第2話 朱い髪の少年
叶見が青邦と対決した2週間後、ある男性が叶見を訪ねてきた。男性の名前は真崎 雪衡。雪衡は今、33歳。叶見が10歳まで育った養護施設の園長の息子で、叶見の兄的存在である。彼は来客用のソファーで叶見と向き合うと、開口一番こう言った。
「叶見、明後日から1週間、マルス(ヨーロッパの小国)に一緒に来てくれないか?」
叶見は急な頼みにしばらく沈黙した後、口を開いた。
「何で?大体、今がどんな時期かわかってんの?まだゴールデンウィーク前で、大学の講義あるんだよ。出席で単位が決まる科目だってあるし、無理だよ」
「その点は心配するな。学園理事に頼み込んだら特別課題という形で何とかしてくれるそうだ」
「いや、そういう問題じゃなくて」
叶見はソファーから立ち上がった。
「あんたがマルスに行く理由は何?そして、何で私が一緒に行かなきゃいけないの?」
「そうだな。お前には話しておくべきだろう」
雪衡は叶見をソファーに座らせると、話し始めた。
「翔也さんから聞いたぞ。お前、大学で青龍の憑依主と一騎打ちで勝負したそうだな」
「ああ、周のこと?あとで瑛太から聞いた」
「これで現在の四神の憑依主は2人までわかったわけだ。しかし、朱雀と玄武の憑依主だけはお前たちの代だけでなく、これまで五代にわたってわからないままだったのはお前も知ってるだろう」
叶見は頷いた。雪衡の言う通り、朱雀と玄武の憑依主の家系だけはこれまで行方不明のままだ。叶見の先祖の中で朱雀と玄武の憑依主と出会った人間はおそらく1人もいないだろう。
「玄武の憑依主はまだわからないままだが、朱雀の憑依主がわからなかったのは当然だ。朱雀の憑依主の家系は日本人の家系じゃなかったんだ」
「それって、どういう」
「江戸時代に人斬りとして恐れられていた『朱雀』がその時代では珍しい日本とマルスのハーフだったということが最近わかったんだ。そして、朱雀の家系の人間は明治になってすぐ皆マルスに帰ったそうだ」
「・・・・・・もしかして、今回マルスに行くのは『朱雀』の憑依主探しのため?ところで、瑛太はこれに同行するって言ってるの?まあ、瑛太をこの問題に巻き込んでしまったのは私だけど」
「勿論、瑛太は関係者だからな。ちゃんと確認した。理央ちゃんの面倒を見る人間がいるなら問題ないそうだ」
瑛太には理央という名前の、瑛太にとっては従姉の娘にあたる子がいる。瑛太の従姉夫婦が事故で急死したため、7年前に瑛太が引き取って育てている。
「とにかく、お前も同行してもらうぞ。他人事じゃないんだからな」
叶見は渋々頷いた。
次の日、叶見と瑛太と雪衡は成田空港で落ち合った。瑛太と雪衡は、叶見の格好に沈黙した後、瑛太がきいた。
「かなさん、その恰好、どうしたんですか?」
「・・・うるさいな!菊乃が紫音にこの事を話したらしくて、紫音にスーツケースの中身を入れ替えられて、服装も変更させられたんだよ!!」
叶見は普段ズボンしか履かないのだが、今は袖口にフリルがついている白いブラウスに水色のタータンチェックのミニスカート、スカートと同じ柄のネクタイという女らしい格好をしている。叶見の年齢にしては幼い格好かもしれないが、童顔で、身長を除けば高校生のような外見をしている叶見には似合っている。ちなみに紫音というのは、叶見と菊乃の中学の時の同級生で、高崎コーポレーションという大会社の社長令嬢。そして、叶見に女性らしい格好をさせることに情熱を注いでいる残念な美人である。
「そういえば、かなさん、どうして普段、男らしい格好しかしないんですか?スタイルいいんだし、女らしい服なんていくらでもあるでしょう」
「・・・女らしい格好したら、下心丸見えの男しか寄ってこないからだよ!空港の入り口からここまで一体何人の男に話しかけられたと思ってんの!?」
2人は(ああ、なるほどな)と思った。叶見がその容姿の所為で苦労してきた事を2人は知っているからだ。3人は目立ちながらも何とか搭乗口に行き、飛行機に乗り込めた。飛行機がマルスに向かう途中、雪衡はマルスについて二人に話し始めた。
「マルスは北ヨーロッパの小国だ。イギリス、フランス、ドイツなどの大国に囲まれているにもかかわらず、どこの国からも侵略された事が無いという珍しい国だ」
「どこの国にも侵略されたことが無い?」
「ああ、そうだ。マルスにはどの国にもない防壁があるんだ」
叶見の疑問に雪衡はそう言った。叶見と瑛太は顔を見合わせて、首をかしげた。
「それが・・・信じられないかもしれないが・・・その防壁とは、『魔法』による防御壁なんだ」
二人はしばらく沈黙して、口を開いた。
「へえ、そうなんだ」「それで他国が潜入することが不可能なんですね」
「いや、お前ら、飲み込み早すぎるだろ!俺ですらマルスにいる友人に聞いてもしばらくは信じなかったのに」
「考えても見てよ、ゆきひら。私の中には『白虎』、周の中には『青龍』がいる。その能力だって他人にしてみれば『魔法』と同じようなものだ。それを考えたら、『魔法』だってあると私は思うよ。理学部二回生の私が『魔法』なんて非科学的なものを信じるなんて変かもしれないけど」
「僕もかなさんの言う通りだと思います。僕たちの今回の目的も朱雀の憑依主探しですし、かなさんの中にある力を考えると魔法だってあると思いますよ」
雪衡は納得した。今度は、瑛太が話し始めた。
「次は、僕が話しますね。マルスの歴史についての話です」
瑛太の言葉に二人は頷いた。瑛太は続けた。
「マルスは現在、民主主義の代表的な国である日本を見本にして、民主主義の国となっていますが、21年前までは王族が国を支配していた完璧な独裁国家だったそうです。しかし、ある魔術師の陰謀により、王族は全滅。国民たちは皆、日本名登録というものをし、名字だけ日本風にすることで民主主義を掲げる証としたそうです。国の土台に王族の犠牲があった事を知っているのは恐らく極一部の魔法使いだけでしょう」
叶見も雪衡も沈黙した。マルスが独裁国家だったことも知っているが、瑛太の言葉で更に血生臭く感じたからだ。雪衡は場の空気を元に戻すために、口を開いた。
「とりあえず、この話はここまでにしよう。あとの詳しい話はマルスについてからだ」
マルスのシャロン空港に着くと、雪衡の大学時代の友人である船越 聖哉が3人を迎えた。聖哉はショートカットの黒髪、黒目の純日本人だが、茶髪・青い目が特徴のマルス人ばかりの空間では目立っている。
「雪衡、久しぶり。そして、君たちが叶見さんと瑛太君だね。雪衡から話は聞いてるよ、叶見さんは不思議な力を持っているそうだね」
「はじめまして、夢藤 叶見です」
「雪野川 瑛太です」
二人はほぼ同時に頭を下げた。その時、叶見は聖哉の後ろに隠れている少女の存在に気付いた。その聖哉と同じ黒髪黒目の日本人の少女は叶見をじっと見つめている。聖哉は少女を3人に紹介した。
「この子は船越 聖瑠。僕の妹。今年20歳だから、叶見さんと瑛太君と同じ歳だね」
聖瑠は相変わらず聖哉の後ろに隠れながら、少し頭を下げた。そして、再び叶見を見上げた。叶見は聖瑠ににっこりと微笑んだ。聖瑠はその顔を見て安心したのか、聖哉の後ろから出てきた。聖哉は驚きの表情を見せた。
「珍しいな。この子が初対面の人間にこんなに早く懐くのは。特に、叶見さんは聖瑠と同じ女の子だし、仲良くしてあげてね」
叶見と瑛太は頷いた。
それから叶見・瑛太・雪衡の3人は泊まる予定のホテルに行き、聖哉と聖瑠と別れた。
次の日、3人は聖哉の屋敷、ミナト屋敷に向かった。ミナト屋敷は、周りを大きな建物に囲まれている首都の中心にある広場からでも見えるくらい大きい。そんな屋敷を使用人3人と船越兄弟だけで保っているのだから大したものだと雪衡は毎回思う。3人がミナト屋敷の中に入るとマルス人の女性が床掃除をしていた。女性は三人に気付くと頭を下げた。
「お久しぶりです、雪衡さん。そちらのお二人はお嬢様と同じ歳の方々ですね」
「ああ、そうだ。久しぶりだな、アイリス」
雪衡はアイリスに2人を紹介すると、アイリスは三人を聖哉の部屋に案内した。聖哉は3人を見るとにっこりと笑った。
「いらっしゃい、3人共。早速だけど、3人がこの国に来た本当の意味を聞かせてもらおうか」
雪衡は頷くと、聖哉にこれまでの事を話した。すると、聖哉は意外な言葉を返した。
「赤髪の人間なら知ってるよ。1年前までこの屋敷で一緒に暮らしてたんだ」
叶見と瑛太は顔を見合わせると、聖哉に詰め寄った。
「それで、その人は今どこにいるんですか!?」
「名前は!?」
「こらこら、2人共!」
雪衡は2人を止めた。聖哉はくすくすと笑いながら「大丈夫だよ」と呟いた後、2人に言った。
「名前は明宮 琉王。赤い髪と青い目をしたマルス人だよ。ただ、普通とは違うマルス人だけどね」
それからの聖哉の話は長かった。琉王はかつて滅ぼされた王家の人間で、第二王子だったそうだ。第一王子である琉王の兄、玲魔は魔法使いに魔術を習っていた。その魔術で王家が滅びる事を予見し、玲魔は琉王・王直属の大臣の娘だったアイリスの2人を連れて城を出た。わけがあって3人は離れ離れとなり、琉王は14歳までの間、王家を滅ぼした魔法使いに従わされていたが、玲魔と再会したことによりその魔法使いを倒し、ミナト屋敷に住むようになったそうだ。今は兄とヨーロッパ各国を旅行中で、マルスにはいないらしい。
聖哉の話が終わった後、叶見は聖瑠と一緒に出掛ける事にした。今日は休日で、広場にはたくさんの人がいた。聖瑠は人の多い所が苦手らしく、ずっと叶見の腕をつかんでいる。叶見は、聖瑠が怯えているのに気付き、広場の噴水で休憩する事にした。
「ごめんね、聖瑠ちゃん。人が多い所が苦手なのに我慢させちゃったみたいで」
聖瑠は首を横に振った。叶見は昨日から聖瑠の声を聞いた事がない。叶見がため息をついた時、聖瑠が初めて口を開いた。
「・・・叶見さんはこの国、どう思う?」
叶見は返答に困って沈黙した。聖瑠は噴水の周りにいる人々を見ながら呟いた。
「私は初めてここに来た時、魔法が使えるってだけで私を白い目で見る人ばかりの日本とは違って過ごしやすい国だと思ってた」
「思ってた?今は違うって事?」
聖瑠は小さく頷いた。
「私ね、今でもあんまり表に出ないようにしてるんだ。玲魔さんの話では、私の魔力は普通の魔術師たちとは違うみたいで、何度も危ない目にあったから」
叶見は聖瑠が少し震えている事に気づいた。叶見は聖瑠の隣に座り、聖瑠の手を握った。
「大丈夫、私がこの国にいる間は私が聖瑠ちゃんを守るから」
叶見は笑顔でそう言うと、聖瑠の手を取って立ち上がった。聖瑠は叶見の手を両手で握った。
「あ、あの・・・・・あ、ありがとう」
叶見は少し驚いた後、聖瑠に微笑みかけた。
その頃、瑛太はミナト屋敷の聖哉の書斎に籠って本を読んでいた。すると、雪衡が部屋に入ってきた。
「瑛太、お前は『朱雀の憑依主』探しに行かなくていいのか?」
「いいんです。もうすぐここに来るという予感がしているので」
「・・・それだけか?お前は隠しているつもりだろうが、俺にはわかる。朱雀の憑依主と知り合いなんだろう」
瑛太はしばらく黙って、一息つくと本を閉じて雪衡に向き直った。
「いつ、気づいたんですか?」
「お前の高校時代の友人の事ぐらい調べてある。俺はお前たちの保護者のようなものだからな。・・・まあ、叶見とお前は何故か高校だけは別の所に行ってたから叶見は知らないだろうが」
瑛太はもう一度ため息をつくと、話し始めた。
「琉は同じ高校の1歳年上の先輩です。高校を卒業してすぐマルスに戻ったので、一緒に過ごしたのは2年くらいですが。理央も琉に懐いていたんですよ。たまに理央を迎えに行ってもらっていたぐらいでした」
「それほど仲がいいのなら叶見にも話した方がよかったんじゃないのか」
「それは、その・・・言えない理由と琉に今は会いたくない理由があるので」
「理由は何だ?話してみろ。叶見には言わないから」
瑛太は雪衡が向かい側に座ったのを確認すると、衝撃の事実を告白した。
「実は、琉が高校を卒業した当日、琉に告白されたんです」
雪衡はそれを聞いた後、しばらくフリーズした。その後、恐る恐る口を開いた。
「えっと・・・『告白』というのはあれか?あの『告白』か?」
「ええ、琉は本気でした」
雪衡は長いため息をついた。瑛太は雪衡の様子を見てから口を開いた。
「僕は突然の告白に頭がついていけなくて、保留という形にしました。それから3年間、琉とは音信不通になっていたんです。まさか、琉が朱雀の憑依主でマルスまで探しに来ることになるなんて思ってませんでしたが」
「・・・とりあえず、その琉という奴が帰ってきたら、叶見が感づく前に話をつけろ。それしか叶見に隠し通す方法はなさそうだからな」
「えっと、これも危ない目のうちの一つなのかな、聖瑠ちゃん」
「・・・・・・多分」
今、叶見と聖瑠は広場の中心で黒いコートを着た集団に囲まれていた。叶見は周りにいる人間たちを見渡したが、人間たちはこちらに気づいていないようだ。
「多分、皆には今、私たちの事が見えてないんだと思う。そういう魔法があるって玲魔さんが言ってた」
その集団は同時に襲い掛かってきた。叶見は聖瑠を抱き寄せ、前から来た敵を蹴り飛ばすと後方から来た敵を拳で叩きのめした。その後、ばらばらに襲い掛かってきた敵たちを叶見はしなやかに手足を動かして倒した。聖瑠は叶見の想像以上の強さに感嘆した。その時、敵のうちの1人が杖を取り出した。叶見はそれに気づいて聖瑠を庇う形で、敵と聖瑠の間に割り込んだ。杖から放たれた光は叶見に当たり、叶見は倒れこんだ。
「叶見さん!」
「安心してください。ただの催眠魔法です」
聖瑠は、眠ってしまった叶見の肩を支えながら相手をにらみつけた。気が付けば、魔法を使った敵以外は消えていた。
「もうお気づきでしょうが、私以外の彼らはただの分身です。その人の魔法を解いてほしいのであれば、一緒に来てもらいましょうか」
聖瑠は叶見を見た。自分を庇った所為で叶見がこうなったことを思い出し、敵に向き直ると首を縦に振った。敵はにやっと笑うと杖を一振りした。すると、聖瑠と叶見は光に包まれ、光が消えた時、2人と敵は広場ではなく野原にそびえたつ大きな城の前にいた。しばらくして、叶見は聖瑠に膝枕されている時に目を覚ました。叶見は目を覚ますとすぐに敵をにらみつけたが、状況を聖瑠から聞き、敵に殴りかかろうとするのを思い止まった。
敵と敵の分身に前後につかれた状態で2人は城の長い廊下を歩いた。大きな鉄の扉の部屋に来ると、敵が扉を開けた。そこには30代くらいの男と女性が二人とまだ小さい女の子が1人いた。男は敵と同じく黒いコートを着ている。男は青色と赤色のオッドアイで、叶見と聖瑠を見据えた。
「いらっしゃい、船越 聖瑠さん。そして、奇妙な者に憑りつかれているお嬢さん」
聖瑠は叶見の後ろに隠れたまま、相手を見ようとしない。叶見は聖瑠をちらっと見た後、男にきいた。
「それで、私たちをここに呼び出した理由を教えてほしいんだけど」
「あら、あなた知らないの?」
男の前にいた女性のうちの1人が振り向いた。
「私たちはこの方、マルス一の魔法使いであるガルダ様の花嫁候補として呼ばれたのよ。あなたたちも同じでしょ?」
「・・・ガルダ」
聖瑠が急にその名前を呼び、叶見の後ろから男の顔を見た。すると、聖瑠の顔は驚きの表情に変わった。叶見はそれに気づき、聖瑠にきいた。
「あいつのこと、知ってるの?」
「・・・知ってる。琉の事をずっと殺すために従えていた悪い奴だから」
叶見がその言葉に驚く間もなく、目の前で女性2人が倒れた。叶見は一瞬何が起こったかわからなかったが、女の子の悲鳴で何が起こったのかを理解した。男、ガルダは椅子から立ち上がると、聖瑠に冷酷な笑みを向けた。聖瑠は怯えている。
「あの時、お前さえ現れなければ玲魔も琉王も殺し、俺の王族抹殺計画は完遂されるはずだったのだ。よくも、俺の計画を邪魔してくれたな!船越 聖瑠!!」
ガルダは杖を聖瑠に向け、何か唱え始めた。杖から光が発せられた時、叶見は聖瑠と女の子を庇い、光を浴びて倒れた。
「叶見さん!」
「・・・無駄だ。先ほどのは黒死呪文。浴びたら最後、即死だ」
「・・・・・・何が黒死呪文だ。笑わせる」
ガルダも聖瑠もその場にいた魔法使いたち全員がその声に驚いた。倒れた叶見が立ち上がったのだ。叶見の目は黒色から金属のような銀色に変化していた。
「馬鹿な!呪文を間違えたか」
「私は『白虎』。夢藤 叶見に憑依している者。すでに死んでいる存在の私に黒死呪文など効くわけがないだろう」
その時、部屋の窓が割れ、何者かが乱入してきた。その人物は綺麗な赤い髪の青年だった。聖瑠はその青年を見て安堵の表情を浮かべた。
「琉、助けに来てくれたんだ」
「当たり前。セイル、初めて出来た家族。絶対、守る」
琉王は笑顔でそう答えた。その瞬間、ガルダは杖を琉王に向けたが、その杖は窓から乱入してきたもう1人の人物に弾き飛ばされた。
「後ろが隙だらけですよ、ガルダ」
そこには琉王の兄、玲魔が立っていた。ガルダは完璧に追い詰められたため、マントの下から煙玉を取り出し、地面に叩きつけた。叶見たちがせき込み、部屋から煙が完全に消えた頃にはガルダの姿は何処にもなかった。玲魔はふうっとため息をついた。
「逃げられましたね。まさか、あんな技術的な物を切り札に隠し持っていたなんて考えもしませんでした」
「別にいい。セイル、無事だったから」
「そうですね。姫君が無事だったので、良しとしましょう」
そんな会話をしている2人は、ようやく聖瑠を庇っている叶見の存在に気付いた。眼が銀色から変化していないのを見ると、まだ「白虎」の状態らしい。玲魔は「白虎」に近づき、肩を持つと眼をじっと見つめた。「白虎」は玲魔の腕を振り払った。
「何をする、小僧!」
「・・・あなたは、本来のこの子じゃないですね。誰なんです?」
「白虎」は驚きの表情を見せると、「その事は本人に聞け」と言い、叶見の中に引っ込んだ。眼が黒色に戻った叶見は、状況を理解できず、周りを見渡した。その後、聖瑠から説明を受け、琉王と玲魔を紹介されると、叶見は話しだした。
「あの人は、私の命の恩人なんだ。小さい頃、川で溺れた事があって、その時にあの人は私に『生きたいか?』ってきいてきた。必死だった私は一生懸命頷いた。すると、いつの間にか私の体は岸に上げられていて、一人の侍が立っていたんだ。あの人は自分の事を『白虎』って言っていた」
「えっ、お前も?」
叶見はその言葉に驚いて琉王の方を見た。
「侍って日本の戦士の事だろ?それなら、俺、見たことある。男じゃなくて、女だったけど。そいつは自分の事、『朱雀』って言ってた」
その場に沈黙がおり、玲魔が口を開いた。
「とにかく、一度ミナト屋敷に帰りましょう。本格的な話はそれからです」
4人がミナト屋敷に戻ると聖哉が聖瑠を抱きしめた。聖哉は叶見をガルダの逆恨みに巻き込んでしまったことを謝ったが、叶見は「気にしないでください」と言った。そこに瑛太と雪衡が来た。瑛太は琉王を見て、すぐに雪衡の後ろに隠れたが、遅かった。琉王は瑛太に駆け寄った。
「エイタ、何でここにいるの?」
「えっ、瑛太と琉、知り合いなの?」
叶見が驚きの声を上げた。瑛太は小さく頷くと、琉王の腕を掴んだ。
「ちょっと、琉と話があるので失礼します」
瑛太はみんなにそう言うと、琉王の腕を引っ張って2階に上がっていった。
瑛太と琉王は2階の客室に入った。2人はソファーに向かい合って座り、しばらく何も言葉を発しなかった。最初に口を開いたのは琉王だった。
「リオ、元気?」
「…うん、理央は元気だよ。今年から小学生」
「そう。3年前から一度も会ってないから気になったんだ」
「…本題に入っていいかな?」
琉王は頷いた。
「3年前のあの告白の返事なんだけど」
「…わかってる。待ってほしいんでしょ?」
瑛太は驚きの表情になった。琉王はそっぽを向きながら言った。
「ごめんね、エイタ。俺、マルスに帰ったらもう会えないと思ってたから、先走って、エイタの気持ち、無視してた」
「ううん、僕のほうこそ、どうすればいいかわからなくてずっと保留にしてた。ごめんね。またマルスには来ようと思ってるからその時に返事するよ。その時は理央もつれてくる」
「その必要ないよ」
琉王の言葉に瑛太は呆然とした。琉王はソファーから立ち上がると言った。
「俺、日本に留学することにしたから。帝都大学生命科学部に」
「帝都大学って、僕たちが通ってる大学」
「そう。リョウと兄弟の時間を作りたくてマルスに戻ってきたけど、やっぱり俺、日本、好きな気持ち変わらなくてセイヤさん、帝都大学の出身だから、セイヤさんの元同級生の教授に頼んでもらったんだ」
琉王は、唖然としている瑛太ににっこりほほ笑んだ。
「これからよろしくね、エイタ。じゃあ、俺、エイタの友達…カナだっけ?に挨拶してくる。これから先輩になる人だし」
琉王は客室を出て行った。瑛太は小さく呟いた。
「・・・琉とまた一緒に暮らせること、嬉しいんだけど、複雑だな」
1階の食堂で琉王は叶見と対峙した。
「よろしく、カナ。俺、明宮 琉王っていいます。えっと、『朱雀』っていう人の憑依主です」
「夢藤 叶見だよ。こちらこそよろしく、琉」
叶見は琉王ににっこり微笑んだ。琉王は叶見をじっと見つめた。
「エイタとリオ、お世話になってるみたいで」
「まあ、瑛太とは中学からの付き合いだし、私の弟と妹は理央ちゃんと同級生だからね」
「それから、俺、来週から帝都大学に行く事になった」
「へえ、その事で瑛太と話があったわけ?」
「まあ、そんなところ・・・驚かないの?」
「さっき聖哉さんから聞いた」
その時、ガシャンという大きな音がして2人が扉の方を振り返ると、聖瑠が立っていた。聖瑠の足元には割れたティーカップの破片が散乱している。聖瑠はしばらく立ち尽くしていたが、我に返って破片を拾い始めた。
「・・・あの、ごめん。ちょっと驚いちゃって」
叶見は、聖瑠の考えている事がわかったため、立ち上がると聖瑠の腕をつかみ、食堂を出て行った。琉王が訳が分からず呆然としていると、食堂にアイリスが入ってきた。
「琉、どうしたのですか?先程大きな音が」
アイリスは入り口に散乱しているカップの破片に気づいた。
「琉、まさかとは思いますが、例の件、お嬢様に言ったのですか?」
やっと琉王は日本留学の話だと勘付いて頷いた。アイリスはため息をつき、カップの破片を掃除し始めた。
「ここの掃除は私がしておきますから、お嬢様の元に行きなさい。お嬢様は、あなたの留学の事、きっとショックだったはずです」
「でも」
「いいから、お行きなさい!お嬢様はあなたの帰りをずっと待っていたのですよ!これからまたあなたたちとこの屋敷で過ごせると楽しみにしていたのです!!そんな時にあなたが留学する話をきいてショックを受けないはず無いではありませんか!!」
琉王はアイリスの怒鳴り声に少し圧倒された後、食堂を出て行った。
叶見は2階の客室に聖瑠を連れて行った。聖瑠はソファーに座り、叶見はその横に座った。聖瑠はしばらく俯いていたが、叶見を見上げて力の無い笑みを浮かべた。
「どうしたの?叶見さん。私は大丈夫だよ。高校卒業してから琉は玲魔さんと旅行してたけど、ちゃんとお土産はくれたし、手紙だって欠かさず送ってくれてたし、日本に行っても多分同じだと思うから」
「でも、聖瑠ちゃんにとって、琉は一緒にいてくれないと不安な存在なんじゃないの?」
叶見の言葉で聖瑠の笑顔はたちまち泣きそうな顔へ変わった。叶見は聖瑠の肩に手を置いた。
「さっきの聖瑠ちゃんの顔、私の幼馴染の女の子と同じ顔だった。私、小さい頃、その女の子の大切な人を守れなくて、強くなりたいと思った。そのために地元を離れて生活する事になった時、その子にだけ理由を打ち明けたんだ。そしたら、その子、『いってらっしゃい』って笑顔で見送ってくれたけど、その笑顔は心からの笑顔じゃなかった。つらい時、大切な人が側にいない事がどれだけ苦しいのかを知っていても、相手のために本心を隠している顔だった」
「・・・その女の子とはどうなったの?」
「3年後、中学に入学するために地元に戻って、その子とも再会できた。・・・けど、一緒に過ごせなかった3年間の事を考えると、今でも罪悪感が消えないんだ」
叶見は、聖瑠を抱きしめた。
「聖瑠ちゃんには私やその子と同じ思いをしてほしくない。苦しい心を隠して後悔するのは私達だけで充分だよ」
聖瑠は叶見を抱きしめて泣き出した。叶見は聖瑠が泣き止むまでずっと聖瑠を抱きしめていた。
聖瑠が泣き止み、叶見は部屋の扉を開け、外にずっといた琉王を部屋に入れた。琉王はどうすればいいかわからないと言う顔で叶見を見た。叶見は小さなため息をつくと聖瑠に言った。
「聖瑠ちゃん、困惑しているのは琉も同じなんだ。琉だって日本留学が可能だって聖哉さんから聞いた時、すごく迷ったと思うよ。でも、琉にはどうしても日本に行きたい理由があったんだ。そうだよね、琉」
琉王は聖瑠の隣りに座ると、聖瑠の手を握った。
「セイルがまたオレと一緒に暮らしたいって思ってる事、知ってた。それを振り切ってまで日本に留学したいのは、日本がどんな国なのかをセイルにわかってほしかったから」
俯いていた聖瑠は琉王を見上げた。
「・・・もしかして、私を一緒に連れて行くつもりだったの?」
「最初、日本はセイルの力を拒絶した国だからそういう偏った考えの持ち主しかいないって思ってた。でも、違った。高校の人たちの中で俺の事を拒絶する人間、全然いなかった。そして、かけがえのない仲間もできた。すごく毎日充実してた」
聖瑠はその事を話す琉王の眼が生き生きしている事に驚いた。しかし、再び俯いた。
「でも、私を受けいれてくれる人なんているのかな」
「大丈夫だよ。セイルはこの国に来た時と違って、魔力を調節できるようになってるし、オレたちは絶対にセイルの事を拒絶したりなんてしない。それに、オレはセイルにいつまでも逃げてほしくない」
琉王は聖瑠を抱きしめた。
「俺が王族であったことを受け入れられたように、セイルも自分の力を受け入れてほしい。そうしないと前に進めない気するから」
聖瑠は琉王に微笑んだ。叶見はその光景を見てこう言った。
「琉、日本に来るはいいけど、どこに住むつもり?瑛太の住んでいるマンションはもう満員らしいし、聖瑠ちゃんと二人で住む場所を探すのは大変じゃない?」
琉王と聖瑠は顔を見合わせて沈黙した。叶見はフッと笑うと続けた。
「私の家に来ない?私が幼馴染と妹・弟と住んでる家なんだけど、広すぎて使っていない部屋もあるし、二人住人が増えても何の問題もないし」
「えっ、いいの?カナ」
「構わない。私の幼馴染も兄弟たちもいい子たちだから、聖瑠や琉のことを受け入れてくれるはずだ。・・・聖瑠ちゃんはどう?」
「・・・初対面の人に会うの苦手だけど、叶見さんの大切な人たちなら信用できる・・・と思う」
聖瑠は微笑むと叶見に向き直った。
「叶見さん、日本に行ってもよろしくお願いします」
「こっちこそ、よろしく」
その2日後、叶見・瑛太・雪衡の3人は日本に帰国し、その1週間後、聖瑠と琉王は日本にやってきた。聖瑠は菊乃や日紗都・美月と初めて会い、初めて日本で過ごす事に希望を持ち始めた。
だが、四神が揃い始めたことで大事件が起こるなんて誰も予想していなかった。