再会 二(愛嘉理視点)
「吾生。」
「ん?」
声に反応した、青い瞳が私を捉える。吾生は、少し嬉しそうに見えた。
「ずっと伝えられなかった大切なことを、言っても良い?」
「うん。」
私の急な質問に、吾生はすべてを見透かしたような瞳で優しく頷いた。
急と言っても、今いきなり思い付いた訳ではない。
前世の吾生が消えてしまう前からずっと思ってはいたが言えなかったことが、夢でその記憶の断片を見る度に後悔として蘇っていたのだ。
思っていたのであればわざわざ言わなくても思念を読み取る力を持つ吾生には伝わっていただろうが、それでも大切なことは自らちゃんと伝えなければいけないはずだと夢の中の私はいつも苦しみ藻掻いていた。
今の私自身も、間違いなくそう思う。
だからこそ、折角再び機会を与えられたのなら伝えられる時に確かに伝えるべきだと考えたのだ。
とは言えやっぱり誰にも告げたことのない歯の浮くようなこの台詞を堂々と口に出せる度胸は残念ながら私にはなく、時間稼ぎ以外に何の意味もない前置きをすることにした。
「…い、言わなくても吾生にはもうバレちゃってると思うんだけど。」
「ふふ、そうなの?」
やっぱり、既にこちらの目的は分かっているようだ。
吾生は余裕の態度で微笑み、それとは対照的に露呈している自分の余裕のなさが情けなく、また恥ずかしかった。
そしてその焦りは自分でも予想しなかった方向へと暴走してしまい、私は思ってもいないことを口走ってしまった。
「そうだよ。もう、分かってて言ってるでしょ?吾生の意地悪。やっぱり言うのやめた!」
こんなはずでは…。
吾生にその気があるのかないのか、少しからかわれている気がしてつまらない意地を張ってしまった。
私は覚悟を決めて自分から話を振ったはずなのに、何故かそれを自分から撤回するという訳の分からない展開に軽く目眩を覚える。
しかし吾生はそんな私に不快感を露にするでも怒るでもなく、あろうことか今の状況を楽しんでいるようにさえ見えた。
「そんなぁ…。またこうして君と話せることが、ただ嬉しかっただけなんだ。それで思わず…。その…ごめんね、愛嘉理?」
「…。」
そう謝りながら私の顔を申し訳なさそうに覗き込む吾生に心臓が跳ねて、私は思わず怯んでしまった。
「…やっぱりもう、言ってくれないの?」
こういうところが、やっぱり吾生のずるいところだと思ってしまう。
しょんぼりとそう言う吾生に、私はつい先程の後悔も忘れてまた同じ轍を踏む。
「そんな顔しても、だめなものはだめ!もう、この話しなきゃ良かった…!」
どうして吾生の前だといつも、理性が全く言うことを聞かなくなってしまうのだろう。
こんなことになるなら、もう少し時間を置いてから話せば良かった。
「どうして?」と訊ねる吾生にこんな理由を話すことなど到底できるはずもなく、「そ、それは…。」と口籠もる。
「それも秘密!」
余裕のない早口で何とかそう言い終えたが、吾生は一向に諦める素振りを見せようとしない。
「どうしても、だめ?」
頼み込むようにそう訊ねてくる吾生を横目で盗み見ると、綺麗な深海の瞳はこちらをじっと見つめている。
「…と言うか、そもそも言う必要ないんだし…。」
視線を感じる度に顔の温度が上昇し、最早私の口はその気恥ずかしさを隠そうとするその場凌ぎの言葉しか紡げなくなっていた。
「でも、僕は聞きたいな。愛嘉理の思いを、愛嘉理の声と言葉で。」
「うぅ…。」
もう逃げ場はないのに、それでも私の心はへたれたままだ。
そんな私に吾生は優しい声で、「お願い、聞かせて?」と再び乞う。
「………。」
「ね?」
ここまで来たら、言わなければ。
自分で広げたくせに自分で散らかしたこの展開を吾生がここまで片付けて、あろうことかお膳立てまでしてくれたのだから。
何より、吾生は確かに言ってくれたではないか。ならば、私も誠意を持って伝えるべきだ。
自分の体裁ばかり気にしている場合ではないのだ。言え、言うのだ。人見 愛嘉理!
「……………わ、私だってその…す、好き…だよ。…って、そう…言いたかったの…。」
言った、確かに言った。
瞳さえまともに見れず言葉が喉に突っ掛かって思うように伝えられたとはとても言えないが、それでも精一杯の思いを伝えた。
ちゃんと届いただろうか…?
恐る恐る視線を上げると、吾生は満面の笑みを浮かべていた。
「…うん、僕も大好き。これからはずっと一緒にいようね、愛嘉理。」
そう優しく抱き締められて涙を堪えきれるはずもなく、私は泣きながら吾生の胸に悲痛な思いをぶつけた。
「絶対だよ。もう消えても良いなんて、絶対思っちゃだめだからね!私の傍から、絶対いなくなっちゃだめだからね!!約束だからね!!」
「うん、約束する。ずっと辛い思いをさせてきて、ごめんね。たとえ愛嘉理が拒んでも、もう離れないし放さないから。」
耳元で呟くように誓うその言葉と強められた私を抱く腕の力が、長い間魂の奥底で感じ続けていた孤独に終止符を打った気がした。
「愛嘉理、こっち向いて…?」
そう囁く吾生の甘い声が聞こえるが、今の私はその要求に応えることができない。何故ならこんなぐしゃぐしゃな顔では、きっと吾生に幻滅されてしまうからだ。否、彼がそんなことを意に介するような心の持ち主ではないことを私は知っている。私が隠したいのはきっと醜い顔ではなく、ちっぽけなことを気にする醜い心だ。
結局、私はあの時から何も変わっていないのかもしれない。そう思うと、自分が一層項垂れるのが分かった。
「…。」
こんな私に吾生を思い、共にいることが赦されるのだろうか。私は、どうしたら吾生に幸せを届けられるのだろう。
嫌われたくない、嫌われたくないよ。吾生にだけは。
だからあの日吾生に出会ってからずっと、私は強く大きくなりたかった。だけどいつだって、私は弱くて小さい。そんな私を見せられないから、隠そうとしてしまう。
そんなことをしても、逆効果でしかないのに。でもそのくらい、嫌われたくないんだよ。
それでも吾生は、いつだってそんな私を優しく見守ってくれた。強いと、好きと言ってくれた。ならば応えたい。少しでも、吾生の為に。
「愛嘉理。」
不意に耳元で名前を呼ぶ声と手を握られる感覚に、思わず肩が大きく跳ねた。驚きの拍子で涙は止まったが、今度は緊張で身体に力が入ってしまう。
顔が近いせいか胸がドキドキと音を立てて止まず、吾生に聞こえてしまうのではないかと思える程だった。意思とは裏腹に緊張は強まるばかりで、私は顔をしわくちゃに握り締めた。
「力、抜いて…?」
そう言われて、出来る状況ではない。
深呼吸を試みたものの、普通の呼吸すらままならない。手足は冷たくなり感覚がないのに、吾生の左手が添えられた右頬を中心に顔だけはまるで茹でられたように火照っている。
リラックスしようとすればする程身体は緊張度が増し、まるで石にでもなったような気分だった。
そんな必死な私の様子を見ていた吾生は、「ふふっ。」と思わず堪えきれなくなったように笑みを漏らした。それに釣られて私の緊張も一瞬解けたのだが、その隙に吾生の瞳に獣が宿るのが分かった。
「ん…!」
刹那のことで状況を把握できずその余りの驚きに瞳を見開いたまま、気付いた時にはもう私はされるがままになっていた。先程までの湿っぽい思考はどこへやら、一転して無上の喜びとも言えるような感覚に再び大粒の雫が一つ頬を伝う。
何も考えられなくなった私の頬を濡らす涙を左手で拭いながら、吾生は私の手を握る力を強め更に口付ける。
「…は…あ、吾生っ…!」
これ以上続けられたら身も心もおかしくなってしまいそうで、襲い来る恍惚感の波に溺れながら私は必死に吾生に助けを求めた。しかしその叫びに吾生は更なる口付けを施し、艶やかな青い瞳で私を深い海のより沖の方へと誘った。
それは危うい程に優しく、しかし貪るように激しく求めていることを確かに感じる、そんな甘い口付けだった。
「ふぅっ…んっ…!」
身体中を駆け巡る衝撃の波間を縫うように漏れる吐息や声を、吾生の温かい唇が柔らかく受け止める。
「…はぁっ…!!」
吾生の唇が離れるのを少し寂しく感じてしまう私は、やっぱり何かおかしくなってしまったようだ。初めての感覚に頭の天辺から指の先まで酔い痴れて、先程までとは反対に今度はすっかり身体に力が入らなくなってしまっていることに気付く。
思わず私が吾生の身体にもたれると、頭に吾生の手が置かれる感触があった。そして吾生は私の髪を何回か優しく撫でた後、今度はそこに自らの顔を埋め深く息を吸い囁いた。
「良い匂いがする…。僕の大好きな愛嘉理の匂い。ふふ、何だか落ち着く。」
「…っ!!」
恥ずかしさに顔が真っ赤に染まるのが分かり、慌てて吾生の胸に顔を押し付けた。すると吾生の胸が、初めて抱き締められたあの日には聞こえなかった音を奏でていることに気付いた。その音は耳にとても心地好く、私はとても安らいでいくのが分かった。
「吾生だって…。」
そのままの姿勢でそう呟き小さく対抗する私に、「ふふ、そう?」と吾生は穏やかな笑みを浮かべる。
私が微かに首を縦に振ると、「何か恥ずかしいかも。」と少し頬を染めて照れ笑いをする吾生。釣られて思わず私もはにかむ。
二つの音が織り成す旋律は、私達がこの命を終えても思い合う限りずっと再び惹かれ合うことを教えてくれている。たとえ何一つとしてヒントがなくとも、お互いの魂が呼び合い出逢う運命だと。
そんな神秘的な魂の旋律に耳を傾けていると、頭に愛しい声が降る。
「愛嘉理。ずっと、大好きだよ。」
そして私達は、再び唇を重ねる。




