「こんなに重かったっけ?」と、足がふらついた。

 あとは馬に乗るだけだ。五郎は仔馬と仲がいい。(くら)(また)がりさえすれば、ある程度は上手に駆けさせられる。

 といっても、(あぶみ)に足が届かない。いつもなら、誰かが五郎を抱え上げて鞍に乗せてくれるけれど、今日は踏み台が必要だろう。

 五郎は(うまや)へ行って、自分の仔馬を外へ出した。みんな慌ただしく動き回って、厩番までが留守にしていた。道祖丸が片足を引き摺りながら、どこかから踏み台を運んできた。

「えいやっ」と、勢いをつけて鐙を蹴り、五郎は馬に跨がった。

 道祖丸が(うやうや)しく刀を差し出した。身長に合わせて父上が持たせてくれた、短いなりに(こしら)えのよい脇差だ。

 五郎も重々しく受け取った。これで、仇の首を取る。

「では、行って参る。お前、足を大事にしろよ」

「ははっ。若のご武運をお祈りいたす」

 同祖丸が口元を引き締めて、馬上の五郎を仰いだ。五郎は大人みたいに恰好をつけて、道祖丸に手を振った。



 表門を出ようとしたら、門番たちが目を剥いた。三人が集まって通せん坊をする。

「若君、そねえな恰好で、どこへお出掛けで。じきにお通夜が始まるちゅうに」

「父上の敵討ちだ。退()け」

 五郎は馬に鞭を当てた。よく躾けられた仔馬は(いなな)きもせず、思いきり駆け出した。

「わあっ、誰かーっ! 誰か、若君を捕まえてくれえ!」

 門番たちが後ろで声を張り上げた。五郎は構わず前だけを見た。

 屋敷に隣接する七尾城を通り越して、順調に走った。何の邪魔も入らない。五郎に仇を討ってほしい父上が、きっと守ってくれている。

 それにしても鎧が重い。馬の動きに合わせるように、鎧も左右に大きく揺れる。

 ぴっちり()(こな)せていないからだろう。胴丸はだんだんと着崩れた。

 傾いていく重みに耐えられない。五郎は馬上で蹌踉(よろ)めいた。景色がぐるんと上下に回った。

「危ない、五郎! 我主(わぬし)まで、兄者の跡を追うつもりか。この馬鹿者が」

 地面が目の前に迫った瞬間、誰かが五郎の脚を掴んだ。

「えい、どう、どう」と、馬を宥める声が続いた。

 馬が足を止めるや、五郎の躰は、ぽいっと地面へ投げ出された。ごろごろと胴丸の中を転がった。

「ふう、やれやれ。相も変わらず、手の掛かる奴じゃわい。兄者は、死んでも死にきれんな」

 この声は叔父上だ。母上とお婆さまが話していたとおり、すっ飛んで帰ってきたのだろう。

「お帰り、叔父上」と、五郎は上半身を起こした。大好きな丸い顔が目の前にあった。

 叔父上はひと言も叱らなかった。腰を屈めて、地面に座り直した五郎の手を取ると、(てのひら)を上に向けさせて、丸いものを載せた。何かと思えば、ぷっくりと真ん丸い、青い梅だ。

「覚えておるか、五郎。去年、我主が大活躍して()いだ、お館の梅の実を」

 叔父上の声はしんみりと胸に沁みた。

 忘れられるものか。五郎はきつく唇を噛んで、じっと梅の実を見つめた。

 昨年の、ちょうど同じ時節だった。父上は三郎兄者と五郎を伴って、大内館へ伺候した。

「子息らを亀童丸に引き合わせよ」と、お屋形さまから命じられたのだとか。あの頃まで、兄者と五郎の名前は、鶴寿丸と鶴千代だった。

 父上は本当は、五郎をお館へ連れていきたくなかった。

「御家人の男児であれば、いずれは亀童丸さまにお仕えする。生まれ年の近い主従を早めに馴染ませたいと願う親心も、もちろん理解できる。だがな、正直なところ、気は進まん。あのきんきらの館だぞ。うちの悪戯坊主が、また何を仕出かすか。絶対に何か起きるぞ。お(ぬし)だって、そう思うだろうが」

「そう思う。たぶん、杞憂には終わらんだろう。したが、お屋形さまは、他家にも等しく声を掛けておられる。御家人の筆頭たる兄者がお断りするわけにはいかん」

「ああ、お主のところに男児(おのこ)がおればなあ。俺は三十路に至る前に、頭が真っ白になるわい」

 身代わりを立てたいと、頻りに頭を抱える父上と叔父上の会話を、五郎は物陰から聞いた。

 数日後、父上は溜息を()きながら、兄者と五郎を従えて大内館へ出仕した。

 五郎はもちろん、良い子にしているつもりだった。五郎だって、大好きな父上を困らせたくない。

 ただ、お館は想像の域を超えていた。父上の言うとおり、凄まじくきんきらで、五郎もまた、凄まじく興奮した。五郎は(はしゃ)ぎに燥いだ挙句、父上を忘れた。

 後で父上が語った言葉を借りるなら、「ほんの一瞬、目を離した隙に、韋駄天(いだてん)の如くに隣から消えた」とか。父上はご挨拶を終えて、やれ、これで帰れると、安堵のひと息を()いたばかりだった。

「お前も、あれを探してくれ! 何か仕出かさんうちに!」

 父上は、お役目で文庫とやらに籠もっていた叔父上まで駆り出して、血眼でお館の中を駆けずり回った。

 同じ頃、五郎はお館の庭にいた。庭もまた、恐ろしく立派だった。

 最初に藤棚へ目が行った。派手な修繕の真っ最中で、ひと目見て、うずうずした。

 何をどう手出ししたのか、一年も経った今では、詳しく思い出せない。ただ、ほんの少し悪戯した。藤棚は、蔓の巻きついた部分を残して、がらがらと崩れ落ちた。五郎は慌てて逃げ出した。

 五郎にとって、最も魅力を感じたものは、青々と色づいた梅の実だった。梅の実は、()いでくれと言わんばかりに、ぷくぷくに熟れていた。

 これなら、父上は喜ぶだろう。梅が大好物だもの。袖の中に、詰め込めるだけ詰め込んだ。

 その後で、同じ年頃の男児(おのこ)たちと知り合った。誰とも、すぐに打ち解けた。後でわかったことだけれど、亀童丸さまも一緒だった。

 亀童丸さまは、ぱっと見てわかるほど、とても弱りきっていた。妹姫が大切にしている毬を、うっかり池に落としたという。

「何を困っておるんだ? 拾ってくれる従者なら、大勢おるんだろう?」

「うん、従者なら、大勢おる。けど、そいつの口から、もしも妹の耳に入ったら……」

 今にも死にそうな顔付きで、亀童丸さまはぶるぶると首を横に振った。

 妹がおっかないのは、どこも同じか。五郎は躊躇(ためら)うことなく池へ踏み込み、底に沈んだ毬を探した。途中で滑って転んだけれど、諦めずに這い回って、ちゃんと拾い上げた。

「恩に着る! 我主、何て名前だ。教えてくれ。余は亀童丸だ」

 亀童丸さまは泣きそうな勢いで、びしょ濡れの五郎に跳びついてきた。

「お前、なかなか根性あるな。俺たち、ちょっと恥ずかしいや」

 岸辺を囲んでいた男児(おのこ)たちも、やたらと賞賛の眼差しを向けた。年上からも騒がれて、五郎は何やら()い気分だった。

 そのとき、大きな声が飛んだ。

「あそこだ、兄者! あそこにおる!」

 切羽詰まった声に振り向けば、父上と叔父上がお館の縁側から、(しか)と五郎を指差していた。

 二人は庭先へ飛び降りると、おっかない表情(かお)で駆けてきた。

「こら、五郎! 今日はまた、何をしおった!」

「あの藤棚は、お前の仕業だな? ええい、そこで、じっとしておれ」

 五郎はくるっと背を向けた。今日のために誂えた小袖まで濡らしたからには、大目玉だろう。

 三十六計、逃げるに()かず……だったっけ? 思い出すより早く、一目散に逃げ出した。

 (たもと)が重くて走りにくい。いや、待てよ。この梅は、父上のために捥いだんだった。

 父上、今日のところは、これで勘弁してくれ。五郎は両袖を振って、青梅をばらばらと放り出した。

「うわあっ」と、背後で声が上がった。

 振り返れば、父上が両脚で天を蹴っ飛ばして、仰向けに倒れていた。五郎が放り出した梅の実を、誤って踏んづけたのかもしれない。

「大丈夫か、兄者? うわ、目を回しておる。ええい、あとは儂が引き受けるでな。待てい、五郎!」

 地面に伸びた父上に代わって、叔父上が追ってきた。五郎は呆気なく叔父上に捕獲された。そのまま屋敷へ連れ戻されて、思ったとおり、眉を吊り上げた母上から、がみがみと叱られた。

 だけど、悪い出来事ばかりではなかった。

 亀童丸さまや他の家の子供らと、一日で仲良くなれたんだもの。みんなと楽しく遊んで過ごして、気分が悪いわけがない。特に亀童丸さまとは、道祖丸と同じくらい馬が合いそうだ。

 亀童丸さまも、五郎と同じ心持ちとか。

「よかったな、尾州。亀童丸はあの悪たれめを、一番に気に入ったそうだぞ」

 お屋形さまは、目を覚ました父上を招いて、からから笑い転げたという。

 翌日、五郎はお屋形さまの許へ連れて行かれて、鶴千代から五郎になった。

「もともと、五郎と名付けるつもりでおったが、おかげで名乗りに箔がついたわい」

 父上は大喜びだった。見るも無惨に半壊させた藤棚の修理費は、ちゃんと父上が支払ってくれた。

「お館の梅を頂戴したとはいえ、実に(たこ)うついたものよ。お前は父の皺を増やす名人だな」

 口調はいつも苦かったけれど、父上が五郎を見つめる眼差しは、いつも、いつも優しかった。

 五郎が()いだ梅の実は、父上が「どうか、是非に」と頭を下げて、一つ残らず譲り受けた。

 ごろごろと、どこかで雷が鳴った。五郎は我に返って、叔父上の顔を見上げた。叔父上は五郎の隣に膝を突くと、悲しそうに目を細めた。

「のう、五郎よ。我主は父上の好物だからと、ごっそり取ってきおったのう。儂は肝を冷やしたが、それ、このとおり、父上は忘れておらなんだぞ。最期まで、これを握っておったそうな」

 叔父上は、ぽん、ぽんと、五郎の頭を撫でた。いつもの、慰めてくれる仕草だ。五郎は梅の実を握りしめた。

「……大人だったら、吉見の奴らをみんな……みんな、殺してやるのに……」

「内藤どのが、即座に仇を討ってくれたそうな。儂とて、この手で能登守を斬り刻みたい。したが、憎い奴めはもうおらぬ。正直に言うて、腹の虫が治まらんが、相手が生きておるより、まだ増しか」

 どこかで、また遠雷が(とどろ)いた。朝から続いた小暗(おぐら)い空は、みるみる黒雲に覆われて、今は不気味なくらい重い。

 ぽつぽつと落ちてきた雨粒が、地面に物憂い染みを作っていく。叔父上の声が震えた。

「涙雨だ。天もまた、兄者の死を(いた)んでおる。儂らは天にも地にも、二人きりの兄弟であった」

 叔父上は(はな)(すす)って、鈍色(にびいろ)に沈む雨空を仰いだ。丸い頬が濡れている。五郎の瞼も熱くなった。

「違う! 叔父上は嘘吐きだ。仇がもうおらんなんて、そんなわけがあるか。仇は吉見の他にもおる。父上は強いもの。一対一で勝負して、そんな奴に負けるわけがない」

 稲妻が白く光った。叔父上は雷鳴に撃たれたみたいに、丸い目をもっと丸く見開いた。

「他にも、父上を殺した奴がおるんだ! そうでなければ、父上が死ぬはずがない!」

「……そうか。それで我主は、父上の胴丸を着けて、敵討ちに行こうとしたのだな?」

「悪いかよ。俺だって、難しいことくらい、わかっておる。だけど……だけど……」

 だめだ、もう我慢できない。五郎は歯を食い縛った。目頭が熱い。ぶわっと、一気に涙が溢れた。

 叔父上は五郎を力強く抱き寄せた。五郎も意地を張らないで、叔父上の胸に飛び込んだ。

「約束したんだ! 梅雨(つゆ)が明けたら、朝から晩まで、剣の稽古をしてくれるって。泊りがけで、得地(とくじ)まで遠乗りに連れていってくれるって。父上……!」

「そうだったな、五郎。我主と兄者はいろんな約束をしておった。どれから叶えてやればよいかと、兄者は嬉しそうに頭を捻っておった」

 涙声になった五郎の躰を、叔父上の腕がぎゅうと包んだ。

 武家の子は簡単に泣いてはいけないと、父上から何度も教わった。五郎は叔父上の胸に縋りついて、湧き上がる嗚咽(おえつ)を懸命に堪えた。

「もう少ししたら、相撲で負かしてやるはずだったんだ。楽しみだって……父上は笑うておった」

「覚えておるとも。手が掛かると、儂に会うたびに零しておったが、兄者は実に楽しそうに、我主を追い掛け回しておった。よい父上じゃったのう。ああ、よい父上じゃった」

 慰める声が震えていた。叔父上も父上が大好きだった。

「負かしたら、一緒に酒を飲もうって……早う大きゅうなれって……約束したんだ」

「わかっておる、五郎。わかっておる」

「……父上を返せ! 返せ! 返せよお!」

 五郎は固く握った拳で、叔父上の胸を遠慮なく殴った。殴りながら、唇を噛んで泣いた。叔父上は五郎の涙が止まるまで、黙って拳を受けてくれた。

「気は済んだか? ならば、戻るとするか。我主が通夜におらなんだら、父上が悲しむでな」

 叔父上は五郎の頭をぽん、ぽんと撫でて、潔く立ち上がった。

 敵討ちは、今すぐにはできそうにない。だけど、諦めるものか。

 五郎は、差し出された手を掴んで身を起こすと、叔父上に詰め寄った。

「なあ、叔父上。俺は今、ここで誓う。俺は、父上を殺した奴らを、絶対に許さぬ!」

 大好きな丸顔が、僅かに息を呑んで五郎を見つめる。(とお)を数えるほど(だんま)りが続いた。やがて、吠えるような咆哮(ほうこう)が上がった。

「よくぞ言うた、五郎! 我主は、その心意気を誇るがよい」

 くしゃくしゃに綻んだ丸顔が、手放しで五郎を褒めた。

「まだ六歳にしかなっとらんのに、急に大人びたな。我主には、何というか、天賦(てんぷ)の凜々(りり)しさと頼もしさがある。父上と(おんな)じじゃ。我主が敵討ちを誓うてくれて、父上は心から喜んでおるじゃろう」

「本当か、叔父上? ああ、早く大人になりたい」

 五郎はもどかしく拳を握った。

 大人になったら、父上みたいな、強くて立派な武将になる。いつか必ず己の手で、父上の仇を討ってみせる。だから父上、もう少しだけ、待っていてくれよな。

 また雷が鳴った。父上が応えてくれたのだろう。五郎は真っ暗な雨空を力強く見上げて、どこかで見ていてくれるに違いない父上に、不退転の決意を誓った。

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