運命の出会い 三
「ところで、愛嘉理。」
「ん?」
気を取り直したように呼び掛ける吾生の顔を、愛嘉理は少し見上げるように覗いた。
「その眼鏡…。」
「これがどうかしたの?」
愛嘉理は眼鏡の縁を、ついと指で押し上げて見せた。レンズ越しに見えるその瞳は、茶色く染まっている。
「うん、ない方が良いんじゃないかなって。」
「どうして?」
「だって、折角綺麗な瞳をしてるのに。」
吾生は溢してしまった大好物のご飯を見る時のような眼差しを、愛嘉理の瞳に向けた。
「神様って、人間みたいに外見を気にするものなの?」
レンズに覆われた少女の大きな瞳が、心底不思議そうに訊ねる。
「うーん、外見のうちに入るのかな?眼鏡がない時の方が、愛嘉理の霊気が澄んで見えるんだ。」
「霊気?」
「うん。」
愛嘉理は、眼鏡を外して目をぱちくりさせた。少しきつい印象を与える大きなその瞳は、深紅に燃えている。しかし愛嘉理には、吾生の言う違いを感じることはできなかった。
その様子を穏やかな表情で見守っていた吾生は、優しい口調で語り始めた。
「この世に存在する者は、君や僕も含めて皆霊力を持ってる。言ってみたら魂がこの世に存在する為の力なんだけど、それを持ってる者が発してる気を霊気って呼ぶんだ。」
吾生の話すことはこの世の根源的な理のような気がして、愛嘉理は直感的に興味を持った。乗り出すように話を聞く愛嘉理に、吾生は更に続ける。
「愛嘉理の瞳が赤いのは、魂と同じ色だからだよ。普通は魂の色が瞳に現れることはないんだけど、愛嘉理は霊力が強くて大きいから抑えきれない霊力がそうして身体に現れたんだろうね。」
「そっか…。もしかして、私がお化け見えちゃうのも霊力が強いせい?」
話の流れから何となく答えは分かるが、愛嘉理は念の為に訊ねた。
昔からそうだ。この瞳は異質な色をしているだけでなく、見えるはずのないものまで映す。そのせいで、“化け物の子”と呼ばれ忌み嫌われてきた。その原因がその霊力とやらにあったとして、今更死ぬ以外にどうにかできるわけではない。しかし何も分からないまま苦しむよりは、もしかしたらそれを緩和する良い方法があるかもしれないと思ったのだ。
「そうだね。霊力が強くて大きい程、見えたり聞こえたり感じたりしやすいよ。それに霊力が強くて大きいってことはそれだけ霊気を発してるってことだから、引き寄せやすくもある。僕のことまで認識してる愛嘉理は、相当すごい霊力の持ち主だよ。」
「そうなの?」
「そうだよ。まあ、意図的に姿を現してる時は別だけど…。でも愛嘉理は、そうじゃないのに僕のことを分かってたし。」
優しく微笑む吾生の想像以上の回答に、驚きを隠せない愛嘉理。
しかし今日みたいな出逢いがあるのなら少しは報われたと考えても良いのかもしれない、と愛嘉理は思った。
「そうだったんだ…。だったらこの力も、少しは無駄じゃなかったのかな…?」
愛嘉理のそんな心からの声に、吾生は静かに青い目を細めた。喜びを隠せない尾が小さく揺れている。
「それで吾生は、さっき言ってた霊気っていうのを見ることができるの?」
「うん。霊気はその時の状態で色々と変わってきたりもするけど、本質の部分は魂と同じで変わらないんだ。愛嘉理の魂は燃えるような真紅で透き通ってて綺麗だから、僕は大好きなんだ。」
「あ、ありがとう…。」
素直過ぎる吾生の言葉に、愛嘉理は再び顔を茹で上がらせる。
「でも、何で眼鏡を掛けてるかどうかで変わるんだろ?…どうかな?変わった?」
「うん、今は少しだけど。きっとね、眼鏡のせいというよりかは愛嘉理の心の問題だと思うよ。」
照れを誤魔化すように再び眼鏡を外し訊ねる愛嘉理に、吾生は柔らかい口調で言った。
「そうなの?」
「そうだよ。少し景色が違って見えない?」
「うーん、言われてみればそうなのかなぁ…?でも、霊気が綺麗になったって皆に嫌われちゃうんだったら意味ないよ…。」
表情を少し曇らせる愛嘉理の肩に、吾生は優しく手を置く。
「無理はしなくても良いんだよ。でも今はまだ分からなくても、愛嘉理のことを僕みたいに好きでいてくれる存在はいるよ。」
「私のことを…?うーん、本当かな…?」
愛嘉理は真剣に頭を悩ませた。
こんな自分に優しくしてくれるのは、家族ぐらいのものだった。しかし、今はもういない。
すべてを失った時、愛嘉理は思った。家族は良心的な人物だったが故に親子や姉妹という関係性から来る責任感や情で良くしてくれていたのであって、本当にそんな理屈を抜いたら自分は誰にも愛されないのだと。
それは吾生に対しても同じことで、こんな自分に好意的に接してくれるなんてさすが神、文字通り優しさも神級だと思っていた。
今のままでは愛嘉理は自分に好意的に接する存在すべてにそう思いながら生きていくだろうことが、吾生には容易に想像できた。しかしその根元にあるのはやはり自己否定、それこそが愛嘉理を苦しめる原因なのだ。
それを知る吾生は、だからこそそんな愛嘉理を放っておけなかった。頭を抱える愛嘉理を見て、吾生は静かにかぶりを振る。
「愛嘉理、僕は“優しい”から君にこうして話してる訳じゃないんだよ。」
「え?」
驚く愛嘉理に、吾生は少し悲しそうな顔をした。
「愛嘉理が好きだから、僕がこうしたいんだ。そんなふうに思ってたら、僕は傷付くよ。」
「どうして?」
愛嘉理には、吾生の言うことの意味がよく分からなかった。何故“優しい”と思うことが、相手を傷付けるのだろうか。
そのヒントを、吾生は提示した。
「だって、愛嘉理だったらどう?好きだから色々してあげたいと思ってるのに、この人は気を遣ってくれてるんだって申し訳なく思われてたら。」
「さ、寂しいね…。」
想像したら少し切ない。自分は相手をこんな気持ちにさせていたのかと思うと、愛嘉理は吾生に申し訳なくなった。
「そうでしょ?でも申し訳なく思うよりも、感謝をした方が相手は嬉しいよ。」
悄気る愛嘉理に、吾生は優しく笑った。
「た、確かにそうかも…!うん、ありがとう!」
釣られて愛嘉理も笑う。
確かにそうだ。勿論状況にもよるがどちらでも選べる場面なら、「ごめん。」と頭を下げられるよりも「ありがとう。」と笑ってくれた方が嬉しい。
「僕はどんな愛嘉理でも好きだよ。だから、これからはもっとありのままでいてみたらどうかな?」
「ありのまま…?」
吾生の笑顔が眩しい。しかし、そんなことをすれば間違いなく嫌われるとしか思えない愛嘉理の頭には再び無数の疑問符が浮かび上がる。そんな愛嘉理に、「そうだよ。」と吾生は頷く。
「もっと言いたいことを言って、やりたいことをやって。辛い時は、頼ったって泣いたって良いんだ。その方が、僕は嬉しいよ。」
「嬉しい…?迷惑の間違いじゃなくて…?」
やはり理解し難い様子の愛嘉理。無理もない。自分が自分でいることで今まで苦しんできたのに、それを晒け出せと目の前の神が言っているのだから。
何とか心に落とし込もうと唸る愛嘉理に、堪えきれない様子で無邪気にクスクスと笑う吾生。
「ふふ、そうだよ。少なくとも、今僕は嬉しいもん!だから、もっとって思っちゃうんだ。欲張りだけどね。」
愛嘉理はハッとした。
吾生は、嘘の無い態度で自分と正面から向き合ってくれていると感じる。だから愛嘉理も今まで意識もしなかった程、自然と飾らないままでいられたのだ。吾生がそうだから。
そうだとすれば今まで人との間に距離を作り出してしまっていたのは自分かもしれない、と。
「そっかぁ…。私、今までそんなこと全然考えたこともなかったよ。ありがとう、吾生。」
「どういたしまして。」
満面の笑みを浮かべる愛嘉理に、吾生もニッコリと笑い返す。