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あおとあかのきせき 下書き  作者: 世渡 繋
序章
6/69

運命の出会い 一

今宵は久方振りの金環日蝕だ。

真昼の太陽と月が重なり合うその瞬間を、そこにいる多くの者が目にする日。ーそう、神さえも。


空気の澄んだ秋空の下、涼しげな葉擦れの音に耳を澄ませながら、人々がかつて御神木と崇めた大樹の幹に凭れ座る影が一つ、木々の葉の隙間から覗く太陽と月の姿を見ていた。

二つの星は、今まさに重なり合おうとしている。

その日、禁断の物語が静かに幕を開けた。




鮮やかに染まる山を背に喪服の少女人見(ひとみ) 愛嘉理(あかり)は、無言のまま目の前で昼下がりの日差しに照らされる墓を一人ただ見つめていた。

周りには沈痛な表情を浮かべる大人達の啜り泣く声が聞こえる。そしてそのたくさんの視線は、そのどれもが愛嘉理を蔑んでいた。

しかしそれを理解していても、愛嘉理は憤慨することも号泣することもない。眼鏡の奥から覗く瞳はただただ無表情で、まるで命を抜き取られたかのように褪せている。その眼差しは到底齢十の娘のものとは思えない程、重かった。

その瞳の奥で、愛嘉理は昨日も一昨日も町中で今夜は皆既月食だと騒いでいたことをあえて思い出していた。愛嘉理が生まれる前年の今日は、皆既日食が世の中を騒がせていたらしい。愛嘉理にはどうでも良いことだったが、今はそれが必要だ。

生きていく上で、関心は持たない方が良い。そうすれば、接点はできない。その方が楽だから。

十歳にして、愛嘉理はそんな持論の元に生きていた。

「…。」

ふと愛嘉理が目線を墓の向こうに移すと、そこには不思議な雰囲気を放つ深海のような深い青の瞳を持った銀毛の獣が静かに佇んでいる。

「白い狗…?」

愛嘉理を見ていた狐の尾を持つ狼のようなその獣は、目が合うと鈴の音と共にその場から姿を消してしまった。

「あ、待って!」

いつもなら、絶対に追い掛けたりなどしない。しかし、今日の愛嘉理は自分でも気付かない間に走り出していた。まるで逃げるように、否、求めるように。

しかし、愛嘉理の後を追う者はない。周りの大人達は、皆気付かないふりをしていた。

「あれ?ここ、どこ…?」

気付けば獣を追い掛ける余り、愛嘉理は知らない場所にいた。とりあえず元来た道を戻ろうと辺りを見回すと急に霧が深くなり、一歩先もまともに見えなくなった。

更に追い討ちを掛けるように、ただでさえ寒かった辺りの空気が何か嫌な気配を帯びてより一層冷たさを増す。時と共に恐怖は募るばかりで、愛嘉理はその場で凍り付いた。

今まで愛嘉理が感じたことのない強さの嫌な気配が、刻一刻と近付いて来る。最早愛嘉理にとって、極限と言っても差し支えない状況だ。

嫌な気配は目の前で動きを止めると、恐怖に顔を握る愛嘉理の耳元で不気味な息遣いと共に呻くように囁いた。

「…こ…せ…!…魂…寄越せ…!」

こんな時に限って、身体が緊張で動かない。万事休す、愛嘉理の恐怖が最高潮に達する。

「助けて、神様…!」

愛嘉理が強く念じたその時、鈴の音と共に瞼越しに光を感じた。同時に、嫌な気配が遠ざかるのが分かった。

「う゛ぅ…あ゛ぁ…。」

「!?」

愛嘉理がうっすらと瞳を開くと、すでに霧は晴れていた。目の前には愛嘉理を守るように立つ大きな背と、視界の左隅の黒い影が二人の前に立つ古くて小さい鳥居を越えて山の方へと移動していく様子が見えた。

愛嘉理は来た時になかったはずの鳥居に違和感を覚えたが、今はその疑問を追求する心の余裕はなく、どこからともなく現れた救世主を含めた目の前のこの状況にただ唖然としていた。

その救世主は三日月のような剣と弓矢を携え、その背に長い縄を大きく蝶結びにしていたが、影が見えなくなると同時にそれらも消えてしまった。

「大丈夫?」

身体の大きな少年は振り向くと、頭が目の前の状況に追い付かない様子の愛嘉理の目線に合わせるようにしゃがんで問い掛けた。

人懐こい、しかし凛々しさと温厚さが同居した不思議な雰囲気の美男子だ。どことなく、先程見たあの獣に似ている。

「だ、誰…?」

「僕は吾生。もう心配いらないよ。」

ポカンとした顔で訊ねる愛嘉理にそう答えながら、吾生と名乗る少年は特徴的な八重歯を覗かせた。微笑む顔は優しく、穏やかなその声に愛嘉理は思わず張り詰めた緊張の糸が一気に緩んでしまう。

「…!」

吾生は、溢れ出す涙を抑えきれない愛嘉理を優しく抱き締めた。

「よしよし、辛かったね。すぐに来てあげられなくてごめんね。」

吾生は大声で泣きじゃくる愛嘉理を宥めるように、背中を何度か軽く叩いた。

今まで生きてきて味わったことのない不思議な心地好さを感じたが、愛嘉理はすぐに正気に戻った。

感謝はするべきだ。しかし、ならば尚更恩人に迷惑を掛けるべきではない。ましてや泣くなど以ての外だ。今まで生きてきて、自分といた人間がろくなことになった試しがない。ならばできる限り誰かと関わるべきではないのだ、と。

「…ありがとう、吾生さん。じゃあね、さよなら!」

「あ、ちょっと待って!」

走って立ち去ろうとしたが腕を掴まれて、思わず愛嘉理は足を止めた。

「?あの…。」

「あ、いや…。えーと、ごめんね。その、つい…。」

本人も思わずの行動だったようで、恥ずかしそうに頭を掻きながら吾生は愛嘉理の手を放した。

そして再び背を向けようとした愛嘉理は、その時あることに気付いた。

「あれ…?吾生さん…。」

「え?」

「もしかして、人間じゃない…?」

「や、やっぱり出ちゃってる?耳と尻尾…。」

愛嘉理が頷くと、吾生は困ったような顔で頭を抱えた。狼のような耳を押さえると、指の間から銀色の髪がさらりと零れた。

それだけではない。よく見れば見る程、目の前で狼狽える吾生は普通の人間とは異なる容姿を持っていた。

狼のような耳や髪に見合う色の狐のように豊かな白銀の尾、雅な時代劇で見たことのあるような服、腰から下げた狗の面、そして海のように深い青の瞳。

どれもこれもが人間の一般常識に当てはまらない。今更気付いたのが遅過ぎるくらいだ。

しかしだからと言って恐ろしい訳では全くなく、愛嘉理は神秘的で美しいと感じた。

「似合ってるよ。銀の髪とお揃いの耳も尻尾も、服もお面も。あと、綺麗な青い瞳も。」

「…ありがとう。」

気遣いと言えば愛嘉理なりの気遣いだが、決して嘘ではなく心からの言葉だということが分かったので吾生は素直に微笑んだ。


吾生は古ぼけて色のなくなった小さな鳥居の脇に座ると、愛嘉理に手招きをした。愛嘉理がその横におずおずと座ると、吾生は満足げに笑う。

飛火里(ひかり)のこと、思ってた?」

「な、何で飛火里のこと…?」

穏やかに問う吾生に、愛嘉理は驚きを露にした。初対面の吾生には、妹の飛火里を知る術などないはずだ。

その疑問に、吾生は少し悪戯っぽく微笑みながら答えた。

「ふふ。分かるよ、愛嘉理。僕は神だから。」

「わ、私の名前まで…。本当に神様なの?」

「うん。」

驚きが感嘆に変わる愛嘉理に、吾生は得意気に頷いて見せる。その様子を見て、愛嘉理は少し期待に顔を輝かせた。

「じゃあ、何でもできる?飛火里を生き返らせることも…。」

「ごめんね、それは僕にもできない。」

「神様なのに?」

吾生の瞳が一瞬、悲しみを湛えたのを愛嘉理は見逃さなかった。しかし今の愛嘉理に、その理由を慮ることは到底できなかった。

その発言を受け入れられない愛嘉理に、吾生は申し訳なさそうに告げる。

「残念だけど、愛嘉理が思ってるより僕が出来ることは少ないよ。」

「そうなの…?」

「うん。」

そんなはずはあるまいという表情の愛嘉理は、それでも納得できないようだった。

「でもさっきだって、言ってなくても飛火里のこと分かって…。」

「うん、でもそれだけだよ。」

「え?」

「それ以上のことを、僕はできない。」

「そんな…。」

愛嘉理は表情を暗くし、がっくりと肩を落とした。

「…ごめんね、力になれなくて。」

「…。」

黙り込んで俯く愛嘉理に、吾生は益々申し訳ない気持ちを募らせる。しかし、事実なのだから仕方ない。神だからと言って、この世の全てを好きにできるはずなどないのだ。それにたとえ人を生き返らせる力があったとしても、それは自然の秩序に反する。その暗黙の掟を、神として破る訳にはいかない。ならば今の自分にできる精一杯のことを、頑張るしかないのだ。

吾生は、落胆する愛嘉理の小さな肩にそっと手を置いた。

「でもね、愛嘉理。僕になくても、君にはできることがあるよ。」

「…?」

「君の思いなら、きっとどんな存在にも届くよ。」

愛嘉理の瞳を見据え、真摯な態度で吾生はそう言った。自らを思うその言葉に愛嘉理の瞳は少し明るさを取り戻し、小さく「本当…?」と訊ねた。

「うん、僕はそう思うよ。」

吾生は力強く言った。何故か信じてしまいたくなるから不思議だ、と愛嘉理は思った。やはり神ともなれば、言葉の説得力も違うのだろうか。何にせよ、吾生が愛嘉理の心に一筋の光を齎したのは紛れもない事実だった。

「飛火里に届くと良いね。」

「うん…!」

吾生の優しい微笑みに、幼い瞳からポロポロと雫の雨が降る。

それでも泣くまいと耐えていると、愛嘉理は伸びた二本の腕に抱き締められるのを感じた。それは先程助けて貰った時と同じような、不思議と安らぎを覚える柔らかくも力強い感覚だった。

「愛嘉理、泣きたい時はちゃんと泣いて良いんだよ。」

「で、でもっ…!」

物心がついてからもう何年も、一人で生きる為に弱さは見せまいと涙を呑み込んできた愛嘉理。だからこそ一日に二度もこんなに大泣きする自分に愛嘉理は戸惑い、涙を止めようと必死になった。

「良いから。大丈夫だから。ね?」

吾生が再び自分の胸に愛嘉理の顔を埋めると、愛嘉理は赤子のように無心で泣いた。小さな肩を抱く腕に力を込めると、それから落ち着くまで吾生は少女の痛みの欠片を受け止め続けた。

肩を震わせる少女の身体は余りにも小さく、長年抱えてきた思いがすべて流れ込んでくるようで吾生は居た堪れなくなった。

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