プロローグ
「あなたにとっての家族とは?」
そう問われ苦渋の色がいたる所で溢れ返る。
静寂が僕を包み込んだが、返って焦慮の要因となる。
昨晩睡魔に魅了され、安易にまぶたを閉ざした僕に過失があるのだが、それも今さら悔いたところで後の祭りの痛恨事である。
焦心を悟られまいとポーカーフェイスを決め込んでみても無意味なことなのだと理解していたが、僕にはそうするしかなかった。
滴る冷や汗は止むことなく、また両膝の上で石になっている自身の腕を動かすこともできず、ただただ首筋を流れるそれに不快感を感じる。
何か言わなくては、と正常に頭が動き出したのは、思考に思考を重ねても問いの答えが出ないとそう悟ったときである。
僕は幾度か口を開閉した後に、
「家族、ですか?」
そう聞きなおす。聞きなおしたところで質問がご破算することもなく、ただ時間稼ぎにしかならないことは分かっていた。
「ええ、家族です」
彼女は目を軽く細めた後、それだけ云って黙り込んだ。沈黙が再度訪れる。
(それはあんまりだろ)
時間稼ぎにすらならない返答に頭を抱える。
家族とは? と藪から棒に問われても何をどう応えればいいのか皆目見当がつかない。
適当なことを云ったとしても人生にやり直しはきかないのだ。失敗したらそこで終わり。そのぐらい分かっている。分かっているから慎重になるのだ。だが、このまま慎重に、踏み出せぬまま黙っていても結局僕の夢は枯れてしまう。
こんなところで――まだスタート地点にすら立っていないのに枯れ果てていい訳がない。
彼女の発した問いを頭の中で再度問う。あなたにとっての家族とは? 何度も何度も繰り返した。
(僕にとっての……?)
そうか……。そう、僕は何を悩んでいたのだろう。何度だって考えてきたじゃないか。思い描いてきたじゃないか。僕にとっての大切な家族は、今でも……
「思い出……」
無意識に口からこぼれ落ちる。それを耳に入れるや否や、彼女の目は先ほどまでの半分呆れ果てていたものとはどこか違って見えた。
僕は深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。心を落ち着かせ、気持ちを切り返る。言葉を整理し、口を開いた。
先刻、僕に取り巻いていた霧はすっかり晴れ、すでに迷いはなかった。
「はい、私にとっての家族とは、とても大切な……失ったとしても、そうでなかったとしても、私が朽ちるそのときまで、共に歩み私の生きる支えとなってくれるかけがえのない思い出です。私は、家族がいたからここまで歩んでこれました。家族がいてくれたから立派な夢を持てました」
僕は彼女の目を見て云った。
彼女も僕から目を離さず、真意か否か確かめているのだろう。その眼差しは一点だけを見続けていた。
やがて、口元を緩ませて、
「それが問いの答えですか?」
そう、再度問いかけた。
果たしてその問いに答えなど存在するのか分かりかねるが、少なくともそれが僕の正直な気持ちだった。
「はい、私はそう考えております。しかしながら、家族に対する気持ちは人それぞれです。中には、家族をよく思っていない人もいるでしょう。到底答えなんて出ないはわかっているのですが……ですが私――百坂冬花はそれでもなお、お客様にこの気持ちを知っていただきたく、この度、御社に志望致しました」
九月の中旬、陽が頂上に上る十二時半ば、大多数の人が通る人生の分岐点に僕は直面していた。
かねてより僕が目標としてきた夢。そのスタート地点に立つ直前に僕はいた。




