第一章 第二話
会話文の表現を少し変更しました。4月16日
「え? わからない? 私は昨日助けてもらっ——」
「わかってる。で、私にどうしろと?」
眼鏡を取った元眼鏡少女を見る雪奈の視線は相も変わらずに冷たい。
「いや、別にどうしろとかじゃなくてね、ただありがとうって伝えたかったの」
「はぁ……それはもう昨日聞いてる」
そのためだけにわざわざあんなことしたなんて……
「おい、ちょっと待て羽飛。その反応、ほんとにお前が雪月花の魔女なのか?」
クラス全員の代弁をしたのは上田だ。それもなぜか深刻な顔つきで。
「そうです。羽飛さんが昨日私の姉を助けてくれたんです」
上田に答えたのは雪奈ではなく元眼鏡少女だ。
「ってことは他人の家をこっぱ微塵にしたのが羽飛でその家は桜坂家だった。そういうことでいいんだな?」
「こっぱ微塵にはなってないですけど、それ以外は間違いはないです」
自信満々に答えた元眼鏡少女もとい桜坂に上田は大きくため息をついた。
「こりゃ参ったなぁ。転校前日からこの騒ぎか。とりあえず二人は職員室に来てもらうぞ」
「え? なんでですか?」
「続きはここじゃ言えないからだ」
上田はそれ以上の反論は許さず、「ホームルームは自由にしてろ」っとだけ言い残し教室を出て行った。
「はぁ……不快だ」
「ごめんなさい」
申し訳なさそうに謝る桜坂だが雪奈は言葉も返さないどころか聞こえてすらいない様子で教室を出ていった。残されたクラスメイトはただ黙ってそのようを見ることしかできなかった。
上田の後を無言で歩く雪奈と桜坂。
「この部屋でいいか。それじゃ二人ともこの部屋に入れ」
職員室に来てもらうと言った上田だが彼が足を止めたのは職員室ではなく面談室だ。だが二人は特に言葉を返すわけでもなく、素直に面談室に入って行った。
面談室には長机が1つに椅子が4つ、壁に掛けられている時計が1つ以外何もない。
上田は面談室に入ると一番近くにある椅子に、雪奈と桜坂はその反対側に座った。
「これが最終確認だ。羽飛、お前が雪月花の魔女で間違いないんだな?」
「はい」
「はぁー。やっぱりかぁ。咲夜も空間操作系だったからもしかしてって思ってたんだが、まさかほんとにとはな」
何の迷いもなく返答する雪奈に上田は何の屈託もない笑顔で笑った。
「それが何なんですか?」
「ああ。今説明する。だが、ここからは他言無用だ。わかったか?」
突然上田は周りを気にしながら声を潜めた。
黙ってうなずいた二人に上田が続ける。
「今日の職員会議で話題になってたんだよ。うちの生徒が昨日深夜、放火及び殺人未遂の容疑で報道されたって。それでその生徒、通称雪月花の魔女を見つけ次第警察に突き出せとさ」
「殺人未遂⁉ ちょ、ちょっと待ってください! まさかそんな話を信じたんですか⁉」
「そんなわけないだろ。むしろ俺は桜坂の話のほうが断然信じられる。もちろん羽飛のことも信頼してるからでもあるんだぞ?」
「先生……」
「そうですか」
感激に目を潤わせる桜坂とは対照的に雪奈の目つきは冷たい。
「雪奈、今のお前は俺を信頼してないようだが俺はこれでも咲夜には信頼されてたんだぞ?」
「あの、すいません。先ほどから出てくる咲夜って誰ですか?」
「雪奈の姉だ。俺の教え子で、これでもよく相談相手になってやってたんだ」
「そうなんですか」
上田は質問した桜坂ではなく雪奈を見ている。だが雪奈は台本を読み上げるように答えるだけで一切の信頼を置いていないのが伝わってくる。
雪奈の知る咲夜という人物は誰にも弱みは見せない人間だ。ましてや相談などあり得ない。いつも凛々しく自分を引っ張ってくれていたのだから。故に雪奈の表情は上田が言葉を重ねるたびに暗くなっていった。
「あのなぁ……少しは信頼してくれないと助けようがないだろ」
「私がいつ助けを求めましたか?」
「最初の咲夜もそんなこと言ってたっけな」
まだそんなこと言うか……
雪奈の眉がぴっくと動いた。目には憂いの色が見られる。
姉をバカにされたとでも思っているのだろう。並々ならぬ殺気を漂わせ始めた。
「なら問いますが、あなたが咲夜の信頼を得ていた証拠がありますか? そういうからには何かしらの理由があるんですよね? もし十分な証拠がないのならなぜそう述べたのですか? もしかして、死にたいんですか?」
椅子から立ち上がるとギュッと大剣を握りしめる雪奈。
おそらく本気だ。それ相応のものを出せないと上田の命はないだろう。もちろんそれを見ている桜坂もだ。
「お、おい、待て証拠ならある」
上田はスーツの内ポケットから封筒を一封取り出した。
「ったく咲夜の言ってた通りのやつだなお前は」
親愛なる雪奈へ。封筒にはそう書かれている。
「これは咲夜からお前宛の手紙だ。咲夜が失踪する三日前にもらったんだ。ここに妹が来るかもしれないからってな」
「……」
封筒を受け取った雪奈はおそるおそる封を切り中の手紙を取り出す。
「確かに咲夜の字か」
そこに書かれていたのは「この人は信頼できる」というたった9文字だけだった。
「……わかった。少しだけ信頼する」
大剣から手を引くと椅子に腰を下ろした。
「それは何よりだ。それで信頼してもらったついでに言うがこの桜坂椿子も信頼してもらいたい。彼女も羽飛の仲間になってくれるだろうから」
「え? なに勝手にいちゃってるんですか⁉」
声を震わせ全力で反論する椿子からは恐怖が感じ取れる。
「大丈夫だ。おそらく出過ぎた真似をしない限りは殺されない。はずだ……たぶん……」
「先生! 言葉に信憑性がありません‼」
「全くだ。それに私からすればおそらく、はず、多分は信用されていない気がするのだが」
「そ、そうだよな。それは悪かった」
流石に冗談が過ぎている。そう思ったのか言葉だけではなく頭を下げてまで謝罪する上田。
「てことで桜坂——」
「——私なら確実に殺す——」
「——から安心しろ」
「全然安心できません‼」
全力で叫んだ椿子は1秒でも早く部屋から出ようと椅子から飛び上がった。しかし、そんな椿子の手首をしっかりと握って離さない雪奈。
「お願いします! 離してください! まだ死にたくないです!!」
悲鳴にも似た叫び声をあげる椿子は全力で振りほどこうとするが雪奈の圧倒的な腕力になす術がない。
「いや、それはできない。同じ立場にもほんの少しだが信頼を置けるものがいたほうがいいのは確かだ」
「お前な、俺の誠意を返せ」
上田はあきれ気味に放った。
「なぜですか? あなたは咲夜の意思を継いで修行に明け暮れた私の腕がそこまで信用できませんか? でも大丈夫です。そのうちわかります。ですから今は私が信頼したようにあなたも私を信頼してください。姉の名に懸けて確実に仕留めて見せます」
雪奈はどこまでも本気だ。本気で上田の誠意を取り間違えているのだ。
「確実に仕留めんな!」
「仕留めてはいけないんですか? なら私はどうすれば?」
「どうにもせんでいい。まぁ、何はともあれ決まりだ、桜坂。もう諦めろ」
「そんなぁ……」
椿子は膝をつき崩れ落ちた。
「短い人生だったなぁ……ごめんね、お姉ちゃん。私、もうだめみたいです」
死を覚悟した椿子は走馬燈でも見ているような虚ろなまなざしで宙を見つめている。涙があふれている瞳には何が映っているのだろうか。
「安心しろ。すぐに殺すつもりはない」
「でも殺されるのは決まっているのね……」
乾いた声でアハハっと笑う椿子。
「これで椿子も仲間というわけだが、その前に雪奈がどういう経緯で今に至るか説明してもいいか? 今後のためにも」
「構いません」
「桜坂。少し長い話になるから一旦、席に就け」
「はい……」
完全に諦めた椿子はおとなしく席に着いた。
「俺が咲夜と現雪奈の親を名乗る男から聞いている話をまとめて話す。違ったら言ってくれ」
無言で何の反応も示さない雪奈。それでも、上田は話し始めた。
「6年前の咲夜の話によると、二人は剣術で有名な羽飛家の奴隷として暮らしていたらしい」
「ど、奴隷?」
椿子は何とも言えない気持ちで雪奈を見た。雪奈は何も言い返さない。つまりは間違っていないのだ。
「ああ。裏仕事を全部引き受ける代わりに最低限にも満たない食事と寝床を提供してもらっていたそうだ」
「裏仕事?」
「簡単に言えば人殺しだな。他には法律を破る仕事だ」
「……」
椿子は黙って下を向いた。おそらく雪奈に問いたいが問えないんだろう。
「で、咲夜がその裏仕事をしている時、俺が咲夜に出会ったんだ。そのころから教師だった俺は咲夜のことが放っておけなかった。普通の生活をしてほしかったんだ。だから、学校に誘った。どんな話をしたかは今は置いておくが俺は何とか咲夜の説得に成功した。そして殺されるかもしれない思いを胸に羽飛家まで出向いて党首を説得したりもした。その甲斐あって咲夜はうちの学校にかよい始めたんだ。だがそれから1年後、咲夜は急に学校に来なくなったんだ。もちろん、羽飛家にも連絡を入れたが羽飛家自体とも連絡が取れない始末。ありとあらゆる手を尽くしたが咲夜とは未だに再会できていない。そして、朝、雪奈から聞く限りでは無事ではないんだろう」
「そんな……」
「で、ここからが雪奈の親を名乗る男からの話になる。その男の話では5年前、夜道に倒れていた雪奈を拾ってそれ以来世話をしているらしい。その年は咲夜がいなくなった年と同じだ。おそらく何かしらあったんだろうな。まぁ、それはおいおい調べるとして、それから数か月間雪奈に仕事を手伝ってもらっていたと言っていた。そしてその仕事がひと段落したから雪奈の要望を聞いて咲夜が通っていたこの学校に通わせてあげたいって言われたんだ。でもな、俺に直接電話してくるくらいだから知っていたんだろうな。俺と咲夜のことも。それで、雪奈が学校について何も知らないのもこれらが原因なんだ」
「そうだったんですか」
「まぁ多少暗い話にはなったが以上だ。雪奈、なにか訂正するところはあるか?」
あくまでも訂正か。まぁ、伝えておく必要もないか。
雪奈が倒れていた5年前のことを聞かないのは気を利かせたのだろう。だが、こんな安い話で同情してくれるのはありがたい。涙を堪える椿子を見てそう思う雪奈だった。
「特には」
「そうか。じゃあこれからどうするかは放課後話し合うとして、とりあえず二人でうちのクラスメイトに雪奈が雪月花の魔女だったっていうのをうまく誤魔化しといてくれ。教師については俺がなんとかしておく」
「わかりました。なんとかして見せます!」
妙に張り切っている椿子は涙をぬぐうと雪奈の手を取る。
「ごめん。羽飛さん。私あなたのこと誤解してたみたい。あんなに大変な過去があるならしょうがないよ」
目に溜まった涙を拭うと明るく笑って見せた椿子。
「雪奈」
「ん?」
「名前で呼んで。苗字で呼ばれるのは好きじゃない」
「ごめん。それもそうだよね。じゃあ、気を取り直して雪奈。これからよろしくね」
「ああ」
「知ってると思うけど私は桜坂椿子。私も名前で椿子って呼んでね?」
「よろしく」
仲間になった証の握手を交わす二人を見て満面の笑みを浮かべる上田。
そんな三人を祝福するように1時間目開始のチャイムが鳴り響いた。